欲しいものはなんでも揃う

 陽射しを浴びて煌々と輝く暁光の都は、相変わらず美しく壮大だ。交易によって財を成し栄えた都市の誇る王宮殿はなおのこと。どこもかしこも豪奢に輝き、国が潤っていることをその存在だけでありありと示している。

「離れぬように」

 慌てて早足を加速した。

 明けの王の側近に連れられて、アムは柔らかな絨毯の上を歩いていた。今まで踏んできたどの砂漠よりも足の裏が深く沈んで、気をつけないと呑み込まれてしまうのではないかと思うほどだ。あまりきょろきょろしては品がないかとも思ったが、滅多に見られない王宮殿の内部の絢爛さに興味を惹かれずにはいられなかった。あとで門兵たち全員に自慢してやろうと思った。

 絹を撫でるような声が響いた。

「スェス様。ご機嫌麗しゅう」

「あぁ、お、おはようございますう」

 見ると、広い廊下の端の方、最高神官が重たそうな袖を引きずっていたのを通せんぼしたのは女性たちだった。瞼を閉じたくなるような鮮やかさと煌びやかさで己を飾る彼女たちに見惚れてしまったアムだったが、スェスはどうやらその限りではないらしく、ぎくりと身を固くした。そういえば砂の写身でない本物を見たのは初めてだったなどと他人面で、ぎこちない笑みを浮かべる彼を眺める。

「どなたも変わらぬ目映さ……皆様に、赤き導きがありますよう」

「あらあら、お上手ね。ありがたく頂戴致しますわ」

 たおやかな視線をスェスに送る彼女たちは、優美な物腰の裏に獰猛な猜疑を忍ばせた。

「スェス様こそ、王妃様のお目付け役、ご苦労様です。何か…気になる点など…ございまして?」

「例えば王妃の持ち込んだ怪しげな物品の正体ですとか」

「あるいは彼女の星見とやらの委細だったり」

「最高神官様ですもの、まじないやのろいにはお詳しいはずでしょう」

 詰め寄られたスェスは喉笛を鳴らした。アムにとってはただの羨ましい光景だった。アムが足を止めたのを察して、彼を先導していた側近も足を緩やかに止める。

 スェスの視線がうろうろと宮殿を彷徨った。

「い、いえ、そのう。神官の用いる力も彼女の星詠みも、そういった呪術とは全くの別物ですから」

「神託と同じ予知の術をお使いになるのでしょう、王妃は。スェス様だって怖がっていたじゃない」

「わたくしたちは我が王の身を案じているのです。王位にお就きになってからというもの、あの方の疲労は目に見えて増している」

「これ以上あの方の負担になるようなことは避けて頂きたいの。王妃が本当にシンの谷の妖女まじょだというのなら……」

「なら、なんだ?」

 誰にも聞こえない声でアムが呟く。

 側近がアムの前に歩み出た。しかし彼のお咎めよりも先に、スェスが拳を握ったのが見えた。毅然とした態度を保とうと、胸を張ったのが。

「彼女は……王妃は勤勉で、我が王を想っておられます。セプデト様は月影の隣人ですが、我々に対しての敵意はおろか、悪なる感情など抱いておられません。彼女こそ我が王の王妃に最も相応しい方です」

 女たちが一斉に目を見張った。スェスが堂々と物を言ったのがよほど意外だったと見える。

 アムの前に出、様子を見守っていた側近も穏やかに彼女たちに歩みを寄せた。

「加えて。妃の決定は我が王によるもの。それに異議を唱えるということは、我が王に異を唱えることに他なりませぬぞ。気持ちは重々お察しするが、弁えなさい」

 語気を強めた側近の加勢に、彼女たちは悔しげに俯いた。そこでようやくアムは、彼女たちがただの宮殿の召使いではなく、明けの王の妃となるべく暮らしていた姫君なのだろうと考えるに至った。どの女性も美しいが、確かに今のやりとりを見るに、明けの王のお眼鏡にはかなわないだろうなと顎をさする。器や品位というものは振る舞い如何よりも、言葉や行いの奥底から滲むものだと、門番である彼は知っていた。

