【短編】週末【初投稿】

葛城 雨響

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「お疲れ様です」

「おー、お疲れ様。また来週な」

アルバイト先を出る、今日も疲れた。毎週金曜日のいつもの光景。酒飲みがダラダラと歩いている。明日は休日。その代わり、町中に人が増える。それが憂鬱で、家に帰るのも億劫だ。幼少期は土日祝日に心躍らせていたが、今ではそれも関係のない生活。ほぼ毎日六時間のアルバイトをして、帰りに近くのスーパーで半額になった総菜を買って帰って食って寝るのを繰り返す、そしてたまに学校に行く。それだけ。孤独で無意義な人生だ。

辺りを見回す、ヘッドホンがない。アルバイト先に忘れてきてしまった。アルバイト先までは徒歩20分ほど。今は23時。今から行っても、ぎりぎり閉店作業をしているかどうかの時間だ。しかし、休みの日に何をしたくなるかは今の自分でもわからないので、今から取りに行っておいた方がよいだろう。僕は携帯と財布をポケットに入れる。

「……あつ」

まだ肌寒い日の続く春先だというのに、今日はやけに暖かい。タンクトップの上にジャージを羽織り、サンダル代わりの雪駄を履いた。じいちゃんが死んだときにパクったやつ。からん、と音を立てながらアルバイト先へと向かう。

外は思っていたよりもひんやりしている。やはり築40年のボロアパートは温度調整がへたくそなのだろうか、外にいたほうが心地がいい。

星も見えない、真っ暗な空。都会の街灯はそこかしこを照らし続けている。この灯りがなくては僕は何もできない。何も、見えなくなってしまう。俯きながら歩いていると、どこかで電車が走り去る音がした。

ダラダラと歩いた先の店は、シャッターが半分下ろしてある。店の前にはスマートフォンをいじる人影が見えた。

「先輩、こんばんは」

「お、柚木じゃないかぁ。なんで戻ってきたんだ、そんなに働きたいか」

先輩の雨宮さんが僕を笑うように言った。

「違いますよ……忘れ物をしてしまって」

「そうか。じゃあ、これ。鍵」

「あ、ありがとうございます」

僕は自動ドアにかかる鍵を開け、スタッフルームに走った。案の定そこには黒いヘッドホンがあった。店長がやりかけの仕事を放置しているようで、共用デスクの上に誰かの履歴書とアンケートが置いてあった。個人情報を堂々と放置しているあたり、店長が昇進しないのにもそれ相応の理由があるな、と妙に納得できた。

「いつまで物色してるんだ」

「び、っくりした」

「はは」

柚木さんは僕よりも年下だが、ここでは僕より2年ほど先輩だ。高校時代から働いているそうで、仕事も僕なんかよりうんと早い。

「鍵、早く貸してくれ。明日も早番なんだ」

「すみません」

「本当に雨宮はマイペースだな」

薄暗い店内から出る。先輩はスマホをカバンに仕舞っている。僕は会釈をして帰路につこうとした。

「お、年下をこんな夜中にほっぽり出すのか」

「……先輩、家近いんじゃないんですか」

「それが男子大学生の言葉なのか?」

「誰もが人に優しくしてるわけじゃないですよ」

「……それに柚木くんだって遠くはないだろ」

先輩が僕の顔を覗き込んでくる。ついてこい、と言わんばかりの目つきで見つめられると、そうせざるを得なくなる。

「……じゃあ、近くのコンビニまでですよ」

そういうと、先輩は笑って僕の前を歩き始める。僕はその後ろをからころと着いていった。

先輩をコンビニまで送り届け、家に帰ってきた。とうに日付は回っていて、眠気も限界を迎えている。風呂に入るのも面倒で、わざわざ取りに行ったヘッドホンをデスクの上に置いて布団に潜った。明日は何をしよう。

天井を眺める。僕の顔を覗き込む先輩の顔が頭から離れない。切り揃っているボブヘア、あどけなさの残る瞳、小さい鼻に、薄い唇。太い縁のある眼鏡がそれらを隠して、薄いベールをかけている。そのベールを、僕だけは、どうか。なんて。そう思うと、睡魔なんて遠くに行ってしまう。

冷蔵庫にある酒を適当に持ってきて、ゴクリと飲み干す。そうすれば、ふわりと眠れるはず。それに、この腹部に溜まる卑しい感覚も、鈍くなっていくはずだ。台所の水道から直接水を飲み、またも布団に転がる。脳裏に張り付いた先輩の顔はぼやけて、少しずつ訳のわからない夢の世界に引き摺り込まれていった。


目が覚めると、最悪の状況にあった。体がひどく熱く、気持ち悪い。寝ている間にジャージも脱ぎ捨てていた。携帯を開くと、午後3時と表示される。呻きながら身体を起こすと、ぐちょりとした感覚がそこにあった。全てが嫌になる。頭を抱えながら風呂場まで歩き、体液に塗れた服やそれらを洗濯機に詰める。シャワーを浴びて、身体の気持ち悪い部分を洗い流していると、めまいに襲われた。水浴びもそこそこに、裸のまま体温計を脇に挟んで布団に戻った。体温計には38.4と表示されていた。

