第2章 高垣霞 1

<2日>

朝日が川面を照らし、キラキラと輝いている。

まるで自分とは真反対の美しさをひけらかすように、目に映り込んでくる。

河川敷をトボトボ歩きながら、その場にあった石ころを軽く蹴った。

何の抵抗もなく、蹴られるがまま転がる石ころは、まるで自分のようだった。

磨けば光る石もあるが、私はただの石ころ。

磨くところもなく、ただそこにあるだけで、蹴られて転がる石ころだ。

それでもあの川面の美しさに惹かれて、時々この河川敷へ来てしまう。

家から数キロ先の高校までの道のり。その時間が一番憂鬱かもしれない。

本来通る道からは外れた河川敷に来るために、家を早めに出発する。

自転車で風を切りながら、この場所へやってくる日は、どうしても学校へ行きたくない気持ちが治まらない日。

どんなに自分を説得しても、どうにもならないときに、ここへ来る事を目的にして納得させて家を出る。

腕時計に目をやりながら、時間までここで座って川の流れを見つめている。

河川敷とはいえ、季節ごとに川は色を変え、植物は咲く時期を選び、小さな花をつける。

たまにジョギングする人とすれ違うが、私の存在には気づきもしないかのように、通り過ぎてゆく。

ここには私の日常にはない、静けさがあった。

1分1秒と進む時間の中にあっても、私の世界とは関係なく思うままに、その時間の流れに逆らわずにゆっくりと変化する様は、うらやましくもある。

私はといえば、毎日その1分1秒に怯えながら生きている。

時間が止まってしまえばいいのに、そんな非現実的な事を考えたところで、なにも起こりはしない。

時間になれば、この河川敷から高校までの道を重い足取りで自転車をこぎ始めなければならない。

どんなに嫌でも、私に刻み込まれた概念が休む事を許す事はない。

だから今日も、その重い足を引きずってこの河川敷を後にする・・・・



遅刻ギリギリに教室へ入ると、朝礼まで後数分なのにも関わらず、皆がそれぞれのグループで思い思いの話で盛り上がっている。それを横目に、自分の席に着いた。

私が来たところで、何の存在感もなく、誰かが話しかけてくることもない。

私は鞄から筆記用具を出すと、後はうつむいたまま担任が来るのを待つ。

「席に着け。朝礼始めるぞ」

担任が教室に現れ、大きな声で着席を促すと、蜘蛛の子を散らすように皆が席に戻っていく。

皆が着席したのを確認して後、順番に大きな声で出席をとっていく。

「高垣、高垣霞!」

私を呼ぶ声かする。

「はい」

うつむいたまま小さな声で返事をする。

「お前、もっと大きな声で返事しろ。聞こえないぞ。朝は元気よく!いいな!」

体育会系の担任には全く悪気はないが、その返しに、クラス中がクスクスと笑い、私の方へ視線が向けられているのが分かる。

私はいたたまれない気持ちになり、その場から逃げ出したくなるのを必死で堪えながら、その視線が他に向けられるのを待った。

出席を取り終わると、連絡事項を早口で済ませ、担任はそそくさと教室を去って行った。

1限目が始まる10分の間、また皆はグループのメンバーを変えながら、飽きもせずに固まって話を始める。

「高垣香澄、大きな声で返事しないと、欠席にするぞ」

どこからともなく私の名前と先ほど担任に言われた言葉をひねってからかうように話す声が聞こえてくる。

誰が言っているのかは確認しなくても分かっている。

それを聞いた周りからはまたクスクスという笑い声が聞こえてくる。

こんなことは、毎日繰り返されてきたことだ。

何をしても、されても私は毎日笑われる。私は笑う事なんてないのに周りはいつも私を見て楽しそうだった。

抵抗しても、反撃しても数には勝てず、ただうつむいて聞かないふりをするしかない。


そもそも私がこんな風にされ始めたのは、小学校の3年生の時からだ。

遠足の日、母が多忙なことと金銭的余裕がなかったせいで、お弁当におにぎり2つだけを持って行ったことを、仲良くしていた友達が冷やかしたことに端を発する。子供は残酷だ。