 彼女たちが裾を気にする仕草と共に去っていく。スェスもまたそそくさと通路を逸れていった。空間が広く感じられるようになった辺りで、側近が再び体を廊下の正面に向ける。

「お見苦しいところをお見せしました」

「えっ」

「彼女らはいささか慎みに欠けるのです」

「でもそういうもんでしょ、陽光の民って」

 アムがそう返すと、側近は振り返ってなんともいえない眼差しで彼を見た。何か間違えたらしい。アムはが悪そうに唇を尖らせた。

 花と油の香りが鼻から抜けないうち、廊下の行き止まりへと到着した。側近が扉の前に控え、恭しく礼をした。

「我が王。お望みの者を連れてございます」

「入れ」

 くぐもった低い声だけで背筋に冷たい電撃が走った。ということはこの室は、王宮殿で最も格の高い人間にしか入ることの許されない……謁見の間。

 考えつくより早く側近に背中を押され、半ば突進する形で扉を開ける。転がり込むような体勢で入室したアムは慌てて膝を床についた。それから目線も。

「民に危険が及ばぬのならなんでもいい」

「おまえにも、な。それと、暁光の都にも」

「……形容のし難い女だ、お前は」

「単純だよ、わたしは」

 明けの王は話し込んでいる様子だった。彼に許されるまで耳を傾けることしかできないアムには、なんのことかさっぱりだった。

 しばしの静寂ののち、明けの王が唸るように告げる。

「面を上げよ」

 アムは言われるがままに従った。玉座は日陰の位置で、明けの王の表情は窺い知れなかった。

「これで間違いはないな。初め、お前を捕縛したという門番は」

 彼が体を傾けたその暗がりからうん、と声がしたことに驚く。セプデトだ。明けの王の話し相手はどうやら彼女だったようだ。

 アムは明けの王の発言に冷や汗が伝った。言い伝えや託宣があったとはいえ、最初に彼女を妖女まじょとして捕らえたのは自分だ、よりにもよって現在は王妃の座に就く彼女を。セプデトが自らを手酷い目に遭わせる原因となったアムのことを恨んでいてもなんら不思議はなかった。

 腰が落ち着かなくなって、筋肉がぴくりと収縮したのを感じる。報復として一体何を命じられるというのだろう。気が気でなくなって、唾を飲んだ。

 明けの王が頬杖をついた。

「セプデトより、貴様に伝えたいことがあるそうだ」

 ほら来た。アムは思わず顔を顰めた。光の中に躍り出たセプデトは影にしか見えなかったが、こちらを見下ろしているのだけは感じ取れた。

 手伝ってやっただろ、と彼女を睨めつけるも真意が届いているかは定かではなかった。

 アムは悲壮に満ちた顔で天井を見上げた。豪奢な装飾は、彼の夢を打ち砕かんと美しく。煌びやかさが妙に虚しさを助長する。何を言い渡されるというのか。鞭打ちや降格程度で済めばいいが。市民権の剥奪だとか、万が一死刑なんて言われたら。セプデトが息を吸ったのに合わせ、アムは固く目を瞑った。せっかく門兵になったというのに、これからと野心に燃えていた彼に待ち受けるのはどうあっても破滅の道であった。

