第27話 救出


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 倒れたままの兵士がワームホールを見て体をこわばらせたのに気づきはしたが、アスカは一顧だにせずワームホールに足を踏み入れ、空間を渡る。

 そこはマーズ・エクスプレスの最後尾の車両の中だった。マルスの“大天使ミカエルの剣“による被害を免れた部分だ。

 死なせはしない、と言い切ったものの、すでに手遅れになっている人がいないかどうかが心配ではあった。しかし、もしそうなっていたとしたらアスカには助けようがない。

 いいや、そんなことを考えていたら駄目だ、と自らを叱咤し、車内を見回す。

 横転した車内は、右が床面、左が天井となっていた。最後尾のこの車両は兵士たちの休憩所だったようだ。簡易ベッドとナイトスタンドは作り付けになっているようだが、シーツやマットレスが落ちてそこら中に広がっており、死角が多い。足元には万年筆や写真立てのような個人的な小物や、トランプやチェス、小型のゲーム機らしきものといった娯楽品が散乱していた。

 三メートル向こうは斜めに断ち切られている。その向こうに車両の続きが半分だけ見えていて、もう半分は外がーー火星の赤い岩肌がのぞいている。

「誰かいる? いたら返事をして!」

 とりあえず手近なマットレスやシーツをどかしながら、アスカは声を張り上げる。

「うう……」

 背後からうめき声が聞こえてきて、アスカが振り返る。そこにはマットレスに埋もれた兵士の片手が見えた。

 アスカは駆け寄ると辺りのマットレスを押しのけ、その手を取る。

「いったい、何が……」

 その兵士は最早見慣れたと言ってもいいMSTFの装甲服を着ておらず、着古したシャツと下着だけの姿だった。非番で寝ていたところに事故が起きて巻き込まれたのだろう。

 少しの罪悪感を抱えながらも、アスカは彼を引っ張り上げる。うめき方からすると、いくつか打撲はあるようだが、骨折は無いらしい。地球の三分の一程度の重力に感謝しながら彼を抱えると、アスカは火星の目の前にワームホールを形成して通過する。

 先ほどの兵士の隣に再度現れたアスカは、隣に抱えた兵士を横たえる。

 倒れたままだった兵士はがばと起き上がり、アスカが横たえた下着姿の兵士の肩を揺さぶる。

「ネルソン! 無事だったか!」

「あ? あ、ああ……でも、なにが……?」

 まだ何が起きたか理解できていない下着姿の兵士ーーネルソンという名前らしいーーの無事に安堵して、兵士は改めてアスカを見上げる。

「あんた……本当に、助けてくれたのか……?」

 その視線は、先程よりも少しだけ警戒が薄れているように見えた。

「もちろんよ。あと七人と二人残ってるわ。そうでしょ? ……ほら、動けるなら彼の手当をしてあげて。打撲だけだとは思うけれど、念の為」

「ああ。わ、わかった」

 兵士がうなずいたのを見てアスカは少しだけ微笑むと、立ち上がってマーズ・エクスプレスを見やる。

「ミネルヴァちゃん、聞こえてる?」

『聞こえてますよぅ。アスカさん早すぎです』

 ヘルメット内臓のインカムから聞こえるミネルヴァの声には、感嘆と苦笑が半分ずつ混じっていた。

「マーズ・エクスプレス内をスキャンできる? 生命反応が確認できるなら教えて欲しいんだけれど」

『そーいうと思ってスキャンしてましたよー! 次は最後尾車両の切断された前部分にいます』

「流石ね」

『伊達にお兄ちゃんとクラリスのサポートをしてきたわけじゃないですからねっ!』

「ふふっ。頼もしいわ」

 それからは早かった。

 ミネルヴァのスキャン結果を元に列車内の兵士のすぐ近くにワームホールで転移し、彼らを担いで数歩で元のところへと戻っては兵士を預ける。それを幾度も繰り返すうち、アスカを恐れていたMSTFの兵士たちも徐々に警戒を解き、アスカが天使であっても敵ではないのだと理解してくれたようだった。

 列車の外に放り出されて足を骨折した兵士。

 歪んで扉が開かなくなり、室内に閉じ込められた兵士。

 衝撃に意識を失って倒れていた兵士とその状態は様々だったが、幸いにも死者はいなかった。

 最後の一人は、岩山に斜めに乗り上げた車両の三両目の内部にいた。事故の時に四両目が折り重なり、車体が歪み、ひん曲がった車内で外殻と床の間に腰のあたりが挟まって身動きが取れないでいたのだ。

