第6話 盗賊頭のジット
「面倒くせぇ」
ジット・トラヴァルは呟いた。
汚い金髪のセミロング。ブラウンの瞳に光はなく、希望を持つことを諦め、こちら側にも絶望を求める瞳だった。上背があり、身体は引き締まっていた。どことなく疲れた印象がある。疲労による疲れというよりは、生きることそのものに疲れているような。
ジットは洞窟の奥にある小部屋で木箱に座り、子分からの報告を受けていた。そこは部屋というには無骨すぎる場所だった。剥き出しの岩肌、その岩肌に彫られたこじんまりした謎の竜の石像。以前は誰かがここで祈りを捧げていたのかもしれない。ゴント島の言い伝えにある邪竜に。きっと神を信じることの出来ない俺たちのような奴らが。
子分が言うにはメルクの村を襲っていた仲間が誰1人戻らないという。「誰か様子を見に行かせろ」と指示を出し、ジットはその子分を見送った。
盗賊団の頭領なんてやるものじゃない。問題があれば最終的には全部俺が対処しなければいけない。あいつらは自分の頭で考えるってことをしない。まったく、面倒くせぇ。
こんなはずじゃあなかった。俺の人生は一体いつからこんなことになった? いつから人生がクソみたいだと思うようになった? あの時か? 親父が領地を没収された、あの時から――
ジットが物思いに耽っていると子分の1人が部屋に駆け込んできた。
「頭、大変です! 今日捕まえた男が檻から逃げてこっちへ向かってきます!」
? 一体何を言ってやがる? なぜ男が逃げる? やつの腕は拘束し、足枷もつけたはずだ。それに仮に檻から逃げ出せたとして、なぜこっちへ向かってくる? 外へ逃げればいい。まさか1人で俺たち全員を相手にしようとでも?
「もう2人殺られました! リヒテンにシェイド、それにたぶん牢番のデレクさんも、やつはもうそこまで来てます!」
デレクはこの盗賊団で俺に次いでの実力者だ。一体何が起きている?
面倒くせぇ、とジットはまた呟く。部屋から出ると、洞窟の大広間の中央で焚き火の炎が揺れていた。いつもならそこは子分たちの憩いの場所だった。メルクの村を襲わせた奴らを引いても、そこには10数人の子分たちが居るはずだった。
俺は目を疑った。捕えたはずの男が2つの手に剣を持ち、子分たちの間を舞っていた。焚き火の炎に照らされて、人の姿が大きく岩壁に写り、まるで影が踊っているようだった。
男が舞うと、1人、また1人と、子分が倒れてゆく。男が声を出して悪鬼のように笑っている。まるで楽しくて仕方がないとでも言うように。憩いの場所だった広間が惨状と化してゆく。壁や地面が血で赤く染まってゆく。悪夢がそのまま現実になったような光景だ。
隣にいた子分が叫び声を上げて、出口へと駆け出した。火を挟んだ向かい側を駆け抜けていく子分を男が目の端で捉える。男が大きく振りかぶり、持っている剣の1つを投げつける。
風を切る音、そして「ズドッ」と鈍い音が響く。子分は背中の中心を貫かれ、倒れる。残った3人ほどの子分たちが一応に怯えているのがわかった。俺に目で助けを求めてくる。俺は子分たちに言う。
「何してる? 早くそいつを殺せ。それとも俺に殺されたいか?」
子分たちが絶望した表情を作る。男はゆっくりと3人に近づいてゆく。途中、死体の剣を拾い上げ、再び両手に剣を持つ。子分の1人が声を上げ、闇雲に男へと突っ込んでゆく。それにつられるように残りの子分も声を上げ突っ込んでゆく。
先に走り出した子分が、男の前で何かに引き寄せられたように前方へ転ぶ。残りの子分2人がそれに気を取られた隙に、男は転んだ子分の背中に踏み込み、2つの剣で2人を貫く。剣を引き抜き、足元の子分を見もせずに刺し殺す。子分のうめき声が響く。男はこちらを見ている。海のように澄んだ青い瞳だった。
ジットは子分が殺されようがどうでもよかった。自分が作ったにも関わらず、この盗賊団に思い入れもなかった。死んだのなら、また増やせばいいと思った。盗み、殺すことでしか生きていけない人間がこの世界にはごまんといる。
世界は残酷だ。神が教えるように真っ当に生きてゆくことができる人間は幸運な人間だ。幸運に見放された人間は獣に近くなる。日雇い農夫に小作人、仕事のない職人、市民権を持たない都市の住民。様々な、食っていくことのできない人間が獣になる。生きるために人から奪い、人を殺す。誰もそれを責めることはできない。それがこの世界の理なのだから。
カイは目の前の金髪セミロングの男を見ていた。男は仲間が殺されているというのにあまり興味がないようだった。男は男の後ろにある部屋へ戻っていった。(逃げたのか?)とカイがその部屋へ近づいてゆくと、男は防具をもって再び出てきた。
「お前一体何者だ?」男が問いかける。「目的はなんだ?」
男は尋ねながら、チェーンメイルを身につけてゆく。小さな金属の輪が重なった、重そうな衣服のような装備。頭から首、そして上半身全てを覆い尽くす金属の輪。顔の部分だけがポッカリと開き、視認性を確保している。
男の動きは緩慢だった。歩く動作も、装備を身につけることも。しかし、なぜか隙を感じない。
この男は強い。カイは直感的にそう感じた。
「俺はただ戦いたかった。それだけだ」カイは男から目を離さず答える。「あんたらがここに俺を招待した。そういう意味では俺は客だな」
男はゆっくりと自分の装備を確かめている。カイは目の前にいる強者という存在に血が騒ぐのを感じた。