その子の名は遠野美央。地元では有名な会社の社長令嬢だった。

美央のお弁当は豪華で、見たことない食材が使われ、かわいらしく装飾されたものだった。

それに比べれば他の子のお弁当など比較にもならないが、その中でもとりわけ私のお弁当がみすぼらしく見えたのか、

「霞ちゃんのお弁当、変だよ。なんでご飯だけなの?」

とニヤニヤしながら皆に聞こえるように叫んだ。

その声にクラスの皆が私の周りに集まり、私のおにぎりを見て笑った。

「ママが言ってた。霞ちゃんのお家は貧乏だから、ご飯が食べられないって。」

そう言いながら美央は私をみて笑っていた。

仲良くしていた友達が急にそんなことを言ったこと、周りの皆に笑われたこと、おにぎりが恥ずかしくて何も言えなくなったこと全てに混乱して、私はその場で泣いてしまった。

それを聞きつけた当時の担任が状況を理解し、私をその場から連れ出した。

私が泣き止むのを待って、落ち着きを取り戻した頃

「先生と一緒に食べよう。先生、一人じゃたべきれないから。」

そう言って、自分のおかずを私に分けてくれた。

気がついたら、母が握ってくれたおむすびは、私が握りしめたせいで、いびつに変形していたが、ラップの上から先生が握り直してくれたおかげで、何とかたべられた。

その日、うちに帰ってから私は母を詰った。友達に貧乏だと言われたこと、美央ちゃんのお弁当は豪華だったこと、皆に笑われたこと、全部話して母に文句を言った。

母は涙を浮かべながら「ごめんね」と言うばかりだった。

それからだ。学校に行けば貧乏とからかわれ、容姿も悪く老け顔の私に「貧乏おばさん」とあだ名が付き、クラスの皆から馬鹿にされ始めたのは。

もちろん美央とは疎遠になった、まるで今まで仲良くしていたのが嘘のように近寄っても来なくなった。

孤独には当分慣れなかった。何の予兆もなく、急にクラスから孤立した。

悪口は当たり前、靴を隠されたり、教科書に落書きされたり・・・

最初のうちは「やめて」「そんなことない」「どうしてそんなこというの」と反抗したり、相手の子と喧嘩したりしていたが、そんなことで治まる物ではなかった。

そのうちに先生がクラス会を開いてこの問題を皆で話し合う事になった。私に悪口を言っていた子は皆、口々にごめんなさいと私に謝った。

私はこれで普通になると思っていた。

甘かった。

先生にばれたことが余計に反感を買い、さらに今度は静かないじめが始まった。

悪口を直接言わない代わりに、クラス中から無視をされ始め、SNSのグループ内で悪口が書かれるようになった。

最初は無視されていることしか分からなかったが、ある日美央からグループへの誘いが来て、うれしくてそのグループに参加して、始めて認識した。

そこには私の悪口が毎日のように投稿されていて「汚い」「くさい」「貧乏人は学校に来るな」「死ね」というような内容が羅列していた。

投稿した人の中には、私に謝ったはずの子が何人もいた。

なんでそんなこと言われなくちゃいけないのか分からず、でも読むことをやめられず、ただ私の悪口が書き込まれていくそのSNSを読むしか出来なかった。

そして、私は声を出して泣いた。

私はその次の日腹痛を訴えて学校を休んだ。忙しい母の代わりに祖母が来て、私を病院に連れて行った。

もちろん仮病なので、異常が見つかるはずもなく、祖母はあきれたような顔をして私に

「明日は学校に行きなさい。全く。仮病なんか使って恥ずかしい。」

と言い放った。

