月影屋敷の犯罪

ぜろ

第1話

静紅しずく


 朝に玄関で上履きと中履きを代えていた所で、ちょっと離れたロッカーにいる慧天えでんの声が聞こえた。まあなんだ、こういう時は勘が働くもので、またラブレターかと思ってしまう。慧天は不思議なアシメの髪型に常にヘッドホンを付け、滅多に喋らないという個性で女子生徒には人気が高いのだ。その声を聞けたら良い事が起こると噂されるほど、慧天は喋らない。あたし以外とは。


 ちなみに髪を切っているのもあたしである。個性的なのも、あたしの問題である。友好的に受け入れて貰えているのなら良いけれど、床屋さんぐらい一人で行けるようになって欲しいな。でも床屋さんって喋る人はめっちゃ喋るからなあ。静寂を好む、と言うよりは人の声が苦手な慧天には、ちょっと難しいのかもしれない。イヤホンでも持って行けばまだましかもしれないけれど、ポータブルのプレイヤーはヘッドホン以外持っていないのでちょっと難しい。ヘッドホンに直接音楽の入れられる今のヘッドホンは便利だ。


 ついでにあたしの付けてる咽喉マイクの電波も結構広い範囲で拾ってくれる。とは言え学校の中では、移動教室の間は途切れていることが多い。そんな時は携帯端末のメッセージアプリで話し掛けて来る。

 数少ない友人はそこに登録して、会話をしている。あたしとは直に話した方が早いんだけれど、友人の一人である某君によると、慧天のメッセージは凄いらしい。喋りまくるとか。うるさいぐらい話し掛けて来るとか。まさか慧天がうるさいと言われるカテゴリに属するとは、慧天に恋する女の子たちは知らないことだ。だから手紙で言葉を綴る。デジタル最先端に向けて、アナログ最先端で向かう。


 案の定取り出されたのは白にレース柄の付いた可愛らしい封筒だった。糊付けはされていないそれから一枚の便箋を取り出すと、西園慧天君へ、とめんどくさい名前を綺麗にバランスとって書いてるのが見る。


西園にしぞの慧天君へ


 お願いしたいことがあるので、昼休みに裏庭でお待ちしています。


 二年二組 城金しろがねみなも』


 淡白で簡潔なラブレターだった。おど、とあたしを見下ろす――いつの間にか身長差が出ているなあ――慧天は、どんなことでも断りたいのが本音だ。そしてそれをするのはあたしだ。咽喉マイク越しに慧天のヘッドホンに直接話し掛けられる、あたしだけだ。

 慧天はとある事件から、人の声を聞くのが苦手で、学校でもヘッドホンを付けている。それと唯一コミュニケーションが取れるのは、咽喉マイクを使ってその波長に声を乗せられるあたしこと本条ほんじょう静紅だけだ。


 つまりはこの可愛らしいお手紙にお断りを入れられるのもあたしだけだと言う事になる。偶になんであんたが、と逆上されることもあるけれど、まったくなので言い訳は出来ない。しかし聞いた名前だな、城金みなも。ああ、去年の合唱大会でピアノ弾いてた子じゃないかな? 何組だったかは忘れちゃったけど。今の二組には友達はいないから、事前情報集めは出来ない。

 慧天に覚えてる? と訊いてみると、ふるふると頭を振られる。こいつは合唱大会ですらろくに聞けない。おそらくはQUEENのアルバムをフルボリュームで聞いてたんだろう。洋楽、特にQUEEN好きの慧天の事だ。音漏れも気にしないで周りに迷惑かけてたんだろうな。耳が悪くならなきゃ良いけど。家の中ではそれこそ部屋中に響くぐらい鳴らしているから、心配だ。時々音が聞こえてくるお隣さんのあたしとしては。慧天は家の中ですら、喋ったり聞いたりすることが出来ない。ご両親とさえも。あたしが嫌われている理由の一つだ。


