転機
第26話
食事が終わって、私はライリーと一緒に彼の家に向かった。
ライリーの家はシャロンの家の隣だった。
と言っても、シャロンの家との間には庭と薬草畑があるので、30メルラほど歩かなければならない。
ライリーは家に入るまで、何か私の知らない歌をハミングしていた。
「さぁ、ここが俺の家だ」
ライリーはそう言って私を家に招き入れた。
長い間留守にしていた割に、家の中はきれいだった。
聞けば、帰ってきてすぐに魔法を使ったのだ、と言う。
「掃除用の呪文ってのがあってな。まぁ、普段はそんな横着しないんだが、なにしろ積もり積もった埃をきれいにするには一番なんでな」
「へぇ………やはり、魔法は便利ですね。羨ましいです」
私は正直に感想を漏らした。
「まぁ、便利っちゃ便利だけどな。呪文を覚えるのが面倒だ」
ライリーはそう言いながら私に椅子を勧めた。
私が座ると、ライリーはテーブルの向かい側に座った。
「さて、と。土産だったな」
ライリーはベルトに挿していた杖を振った。
と。
テーブルの上に大きな物が現れた。
私は目を丸くした。
「これ………リュートじゃないですか」
私は手を伸ばす前にライリーを見た。
「あぁ、そうだ。あんたのリュート壊れていただろ。仕事のついでに拾ってきた」
「拾ってって………落とし物ですか?」
「ぃや、まぁ、そんな事より、それ使えるかどうか試してみろよ」
私はライリーの言葉に従って、リュートを手に取った。
弾き始める前に、リュートを観察する。
かなり使い込まれた古いものだったが、十分に手入れされていた。
とても落ちていた物だとは思えない。
まさか盗んだりしてはいないだろうが、買ったとなれば金貨50枚は下らなかったはずだ。
そんな多くの金貨を見ず知らずの私の為に使うとは思えない。
それにしても………
「素晴らしい………この持ち主は随分このリュートを大事にし……て………」
「ん?どうした?」
「ぁ、あぁ、ぃえ。ここに傷が………」
ボディの裏側。
ちょうどネックとのつなぎ目の辺り。
私はそれをじっと見た。
単純にこすったりぶつけて出来た傷ではない。
故意に付けた傷。
アルファベットの一文字に見える。
『D』
そんな、まさか………
私はリュートの表を見た。
美しい模様にくり抜かれた、ボディ表面のローズ(サウンドホール)。
その模様は、とても馴染み深いものだった。
私は色々な可能性を考えた。
必要なくなったから売ったのだ。
弾く事が出来なくなったか、声が出なくなったか、それとも………
ぃや、歌わずとも暮らしていけるようになっただけだ。
旅をせずとも暮らしていけるようになったのだ。
私のように愛し合う女性と知り合ったのかもしれない。
もしくは………
そんな年ではないはずだが、もう欲を吐く必要もなくなったのかもしれない。
そうであればそんなに多くの金は必要なくなる。
盗みに入るだけにしたのだろう。
きっとそうだ。
でなければリュートを手放す必要はない。
ぃや、そもそも。
これが彼の物だとは限らない。
リュート奏者は私達だけではない。
きっとどこかの誰かが持っていた物だ。
たまたま。
そう、たまたま似ているだけだ。
『D』に見える傷も、ローズの模様も。
出来るだけ良い方に、と思うのだが、頭の隅には最悪の答えが陣取っている。
「どうした?何か拙い事でも?」
ライリーの言葉に頭を振って、リュートを構える。
つま弾けば、ぽろろん、と優しい音色が部屋に響く。
私は短い歌を歌った。
♪
春風があなたを連れてきた
独りいる私の元に
春の日のように暖かいあなたが
私の心を蕩かす
凍てつく空を渡って
春風があなたを連れてきた
♪
最後の音が宙に消え、私は大きく息を吐いた。
「素晴らしい。あんた、良い声だな」
「ありがとうございます」
私はライリーに頭を下げた。
「ぃや~、こりゃ女どもが夢中になる意味分かるわ。俺が女だったら間違いなく惚れるね」
「どういう意味でしょうか?」
顔を上げると、ライリーは薄く笑っていた。
「聞いた通りの意味だ。シャロンは知ってるのか?あんたが女に買われてるって話をよ」
「何の事だか分かりませんが」
なるほど。
こういう話をする為に呼ばれたのか。
別に隠していた訳ではないから、いつかどこかでこんな事になるだろう、とは思っていたが。
まさかこんな風に言われるとは思っていなかった。
せめてもの救いはシャロンがいない場所で話してくれた事だけだ。
それでも私は、表情を変えずに問い返した。