次の日も次の日も学校へ行きたくない私は頭が痛い、お腹が痛いと駄々をこねて、学校へ行かなかった。

さすがに5日目になると、祖母が怒って家にやってきた。母から私がどうやらいじめられて学校へ行っていないことを聞いたらしい。

部屋のベッドで泣いている私を引き起こして、

「何が気に入らないの!学校に行きなさい。体裁が悪いじゃない。明日から引きずってでも学校へ連れて行くからね。大体、いじめられる側にも問題があるのよ。私の孫がいじめられてるなんて知りたくもない。学校に行かなくちゃ余計にいじめられるとなんで分からないの!」

矢継ぎ早に責め立てられ、味方をしてくれない事に打ちのめされた。

次の日、祖母は本当にやってきて、嫌がる私を無理矢理学校へ連れて行った。

本当に引きずって、校門の中に入れられ先生に私を教室まで運んでくれと言い残して去って行った。

あのときの悔しさ、分かってもらえない辛さ、引きずられたむなしさは今でも忘れない。

それからも、いじめがなくなることはなかった。

誰が書いたかも分からない落書きや消しゴム、鉛筆の紛失は当たり前、陰口になってない悪口や私のあだ名が消えることもなかった。

先生に言えばもっとひどいことになるのではと先生には言えず、かといって母にも心配をかけたくない気持ちと祖母にバレたくない気持ちで、誰にも話さなかった。

その頃から私は寝ることが恐怖になり、

「寝たら死ぬ」という謎の思い込みから睡眠時間が短くなった。そして休みの日には泥のように眠った。

中学も地元の公立という事もあり、顔ぶれもあまり変化しなかった。

人数が増えただけで、一瞬にして私のあだ名や悪口は広まっていく。結果、やはり孤独だった。

物を隠したり、落書きしたりといったことはなくなったが、体育の時間に私と組む人はおらず、昼休憩はいつも一人で隠れて食べる。修学旅行なんて最悪だ。グループ行動が当たり前の自由時間に、私の存在はなく、ただ分けられたグループの後ろをついて行くしか出来ず、写真も殆どが見切れているか写っていない。

いい思い出なんか一つもない。

中でも美央はその先陣を切って、私に嫌がらせすることを楽しんでいるようだった。

いつも悪口や根も葉もない噂を流すのは美央だと言うことは分かっていた。

なぜ仲の良かった美央が変わってしまったのかだけは分からずじまいだったが。

そして、現在まで私の環境は変わることなく、今ここに座っている。

まさか高校まで美央と一緒になるとは思わなかったが。

美央なら他にいくらだって高校を選べたはずなのに。

高校に入ると美央の影響力はさらに大きくなった。

美央は容姿も良く、まさに才色兼備を絵に描いたような少女になり、それを取り巻く2人もやはり顔立ちの整った子達で、学年でもリーダー格の存在だった。2人の取り巻きが出来てから美央は、まるで後宮の皇后のように振る舞った。いい顔をしながら、気に入らなければ、裏で手を回しバレない様にいじめる・・・。

そんな3人の周りにはいつも男女、クラス問わず人が集まっていた。クラスが違っても、目立つ存在の彼女たちの行動は、クラスメイトの口から嫌でも耳に入る。先生達からの評判も良く、まさか私をいじめているなんて思ってもいない。でも品行方正という猫をかぶっていることを、私が一番よく知っている。



1限目、2限目・・・4限目が終わると、昼休憩になった。

今ではお弁当を自分で作れるようになり、冷食を混ぜながらそれなりに普通のお弁当を持ってくるようになった。それでも、教室で弁当箱を開く勇気はやはりなく、いつも図書室の裏で一人、昼食を食べる。