「……すみません、店長いますか」

携帯を耳に当てて、呟く。向こうからは、今一番話したくない相手の声が聞こえてくる。

「店長はいないよ。どうした」

「あ、明日のシフト出れなくなってしまったので……」

「お、サボりか?」

半笑いなのが声でわかる。

「ね、熱が、出たので」

「……大丈夫? 昨日はしんどくなかったか」

露骨に心配しているのが、声から伝わってきた。昨日は何も感じていなかったはずなので、先輩が心配する問題ではない。

「や、昨日は大丈夫だったのでいいんです。じゃあ、失礼します」

僕はそう言って携帯を耳から外す。すると、先輩の声で何かがゴニョゴニョと聞こえた後、電話は切れた。熱くて、身体を起こしているのも耐えられない。また布団に倒れ、身体が冷めるのをひたすら待つ。だが苦しく、眠れない。呻きながら床をころげる。冷たい畳が心地よい。畳がぬるくなったら転がり、またぬるくなったら別方向に転がり、を繰り返す。何十分経っただろうか。やっと眠くなってきたと思い、目を瞑った瞬間。インターホンが鳴った。それと同時にガチャリとドアが開く音がした。

「柚木、大丈夫かぁ」

「……雨宮、先輩?」

「ほうら、アイスと飲み物とフルーツと。色々買ってきたぞ」

いつもだったら見下ろしているはずの彼女の顔が、僕を見下ろしてくる。

「っていうか、雨宮、裸じゃないか。年上の裸とかあんまり見たくないから、服着てくれ」

勝手に入ってきたくせに、と思ったがあまりにも先輩が嫌そうに目を逸らすので、重力五倍の身体を起こし、パンツとシャツとスウェットを引き摺りだす。布団の中でもごもごと服を着て、先輩を呼んだ。

「先輩」

「おー、それでいいんだ。それで……店長にラインしたら、冷蔵庫のもの持ってけって言われて。住所も店長から教えてもらった。別に履歴書盗み見た訳じゃないからな」

「あ……はい」

どうやら、本当に心配してくれているようだ。僕なんかに、わざわざ。先輩は言うだけ言うと勝手に台所を使い始めた。どうやら、フルーツを切ってくれているらしい。包丁がまな板を叩き、とんとん、と音がする。一体何のフルーツなんだろう。それに、なんか今の先輩が……嫁のように思える

あ? なんだ、嫁って。言って「彼女」だろ。なんでその上を行ったんだ。熱でボケた頭はどうしようもない。

「何か言ったか」

「いやあ、別に」

もうだめだ、頭が熱でやられていて、正常な判断ができる気がしない。このままではきっと、何かしら嫌われるようなことをしてしまうんじゃないだろうか。

「ほら、いちご」

先輩が戻ってきた。手にはパックいっぱいのいちごがある。春だから、どれも赤くキラキラ光っていて美味しそうだ。

「……あざす」

「食べれるか?」

「……うぅ」

身体を起こしたが、怠さで潰れてしまう。それを見た先輩が、僕の口元にいちごを運んだ。

「ほら、口開けろ。あー、って」

「ぅ、あー、ん」

ポイっと入れられたいちごはジューシーで、甘い。美味しい。

「うまいか」

「おいしいです」

「よかった」

先輩は安堵の表情を見せた。

「……わざわざ、すみません」

「いいんだ、やりたくてやったことだから」

こんな自分なんかに、尽くしてくれる人間がいるのか。

もしかして……僕のこと、好きだったりするのだろうか……

「先輩」

「どうした、もう一つ欲しいか」

「……はい」

またも、口元に先輩の指が近づく。ああ、このままあなたを食べてしまおうか。そう考えてしまうのは、高熱のせいか。普通だったらそんなことは思わないだろうか。

「……」

先輩の首を眺める。卑しい人間だ、自分は。普通の人間だと思っていた。普通に生きていたと思っていた。普通に、空っぽな人間のはずだった。だけど、僕はどうしたって、僕だった。

「先輩」

「またいちご欲しいのか、自分で食えそろそろ」

「あの、抱いてもいいっすか」

時間が止まる。熱が籠る身体が、さらに燃え上がる。腹の底からぐちゃぐちゃと湧きだった感情に支配され始める。今までの自分が消えていくような感覚に陥る。熱に侵され、普段の思考ができない。


「帰るわ、雨宮は違うと思ってた」


それきりだった。その後、店長に謝りに行くと柚木先輩が辞めた理由を探られた。ちょうど繁忙期直前で頭を抱えているらしい。僕のシフトが倍になるそうだ。

ヘッドホンを忘れた日、あれが最後の挨拶だった。普通の毎日に終止符が打たれた日だった。今更ながら、僕はなんてアホみたいなことをしたのかと思う。

先輩が逃げるように帰った後は、外の賑わいが耳についた。都会の喧騒に腹が立った。欲に飲まれた自分が嫌いになった。その後、死ぬほど動画を見た。似た女を見つけた。ゴミを捨てた。全てが嫌になった。

耳を塞いでも先輩の捨て台詞が忘れられない。思わせぶりをされた被害者だと思っていた、でも加害者も僕だった。先輩の態度で許してくれていると思った、本当は全く違った。先輩はまだ近くに住んでいるだろうか。今度、駅の改札で待ってみよう。そうだ、金曜日にいこう。先輩は、僕を、許してくれないだろうか。また、週末に。

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