 ひたひたと裸足を床に沿わせたセプデトはこう言った。

「護衛を、つけろと」

「……へ?」

「王妃としての、最初の公務。お前を。わたしの護衛兵に、任命する」

「何度も反対したのだがな」

 明けの王が愚痴をこぼす。

「門を守るのと、人を守るのとでは違う。そもそも下級兵では実力不足であろう」

「縄を。わたしを、捕らえた時。抜けやすい縛り方を、した。わざと」

 セプデトは呆気に取られるアムの肩にひんやりとした手を置いた。

「感謝を。お前の行いにわたしも応えよう、できうる限り……いい、ネブラトゥム?」

「まあ……記憶はないが、このネブラトゥムも貴様とスェスには助けられたらしいのでな。最終的な判断はセプデトに任せると決めている。お前がそれで良いなら構わん」

「うん。ありがとう」

「では行くぞ、当座は片付いた、次の仕事だ」

 玉座から立った明けの王がセプデトの腰を抱く。

「神殿へ。既に待たせてある」

 セプデトの視線は、進行方向と明けの王とを何回か往復した。

「謝罪の必要はない。奴が、畏れのあまり早く来すぎたと申し開きをしていたらしいわ。全く、誰が、何をしたというのだろうな?」

 彼のついた悪戯っぽいため息に、セプデトは鼻から笑いをもらした。

「東の情勢は芳しくない」

 明けの王の重い声が、穏やかな朝の時の流れを堰き止める。

「戟塵の城塞圏では、内部間の緊迫が随分と高まってきているとの報せだ。剣の王が、いつ侵犯領域を破ってもおかしくない」

「……別の脅威を、表している可能性が、ある。わたしの詠んだ“圧倒”と、スェスの云う“東より来たる侵略者”」

 セプデトの声音も真剣さを帯びていた。

「全てを、伝えてくるのが、星。伝えたいことを、伝えるのが、神」

「これから向かうはその吟味のためでもある。実りのある議になることを願うが」

 二人の会話はだんだんと遠のいて、遂には謁見の間を出て行った。従者が朝の挨拶を口にするのが聞こえた。

 側近が、開け放たれた扉の向こうでアムの通り名を呼んだ。

「イアトよ。これよりは王妃の護衛として仕えてもらう。支度を……何を縮こまっている。さっさと立ちなさい」

 アムはまだ状況を理解しきれていないまま、ふらふらと王宮殿の賑やかな営みをただ聞いた。側近に連れられている間もずっとどこか上の空だった。

「部屋はここ。王妃の有事とあらば己が身を捨ててでも馳せ参じよ」

 与えられた部屋は片付けられたばかりなのか少し埃っぽかったが、アムにはそんなことは気にならなかった。一人部屋。誰にも邪魔されない、自分だけの空間。運び込まれていた家具は花瓶一つでさえ高級品なのが見てとれた。

「それから、鞍を作らねばなるまい」

「鞍?」

「お主の砂鯨に」

「い、いや。おれには砂鯨なんて」

「そんなことは知っている。これから賜るのだ、お主の任命式で、我らが王より」

 側近の言葉にアムはまた目を見開く。

「ぼうっとしている暇はないぞ。まだ始まってすらいないのだ。側仕えも用意してある」

 胸を叩かれ部屋を出ると、何人かの小姓がアムを待っていたかのように頭を垂れた。

「王妃の身の回りの世話はしばらくこやつらに頼むといい。給仕に着いて回ればじきにお主も王宮殿に慣れよう。お主らも、王妃にくれぐれも無礼のないように」

 威厳のある側近の言いつけに、小姓たちは揃って頭を深く下げた。

「手始めにこの砂埃まみれの門番を……王妃の護衛として見られるだけにしてやりなさい」

 側近はそう告げるとアムを振り返り、揶揄うように彼の腰を叩いてその場を去っていく。小姓たちはアムに対して流麗な動作で礼をしてから、彼をぐいぐいと水場の方へ引っ張った。

「逞しいお身体ですね、イアト様」

「門番の方なんて初めて拝見致しました」

「いいよ、自分でやるって!」

「そう言わず。王宮殿の外の話を聞かせて下さいな。私たちは外へ出ることなんて滅多にないですから」

 小姓はみな年若い男子だったが、清潔にしていていい香りを漂わせているものだから、アムは混乱した。

「イアト様は星が降ったのをご覧になりました?」

「見たよ」

「綺麗でしたよね…すごく…私たち、季節外れの雨季だなんて言いながらとても驚いていたんですよ」

「そっか、確かにあれを初めて見る連中はみんな喜んでたな。都は朝までお祭り騒ぎだったよ」

「お祭り。ふふふ、いい響きですね」

 おしゃべりとは裏腹に彼らは、てきぱきとアムの身支度を済ませていった。浴、食事、着替えを済ませ、その間に簡単な宮殿の説明も受けた。陰から何度か、貧乏臭いだとかみすぼらしいとか言われたが、小姓たちはアムを歓迎してくれている様子だった。

