第1章 『深紅の森』⑥

第5話 『フィーニャ』


 ーアナルフィア共和国魔法学院はアナルフィア共和国において、国を代表、象徴する建造物だ。

  歴史だけでいったら数百年前から存在しており、共和国の掲げている"多種族共存"を特に有言実行に移している。男女種族関係なく魔法の基礎を一から学ぶ事が出来るらしく、学年は一階生から三階生まである。ただ、定期定期で学力と魔法の習熟度を測る期末考査とやらがあり、考査であまりに酷い点を出してしまうと、とんでもなく恐ろしい事が待ち受けている(クロエが騎士団でかじった程度の浅い知識なので凄く抽象的)。


 「ー大方、そのような捉え方で問題ありませんよ」


 クロエが魔法学院に関する事を思い返していると、横から合いの手が入ってきた。


 その声の主は、クロエも今会ったばかりのアオイ=フルートンという名の女性だ。このアナルフィア共和国魔法学院の学院長らしい。

  背丈はクロエより若干高く、モデルのような細身の体型をしており、全てを見通すような理知的なみどり色の瞳と名前の通りの真っ青な空のような青い髪が特徴的だった。(片目だけ隠れているのがミステリアス)


 「あれ?俺今口にしてたっけ?」

 「心の声だったのでしょうけれど、凄く漏れてましたよ?」


 そう言って、アオイは笑う。


 「この学院は、クロエさんのような若い教師はあまり居ないんですよ。ですので、私としては大歓迎なんです。是非、この学院に新しい風を吹かせて下さいね」

 「え?あ、はい・・・・・・」


 (何というか・・・・・・)とクロエは思う。


 「あ、疲れていらっしゃるでしょうにごめんなさい。クロエさんはコーヒーは飲まれますか?」

 「あー、コーヒーは飲まないですね。普通に水が良いです」

 「分かりました。フィーニャ、クロエさんにお水を出して下さい」

 「かしこまりです。学院長」


 物凄くほんわかした雰囲気の人だな と。

  まだほんの少し話しただけだが、マイペースなんだろうな がクロエのアオイに対する第一印象だった。クロエのように初対面だと間違いなくペースを崩してくるたぐいの人だ。本人にその自覚は絶対無いだろうとクロエは思う。


 「あれ?」


 そして、ここでクロエは気付いた。

  自分の身体である。物凄い違和感があった。


 「あ、アオイさん。すいません、俺の身体起こして貰えます?何か妙に動かし辛くて」

 「あ、そうですね。分かりました。少し痛いかもしれませんが・・・・・・」


 クロエはアオイにそう助けを求めた。アオイは即座に応じてくれたが、何やら引っ掛かるセリフを言っていた。"痛い"?あれ、もしかして大怪我でもしているんだろうかーそう思って、その予想は当然の如く大正解だった。


 「っ、!?」


 クロエの身体を起こそうとクロエの両肩にアオイが触れた瞬間、とんでもない激痛が走ったからだ。


 「クロエさん!大丈夫ですか!?」


 アオイも瞬時に察したのだろう。直ぐにクロエの両肩から手を離し、「ー《》」何事かを呟いた。

  すると、誰も触れていないにも関わらず、クロエの身体が徐々に持ち上がり、やがてソファに極々普通に座っている状態になった。多分重量操作の魔法だろうな とクロエはぼんやりと考える。応用系魔法のほんの一種なので、相当な魔法の使い手なのだろうとも思う。ーと、そんな事は今はどうでも良くて。


 「っ痛・・・・・・すみません、何とか」


 突如襲い掛かった両肩への激痛。思えば何故か首も上手く動かない。クロエは目だけをどうにか動かして、自分の現在の状態を確認する。


 そして、ギョッとした。

  両肩から両腕、お腹、脚、頭に至るまで包帯が巻かれまくっていたからだ。アオイが何を思ったのか鏡を持ってきて見せてくれた。両肩の部分は包帯を巻いているにも関わらずめちゃくちゃ赤黒く腫れ上がっている。それに、今のクロエは目と口だけが見えている状態だった。つまりほぼミイラである。一体、どこでどんな事が起こればこんな大怪我をー


