俺はビックになるんだぜ 俺的には君の幸せは...

迫りくる時。


後10分もしないで電車はこのホームにやってくる。


そうしたらもう俺はこの街を離れることになる。もう二度と戻ることはないだろう。


俺は都会でビックになって来るんだ。


こんな小さな田舎町は、俺みたいな人間にはあわねえ。


東京に行ってゼロから実力だけで成り上がってやる。


肩に掛けているギターのカバーの紐を強く握りしめた。


電車を待つ列には、様々な人がいる。


スマホに視線を完全に落とし、電車は手段として割り切っていそうな人、イヤホンをし、完全に自分の世界に入ってしまっている人、大きな荷物を背負い、これからの生活を思ってワクワクしているのか表情が明るい人、イヤホンを二人で分け合い、ふれあいそうな距離で、一つのスマホを二人で覗き込んでいるカップルらしき男女。


誰もが自分の世界に居て、周りの人の事などあまり気に留めていない。これくらいドライな空気感が心地よい。


とうとう電車がやってきた。


電車から発せられる風圧で前髪が左になびく。


電車は、とうとうこれから東京だという高揚感とともに、ギター一本で本当に成功するのかなという不安まで運んできた。


これから電車に乗ろうと一歩踏み出したところで、後ろから声をかけられた。


「遠馬、待ってよ。最後に少し話をさせて!!」


聞き馴染みのある声が、いつもよりも焦ったような声が、後ろから聞こえてくる。


その声に体がギュッと固くなった。硬直してしまったのだ。


チッ


後ろに並んでいる人の舌打ちにより、再び体が動き出した。


反射的に一歩を踏み出そうとする。


しかし、これでいいのだろうか?


彼女の言葉を聞かずに東京に出て、本当に後悔はないのだろうか?


