第11話 (パレイド)対峙①
出陣の命令を受けたときから今に至るまで、不愉快な作戦だった。
軍人として無心になれたのは、敵の先遣隊と思われる五千の軍と直接ぶつかりあったあの時だけだ。やはり、干戈を交えているその瞬間は、政治だの策略だのといった煩雑な事柄から解き放たれる。
相手の動きを読み、自分の軍の隅々まで神経を行き渡らせる。戦は、生身の命の削り合いなのだ。実戦の駆け引きが始まれば、その勝負で相手を上回るために総身の知恵と経験と感覚を費やすべきであり、それ以外の思考が入り込む余地は無い。
パレイドが将軍として二万の軍を指揮し、リーパーク領内へ侵攻してから六日が経った。国境の山を越えた後は堂々と平原を進軍したので、すぐにリーパーク王都へ急報が飛んでいただろう。斥候は通常の倍の数を出し、リーパークの先遣隊と思われる五千の軍を補足した。騎馬部隊が無く、軍の規模もこちらより小さいことから、別の目的で行動していた軍を急遽派遣したであろうことは容易に想像がついた。
その部隊は将軍旗も掲げていなかった。自らの旗を掲げることが認められるのは、将軍となった者だけだ。つまり、この部隊を指揮をしているのは将軍ではなく将校だということになる。パレイドは落胆した。
リーパーク軍の指揮官を挙げれば、まず出てくる名前はジャクリー・ラフェルである。勇将としてその名は諸国にも鳴り響いている。パレイドは、その戦績を逸話として聞くばかりで、実際に目の当たりにしたことはなかった。ここ数回の国境侵犯を除けば、一〇年にわたり、ゼブドとリーパークの間で戦は起きていない。
ラフェルではなかったとしても、せめて将軍の位に就いている者と戦いたかった。
ゼブド軍の中で、パレイドの将軍としての席次は高くない。むしろ下から数えた方が早かった。リーパークの将軍と軍をぶつけ合い、圧倒するような勝利を収めることができれば、軍の中で自分の存在は無視できないものになるはずだった。
パレイドは三五歳になった。この歳で将軍であれば、優秀な軍人と言えるかもしれない。しかし、自分が受けている評価に納得はできなかった。ゼブド軍の最上位にいる将軍を相手にしても、自分の力量がそれに劣るとは思っていない。
「王都へ伝令を出しました」
副官が幕舎に戻ってきて、報告した。
両軍が対峙の構えになり、パレイドはすぐに幕舎の設営を命じた。
侵攻六日目、リーパーク軍五千と遭遇、交戦。痛撃を与えるも、敵、潰走には至らず。リーパーク国内にて敵残存部隊と対峙。味方損害は軽微。
パレイドが戦闘の報告として本国へ送った伝令の内容である。余計なことには一切触れなかった。どうせ、同行している軍監から別途に報告が向かっているのだ。
敵は、こちらの騎馬隊の突撃をまともに受けたにもかかわらず、潰走せずに踏みとどまった。基本的にはパレイドの思い通りの展開になったが、最後は騎馬隊の突撃で崩れた敵を、歩兵が砦まで追い立てて対峙の構図に持っていくつもりだったのだ。敵の損害も、こちらの目論見よりずっと少ないはずだ。
その点では、パレイドにとって不本意な戦だった。しかし、不愉快ではない。思いの外、手応えのある敵かもしれないという予感は、むしろこの作戦の中において初めてパレイドに高揚を覚えさせた。
リーパークの指揮官は自分から見てもまだ若かった。おそらく二〇代。その歳で五千の指揮を任されているのならば、能力は買われているのだろう。
「お前達は、敵の動きをどう見た?」
幕舎の中には二人の将校がいる。報告に来たままの直立姿勢を維持している副官のサヴァイと、床几に腰を下ろしている国王近衛軍の将校だ。近衛軍将校は、軍監の一人としてこの部隊に同行している。名はガージャスという。
床几をパレイドに促され、座りながらサヴァイは口を開いた。
「兵の練度が高いと感じました。方向転換の速さや腰の据わり具合は相当です」
「確かにな。俺は騎馬の正面突破で潰走までもっていくつもりだったが、崩しきれなかった」
「それについては、私は将校の力と見ました。先駆け部隊にいた者です」
「ほう」
ガージャスの発言にサヴァイが興味を示した。戦闘の際、サヴァイは歩兵の全体指揮を執っており、騎馬隊と敵の衝突は見ていない。騎馬隊はパレイドが直接指揮した。ガージャスは騎馬隊に随行し、パレイドと共に行動していて、敵の先駆けの動きを目撃している。
「俺は先頭にいたからその辺りは把握しておらん。俺が見たのは指揮官の男だけだな」
「また先頭で戦ったのですか。お辞めくださいといつも」
「敵の指揮官をしっかり見ておきたいのだ。許せ」
「将軍は全体の指揮官なのですぞ」
サヴァイの抗議に、ガージャスが「私もそう思います」と追従する。
最前線で敵と斬り合う場所に指揮官がいるべきではなかった。いかに武技に長けている者であっても、負傷や戦死の危険が格段に上がる。指揮官の負傷は戦全体の帰趨に関わるし、そもそも前線で敵と斬り合いながら戦の指揮など執れない。それはわかっていた。
「今回だけだ。もうしない」