 「・・・・・・あ」


 そして、やっと思い出した。魔法都市に着いてから、自分の身に何が起こったのかを。


 ー《毒蟻》のガスクと《雷獣》のギルード。

    何の因果かは知らないが、クロエは共和国内外共通の外道を詰め込んだような組織神の捨子の構成員と出くわしてしまったのである。(元々クロエが財布を盗まれる というヘマをやらかしたのが始まりだった)

 奴等が共和国の闇で何をしていたのかは結局分からず終いだった。が、クロエはそれ以上にまるで憂さ晴らしをするように小さな男の子一人に大の大人二人が寄ってたかって「殺す」なんてぬかしている光景が許せなかったのだ。騎士団の荒くれ同僚も上司も、クソ団長でもそんな事はしなかった。久しぶりに本気の喧嘩をした気がする。《毒蟻》のガスクから毒を喰らった時点でブランク有り等という話ではなかったが、クロエは何とかそれを打ち破った。毒を振り切り、渾身の拳打でガスクを倒したのだ。そこまでは良かった。問題はその後だったのだ。


 (『ー俺は、お前を知っている』)


 もう一人の《雷獣》のギルード。

  何とこの男は、クロエと同じ元アナルフィア共和国の騎士だったのである。部署はお互いに違ったらしいが、クロエ自身、現役の時代はかなり度を越えた破天荒であったという自覚はまあ、ある。同僚や上司からはほとんど嫌われていた。が、憎たらしい事に騎士団長はそんなクロエを度々気に掛ける事があった。無茶な任務ばかりこなすように言っていた癖にだ。後は、何故かクロエになついていた元気で可愛らしかった妹分。正直、クロエにとっては妹分と関わっている時が一番心地が良かった記憶がある。クロエに嫌味の一切を言わず、駄目な自分を"兄貴"としたってくれた唯一の相手だったのだ。…とまあ、脱線はここまでにして話を戻そう。


 《雷獣》のギルードにもきっと、クロエの破天荒な噂は嫌でも耳に入っていたのだろう と思う。そりゃ、知っていて当然だよなとも。


 だが、《雷獣》のギルードにはクロエが抱いている不審な点がいくつかある。


 まず、一つ目。ギルードとの交戦中、だ。魔力を練るような素振りはあったが、クロエの感覚ではような魔法の放たれ方だったのだ。話をしてそれでクロエの気を逸らそうというギルードの作戦もあったかもしれないが、それにしても速すぎた。気付いたら両肩を撃たれ、腕が使い物にならなくなっていたから。絶対に何かしてくる、と手元を警戒していたにも関わらずだ。


 そして、二つ目。《雷獣》のギルードはという点だ。

  クロエも同僚や上司伝に話を耳にしただけなので、当時の具体的な事は分からないが、ギルードが一人で己の戦闘部隊を壊滅させた というのはどうやら真実らしかった。クロエが当時の話をした時、ギルードは終始無言だった。無言なのは肯定の証。未だその理由をクロエは知らないが、共和国騎士団にとって彼が敵なのは確かだ。今奴は"第一級危険人物"に指定されている、騎士団が優先して討ち取らなければならない犯罪者なのだから。


 (ーで、肝心の俺はよく生き残ったよな)


 そこまで思い返して、クロエは大きく息を吐いた。

  騎士団時代からの周りに対しての負けん気根性(?)でギルードに反撃させず、最後まで攻撃し切ったのは事実だ。クロエはその目でギルードが崩れ落ちる場面を見届けたのだ。その後は一切記憶が無いので恐らく気絶してしまったのだろうが。


 結局あの後どうなったのだろうか?不思議だ。クロエはこんなに大怪我をしているし、結局ギルードに完全な止めは刺せなかった。クロエよりギルードの方が先に起き上がったのは確実だろうが、今生きているという事はギルードはクロエに止めは刺さなかったのだろう。見逃した?何故?それに、今自分が居る場所はどうやらアナルフィア共和国魔法学院らしいのだ。一体闇街区で負傷して気絶しているクロエを誰が学院へ連れて来たというのだろうかー


