ハードSFテイストの、イメージにおけるUFOファンタジー

 SFはたくさん読んできて、UFOやエイリアンは、定番の小道具で、様々なイメージやら描写がなされており、映画やSF小説をはじめとする多くのメディアで、わりと種々さまざまに、思い思いの「UFO」像が、流布されてきているように思う。


 「E.T」では、植物学者で、なんともユーモラス?で、けったいなエイリアンが出てくる。片言しかしゃべれず、指先でコミュニケーションしたりする。 弱者ぽいので”かわいい”と言われた。 1982年くらいの映画。

 スピルバーグ氏が、最近にTwitterで、「”ET! ET!”」とか、TWICEの”TT”を真似て?つぶやいていて、「スピルバーグ酔っぱらってるな」とか書き込まれていたりしたが、Twitterは、そういうバレタ面白さがあります。泡沫的で軽い分、リアルなのだ。


 「未知との遭遇」とか「2010年」だと、もうちょっとシリアスで、SFの「幼年期の終わり」(ACクラーク)の、オーヴァーロードのイメージと重なる。 ”新しいフロンティア”と、宇宙を認識していた古き良き時代の名残というのか? 


 SFだと、マニアックに詳しい人は、蘊蓄というか知識が、ボクなどをはるかに凌駕しているので語る任にはないですが、やはり読者に新しさを提供するためというのか、作品によって、イマジネーションを競うようにエイリアン像は千変万化する。


 「エイリアン」という映画だと、ひたすら「異質」さが強調されていて、おどろおどろしくて怖い。つまり、”理性的に分かり合える”とか、そういう次元でない異質なものも、宇宙には存在しうるはずだ…そういうコンセプトだろう。 地球上でも、猛獣やシャチ、シロクマとかでも到底に話が通じない。そういう存在は宇宙にもまあたくさんいるはず?で、あんまり牧歌的な夢をエイリアンとかには描かないほうが、確かに無難だ。


 HGウェルズと、オーソンウェルズが引き起こした大パニック、という有名な事件があって、「火星人襲来」というSFのラジオドラマを放送していた時に、それを真に受けた民衆が大パニックになって、電話回線がパンクした…ということが実際にあった。まったく趣きは違うが、Fブラウンの「火星人ゴーホーム」も、侵略者のエイリアンである。この火星人は神出鬼没で、いうことなすことがシニカルで、それが無数にいる、そういう設定で、抱腹絶倒でもあるが? 現実のことだとこれほど厄介なのはまあない。 Fブラウンの作風には筒井康隆を思わす”黒い笑い”の冴えた、切れ味鋭さがあり、愛好家は多い。


 ボクも、エイリアンとかUFOがテーマのものは書いてます。

 エイリアンを理想化しているのが「野菜ちゃん」という少し長めの話。

 →


 ”UFO”にフォーカスっている作品。


 エイリアンが、電話で人生相談している有名な科学者に人類の”説得”を依頼する話。


探したらまだあるかも?ですが、長年妙な幻聴に悩まされているので、極力、被害妄想的にならないように?気を遣う感じもあります。


 UFOに乗っているのははたして天使か?悪魔か?

 「幼年期の終わり」というSFの設定でも、作者はちょっと迷っている感じ…といえばそうかもしれない。

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UFO 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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