第5話 呪われた島

 気がつくと俺はまた檻の中にいた。つくづく牢屋に縁があるらしい。

 両手を縄で縛られ、片足には鉄球がついた足枷がはめられていた。上体を起こし、縛られた両手で殴られた後頭部を触る。出血があった。だが、致命傷というほどではない。カイは自分の血をペロリと舐め、辺りを観察する。


 暗い洞窟の中のようだ。壁に手を触れ確かめる。岩肌のヒンヤリした温度が手に伝わる。牢屋は岩肌のくぼみを加工して、檻をはめ込んだようなものだった。持ち物は当たり前だが何もなかった。剣も巾着も腕輪も。


 カイに恐怖心はなかった。ただ、ここからどうやって脱出するかだけを考えていた。カイはもともと恐怖心という物を感じたことがなかった。母に怒られた時も、誤って川に落ちて溺れかけた時でさえも、カイは何も感じなかった。カイにあるのはただ今この瞬間をどうするのかということだけだった。死を目前にしていても途切れることのない思考力と集中力。それは彼が生まれながらに持っている特性だった。


 ――サイコパス、そう呼ばれる人たちがいる。彼らは扁桃体とそれに関わる脳機能の活動が常人に比べて低いと言われている。すると人は恐怖心や不安といった情動を感じにくくなる。共感性がなく、冷酷で、平気で嘘をつき、人を操ることを好むようになる。そこへドーパミン報酬系一部位の異常な活性化が加わると、人は信じられないような集中力を発揮するようになる。カイはまさしくそれだった。カイは――

 

 明かりが近づいてくる。誰か来たようだ。


「起きたみたいだな」


 男の手に持つ松明の明かりで、牢屋が照らし出される。カイは眩しさに目を細める。ゆらめく炎の光の中に男が立っている。それは2メートルを優に超える巨漢だった。

 カイは男に尋ねる。


「ここはどこだ?」


「それはお前が知る必要のないことだ。お前は今から俺が質問することにアホみたいに答えてればいい。わかったか?」


 カイはただ目の前の男を無言で見つめた。

 男がチッと舌打ちをする。


「まぁいい。これはお前のものか?」


 男が腕輪を取り出す。カイが腕にはめていた物だ。

 さて、どう答えるべきか。正直に奪ったというべきか。


「……ああ。俺のものだ」


 嘘をつく。意味はない。ただの好奇心だ。


「だとしたらお前はバロメ家の人間で間違いないんだな? この腕輪にある刻印はバロメ家のもんだ」


 男が刻印を見せる。三角の内側に点が5つ。シンプルな刻印。腕輪の主人は名家の生まれだったらしい。どうでもいいことだが。


「ああ。だったらどうした?」


「そんなのテメェの家から身代金取るに決まってんだろ! そうじゃなけりゃ男のテメェを生かしてる訳ねぇだろうが!」


 なるほど。俺が生かされている理由はそれか。金持ちを捕まえたら殺さずに身代金を取る。それがこの世界のやり方。

 巨漢が少し怪しむようにカイ見る。


「しかし妙だ……バロメ家の人間が従者もつけずにたった1人でこんなところで何をやってたんだ? それにお前の格好は金持ちに見えねぇ」


 腕輪の主人も1人だったがな……村で従者は殺されていたのだろうか? いちいち死体を覚えてはいない。


 目が光に慣れてきたところで、カイは男の姿を改めて観察する。がっしりとした身体に太い腕、俺の2倍はありそうだ。そして男の腰に鍵が見えた。おそらくこの牢屋の鍵だろう。