 「にゃ」

 「っ、とお!?」


 目の前に学院長が座っている事も忘れて、思考の波に沈みかけていたクロエ。そんなクロエを唐突な腑抜け声が現実へと呼び戻した。


 クロエが驚いて視界を元の位置に戻すと、真横にいつの間にか少女が立っていた。


 クロエと同じくらいの背丈で、黒髪ボブの少女が。

  確か、学院長と一緒に居た少女だ。しかもよく見るとメイド服をまとっている。そしてさらによく見ると、少女はおぼんを持っていた。


 「学院長からの差入です。考え過ぎはよくない」


 少女はそう言うと、人差し指でテーブルの上を指した。つられるように視線を僅かに下へ向けると、そこには一杯分の水が入ったコップ。


 「これを飲んで落ち着いて」


 少女はそう言う。ああ、多分、コーヒーは飲めませんって言ったから気を遣って水を出してくれたんだな とクロエは思った。目の前では学院長のアオイがニコニコしている。


 でもなあ、これじゃ飲みたくても飲めないー


 十分有り難い気遣いなのだが、クロエは今、自力で立つ事すら出来ないのだ。コップも持てないので、どちらかに頼んで飲ませて貰うしかない。


 少しだけ居心地の悪さを感じながら「すいません、コップを口に近付けて貰えますか」 と頼もうとして


 「あ、そっか。自力で飲めないんですよね。分かりました。私、お手伝いします」


 クロエの意図を察した(?)のか、黒髪ボブの少女がそう言ったと思った瞬間。


 ー"グオ"ッ と。


  クロエの口いっぱいに、水の入ったコップが突っ込まれた。瞬きすら緩い程の閃光の所作だった。冷たいお水が、クロエの渇き切った喉元を通り、大怪我した身体へ流し込まれていくー


 「ってそうじゃねえええごぼぼがぁはっげほぉ!」


 口に含まれていたお水をテーブルにぶちまけながら必死に叫ぶクロエ。直ぐ隣にいた黒髪ボブの少女にも少しだけお水が掛かったが、問題はそこではない。


 「お口に合いませんでしたか?」

 「ちげーよ!?」


 クロエは思わずそう叫んでしまった。

だってそうだろう。自分はあからさまな怪我人なのだ。それだというのに、この黒髪ボブの少女はー


 「クロエさん、すみませんっ!フィーニャ!もっと優しくお水を飲ませてあげて下さい」


 咄嗟とっさにアオイがフォローに入ってくれる。・・・・・・が。


 「私、ちゃんとお水飲ませようとしました」


 クロエを溺死できしさせようとした当の殺人未遂犯(?)は、むしろ自身の行為は当たり前の事であり糾弾きゅうだんされるべきものではないと本気で思っているらしかった。


 「今の貴女の所作は殺しに掛かってましたよ!?」

 「学院長からの『お水を飲ませる』という任務を迅速に遂行したまで。悪く言われる筋合いは無い。にゃ」

 「"にゃ"、ではありません!あーもうっ!天然にも程があります!」

 「頬膨らませてる学院長も可愛い。ふにっ」

 「ー!?つ、突っつかないで下さい!?」

 「やだ。普段から私を使役しえきしまくる罰。覚悟〜」 


 目の前で唐突に始まった口論。(??)

クロエは突然の展開に目を白黒させるしかない。


 (何だこれ)


 クロエの性格は別に熱しやすく冷めやすいものではないが、一瞬湧いた怒りがもう冷水を浴びせられたかの如く鎮火していた。代わりに湧き上がってきたのは果てしない困惑である。