しらを切り通し、それでもダメな時は過去の事だ、と切り捨てれば良い。
が、ラリーは私の問いに答えず、別の事を話し始めた。
「そのリュートな」
「え?」
私は話しの転換について行けず、顔を顰めた。
「そのリュート、俺の獲物の持ち物だったんだ」
「獲物?」
私の呟きに頓着せず、ラリーは杖をいじりながら勝手に話を進めた。
「俺が“何でも屋”だってのは聞いてるだろうけど、その内容ってのは、主に狩りだ。依頼を受けて狩りに出る。相手はモンスター。鬼女や吸血鬼、トロールやら………あぁ、ドラゴンは別だ。あれの相手は騎士やら王子様だ。んで、まぁ、そういうモンスターの中で一番得意なのが、狼男狩りだ」
私はライリーの仕事が狩りだ、と聞いた瞬間から最後の言葉を予想していた。
そしてこの話が何処に向かうのかも予想できた。
だから私は感心したように、へぇ、と感嘆詞を口に出した。
「魔法使いには色々な仕事があるのですね」
ライリーは口元を歪めた。
「だな。今回留守にしてたのも狼男狩りだったんだが、そいつ、なかなか見つかんなくてな。時間がかかった」
私はいかにも興味を持っています、という顔を作ってライリーの話を聞いた。
本当は聞きたくないのに。
今すぐ耳を覆って、この家を飛び出す事が出来ればどんなにいいだろう?
「それに見付けてもすぐには殺せない。そいつが本当に狼男だと分かるまで手出し出来ないんだ」
「普段は人の姿をしている、と聞きますからね」
「あぁ、そうだ。間違って人を傷付けたら俺が罰せられる」
逆に言えば、狼男を傷付けても罰せられない。
何故なら狼男はマイノリティだから。
狼男はマジョリティに害をなすから。
だから狼男は表に出ない。
マジョリティの中に紛れ込み、己もマジョリティの顔をする。
己を偽り、ひっそり、こっそり生き続ける。
「でも、不思議ですね。その狼男だって正体がばれないように用心していたでしょうに。依頼した人はどうして分かったのですか?」
何てことないさ、とライリーは言った。
「あいつらには自分達で作った規律があってな。それを破った奴は仲間から指されるんだ。だから魔法使いに、つまり、俺に依頼してきたのは狼男なんだよ」
「同族なのに………」
私は、幼い私を噛んだ男の事を思った。
彼も同族に密告され死んだ。
彼らの規律の根底には、己らが狼男だと知られる様な事をした者を許さない、というものがある。
一人が目立った行動をすれば、いずれ他の狼男の命も危うくするからだ。
「俺もそう思う。だがそれが奴らの決りなんだよ。もちろん依頼主は己が何処の誰だか話しはしない。俺のとこに金と殺す奴の特徴を書いた紙を送ってくるだけだ」
「どんな規律を破ったのでしょうね?」
「さぁ………ただ、そいつを追ってる間に色々聞き集めた印象では、ちょっと変わり者だったらしいな」
「変わり者?」
聞きたくない、と思っているのに、心のどこかで真実を知りたかったのだろう。
私はライリーに問い返していた。
彼に決定的な事を言って欲しかった。
「あぁ。狼男のくせに暴力が嫌いだったらしい。あんたみたいにリュートをつま弾いて歌っては小金を稼いでいたって………そんなの狼男じゃないだろ?」
私は曖昧に頭を振った。
やはり。
私は抱えているリュートを撫でた。
やはり彼のリュートだった。
ラリーの言う通り、リュートをつま弾く狼男なんて聞いた事がない。
狼男はマジョリティから奪う者だ。
盗み、殺し、奪いながら生きている。
それは彼自身も言っていた事だ。
こんな事する奴は俺達以外にいない、と。
私はリュートを見る振りをして俯いた。
彼に表情を見せたくなかった。
「分かりません。世の中には色々な人がいます。狼男でも同じかと」
そう言う事が精一杯の反抗だった。
ライリーは私の言葉を聞いて、ふんっと鼻を鳴らした。
「心の広い事で。まぁ、いいや。本題はここからだ」
声の調子が変わったので、私は頭を上げた。
本題とはどういう事だろう?
リュートの入手経路を教えるだけではなかったのか?
一人の狼男の死を私に教えたかっただけでは………
私は頭を巡らせ、そしてライリーの話の内容に思い当たった。
もう嫌だ。
これ以上なにも聞きたくない。
帰ってリュートをつま弾き、彼の為に歌いたい。
彼の鎮魂の為に。
でも。
それでも私はここに座り続けなければならない。
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