そのような思考が頭の中を駆け巡る。


チッ


再び、後ろの人が舌打ちをした。


このままここに居て考えていては他の人の邪魔になってしまう。


とりあえず、列から抜けることにした。


列を抜けた俺のもとに、さっき叫んだ初華は駆け寄ってきた。


「遠馬くん、良かった。話聞いてくれるんだ。」


初華は、嬉しそうに話し始めた。


「私あれから考えたんだ。でも、なんで遠馬くんが東京に行きたいのかよく分からなくて。ここにはみんながいるじゃん。なのになんで?ねぇ、」


段々と説得をするような口調に変わっていった。


「そんなに私のことが嫌だったの?嫌なところがあったなら言って!!何でも直すから。だから、だから、ねぇ行かないでよ。私達恋人同士でしょ?!!」


初華は、思いの丈をぶち撒けると、終いには泣き崩れてしまった。


情緒が不安定なのかというほど表情がコロコロ変わっていった。


彼女の気迫に圧倒されてしまって、口を挟む暇がなかった。


「とりあえず座ろうか。ここじゃ通行する人の邪魔になっちゃうからさ」


俺はなるべく優しい口調を心がけて、初華に語りかけた。


差し出して手を掴まれ、二人してホームにあるベンチに腰掛けた。


俺はまだ彼女と話すか、どうするのか考えがまとまっていなかった。


しかし場の流れに流されて、彼女ときちんと話すことになってしまった。


「なんで追いかけてきたの?初華。俺はもうすでに、東京に行って、夢を追うって言ってたよね」


気持ち強めの口調で、彼女を問い詰めた。


「でも、遠馬にはここに残って欲しかったから」


初華は、もじもじとしながら、鼻をすすりながら言った。


その姿はまるで、怒られているときの子供が言い訳をするみたいだった。


「何度も言っているように、今の世の中、近くに居なくてもインターネットを通して、いつでも繋がれるんだから、そんなに深刻に受け止めなくたって大丈夫だよ。」


おじいさんにものを教えるようにゆっくりと丁寧に、呆れが混じりながら言った。


初華は、ウンウンとうなずきながら俺の話を聞いていた。


そして俺が話し終えたタイミングで話し始めた。


「じゃあ、私を連れて行ってよ。二人で東京で頑張っていこう。一人で頑張るより頑張れると思うんだけど…」


後半になるにつれ、初華の声から自信がなくなっていった。


話し終える頃には今にも消え入りそうな声だった。


初華からの問いに丁寧に答える。


「こんな根無し草の男に付いて来たって良いことはないぞ。俺は初華に幸せになってほしいんだ。だから、苦労なんて背負わせたくない。負担なんてかけたくないんだ。だから、初華を連れて行くことはできない」


段々と初華の目に涙が溜まってきた。


彼女は、ぼそっと「私の幸せは、遠馬くんといることだし…」とつぶやいた。


彼女は、それから涙を拭うと、言葉に再び力を込めて話し始めた。


「それなら、別れる必要はないじゃん。私大丈夫だよ、遠距離だって。会いたくなるのも我慢するよ。我慢しきれなくなったら、私から遠馬くんの方に行くよ。絶対に迷惑もかけないし。お金が必要なら、遠馬くんが音楽活動に専念できるように、私が稼いで、渡すよ。だから、だからさ、別れるって言ったの取り消してよ。もう一度付き合おうよ」


俺の服の袖をつまみ、すがるようにこちらを見つめながら初華は言った。


俺は、その初華の手を優しく振り払い、言う。


「だけど、それだと寂しい思いをさせると思うから別れようって言ったんだ。それに、何もかも捨てて、一人でやっていきたいんだ。なにか頼るものがあると頼り切ってしまうから。だからもう一度言う、俺と別れてくれ、俺のために、そして君のために」


俺は、初華の目を真っ直ぐ見つめた。


初華の顔色がだんだん青くなっていく。


うぅうぅうぅと唸り声を上げている。


しばらくして、顔が青くなりきった初華は、急に顔が真っ赤になり、わんわんと泣き出した。


涙を拭おうとする初華。


しかし、拭う速度よりも速く涙がこぼれ落ちていく。


そして、遠馬くん、遠馬くんとつぶやきながら、うつむいてしまった。


ハンカチで涙を拭ってあげたいという気持ちが込み上げてくる。


ここで彼女に、なにかしてあげたら、彼女はもう俺に依存してしまうだろう。


そんなことにはなりたくない。そうなってしまったら俺も彼女も不幸になるだけだ。


だから、ここは心を鬼にして、伸ばしそうになっていた手を引っ込めた。


ここで彼女を助けられないという悔しさがこみ上げてくる。


しかし俺は、こっから一人でやっていくんだ。


夢を追いかけていく時に、彼女の存在が負担になるかもしれない。


そして、俺は必ず、彼女の負担になってしまう。


表面上はそんな素振りは見せないだろうけど、いつか必ずガタが来てしまうだろう。


おれは、初華にそうなってほしくないし、そうなった彼女を見たくない。


愛だとか、恋だとかと言っている余裕はこれからの俺にはないのだ。


初華は涙を拭いきり再び顔を上げた。


再び彼女と見つめ合う。


彼女の顔は、覚悟を決めた人の顔であった。


それから、彼女は決意を込めて話し始めた。


「それなら、証を残してよ。私に、君と愛し合ったという証を残してよ。私と遠馬くんの子を私に育てさせて。養育費なんて一切請求しないから。父らしいことも何も求めないからさ。お願い、お願い、お願い…」


最後には、俺の胸に倒れ込みながらお願いをしてきた。


こんなに必死になっている初華の姿を、俺は初めて見た。


彼女への愛おしさが溢れてくる。


なんて可愛い生き物なんだ。


彼女とヤりたくなってきた。


彼女を俺だけのものにしたい。


性欲を全部吐き出してしまいたい。


それに、音楽やるようなやつが童貞なのってどうなのかな?なんか、音楽関係者ってイケイケなイメージがあるよな。このまま童貞のまま東京に行ったらバカにされるんじゃないだろうか?