「まぁ俺はバロメ家の人間じゃないからな。当然だ」


 突然の告白。巨漢がこちらを睨む。無精髭の汚い顔。


「その腕輪は俺がたまたま目の前で死んだ人間から奪っただけだ。俺とはなんの関係もない」


「テメェ、嘘吐いてやがったのか」


「だったらどうした? 殺すのか?」


 こう言う人間は短絡的で助かる。煽ればすぐに噛み付いてくる。まるで躾のなっていない犬みたいだ。

 男の目に怒りが混じる。そして不敵に微笑む。


「テメェ、牢の中にいるから手を出されないとでも思ってんのか? バカ野郎が。頭にはテメェが人質としての価値がないなら殺せって言われてんだよ」


 そう言うと男は松明を台座に置き、腰につけた鍵を取ると牢屋の鍵を開けた。男が牢屋に入ってくる。ここまではおおむねカイの思い描いた通りだった。


 改めて巨大な男だと思った。男が剣を構えると、剣が大きめのナイフのように見えた。しかし、男は何を思ったのか剣を檻の隙間から外へと投げ捨てた。


「……決めた。お前は殴り殺す」そう言って、男はにっこりと笑った。


 これは想定外だった。剣があれば、前と同じように相手が攻撃する瞬間にスキル(引きつける)を使い、相手の体勢を崩し転ばせてから武器を奪い、そして男を仕留めれば終わりだった。


 両手を縛られていても剣を持つことはできるし、足枷をしていても最初の一撃を避けることくらいなんとかなるだろうと思っていた。しかし武器がないとなると話が違う。このハンデ(両手を縛られ、足には鉄球がついている)を背負い、真正面からこの大男と戦わなければいけない。


 カイの顔には隠しようのない笑みがこぼれる。頭の中でドーパミンが溢れだすのを感じる。命を投げだすスリルの中でしか味わえない快感。それは自分が危機に瀕すれば瀕するほど感じることのできる幸福。――スリルを追い求める。それもまた、カイがサイコパスである顕著な特徴――


 男は拳を大きく振りかぶりカイの顔面へと振り下ろす。カイはそれを縛られた両手を上げて防ぐ。しかし、そのまま後ろへと吹き飛ばされる。なんとか倒れずに耐えたが、鼻の片方から鼻血が出ていた。


「はっ! よく耐えたな。あと何回耐えれるかなぁ。お前の前にここに入った女は最後はしょんべん漏らしながら助けてくれって何度も何度も媚びるように言ってたっけな。あれは最高だった」


 男は上機嫌だった。身動きのできない弱者をいたぶるのが好きらしい。カイは鼻をかみ、鼻血を押し出す。そして不敵に笑う。


「お前の臭い口を黙らせてやる。とっととかかってこいデブ」


 男の目が怒りに満ちる。そしてまるで野球の投手のように、腕を大きく振りかぶった。


「そのへらず口一生叩けなくしてやる。死ねぇ!!」


 男の腕が振り下ろされる。

 ――ここだ。カイはスキルを使って、男の腕を引きつける。そして横方向へ攻撃を避ける。男は大きく空振りし、グラつく。足枷の鎖を男の足へ引っかける。男が体勢を崩しうつ伏せにドシンと倒れる。すかさずカイは男の背中に乗り、縛られた両腕を男の首に通す。男の背中に片膝を立て、腕を後ろへ思いきり引き上げる。男の首が締め上げられる。


「グゥぅううウウうぅううう」と男がうめき声をあげ、暴れ出す。男がカイの腕を掴み、引き剥がそうとする。カイはさらに自分の腕にスキル(引きつける)を使い、万力のような力で男の首を締め上げる。男の口から白い泡が溢れ出す。男はパニックになり、必死で足をバタつかせ、カイの腕をなんとか外そうと自らの首に爪を立てる。カイはさらに力をこめ男の首を締め上げ続ける。カイの手首と縄の間に血がにじむ。


 しばらくすると男の動きが緩慢になり、そしてパタリと動かなくなった。

 カイは自分の腕を男の首からゆっくりと外した。男の頭がドサリと地面に沈んだ。


 男の腰についた鍵束を取り上げる。足枷を外し、檻の外へ出る。男の剣で手首の縄を切り腕を自由にする。手首には血がにじみ、男が爪を立てた跡が残っていた。カイはそれを気にする素振りもなく男の剣を拾い上げ、剣身を眺めた。


 まだ、足りない。そう思った。


 カイは内から来る残忍な衝動を静かに感じた。道は二手に分かれている。右からは外の風が吹き込んでくる。おそらく右に行けば外へと通じているだろう。カイは左へと進んでゆく。スリルがカイを突き動かす。死の隣にある生を感じるために。カイは次の獲物を探す。

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