 「今日こそは学院長にやり返す。私とつがいになって」

 「可愛いに天然を追加しただけの貴女が何言ってるんですか!?というかクロエさんの前ですよ!?」


 一瞬聞こえてはいけない単語を聞いたような気がしたが、クロエはひとまず無視する事にした。

   そして、完全に二人だけの世界と化している空間に口を挟むか否か逡巡しゅんじゅんして。


 「あのー、そろそろ良いですか?」


 躊躇ためらいがちに口を開いたのだった。


 すると。二つの信じられない出来事が立て続けに起こった。


 「「はっ!!」」


 部屋の中を雷鳴が走ったのかと思った。


  気付けば、アオイと黒髪ボブの少女はお互い離れている。


 「・・・・・・」


 ジト目のクロエに対し。


 「ーコホン。すみませんね、クロエさん。お見苦しい所をお見せしました」


 いつの間にか執務机の椅子に腰掛けたアオイが実にクールな感じでそう言って。


 「先程は失礼しました。お水です。にゃ」


 いつの間にか新しいお水をコップ一杯分にしてクロエの隣に立っていた黒髪ボブの少女がそう言って


 「お口開けて下さい。ゆっくり流し込みます」


 "はい、あーん" 物凄くメイドっぽい口調(格好がメイド服だからというのもある)で、クロエに口を開けさせ、先程とは違う怪我人をしっかりと扱うようなゆっくりとした所作でお水を流し込んでいく。


 ーああ、冷たい。美味しい。潤う。


 まるであてのない砂漠にてオアシスを見つけ、そこで湧き水を飲んだかのような大きな感動がクロエを包み込む。


 まあそれはそうと、だ。

  学院長のアオイも黒髪ボブの少女も出会って間もないが、早くもどちらも天然なんだろうな という事でクロエの中の二人の人物像は固まった。

  が、一つだけ気になる事があった。先程のアオイと黒髪ボブの少女のやり取りでもう一つ興味を惹かれる単語を耳にしたからだ。それはー、


 「あ、えーと・・・・・・フィーニャさんだっけ」


 「ん?私の名前?うん。フィーニャと申します」


 不意にクロエに名前を呼ばれた黒髪ボブの少女が少しだけ困惑の表情を見せる。アオイも不思議そうな顔をしていた。ほんの少しだけ聞き辛さを感じてしまったクロエだったが、聞ける時が一番だと思い直し、口を開いた。


 「ーもしかして、使だったりする?」 と。


 それに、アオイと黒髪ボブの少女の反応はそれぞれ違った。


 「クロエさん、使い魔を知ってるんですね」


 アオイは、少しだけ意外だというように。


 「気付きますか。ふふ、この方は見応えがありそうです」


 黒髪ボブの少女はクロエに興味を抱いたように目を輝かせた。

  そして、黒髪ボブの少女はクロエの前に踊り出てこう言ったのだった。


 「ーそう、私こそが貴方の命を救ったのです」


 少しだけ、悪戯いたずらっぽく笑って。


 「事実ですが、言い方に語弊がありますね。フィーニャ」


 すかさず、アオイがそれに突っ込んで立ち上がる。


 「すみませんね、クロエさん。フィーニャの話を纏めるとー」


 そうして、アオイはクロエに話してくれた。共和国の闇街区にて《雷獣》のギルードと交戦したクロエは戦いの後気絶してしまったが、定刻になっても学院を訪れないクロエを心配したアオイが使フィーニャを捜索に出してくれたのだという。(アオイはクロエが広すぎる魔法都市ミリテで迷子になったと思っていたらしい)

  フィーニャはこう見えて、高度な魔法をいくつか扱えるらしく、クロエ自体は簡単に発見したという。発見後速やかにアオイに報告し重症のクロエを学院まで運んだ。その後は予想できる通り、アオイがクロエの怪我の介抱をしてー というのがクロエが気絶してから目覚めるまでの大方なあらまし との事だった。


 「そう。私はすなわち貴方のヒーロー」


 アオイが話し終えると同時、黒髪ボブの少女ーもといフィーニャが"どうです、私って偉いでしょう?"と言わんばかりにドヤ顔を披露していた。そして《ー》 何事かを呟くと、フィーニャのが眩い光に包まれていく。


 「ーっ」


 クロエは思わず目を背けてしまった。

  暫くすると、眩い光は段々と収束していき、やがて元の色が戻って来るのだった。


 ゆっくりと目を開くクロエ。

  そして、軽く驚いた。今の今まで自分の目の前に立っていたメイド服姿で黒髪ボブ少女のフィーニャは姿を消しており、そこに代わりに居たのは月の光さえあやしくね返すような世にも美しい黒の毛並を持った一匹の猫だったのだから。