 とまあそんなこんなで今日も午前の授業が終わり、学食に行く前にあたし達はみなも嬢の待つ裏庭に向かった。髪の長い女子がぽつん、と待っていたそこで、あ、と気付いた彼女は顔を上げる。可愛い子だった。まだあどけない顔をしていて、目も大きい。これは慧天も気にいるかも知れないな、思ってあたしの後ろに隠れている慧天を振り返ると、ふるふる小動物のように震えていた。自分より背の低いあたしに隠れられると思っている辺り、こいつはちょっと間抜けである。


 そんなあたし達デコボココンビが気にならないように、あの、とみなも嬢は話し掛けてくる。まだ通訳は必要ない。本当に必要なのは、お断りだ。それをあたしに任せる辺り、こいつは残酷だと思う。呼び出されたのをすっぽかすよりは、まだマシなんだろうけれど。

 それにしても、お話があるんじゃなくてお願いしたいことがあるって不思議だったな。なんだろう、あたしは咽喉マイクに触れて、声が届きやすいようにする。勿論、あたしの声だけど。


「実は、週末金曜日からの私の誕生パーティーに来て欲しいんです」


 へ?

 そりゃ、今までになかったお誘いだった。


「慧天、彼女、あなたに週末の誕生パーティーに来て欲しいんだって」

「?」

「金曜日から。ん、からって事はお泊りになるのかな?」

「はい、出来れば日曜日まで」

「日曜まで三連荘だって。部活は入ってないから空いてると思うけれど、どうする?」

「……」


 うーん、と考え込む慧天である。


「その、私の家の別荘に当たる屋敷で――みんなからは月影屋敷って呼ばれているんだけれど、老朽化が激しいから売ってしまう事になって。そこで過ごす最後の誕生会だから、来て欲しいの!」

「月影屋敷、って呼ばれる別荘で行うそうだよ。売っちゃうからそこでは最後の誕生会なんだって。だから来て欲しいんだって」

「! でも、どうして」


 慧天の声が聞こえたことに、みなも嬢はぱっと明るい顔になる。


「私図書委員なんだけれど、西園君いつも建築関係の本を借りて行くから、もしかしたらと思って!」

「図書委員だから本の傾向で、って」

「たしかにそれは、魅力的……」

「有名な建物なの? 月影屋敷、って」

須田星志すた・せいじの作ったシリーズの一環なんだ」


 須田星志。確かに聞いた事がある名前だ、私にも。ただしあまり良い思い出ではない。まあそれはそれとして。


「行く?」

「……行く。城金みなもさん。ありがとう。あと、お願いがあるんだけれど、僕と静紅は同じ部屋にしてもらえるかな」


 ヘッドホンを一時的に外して、何も聞こえない裏庭で慧天は話す。何も聞こえない場所でなら、慧天はその耳を晒していられる。って言うか何言っちゃってんだこいつは。中学二年の男女だぞ、こちとらは。一緒なんて、嫌がられるだろう、普通。

 それ以前にあたしを連れて行く前提で話すんじゃない。みなも嬢だってよく知らない女子が一緒なんて嫌だろう。ここはひとまず滝を上る鯉のごとき勇気を見せて一人でだな。そうするとあたしのメッセージアプリが慧天の通知で火を噴くのか。面倒な奴め。

 だけどみなもちゃんはこくんっと頷いてにっこり笑った。


「私こそありがとう、西園君! あ、あと、私の叔父さんお祖父さんとお祖父さん繋がりの友人に、私の友達が二人来るんだけど、それでも良いかな」

「盛大だね。僕は構わない。だけど会話は」

「本条さん越しだよね。分かってる。でも、本当にありがとう。西園君を呼べるなんて、思ってもみなかった。本条さんも、楽しんで行ってね!」


 ついでのようなそうでもないような言葉に、私は苦笑いをする。ミナ、と呼ぶ声がした。瞬間慧天は頭にヘッドホンを被せる。ミナ。みなもちゃんの愛称かな? 声がした方を見ると、女子生徒が二人走って来るのが見えた。おそらくはみなもちゃんの言ってた『友達二人』ってところだろう。


