第20回 僕の魔法使い

「もう! だから理論の構築は早めにしてって言ったのに……!」

 教卓にどっかと腰を下ろした部長がメガネの向こうから僕をにらむ。僕は何も言えず、ただ深々と頭を下げた。その頭を部長は手に持った紙の束――たった今読み終えた「文化祭改EX3.docx」でぺしぺし叩く。

 部長の物理戦闘力はかなり低い。だけど、今回は武器が悪かった。分厚い紙の束は何度も頭に振り下ろされると地味に痛い。……そんな文句を口に出せるはずもなく、僕は代わりに無難な質問を声にのせる。

「それで、今回のは……?」

「ボツ!」

 返答はあまりに早く、そして無情だった。早押しクイズもかくやという勢いで声と同時に紙束が降ってきて、頭の上で鈍い打撃音を立てる。じんじん痛む頭をそっと手で庇いながら、僕はのろのろと顔を上げて部長を見た。

 長く伸びた鮮やかな赤い髪。対照的にクールな紺のフレームのメガネ。レンズの向こうで輝くぱっちりとした藍色の目は、今はじとりと細められている。いや、正確には……僕の顔を見て、だんだんと細められていっている。

「え、えぇっと」

 まずい、何か言わなければ。焦った末に、僕の口は前回と同じ言葉を紡ぎ出していた。

「どの辺がまずかったんでしょうか……」

「……」

 部長は無言のまま紙の束を手元に寄せ、ものすごい勢いでめくり始めた。桜色の小さな爪が紙の上を滑るたびに、普段は小気味良いはずの音が攻撃音のように響く。

 やがて、とあるページで手を止めた部長はジト目で僕を睨み上げながら紙の中ほどを指差した。

「ほら、ここの構造式! 魔素勾配がぐちゃぐちゃでしょ? こんな回路じゃいくらボクでも大爆発にしかならないよ」

「大爆発にはなるんだ……」

 思わず漏れた僕の呟きに、部長はフンと小さく鼻を鳴らしてメガネのブリッジを押し上げた。

「そりゃね、ボクはこう見えて学園一の大魔法使い様だから? 可愛い後輩の書いてきた魔術回路ならどんな複雑なものでも起動してあげるけど?」

「いや爆発するなら起動しないでください!? ……っていうか、普通なら魔素勾配が乱れた回路はそもそも起動できないって習ったんですけど」

「そこはほら、ボクだから」

 誇らしげですらなくさらりと返された言葉に、僕は頷くことしかできない。

 魔術研究会。魔力を持った子どもたちが半強制的に集められるこの魔術学校で、毎日ヒイヒイ言わされながら魔術の勉強をさせられた上に放課後まで魔術をやりたいなんていう奇特な生徒だけがやってくる部活。そんなドMや魔術狂いが年に何人もいるわけがなく部員は常に片手で数えられるほど、去年に至っては廃部寸前だったという。

 そんな状況をたった一人で変えてみせたのが、目の前に座っているこの部長だ。

「……部長は、なんで部長なんかやってるんですか?」

「ん?」

「や、なんていうか……部長ぐらいの実力だったらとっくに飛び級でもなんでもして何にだってなれるじゃないですか」

 指摘された回路のミスを鉛筆でちまちま直しながら、僕は戯れに質問を投げてみる。学園一の大魔法使いを自称した部長の言葉は誇張でもなんでもない、本人が望みさえするなら今頃国立の研究所にだって就職できているはずの逸材だ。

 部長の伝説は二つ年下の僕でさえ知っている。魔力ありの体力測定でハンドボールを隣町までぶっ飛ばしたとか、テスト用紙の余白に落書きした魔術回路が職員会議の議題になったあげく教科書に載ったとか、――手芸部からわざわざ廃部寸前の魔術研究会に転部して、奇跡のような魔法で入部希望者をごっそり集めたとか。

「こんだけすごい人が普通に生徒として授業に出て部活もやってっていうの、なんか不思議だなって」

「んー、ふふ。まあ実際スカウトも来てはいるみたいだよ? 蹴ってるけど」

 僕の疑問に、部長は他人事のように答えた。スカウトとやらを思い出そうとする素振りもなく、メガネ越しの藍色の目は僕の手元をじっと見つめている。「あ、それ違う」落とされた呟きに、僕は書きかけていた文字を消してこの回路に付け加えるべき正しい情報が何なのかを考える。