自分に都合がいい考えが次から次に浮かんでくる。


この勢いに流されそうになる。


このまま地元に残って普通の企業に就職して、普通の家庭を持つ方が幸せなのではないだろうか?挑戦者になりに行こうとしているのに、そんな甘えた考え方ではだめだ。目を覚ますんだ俺。


俺は夢を追い続けるんだろう?


外を全て犠牲にしても夢を追うって決めたんだろ?


だから、こんな一時の感情に流されるな。


性欲なんかに負けるな。




やるだけやって、彼女が言ったように、彼女に育ててもらえば良いんじゃないか?


それならば、この欲望も、野望もどちらも捨てずにすむんじゃないだろうか。


いや、待て俺。


何のために彼女と別れたんだ?


彼女を幸せにするため、彼女に負担をかけないためだろ。


子供だけ残して、子供の世話とか育児とか全部彼女に押し付けて、俺は一人で東京に行くって、それは彼女を連れて行くこと以上の負担になるのじゃないだろうか。


俺は彼女に幸せになってほしいのだ。普通の暮らしをして、普通の幸せを手に入れてほしいのだ。


決してシングルマザーになって、一人で子育てを頑張ってほしいわけじゃないんだ。


彼女への思いを思い出すことで、なんとか思いとどまることができた。


だから、俺の言うことは今までと変わらない。


君が覚悟を今決めたように、俺はもっと前から覚悟を決めているのだ。


まぁ、覚悟はたまに揺らいでしまうんだがな。


まぁ、結局戻ってくればいいだろう。結果良ければ全て良いんだ。


頭の中の葛藤に終止符を打ち、彼女の言葉に答える。


彼女が望んだ言葉ではないけれど。


「ごめんそれはできない。去りゆく俺に縛られてほしくないんだ。俺は、初華に俺のことを忘れて幸せになってほしいんだ」


俺がそう言うと、初華は俺の胸で先程とは比べ物にならないほど泣いた。


今くらいは、胸を貸してやってもいいだろう。


最愛の彼女だった人に寝を貸すことくらいなら罰も当たらないだろう。


それに、これで気持ちの整理をつけてくれるなら、彼女が俺から離れられるのなら。


これが彼女へ向ける最後の優しさにするのだから。


そうしていくうちに、駅のアナウンスがなった。


「3番線、特急東京行きはまもなく発車いたします。ご乗車予定の方は急ぎご乗車ください」


このアナウンスが別れの合図だった。


初華は俺の胸から顔を離し、俺に背を向けた。


俺は、それにあわせて、電車の方へと向かった。


つい数分前は、あんなに並んでいた列には、人っ子一人居なかった。


電車に乗るタイミングで彼女の方へ振り返った。


すると彼女も同じタイミングで振り返ったようで、ちょうど見つめ合った。


彼女は、はにかむと、


「さようなら。最愛の遠馬くん。頑張ってね、成功するって信じてるから。私信じてるから」


力強くそう言った。


その姿には、今まで見たことなかったような、とても言葉では形容できないような魅力で溢れていた。


プシューー


その言葉を聞き終えると同時に電車のドアが閉まった。


ドアの閉まる音に遮られたけれど、まだ彼女は何かを言っているようだった。


その証拠に、彼女の口がゆっくりと動いていた。


『あ、り、が、と、う』


彼女の口がそう動いているように感じた。




進みだした電車の中で一人考えていた。


あれで良かったのだろうか?


最後のあの表情に、少しの未練がぶり返してきた。


初華の言葉を受け入れていればなぁ。


もったいないことをしたかもなぁ。


あぁ、なんで俺は童貞なんだろう。


まぁ、これも夢のため、彼女のためか。


その言葉でどうにか未練を落ち着けた。

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