第11話:法律は当事者を守れるのか ⑪

しかし、これらの知識を取り締まる立場の人たちだけが理解していたとしても、被害者となりかねない子どもたちが理解していないと十分な効力は発揮されないだけでなく、子どもたちに教えたとしても個々の理解に個人差が生まれる可能性や自己判断が可能な年齢に達していない子どもたちにどのように説明していくかなど問題解決に必要な課題や問題が山積しているのが日本社会の現状だろう。


 そのうえ、これらの内容を保健体育や性教育の講習や講演といった“教育機会”および“理解促進機会”で話したとしても、学んでいる子どもたちは実際に被害に遭ったことがない子どもたちが多い事から、実際の状況をイメージして考える事や聞いた内容に対して“なぜ”・“どうして”という部分が十分に理解が進まないことやこのような教育を行う事で性に関する興味・関心が強くなり、誤った行動をする可能性もあることから、指導をするにしてもバランスが難しいとも言われている。


 ただ、これらの問題を解決するためには山積する課題を1つずつ解決しなくてはいけないため、個別課題など金銭的な問題を含まない場合は問題ないのだが、改善するために必要な人材が出てきた場合にどのように雇用し、どこから予算を持ってくるかという問題になるが、地方の場合は資金が潤沢にある自治体とそうではない自治体にくっきり分かれていることから、これらの差が対応可能範囲に顕著に表れてしまう可能性があるのだ。


 特にプール学習や宿泊を伴う行事を行う学校の場合は更衣室を2分割にするのか、3分割にするのかの協議や利用施設においてどちらの使用を認め、どのような扱いにするかという男女を分けなくてはいけない部分に関しての対応が難しくなるなどハード面の問題だけでなく、ソフト面の問題も同時に発生することから、仮に子どもたちにこれらの教育を進めたとしてもこれらの行事に合わせて指導が出来るのかという問題が発生するのだ。


 この問題は多様性理解が集団生活における基本であると捉える場合には導入することでメリットが大きくなるのだが、1番難しいのは“精神発達”の観点から適正な理解を進める事が出来るのかという点だ。


 なぜなら、これらの問題の根底を考えると“子どもの権利条約”や“子どもの人権”といった子どもたちの権利に関する部分が顕著になりやすく、子どもたちの選択を第三者観点でどのように理解し、これらの社会適応性を高めていくことが望ましいのかという点が導入・理解に関する提言の1つとして挙げられる。


 しかし、日本社会においては子どもの権利に対する理解度があまり高くないことから、これらの認識の差が生まれることでいじめなどが発生しやすい条件が整ってしまうというリスクも高まるのだ。


 特に児童数・生徒数が少ない地域の学校においては児童数・生徒数が多い学校に比べると子ども同士の顔認知や行動把握などが容易であることから、問題発生速度が速くなることやいじめ等が発生した場合に周囲に与える精神的ショックや不安が大きくなるというリスクも高まるのだ。


 そのうえ、現在は以前に比べると情報取得の容易化や周囲とのつながりが希薄になっていることで周囲に相談する機会などが減少していることから、正しい情報が伝達されないことも多いことで問題が発生していたとしても報告が遅れることや状況が深刻化している場合にはこれらの問題をどのように取り扱っていくかを考えていかないといけないことから現場負担が重くのしかかるという懸念もあるのだ。

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多様性社会において共存は可能なのか NOTTI @masa_notti

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