本当に頭が悪くてどうしょうもない人に関するヘイト

ここでは非常に強い言葉を使うことにするから、あまり読んでいて快い文章にはならないかもしれないということをあらかじめ述べておく。いわば分析的にキレている人を側から見て面白がるための文章だと思って欲しい。

 本当に馬鹿でどうしようもない人というのがいて、それは近くに寄るだけで災厄をもたらすいわば疫病神みたいなものである。しかしここで馬鹿をどのように定義しているのかと言えば、区別すべきものを正しく区別することの出来ていない状態のことである。それらは例えば、男と女、公と私、自分と他人、自明と非自明、些事と大事、自分にある権利とない権利などである。しかしどうして区別できないのかと言えば、足らないおつむで考えた結果或いは考えることを放棄した結果なのである。それでもしかし、ある程度でも学習の能力がありさえすれば、経験や教育によって無知蒙昧たる状態を脱することは出来るのだが、つまりはそれすら出来ない人のことを言うのだ。

 本当に馬鹿でどうしようもない人(以下、馬鹿とする)の近くに寄ると一体どうして災厄をもたらされるのか。それを上に示した例を用いて説明しよう。

 まず、明らかなこととして男と女の間には大きな違いがある。生殖機能の差異に端を発して、種々の機能的な違いが存在する。月に一度ほぼ必ず体調不良を起こすと言う人はほとんど女の体の機能によるものであるし、集団レベルでは女性より男性の方が高い体力を持つと言うこともよく知られている。他にも数え切れないほどの差異が存在するが、ここでは省略する。さて、その差異を弁えない馬鹿と言えば、まずクソフェミと呼ばれる人々が挙げられるだろう。具体的な事例については省略するが、彼等が女と男は社会的に同化するべきであると言う幻想を抱きながら疎ましがられている事は読者諸君もよく知っている事だろう。

 公私の混同が如何に悪い事であるかはあまりに自明であるから省略するとして、自分と他人の違いを弁えない馬鹿の悪口を言っていくことにしよう。これは簡単な話である。私は日頃彼我の別を弁えよと言う言葉で表現しているものであるが、自分および自分が属する集団にとって正しい事が常に他人にとって正しいわけでも、自分に出来る事が他人にも簡単に出来る訳でもない事は良識ある読者なら理解している事だろう。しかし、それを全く無視して、「誰でも○○は余裕!」とか言う詐欺師や、数学的な裏付けもないのに「これこそが常に正しい」と言う思考停止のクズが存在している事は、少なくとも私の経験上は明らかである。

 自明と非自明の区別がつかない人間は、議論やまともな口喧嘩が出来ない。「写像、何すか写像って?」という有名な言葉の前後のやり取りにはこの種の無知蒙昧さが存在する。ここで、やや余談だが、非自明な語彙について解説しよう。よく前提を共有した相手との議論を例外とすれば、この手の語彙を使って説明した気になってしまうと、聞き手から主張を理解されないことにつながる。例えば、「迷惑」という言葉は、実は他者の行為を禁止する根拠としては、十分な説明を伴っていない。迷惑とは、Oxford languagesによる辞書から引用すると、

「他人のことで、煩わしくいやな目にあうこと。」

という意味がある。すなわち、他人の行動を禁止するための根拠として、「何が、どんな目的達成の妨げとなっているのか」或いは、「何を原因として、誰が、どう言った気持ちであっていやな目に遭っていると感じているのか」を十分説明しなければ、それは誰かの行為を禁止する根拠たり得ないのだ。他にも、詳しい説明は省くが、「清潔感」や、「キモい」と言った語彙については、同様のことを感じた事がある人もいるかもしれない。

 些事と大事の区別がつかない人間は本当にそこら中にいる。どこにでもだ。全てを些事として扱う人間は、ただ何もしないから、社会に与える積極的な不利益はそれほど大きくない。それでも、ネグレクトなど自分の義務を放棄することに繋がるから、自覚する事は不可欠である。また、何より問題なのは全てを大事と勘違いするとんでもない馬鹿どもである。彼らはこの世に些事が存在する事を知らず、或いは些事たる事実を認識する事ができないから、全てを大事として扱い、余分な揉め事や騒動を引き起こす。非常に迷惑な輩だ。例えば、喧嘩をする事が大好きな大馬鹿者や、当事者間では話が済んでいるのにも関わらず首を突っ込んできてわざわざ騒ぎ立てる輩はこれに起因するところが大きいだろう。

 自分にある権利とない権利の区別がつかない人間は、悲惨であり、トラブルメーカーである。その場の責任者でもないのに、偉そうに、自らの不快を取り除くために、誰かをその場から退場させようとする行為はその代表である。喫煙所でタバコを吸っている人間に対して喫煙を咎めるような文句を言う事などがその良い例である。勿論、我々には嫌煙権があって、望まないタバコの煙を吸う事を避けるようにする権利がある。しかし、20歳を超えた者には自分の意思でタバコを吸う権利があるのも事実で、道路沿いや各種施設、駅前の喫煙所などでは、その場所の管理者の許可のある事を前提としてタバコを吸うのも彼等の自由なのである。もし、その場所の管理者が自分ではなく、また管理者が喫煙することを禁止していないのであれば、そこでタバコを吸う人間に喫煙をやめさせようとする事はできないのだ。また、喧嘩好きの大馬鹿者たちにも、不法行為をする権利や、ましてや他人に対して義務のないことをさせる権利などないのだ。これが理解できないから、彼等は塀の中で暮らし、外側に迷惑をかけないよう管理、教育されるべきなのである。

 さて、最後までこれを読んでくれた親愛なる物好きの読者諸君には、全く見向きもしなかった者とは違うのだから、私の心からの感謝を送りたい。

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思索 赤目ゴリラ @ka_kuten

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