第28話 信念
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銃声が聞こえた。
遠くで父の声が聞こえる。もうーー死んだはずの父の声が。
『クラリス……マリー……、ごめんな』
それがクラリスの父の最期の言葉だった。
直後の銃声、赤い華を散らせながら倒れる父。紅く染まる視界ーー。
その時何が起こったのか、クラリスは未だに理解できていなかった。その事件が起きた十年前、彼女はまだ子供だったし、第四項の天使の力もコントロールなどできていなかった。
ただわかっているのは、父と母が死んだのはーー殺されたのはーー自分の存在のせいだということだけだった。
優しかった父も、太陽のように明るかった母も、クラリスが生まれなければまだ生きていたのかもしれない。……クラリスは未だにそう思うことがある。
この世界の全てがクラリスの敵だった。
クラリスの存在を受け入れてくれるのは、今ではもうマルスとミネルヴァしかいない。
しかし、不安定でも幸せな時間は終わりを告げたのだと思った。
とうとうMSTFに拘束され、捕まってしまった。天使の力も使えない。マルスも捕まった。
……そのはずなのに、彼の存在を感じる。
その鼓動を、その体温を、その匂いを。
だからこんなにも安心できるのだろうか。
彼の存在を近くに感じるだけで、なんの心配もいらないという気分にさせてくれる。
もう大丈夫。
……?
でも、どうして?
そんな疑問とともにようやく意識が形を保ち始め、クラリスは重いまぶたを開く。
すぐ目の前には精悍な彼の顔があった。見慣れたはずのその顔は、酷く険しい表情をしている。
「ううん……」
クラリスは身じろぎして、マルスの視線を追う。
「……え?」
そこには、クラリスの予想だにしない光景が広がっていた。
マルスに対峙していたのはアスカだった。しかし、彼女は腹部を押さえてうずくまっている。その腹部には赤茶けた染みがーー考えるまでもなく、血痕だーーついていて、じわじわと広がっていくのが見える。
アスカからさらに離れたところには、MSTFの兵士たちが集まっていた。彼らが何故あんなところにいるのかはわからないが、一番端にいる兵士が硝煙の立ちのぼるアサルトライフルを手にしていて、すぐ隣で座り込んでいる兵士がその銃口を掴んで無理やり下げさせていた。
ようするに、アスカがMSTFに撃たれたのだ。
そこに思い当たって、クラリスの意識がようやく覚醒する。
「アスカ!」
マルスの胸元から飛び降り、即座に瞳を蒼く輝かせる。
クラリスの力により周囲の重力が弱まり、そのまま逆転。クラリスやアスカの髪がふわりと浮き上がり、周囲の砂や小石が宙に浮いた。
クラリスがキッと兵士たちをにらみつける。
「ひっ……」
怯えて銃を取り落とす兵士。クラリスが力の範囲を広げたことで、その銃もまたふわりと浮き上がって兵士の手からは届かない高さに滞空する。
「よくも、アスカを……!」
クラリスの頭上に蒼い魔法陣が瞬き、極小ブラックホールが召喚される。
極小ブラックホールは浮かび上がった全てのものを吸い込み、時空の特異点の彼方へと消し去ってしまう。
「クラリス。落ち着け」
「なによマルス! あいつらがアスカを撃ったんでしょ?」
「そりゃそーだがよ……」
「ならっ!」
こうして何が悪い、とでも叫びそうな勢いで、クラリスは極小ブラックホールを兵士たちへと叩きつけようとした。
しかし、それを阻んだのは紅い次元光放射を伴うワームホールだった。他でもないアスカの天使の力だ。
「え?」
極小ブラックホールはワームホールを通過し、はるか高空で蒸発する。
クラリスは理解できないという表情で、アスカを見る。
アスカは赤く染まった腹部を押さえたまま、今にも倒れそうな血の気を失った顔で膝をついている。しかしそれでも、瞳を紅く輝かせて巨大なワームホールを展開し、MSTFの兵士たちを守っていた。
「なんで……。だって、そいつらがやったんでしょ……?」
瞳の輝きを消して呆然と問うクラリスに、アスカは薄く笑う。
「それでも……誰も死なせない。そう、決めたのよ」
「どうかしてる」
吐き捨てたマルスに、アスカは顔を上げる。
「そうかもね。でも、そう生きるって決めたのよ。……それは、何がなんでも押し通すわ」
血の気が引いていても、その顔からは覚悟を決めていることがありありと伺えた。
その顔を見返し、マルスははあ、と深く息をつく。
「……本当に、ここまできても引く気はねぇんだな」
「あなたたちが、考えを……改めるまではね」
「そりゃあ……残念なことだ」
マルスは冷たい声でそう言って、目の前のクラリスを下がらせる。
「なら、俺は俺たちの安全のために、俺たちのやり方を押し通させてもらうぜ」
クラリスとは対象的に、蒼い光をたぎらせたマルスはアスカとの距離を詰める。
マルスがアスカを殺す覚悟を決めているのだと察したクラリスは、オロオロしながらも声をかける。
「え、マルス……?」
確かに、アスカは理想ばかりを語って現実を見ていないのかもしれない。けれど、アスカはマルスとミネルヴァ以外で初めて心から信頼できる相手だと思えたのだ。
過去から来たとか、火星の現代の常識を知らないとかはあっても、アスカは天使であることの憂鬱と苦痛を共有できる数少ない仲間なのだとクラリスは思っていたのだ。
だからーー。
「マルス、待ってよ。アスカはーー」
「ーーこのお人好しが居たからこんな事になってんだぞ! これ以上ーー」
『ーーやめて!』
激高するマルスの言葉を、電子音声が遮る。
『やめて、お兄ちゃん』
その聞き慣れた声は、マルスを止めるに十分な力があった。
「……やめてよ。お兄ちゃん」
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