「イアト様、それはこういうふうに身につけるのですよ」

「あ、それは私が作ったものです。イアト様のお口に合ってよかった」

「ご心配なく、こちらはお部屋にお持ちします」

「……至れり尽せりだな。申し訳なくなっちまう」

「いいんですよ。私どものしたくてしていること。それに、王妃様には多大なご恩を頂きました。これは、あの方に少しでも報いたいがためでもあるのです」

「あいつが?」

「ええ。私どもは落日の街の出身…上級市民に隷属していたのです…王妃様がそれを、きちんと召使いとして雇うようにしてはどうかと、明けの王にご助言を。当然すぐには難しいと明けの王はお答えになったそうですが。つい先日、急を要する事態であると認識を改め、勅命なさったのです」

「その結果として私どもは正式な職として王宮殿に仕えることとなり、働いた対価として報酬を頂けるようにもなりました」

「おかげで落日の街の生家に仕送りがなされるように……あの方には感謝してもしきれません」

「落日街に生まれたというだけで、盗賊か奴婢かしか選ぶことのできなかった私どもに新たな道を示してくださったのです。あの方は私どもの赤き導きです」

 小姓たちは祈るように手を掲げる。

 アムは指通りの良くなった髪を梳き、自分のものとは思えないほど柔らかな感触に驚きを隠せず嘆息した。

「話し込んでしまい申し訳ございません。イアト様の任命式は夕刻に行われるそうですので、しばしお休みください」

「そばにおりますので、何かあればすぐにお申し付けを」

 部屋の前まで来て小姓たちはそう言い残した。

 扉代わりの布をめくると、太陽の香りをはらんだ風がアムを迎える。そして予期せぬ先客も。

 不機嫌そうな巨体。

「待っていた」

「ネッ…あ、い、いや…我が王……」

 まだ舌触りが腑に落ちていない呼び名を口にする。

「何か、ご用命が?」

「これを」

 明けの王がずいと差し出したのは、太陽の紋章の刻まれた、最上位の等級であることを示す身辺警護兵の旗印。アムが息を呑む。

「セプデトが選んだ」

 同時に盾と鎧、農工具くずれとは似ても似つかない剣斧まで受け取った。どれも鏡面のごとく磨き抜かれ、アムの驚愕に染まった表情を多面に映していた。

「それらを身につけて任命式に出れば少しはになろう。用はそれだけだ、邪魔をした」

 手短に済ませた明けの王はアムの様子には興味がないらしく、のしのしと部屋を後にした。いつもの威圧感は心なしか薄れていたように感じたものの、アムにはそれがなぜなのかは判然としないままだった。

 先ほどから信じられないことの連続だ。何度か頬をつねったが、目が覚める気配もない。昨日は朝まで酒を呑んでいたし、深く眠っているのかもしれない。それにしては頭が重いような気がするが。どうせ夢ならいいかと思い、アムは寝台に装具の一式を並べていった。

 いそいそと小盾と小刀とを装備して、美しい剣斧を両の手に握った時、装飾の意匠がふと目に留まった。あしらわれた極小の宝石に見覚えがあった。だがその親しみの正体が分からない。アムは小刀の柄に手を乗せた。

 宝石に造詣が深いわけでもないのに、どうして既視感を覚えるのか。宝石そのものでないならなんだろうか。例えば、宝石の配置から。酒場で興じる賭け事や遊戯盤ではなく、もっと常日頃から、長い間、目にしているような。

 それからしばらくして、アムはあっと声をあげた。

「星だ」

 砂粒のような宝石はよく見ると、日が沈んだ頃の夜空と同じ模様を刻んでいた。

 手から力が抜けて、寝台に思いきり剣斧が落下する。

 差し込んだ陽の光が刃の部分に当たり、暗い室内に星図となって浮かび上がった。一際強く太陽に煌めいたのは、宵星。酔いどれ星だった。

 その瞬間、夢ではないと脳が理解し、ついに実感が彼の身体に追いついた。星に紛れて彫られた文字は“出逢いに乾杯”と読めた。震える足で剣斧から退いて、腰を抜かす。

 座り込んだ遥か下から、都の賑わいがこだまする。

「……はは」

 差し込んだ陽光に照らされたアムの笑顔は恐怖に青ざめていた。

「上手くいきすぎて怖えよ」

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