 「もう、フィーニャ。あまり無闇に姿を変えてはいけませんよ。私と貴女の魔力は同一なのですから」


 アオイが苦言をていす。


 「学院長は厳しい。これはサービス精神」


 が、しかし、猫に変身した(というよりかは元々猫が本来の姿なのだろうが)フィーニャ本人は自身の行為をとがめられようがお構いなし といった感じである。


 「凄いな・・・・・・。騎士団以外で使い魔を見たのは始めてだ」


 クロエも思わず感慨深くなり、純粋な感想を口にした。


 「共和国は魔法発展国ではありますが、"精霊魔法士"のようにまだまだスタンダードな存在ではありませんからね」


 アオイは僅かに苦笑しながらそう言った。


 「"精霊魔法士"ね・・・・・・」


 クロエはアオイから聞いた単語にかなり嫌そうな表情をした。その理由は言わずもがな なのだが、ここでは割愛しておく。


 「ところで、クロエさんは使い魔に関してどれくらい知識をお持ちですか?」


と、ここでアオイが話を切り替えるようにそう尋ねてきた。

  クロエは猫化したフィーニャを見ながら思考する。正直、使い魔を知っているのは元々騎士団に所属していたからである。上司や同僚でもそういった人物は何人か居たし、任務先で使い魔を見かける事もあった。


 知識といえども、知っているのは騎士団所属時に少しだけ勉強したくらいである。

  ー世界に存在する『魔法』。その源となる存在である精霊と契約して力を得る精霊魔法士とは似ているが、似ていない所も多い。使い魔に設定出来るのは、"動物"のみ という点。クロエが知っているだけの代表的な存在でいうと、犬や猫(フィーニャのような)、鳥等である。だが、未だに共和国内でもスタンダードではない為か、認知している人は多くても実際に使い魔を使役している人はまだまだ少ない。その少ない理由だが、先程アオイもちらと言っていたが、使い魔の主人とそれに仕える動物側の魔力が"同一化"してしまうからだ。思考、視覚、嗅覚、触覚、聴覚を共有出来る というメリットは存在しているが、物事は良い面だけではないのは自明の理で、例えば主人側か動物側のどちらかが怪我をしてしまったとする。その場合、怪我のダメージが。使い魔契約の大きな穴の一つだ。魔力同一化はいわばと捉える事も出来る。メリットの分、デメリットも大きい魔法。これがある事実が魔法発展国であるアナルフィア共和国ー現代の魔法社会において精霊魔法士や使い魔が少ない理由なのだ


 ーといった事を勉強した程度なので、クロエは表面的な事実しか知らない。

 今はかなり薄くなったが、当時のクロエには懐きしたってくれる妹分が居たり、自分は喧嘩が強い 等と勝手に自負したりしていたので使い魔は欲しいと感じた事が無かったのだ。アオイとフィーニャの関係は少しだけうらやましくもあった。


 「ークロエさん?どうかしましたか?」


 不意に、アオイの心配するような声が聞こえた。


 クロエは"はっ"となり顔を上げる。

  すぐ近くにアオイの顔があった。クロエを間近から覗き込んでいる。クロエは驚いて思わず身体をのけぞらせてしまった。そのせいで背中が少し痛んでしまった。と、いうかこの人は距離が近すぎやしないだろうか?ちらと視線を奥に向ける。フィーニャがこちらを睨んでいた気がしたが、きっと気のせいだろう。


 「あ、いや、すいません。ちょっとボーっとしちゃって」


 と、その場しのぎで誤魔化したクロエだったのだが。

  アオイ相手には少し分が悪かったようだ。


 「やっぱり!!お怪我の調子が悪いんですね!?考えてみればずっと学院長室に拘束しておくのも変な話ですっ、クロエさんの講師就任パーティーなどを開いてあげたいのは山々ですが今はひとまずで休んで頂くのが先決ですね!ーフィーニャ!」


 「了解です。ーにゃ」


 アオイが急に血相を変えて凄い剣幕でまくし立てるようにそう言った後、フィーニャがした。(学院長室内に収まる範囲で)