 部長の目は、まだ書きかけの回路に注がれていた。大魔法使い様の目にはきっとこの回路のあるべき姿も星座のようにはっきりと見えているのだろう。星をつなぐ能力に乏しい僕は、わずかな文字を書いては消し書いては消しながらたどるべき道筋を探すしかない。

 やがて、無情にも下校時刻を告げるチャイムの音が鳴り響いた。「時間切れ」と呟いた部長はぐぐっと腰を反らし、僕の目をまっすぐに覗き込んで口を開く。

「じゃあ、キミへの宿題だね。この回路をどう繋いだらいいのか、それとついでに……ボクの、ここでなければ出来ないことはなんなのか」

「へ!?」

 告げられた言葉に、僕の口からは素っ頓狂な声が飛び出した。

 一つ目はわかる。十日後に迫った今年の文化祭における魔術研究会の発表の目玉、学園一の大魔法使いによる魔術回路の実演起動。そのパフォーマンスに欠かせない回路の作成者に選ばれたのは僕なのだから、なんとしてでも間に合うように回路を繋ぐのは使命だ。

 けれど、二つ目は一体なんなのか。ぽかんとする僕をよそに、部長はひらりと教卓から飛び降りると振り返ることなくドアに向かって歩いていってしまう。

「ヒントはもう今日伝えてあるから。それじゃ、頑張ってね」

「え、ちょっ……待って……!」

 呼び止める声も虚しく、部長の真っ赤な髪はあっさりと白いドアの向こうに消えていった。教室に一人取り残された僕は大きなため息をついて手元の紙に視線を落とす。

「……正直、今回のは自信あったんだけどなぁ」

 呟いた声が誰もいない教室に溶ける。滲みかけた目元を袖口でゴシゴシ擦ると、僕は紙の束をカバンに突っ込んで教室を出た。


 生徒たちのざわめきに包まれてバスに揺られ、商店街の前で降りてとぼとぼと歩く。僕の住んでいる区画は魔法なんて使えない人が大半で、手作業で力仕事をこなす人たちの姿はどこかほっとするものだった。値引きを告げる威勢のいい声、色鮮やかな野菜や洋服、漂ってくる揚げ物の匂い――幼い頃から変わらない夕方の風景。

「ママー、まほうつかいさん!」

「こら、指さしちゃだめ」

 斜め前からそんなやり取りが聞こえてきて、僕は苦笑いを浮かべながら会釈する。藍色の布に銀糸で刺繍がほどこされた魔術学校の制服は、ここの風景からわずかに浮いていた。

 けれど、こちらを見る子どもの目に宿っているのはきらきらした光だけで。

「まほうみせてください!」

 期待と信頼だけを詰め込んだ声にねだられて、僕はぐっと言葉に詰まった。

 魔力があるとは言っても、僕みたいなひよっ子が教えてもらえるのなんてめんどくさい理論と地味なおまじない程度だ。上級生みたいな派手な魔法はまだ使えないし、自分で書いた魔術回路は欠陥品ばかり……魔力のない手品師マジシャンのほうが、よっぽどこの子を笑顔にできる。

「こーら、やめなさいったら! すみません、ご迷惑を……」

 僕が固まっていたせいだろうか、お母さんらしき人が子どもの手を引きながら申し訳なさそうに頭を下げた。「なんで、ちゃんと『みせて』したよ」――お母さんを見上げて訴える子どもの顔がみるみるうちに曇っていく。

 このままじゃ、だめだ。

「あの!」

 去っていこうとする親子に、僕は震えそうになる声を張り上げた。きょとんとした顔のお母さんと半泣きの子どもが振り返る。僕は膝をつき、子どもの目を覗き込んで口を開いた。

「ごめんね、僕の魔法は今ちょっと封印中なんだ。……でも」

 潤んだ目から視線を逸らさないままカバンに手を突っ込み、文化祭のパンフレットを引っ張り出す。

「この日に、かっこよくてすごい魔法使いのお姉さんが僕を助けてくれることになってる。お姉さんの魔法、見に来てくれる?」

「! いく! ママいいでしょ?」

「入退場は自由なので、もし日付と時間が大丈夫そうなら……」

 僕が膝をついたまま視線を移すと、お母さんは戸惑ったような顔をしながらも頷いてくれた。それを見届けて僕は立ち上がり、親子に別れの挨拶をして家までの道を歩きだす。いつもの道をたどりながら、頭の中はもうあの子どもの顔でいっぱいになっていた。