「もー学食行っちゃってたらさっさとこっちに来てるなんて言われて、ラーメンで舌火傷したよー! それで首尾はどうかね、お嬢様」

「もう全然お嬢様じゃないよ。オッケー貰ったところ! 西園君と本条さん、来てくれるんだって!」

「おー、良かったねー! 改めて、四組の幅木優子はばき・ゆうこと」

「三組の如月氷空きさらぎ・そらですっ。三人合わせて枯山水トリオと呼ばれています!」

「四組の幅木優子さんに、三組の如月氷空さん。三人合わせて枯山水トリオって呼ばれてるんだって」

「ああ、空と、木と、みなもは水……綺麗に揃ったもんだね」

「きゃー西園君が喋ったあ! やっばい初めて声聞く! 今日はなんか良い事ありそうな感じ! 古典当てられないとか!」

「やっぱり声も格好良いー! ちょっとハスキーでカラオケとか上手そう! そのうち機会があったら誘ってみても良い!?」


 耳にキンと来るそのはしゃいだ幅木さん達の声に、慧天はぎゅっとヘッドホンを押さえてフレディ・マーキュリーの声に逃げる。あんまりそう言うあからさまな態度をとるもんじゃありません、と頭をコツンと叩いたら、ちょっとじろりとした殺気を感じてしまった。

 まさか全員慧天狙いじゃないだろうな。そうなると私は色々と大変だぞ。今までにも嫌がらせとかされてこなかった訳じゃないけれど、流石に火に入る虫にはなりたくない。本当なら慧天一人放り込めば良い所に、あたしと言う邪魔者が入るのだ。きっとそれは、煩わしいにも程があるだろう。


「各部屋にシャワーとトイレはあるから、着替えは持って来てね」

「シャワーとトイレは各部屋にあるんだってさ。って言うか部屋ごとで使えるんだ、すごいね。ブルジョワジー」

「うん、最後だからって頼み込んでガスとか一時的に通してもらったの。ちょっと古いけれど二泊ぐらいはできるよ、どの部屋も」

「去年も私達行ってるしねー、そこは保証するから大丈夫だよっ」

「二泊するんだって。準備はしなさいね、慧天」

「解った」

「本当に本条さんとは違和感なく喋るんだなあ……池谷に聞いた通りだ」


 池谷君と言うのは同じ学級で、かつての慧天のいじめっ子でもある。今は改心して良い友達になってくれた。その池谷君に聞いたって事は、彼女もソフトボール部員なのだろうか。確か池谷君はそうだったはずだ。

 まあ、そこは通訳しなくて良いだろう。取り敢えず私達はそれではと学食に向かい、きゃっきゃしている三人はおいていくことにした。きゅぅ、と腹が鳴る。購買でパンの方が良いかと訊いてみたが、がっつり食べたいとの事なので学食に向かう事にする。何にしようかな。ラーメンまだ残ってるかな。


「それで、その須田星志? のシリーズって何なの?」


 ずびびびっとラーメンを啜りながら聞くと、ちょっと音を下げる慧天である。まあ喉を通る音とか聞こえるしね、食べてる時は。うん、と頷いて、慧天は笑う。


「太陽系の有名な星を集めた建築シリーズでね。月影屋敷はその最初の一つ」

「へー」

「僕たちの通ってた小学校もそうだったよ。火輪ひのわ小学校。火輪は太陽のこと」

「……それは覚えてる」


 ちょっと思い出したくないことを思い出すが、慧天は楽しそうだった。


「取り壊し前に行けるなんて思ってなかった。もう三十年も前の建築だから」

「そっか。写真なんかも撮って良い思い出にしなきゃね」

「うん。楽しみ」


 慧天が柔和に笑ったので、私も笑う事にした。

 まさかこれから事件が起こるなんて、知らずに。

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