 「・・・・・・は?」


 あまりに唐突な出来事にクロエは言葉を失ってしまう。え?巨大化?何それそんな魔法見た事無い


 混乱の二文字が頭を支配する中、「にゃ」という間抜けな猫の鳴き声が聞こえた。そして、浮遊感がクロエを襲う。ふわふわとした柔らかな感触も。

  身体がほとんど動かせないので何が起こったのか分からなかったが、遅れて気付いた。


 クロエは巨大化したフィーニャの背に乗せられたのだ。


 「クロエさん。すみませんね、先に案内するべきでした。この魔法学院には講師専用の教員寮があるんです。今からフィーニャにそこまで送って貰うので、とりあえずお部屋でご静養なさって下さい。クロエさんの担当するクラスの方々には事情があって少し赴任が遅れると私から説明しておくので安心して業務に備えて下さいね」


 アオイがそう言っていた。何が何だか分からない。ぎりぎり分かるのは、自分専用の寮部屋があったのかー だけ。


 「うん。とりあえず寝たいわ」

 「学院長はかなり天然。混乱するかもだけど、慣れて」


 フィーニャも助言っぽい言葉を掛けてはくれるが、正直な所アオイはクロエがこれまで関わって来なかったタイプの人間なのは間違いない。慣れろと言われても慣れるには大分時間が必要そうだー。


 「じゃ、寮までから。落とさないようにするけど落ちたらごめんなさい」


 ド天然コンビの強烈なダブルアタックには、現実逃避も敵わないらしい。

  いつの間にか外に出ていたらしい。爽やかな風が吹き抜ける。風に撫でられて傷が所々痛んだが、それに感慨を覚える暇は無かった。


 「にゃ」

 「ーうおおおおおっ!?」


 間抜けな鳴き声で疾走を始めたらしいフィーニャと共に、クロエは風となったのだから。


◆◆◆


 ー色々とあり過ぎた一日だった。

  何が起こったのかを全て文字に羅列したとしたらとんでもない行数を使うだろう。


 新たな生活、人生。周りからの後押しもあったが、最終的にそれを選んだのは自分だった。


 腐り切った過去とは決別した。

  もう、色々と嫌な思いをする必要は無いのだ。

これからは、血生臭い荒くれ騎士団ではなく、自分にも"生徒" という存在が出来るのである。戦闘しか能が無いような自分に教師が務まるのか不安が尽きない所ではあるが、もうブラックな職場に居なくても良いと思うだけで肩の荷は下りる。



 ーそう考えていたのが原因だったのか。

   ーまた、『夢』を見た。



 ー焦げ臭くて、息がし辛い。身体もあちこちが痛くて、熱い。


 ぐるりと辺りを見渡してみる。

  驚いた。 視界全てを覆うような激しい炎が四方八方から自身を焼き殺すかのように迫っている。


 周り一面に生える木々をゆっくりと燃やし、世界を炎で浸食しながら。


 早く、逃げなければ。

  だが、何故か逃げよう という気は起こらない。


 ここで、自分以外にもう一人人間が居る事に気付く。

  男だ。たかのような鋭い目をしている。自分と同じく迫る炎に追い詰められながら。


 どちらも満身創痍まんしんそういだった。

  身体は傷付き、血を流し、体力気力が限界を迎えても尚、両者の戦意が消える事は無い。


 どちらも、己の大事なモノの為に戦っているのだろう。確証は無い。が、不思議とそんな感じがする。


 どちらが勝つのだろうか?その場に居るのに、まるで第三者の立場から勝負の行方を見ているような感覚でいると。


 『ー』


 笑いながら、何かを言った自分が男へ最後の攻撃を仕掛けた。

  恥も外聞も捨て去った真正面からの打撃。渾身の威力を込めたストレート。


 その拳は男を見事に捉える。砲弾級のストレートを受け、男は倒れー 



 なかった。

  僅かに驚愕する自分に男は称賛の言葉を述べる。そして。



 ー目の前が、真っ暗になった。

   身体を動かせない。力が抜けていく。冷たくなっていく。魂が世界のことわり通りに終わりを迎える。


 ーだが。

   。自分はまだ終わらない。夢なのに、おかしな話なのだが。死んだら目が覚める とは違う。


 かのように。


 『ー助けて!!』


 声が聞こえる。助けるべき、少女の生きたいと願う慟哭どうこくが。


 『ークロエ』


 悲痛な色を交えながら、自分の名前を口にする。



  ーだから。


 クロエ=アナベルは、再び、何度でも、立ち上がる。

 

  


 

 

 


 


 

  

  

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