 家にたどり着くと、僕は挨拶もそこそこに部屋に引っ込んで紙束を取り出す。

「発想を変えよう。とにかく派手にって思ってたけど、そんなのよりあの子が喜んでくれるのがいい」

 声に出して思考を整理しながら、回路の無駄をガリガリと塗りつぶしていく。ド派手な演出のための要素をすべて削り、ベースは基本に忠実に。

 キラキラして綺麗な氷魔法。それと相性のいい水魔法。そこに、少しの魔素でも発動して勾配に影響しづらい光魔法を添えて。とびっきり素敵でわくわくする特別な魔法。参考にするのはそう、二年前に僕の目を奪った――

「……あ」

 記憶の中の、僕に向かって笑う藍色の目と目が合った。


 翌朝。教室を訪ねた僕を見て、部長は何も聞かずに笑って部室の鍵を開けた。手近な机に腰を下ろして足を組み、メガネ越しにまっすぐ僕を見上げて口を開く。

「いいものが出来たって顔だね?」

「はい」

 僕は頷き、新しい紙の束――「文化祭用魔術回路.docx」を差し出した。部長は黙ってそれを受け取り、最初のページに目を通すなりものすごい勢いでページをめくっていく。

 やがて、最後のページをめくり終えると部長は読み終えた紙束をそっと胸に抱きしめた。

「……うん、いいよ。無駄をなるべく減らした綺麗な回路だ。いくつか効率の悪いところはあるけど、まぁ起動するのはボクだからね、何も心配はいらない。今回は大爆発にも大事故にもならないよ、文句無しの合格だね」

「やった……! 良かったです」

 僕はホッと胸を撫で下ろし、心の中で商店街で会ったあの子に報告する。と同時に、もう一つの宿題を思い出してじんわりと頬が熱くなった。そんな僕を部長はニヤニヤと見上げ、紙束の角で腕をつついてくる。

「それで? ボクがなんでここにいるのか、分かったと思っていいのかな?」

「……それ、僕の口から言わなきゃだめですか」

「もちろん。宿題だからね」

 ささやかな抵抗はあっさりと切り捨てられる。僕はぐっとこぶしを握りしめて覚悟を決め、震えているだろう唇を開いた。

「後輩のため。……一昨年の文化祭であなたの魔法に魅せられて『魔法を勉強したい!』って言い出した、僕みたいな……」

 僕が告げた言葉に、部長の笑みが深まる。

「うん、びみょーに惜しい。もっと自信持って、堂々と、うぬぼれて!」

「茶化さないでください!」

 なんて人だ。可愛い後輩の純情をなんだと思っているのか。抗議の声を上げる僕に、部長はただニコニコと笑っている。

 この笑顔に、なんだかんだ言って僕は一生勝てる気がしないので。

「あなたがここにいるのは、可愛い後輩の僕のため! で、僕が思ったより地味でキツくてもここにいるのは部長がいつもいてくれるからです!」

 せめてもの抵抗として、言わなくていいことまでぶちまけてやったのだった。


 文化祭当日。魔術研究会の教室に、お母さんと手を繋いであの子はいた。色の変わるワッペンを胸につけ、キラキラがひとりでに踊るヘアゴムで髪を結んで、満面の笑みで一番前の椅子に座っている。

 わくわくした顔で実演起動を待っているあの子を見て、部長が「説明は飛ばして」と囁いた。僕は頷きでそれに返し、最低限必要な言葉だけを声に乗せる。

「皆様、今日は見に来てくださってありがとうございます。今からこちらの回路……魔法の設計図を使って部長が魔法をお見せします」

「すーぐ起動できちゃうから見逃さないでね? じゃあいくよ、3・2・1!」

 カウントと同時に部長が片手で回路を撫で、パチリと指を鳴らす。次の瞬間、会場には大きな氷の輪が現れた。輪は数本の水柱に飾られ、光の粒がそれらを取り巻いて踊っている。

「ティアラ! ママみてる、プリンセスのティアラだよ!」

「ほんとだねぇ、すごい綺麗……」

 あの子の歓声と、それに答えるお母さんの声。お客さんたちのどよめき。無数の視線、拍手、称賛の声。

 ――やっぱり僕は、この人にもっと近づきたい。キラキラ輝く魔法とその向こうにある笑顔を目に焼き付けながら、僕は改めてそう願う。

 小さくも頼もしい部長の背中を追って、僕の研鑽は続く。

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