エピローグ
『十人目の咎人』
プラハ市立病院の病室を訪れた作家ヤン・エポカは病室に花を飾った。眠る老人とはファンレターを通じて知り合った間柄だが、そんなに親しいわけではない。二人の間になにかあるとすればそれは秘密の共有だ。
老人は数年前までカレル・ラーツの館の執事をしていた。
主人の犯した数々の罪をともに抱え、足腰が立たなくなるまで献身的に勤めたあとに恙無く老後を送っていたが、抱え込んだ罪の意識に耐えきれず自らの罪を新進気鋭の若手作家エポカへと告白した。病床についてから間もなくのことである。
病院で聞き取り調査のように行われた独白の最中も彼はずっと涙を流していた。貧しい彼はラーツの弾んだ給金に抗えなかったのだと。そのせいで美しい一人の女優を見殺しにしまったのだと。
あなたの罪ではない、その言葉はすでに老人に届かなかった。老人は告白から間もなくして眠りに着き、今ではほとんど目覚めることはない。
今日も起きなかったか。
エポカは独り言ちて単行本を開いた。刷り終わったばかりの『魔女の火刑』の続編だった。
魔女の火刑は老人の証言をもとに精密に書いた。想像力で補った部分もあるが、大半は事実の比喩だった。これはエポカから、もとい老人からの国民への告発で、それが受け入れられた意味でも社会的成功といえるだろう。
咎人どもの権威は失墜し、この国のねじれた正義もいずれ解消されていくだろう。いつかは誰かが正さねばならぬこと、エポカはそれに携われたことを誇りに思う。
プラハだけは美しい町で在って欲しい。モラヴィアは遠く離れた地だがいつでもそう思っていた。
あの少年はどうなったかだけが気がかりだった。手紙が来たのは一度きりでそれ以上こなかったから上手くいったか、それともやっぱり上手くいかなかったか。どっちだい、と自身でも笑いたくなった。
(事実は小説よりも奇なりだな)
たぶんもうこの病室にはこないだろう。事件は物語へと昇華された。自身は作家だ、新しい物語を求めてさらなる旅に出よう。本をサイドテーブルに置くとエポカは書置きをして、病室をあとにした。
一連の事件のあとで警察署はカレル広場で起きた殺人・火災事件についても聞き取り調査をした。だが、みんなそろって雲をつかむような証言をする。さすがに不可解な出来事に首をひねっているタイミングである一通の書簡が届いた。差し出し人はラナン・カドレックというプラハ・カレル大学に通う二十歳の青年だった。
彼は便せんで自らの犯した罪を告白し、殺した有名人のリストを丁寧に添えて、貸金庫の鍵と頭骨の欠片を同封し、どうか十年前の男たちの罪を明らかにしてほしいと請願した。
警察は過去から事件を洗い直し、DNA鑑定により頭骨はルォシー・シェンという中国出身の女優のものと判明してラナンと親子関係があることまで調べ上げると、方々に散った頭骨の欠片をすべて回収し、証拠品として一定期間保管したあとルォシーの墓にともに埋葬された。
数年をかけて紀伯クラブという社会の闇に埋もれた組織の存在までが世に明らかとなり、ラナン・シェンの犯した罪が妥当であったか、世間の話題はそれで持ちきりになった。
プラハの棺 奥森 蛍 @whiterabbits
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