ここは屋根もあって、雨が降っても来られるし、図書室の裏だけあって静かだ。

何より人がこない。まだ誰にも知られていない場所。誰の視線も感じずに、一人になれる場所。やっと見つけた場所だ。

冷たくなったお弁当を黙々とたべる。彩りは単調なお弁当だが、冷食とは言えおいしいし、おかずとして申し分ない。

いつものようにさっさと食べ終わると、鞄から色鉛筆を出して、絵を描きはじめる。

それがいつもの日課だった。

自分の頭に浮かぶ物を自分の色で自由に描き、白いスケッチブックを埋めていく。

それは黒だったり、青だったり、緑だったり、その日の気分と思い描いた物によって毎日違うが、絵を描いている間だけは気持ちが自由だった。

「ガサっ」

突然、いつもは音のしない空間に、急に何かが動く音がした。

音のする方へ視線を向ける。

そこには・・・・

そこには美央と取り巻き2人が立っていた。いつものように、にやついた顔で。

ここは美央達に知られたくない場所だったのに・・・・

「霞、こんなとこでご飯食べてたんだ。いつもこの時間教室いないから、どこに行ったのかと思ってたんだよね。」

「なんで・・・」

「あれ?だめだった?いいじゃん。べつにここ霞の土地じゃないんだし。私達がここに来ても何の問題もなくない?」

この場所を知られたことにショックを受ける。唯一の逃げ場だったのに。

「何描いてんの?」

取り巻きの一人、江森陽菜が私の手からスケッチブックを奪う。

「返して。」

私は手を伸ばして取り返そうとするが、もう一人の取り巻き、吉田莉子がそれを阻む。

「何これ、グロ!霞、こんなの描いてるの?頭、大丈夫?」

スケッチブックを一枚ずつめくりながら、こちらを見て笑っている。

そのスケッチブックを今度は美央が受け取ると、そのまま地面にたたきつけた。

「絵を描く道具を買うお金はあるんだ。良かったね。」

そう言ってスケッチブックを踏みつける。

「やめて。」

土にまみれたスケッチブックを拾おうと手を伸ばす。その手にも容赦なく足が振り下ろされる。

その隙に陽菜が再び拾い上げると、その中の何枚かを引きちぎり、ビリビリに破いてしまった。

私はそれを見ていることしか出来ない。まるで自分を引き裂かれているように胸が痛くなる。

踏まれたままの手を無理矢理引き抜くと、破れた紙を拾いながら、陽菜をにらみつける。

「にらまれても怖くないから。そんなに大事な物だったんだ、ごめんねぇ」

何がおかしいのか分からないが、謝りながらもゲラゲラ笑っているその姿が余計に私を煽った。

怒りで頭が真っ白になる。

ドンっという音に気がついたときには、陽菜を押し転がしていた。

陽菜は地面に尻餅をついた状態で何が起こったのか分からないまま、呆然としている。

美央と莉子が慌てて陽菜をお越しにかかっていた。

「霞!今何したか分かってる?暴力振るったのよ?」

美央が大きな声で叫び声を上げる。私は黙ったまま、残りの紙切れを拾い集めていた。

「聞いてるの!これ先生に言うから。あんたなんて退学になればいい!」

陽菜はスカートのほこりを払いながら、私の背中に向かって吠えている。

私には先生に言われる恐怖より自分の絵を破かれたことの方がよっぽど重要だった。

「ちょっ」

美央が何か言いかけたとき、5時限目の予鈴が校内に鳴り響いた。

「とにかく、先生には言うからね。」

小学生の様な台詞をのこして、3人は去って行った。

私は見える全ての紙切れを拾い集めて、鞄に詰め込む。涙があふれ出る。

人から見れば、だかが絵でしかないが、私には毎日の苦しみや悲しみが詰まった絵だ。

絵に多くのことをぶつけることで、毎日を生きてきた。

それを破かれる気持ちは、どんな痛みよりも耐えがたかった。

もうここには来られない。新しい場所を探さなくてはならない。

踏まれた手は擦り傷になり血がにじんでいた。それをハンカチで押さえながら鞄を持って教室へと急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る