起床後の挨拶


夢の中の出来事なのに、と語るふたりのお話。




朝、意識の遠くで規則的な音がする。

自分自身でかけたアラームを静かにとめる。


今日は土曜日。休みの日ではあるがあまり寝すぎても調子が狂うからと、遅くても9時には起きるようにしている真司さんは重い体を何とか起こし床を出た。


リビングに移動すると一足先に起きて朝ご飯を作ってくれていたあさ子さんと目が合う。


「おかえり」


「ただいま」


同棲を初めて2年。

おおよそ朝の挨拶に不釣り合いな、この奇妙な挨拶が二人の日常だ。


朝起きたらただいま。

あまりにちぐはぐな挨拶に、真司さんは昔そんな内容を歌にした子供番組があったなと心の中で笑った。


この奇妙な挨拶が始まったのは二人での生活が始まって半年が経ったころからだった。


珍しくあさ子さんが夜更かしをしていたある晩。

穏やかな寝息を立てている真司さんの隣で、明かりがついていても気にせず眠れる彼に甘えてサイドテーブルのランプの明かりを頼りに話題のSF小説を楽しんでいたという。


区切りの良いところまで読み終えサイドテーブルに本を置こうとしたとき、ふいに真横から声がした。


「ゆり、、、ゆり、、、」


あさ子さんはその瞬間、体の芯まで冷える思いをした。

乱暴に真司さんを揺り起こすと怒鳴るように問い詰めた。


浮気しているのか。

ユリ、とは誰なのか。


あふれそうになる涙を必死にこらえながら問うたが、真司さんの回答は要領を得なかった。

寝起きだったから、というのもあるがそれ以前にユリという名前に全く身に覚えがなかったそうだ。


しばらく二人の仲は険悪だった。

というのも、頻度は決して高くないがその後も時々、真司さんは「ユリ」という名前を寝言で口にしていたからだった。

過去の恋人、友人、親類にもそのような名前がいないにも関わらず、だ。



最初は浮気を疑っていたあさ子さんが、違和感を覚えたのはそれからしばらくのことだった。


会社が終われば寄り道もせずに帰ってくる、加えて元来、小心者の恋人の様子に浮気など結びつかない。

それでも寝言でだけ登場する「ユリ」という女性の存在に頭を悩ませあさ子さんは不眠がちになっていた。


関係は冷め始めていたが、一緒に眠ることはやめなかった。

どこか意地になっていたのかもしれない。

そんなある夜だった。


「ゆり」


彼がまた呟いた。

なんとなく、もう慣れ始めていたあさ子さんは苦々しく思いながら恋人の寝顔に目を向けた。


「ゆり、頑張ったなあ、赤ちゃんって小さいなあ」


その言葉にあさ子さんの頭は真っ白になった。

二人は高校時代から付き合いのある仲で、少なくともあさ子さんの知る限り彼には子供なんていないはずだった。


ある日彼がしみじみとした声で呟いた寝言に、あさ子さんは一つの答えを出した。

真司さんは夢の中でもう一つの人生を送っている。


荒唐無稽な考えだったが、どうしてなのか自分の中では妙に説得感があった。




「あやかも大きくなったなあ」


「明日は運動会か」


「パパのお嫁さんかあ、いつまで言ってくれるかなあ」




その後もときおり、不可解な内容の寝言は続いたがあさ子さんがこのことで頭を悩ませることはなくなった。


最近はむしろ夢の中の彼の人生はどう進んでいるのか気になって、今までとは別の意味で夜更かしが続いている。


そしてその時から、件の妙な朝の挨拶が始まった。


今日も無事に戻ってきたと思いながらお互いに呟く。




おかえり





ただいま




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 00:00 予定は変更される可能性があります

あなたに続く怖い話 @koujitsu_hayama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る