今回は最初から相手を型に嵌めていたから、騎馬隊にだけ集中していればよかった。相手がこちらの予想を外れる動きをしても、サヴァイが対処できるだけの打合せもできていた。
とにかく、敵と直接ぶつかりたかったのだ。
リーパークの指揮官を見てみたかったというのは嘘ではない。実際に目にして得られるものがあるとパレイドは信じている。目が強いか。腰は据わっているか。声は。挙動は。体形は。
戦は人と人が行うのだ。軍の動きで指揮官の力量や性格は感じることができるが、パレイドはもっと近く、相手を肌で感じたいのだ。
しかしそれ以前に、自分の腹に溜まった澱を吐き出したかったという気持ちが強かった。剣を振るい敵兵を斬り倒す。そうすることで戦以外の面倒な事柄から解放されたかった。
もちろん、本当に危険な領域には立ち入らない。今回も奇襲で混乱しているからこそ敵中まで侵入したのだし、最も防備が固くなるであろう指揮官の周辺とは最初から接触するつもりはなかった。
「話を戻しますが、敵の先駆けの将校ですが、これは将軍が一撃で斬り捨てております」
「我らに気付いて、隊列を直そうとしていた男だな」
将校なのだろうが、馬に乗らず徒だった。こちらの接近に気付いて、すぐに騎馬を止めるための隊列を組もうとした。反応は良かったが、その動きで部隊を指揮する将校だと見分けがついたのだ。パレイドは狙いをその男に定め、速度を緩めず突進し、すれ違いざま掬うように剣を振るった。手応えを感じたが、そのまま敵中に侵入し振り返りはしなかった。
「私は最後尾にいたのですが、指揮を継いで部隊の潰走を防いだ者がおりました。女です」
「女の将校が最前線にいたのか。珍しいな」
「はい。しかし、上官の戦死を認めてすぐに部隊を取り纏めました。動揺がすぐに鎮静化したのは、兵の質もあるでしょうが」
「潰走までもっていけなかったのは、その女の力だな」
将校を失った前線の部隊が四散してしまえば、部隊全体の統制にも大きな影響があったはずだ。優秀な将校により戦況が支えられたり、劣勢が覆されることはままある。
「指揮官はどうでしたか、将軍?」
サヴァイは定められた通りに軍を展開し、敵を誘導しただけで満足な戦闘をしていない。パレイドとガージャスの話を聞いてじれったそうにしていた。
「かなり接近したが逃げようとはしなかった。むしろ、自分を餌にして我らを止めようとしていたぞ」
「それは、思い切ったことを」
「若かったな。全軍を指揮する経験がどれほどあったのか。あの場で自分を餌するような判断は、指揮官としての本分を忘れている。お前が言うなと言われそうだがな」
騎馬隊の先頭を駆ける自分が、まさかゼブドの指揮官だと認識していたはずがない。つまり、あの時、リーパークの指揮官は自らの命とゼブドの騎馬隊との相討ちを決断したのだ。彼我の距離を鑑みれば、パレイドがそのまま突進を続けて槍衾の餌食になったとしても、こちらの騎馬隊が停滞し壊滅する前に、後続の騎馬兵の攻撃で敵の指揮官も戦死していたはずなのだ。
ゼブド騎馬隊一部隊とリーパーク軍全体の指揮官が、等価であるはずがない。リーパーク軍は指揮系統が崩壊し、建て直す前にゼブドの歩兵に追いつかれ全滅してしまう。そこまで考えが至らず、咄嗟に目の前の敵と刺し違える覚悟だけを決めたのだろう。それは匹夫の勇と言うべきで、全軍の指揮官の命はそんなに簡単に投げ出していいものではない。
「指揮官は麾下の兵士全ての生命に責任を負わねばならん。あの状況なら、潰走を防ぎながら我らをやり過ごして、部隊を纏めることに専念しなければならなかった」
「それをやったのは、先駆けにいた女の方でしたね」
「前線の将校としては、優秀かもしれん。逃げない。兵と共に死ぬ腹が決められる。命令を受ける側の立場なら、その覚悟が必要になることもある。しかし一番上にいる者のする覚悟ではないな」
パレイドはサヴァイを見て言った。
「他山の石とせよ。指揮官が死ぬのは、部隊全滅の時だ。それまで命を投げ出してはならん」
副官は即ち、上級将校の筆頭である。やがて将軍の地位に上ることを現実的に考えなければならないし、不慮の事態によりパレイドが戦死すれば、その瞬間に指揮権を引き継がなければならない。他人事ではないのだ。
「失礼します、将軍」
幕舎の外から、歩哨が声をかけてきた。
「どうした」
「レノー殿です」
サヴァイとガーネットの顔が、あからさまに険しくなった。パレイドも内心では同じ顔をしている。
「通せ」
ゆったりと幕を割って入ってきたのは、黒い長髪の男だった。ゼブド魔術師ギルドのローブを纏っている。暗い双眸の持ち主だが、目に掛かる前髪と、常に浮かべている友好的な表情でそれを晦ましている。
ヴァルディアス・レノーという。服装が示す通り、ゼブド魔術師ギルド所属の魔術師である。
パレイドにとって、この男が不愉快の元凶だった。
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