男は小さく笑うと独り言のように言った。「戦いたかったか……イカれた野郎だ」装備を整え終えると剣を持ち、カイを正面から見た。
「じゃあ客をもてなすのが俺のつとめか。まったく、面倒くせぇことばかり起こりやがる」
男が自分の手に慣らすように剣を一振りする。ヒュッと風を切る音が洞窟に響いた。男がゆっくりとカイに近づく。間合いをとり、そしてゆっくりと剣を構えた。
剣はカイが手にしている、よくあるショートソードとは形状が違った。剣身は細く、持ち手に装飾的な鍔がついていた。まるで貴族の剣のようだ。構えはフェンシングのそれに見えた。剣をこちらに突き出し、半身に構える。
静寂が訪れる。
カイは剣持った両腕を自然に下げ、男を見ていた。男はどこを見ているのかわからなかった。ただ、虚空を眺めているような。
男が動く。――早い。
最短の動きで、突きがくり出される。顔を右へ傾け、それを避ける。男の剣がカイの左耳を掠めてゆく。左手の剣で男の剣を弾き、右手の剣で男を突く。男は左へとそれ避ける。カイの剣が男の首を掠める、ジャリッと鋭い音がして、チェーンメイルが男の首を守る。男はすかさず距離をとり、構えの姿勢をとっている。そしてさらに2撃、3撃と男は突きを放つ。カイはそれをなんとか避け、弾き、突きの届かない距離へと下がる。
カイの左頬に薄く血が滲む。避けきれていなかったようだ。攻撃の初動に合わせてスキル(引きつける)を使うのは無理だな。攻撃が早すぎる。さらに相手の急所を斬る攻撃はあの鎧に守られて通らない。1撃で相手を殺すことができる首が狙えないのは厄介だ。思いきり力を込めて、あの鎧の上から斬りつければ、骨折させるくらいのことはできるだろう。しかしそんな大振りが通る相手ではない。
カイの逡巡の間をうめるように、男が瞬時に距離をつめ再び突きを放つ。カイは左手の剣でなんとかそれをいなす。
――ここだ。攻撃の後、男の腕が伸びきったところで、男の腕をスキルで引きつける。男は体制を崩し、隙ができる。――はずだった。
男は何も感じなかったようにすぐさま構えを戻し、再び突きを放った。カイは驚きで回避行動が一瞬遅れる。男の剣がカイの左腕を貫く。カイはすぐさま男と距離を取る。カイの二の腕から血が滴り落ちる。
なぜだ? スキルが通じない? カイが不思議に思っていると。男が構えを下げ、話し出す。
「お前、スキルを持ってるだろう? お前の戦いはさっき見学させてもらったからな」
「なんだ。スキルってのは俺だけが持っているものじゃないのか」
「何も知らないのか? おかしなやつだ。確かにスキルを持っている人間は稀だ。だがお前だけが使えるものじゃない。こんな具合にな」
男はそう言うと、剣を持っていない左手のひらを上に向ける。手の上の何もない空間から、炎が生まれた。美しく、オレンジ色に輝く拳大の炎の塊だった。男は手のひらをこちらに向ける。
「
男が唱えると、手のひらから火球が猛スピードで発射される。カイはとっさに左手の甲に右手の剣の腹に当て、防御の構えをとる。弾丸のように飛んできた火球を剣で受け止める。
ドンッ! とまるでハンマーで思い切り殴られたような衝撃。歯を食いしばり、後ろへ吹き飛ばされそうになるのを耐える。受け止めた火球が剣の上で、消えずにその威力を発揮し続ける。刺された左腕から血が噴き出す。
「ぬぅうううあぁああああぁぁあああ!!」
なんとか火球を弾き、軌道を斜め上方向へとずらす。火球はカイの後方へと飛んでゆき、洞窟の天井の一部を破壊する。瓦礫が落ち、大きな音を立てた。
カイは左手に持っていた剣を落とす。左手が意識に反して痙攣していた。この手ではもう、剣を握れないだろう。火球を受け止めた剣にはくっきりと丸く焦げ痕が残っていた。
男はなんの感情もなくカイ見ていた。いや、その顔には憐れみのようなものが見えた。弱者を不憫に思うような。
「これが俺の持つスキル。火魔法だ。お前の陳腐なスキルとは違う」
カイに笑みがこぼれる。
魔法か。面白い。やっと異世界転生っぽくなってきたじゃねーか。
「確かにご立派なスキルだ。だが俺のスキルがお前に通用しなかったことの説明がつかないな」
「この鎧は特別製でな。ある程度の魔法なら、防ぐことができる」
「魔法?」
「お前の物体を引きつける力も大別すれば魔法の一部だ。魔法はさまざまな形で現れる。予言や、まじないもその一種だと言われている」
「ペラペラと親切にどうも。おしゃべりが好きなのか?」
男は剣を下げたまま、カイを見ていた。まるで品定めするように。そして男は言った。
「お前、俺と来い」
「……どういうことだ?」
「俺の下につけ。お前が殺した奴らの穴をお前で埋めろ。そうすれば命を助けてやる」
「突然だな」
「以前からスキル持ちの人間を探していた。お前が殺したあいつらじゃ、大した部隊は作れないと思っていたからな。俺は盗賊のまま終わるつもりはない。作り上げた部隊を貴族に売り込み、成り上がるつもりだ」
ジットはカイを見据えていた。自らの威厳を相手に分からせるように。
ジット・トラヴァルには目標があった。それは自身が再び貴族になること。
ジットはもともと貴族の生まれだった。トラヴァル家の5代目の当主。それがジットの確約された未来だった。しかし、ある日急にそれは終わりを告げた。まるで急な高波にさらわれるように、ジットの運命はガラリと姿を変えた。
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