 アスカはその兵士の二メートル前に転移して駆け寄る。

「今助けるわ。貴方が最後よ。他のみんなは無事だから安心して」

 アスカの瞳は紅く輝いている。意識があったならば、見た瞬間から恐れられるだろうと覚悟していた。兵士に矢継ぎ早に話をすることで、安心させてなだめて助けるために説得する、という段階を後回しにしようというアスカの思惑だった。

 兵士はヘルメットを外していて、アスカの声に視線をこちらへと向ける。

 アスカの姿をとらえ、兵士は少しだけ口端を歪める。

「……あんたか。また、助けてくれるんだな」

「え?」

 すでに彼を救出する算段を立て始めていた思考を一旦ストップし、アスカは彼の顔を覗き込む。

 短く刈り上げた金髪に、エメラルドの瞳。彫りの深いアングロサクソン系の白人だ。

 火星にやってきてから数人としか知り合っていないし、MSTFの兵士ともなればなおさら接点がない。

「どこかで……会ったかしら」

「……覚えてねぇか。まあ……そうだろうな」

 兵士は苦笑する。

「この前……古い基地で交戦したとき、あんたがマルス・シュタイナーから守ってくれたんじゃないか」

「あなた、あの時の……!」

 そう言われて、アスカはようやく思い出した。

 アスカのIDを偽造するためにと訪れたハイヴⅢで、マルス達を追跡してきたMSTFと戦闘になりーー結果として、それはマルスとクラリスによるMSTFの戦車の掃討戦となったわけだがーーアスカはMSTFの兵士を殺そうとしたマルスに割って入った。あの時に殺されそうになっていた兵士が彼だったというのか。

 アスカの背後で天使の気配。

 マルスか、と思う間もなく車両がズシンと揺れた。

「ぐっ……」

 兵士が口を引き結び、それ以上のうめき声をこらえる。が、その顔には脂汗が浮かんでいて、揺れにより彼の状況が悪化したのは手に取るようにわかった。

「ごめんなさい。すぐに助けるわ」

「んな……こと、言っても……」

「喋らないで」

 兵士はおそらく、自分を助けるにはアスカだけではどうにもならないと思っているのだろう。車体を切断できる器具や重機のようなものが無ければ、自分が助かるはずはない、と。

 しかし、アスカは第四項の天使だった。

 しかも、過去類を見ない、同時間軸の別空間にワームホールを接続できる天使だ。

「私が天使だってことを忘れてもらっては困るわ」

 苦しげな顔の彼にアスカは余裕そうに微笑んで見せると、紅い次元光放射と共に車体と兵士の間にワームホールを展開した。

 そうして、車体に挟まれて身動きの取れない兵士をそっと引っ張り出し、事もなげに彼を救出する。

 何が起こったか理解が追いつかず、混乱したままの彼を抱えると、改めてワームホールを展開し、MSTFの仲間たちの近くへと転移する。

「とんでもねぇ力だな」

「……」

 畏怖ではなく、ただ驚いただけだといった声音ではあった。しかし、アスカはその言葉にとっさに身構えてしまう。

 そのアスカの様子に気づいたからなのか、彼は顔を伏せたまま首を横に振る。

「命の恩人だ」

「……やるべきことをやっただけよ」

「カイン」

「え?」

「俺はカイン・スローネンバーグだ」

 満身創痍のまま、それでも強がってか彼は顔を上げてアスカを見上げると、にやりと笑って見せる。

「……アスカよ。アスカ・ヤマサキ」

「覚えとくよ。アスカ」

 その様子でよくそんなことを言っていられるな、と呆れながら、アスカはカインに苦笑した。

「彼で全員で間違いないわね?」

 おそらくは複数の骨折があるであろうカインを他のMSTFの兵士に預けながら尋ねると、兵士たちはうろたえながらアスカにうなずき返してくる。

「ああ……我々は、これで全員が助かった」

「何と礼を言えばいいか……」

「いいのよ」

 彼らにバレないように、アスカは内心で苦笑いをする。

 マルスとクラリスを救うためとはいえ、この事故はそもそもアスカとミネルヴァの二人で引き起こしたことだ。岩山に激突する事故に関しては、アスカたちのミスによるものと言ってもいい。それで感謝されるというマッチポンプで喜ぶような愚かな人間には、さすがのアスカもなりたくはない。

「さて、あとはーー」

 つぶやくと同時に、背後の事故現場で再度の天使の気配を感じる。

 振り返ると、蒼い次元光放射とともに“大天使ミカエルの剣“が一閃。マーズ・エクスプレスの車両が両断されて岩肌を転がり落ちていく。

「ーーマルスたちだけね」

 不安そうにざわざわと騒ぎ始めた兵士たちから十数メートルほど距離をとり、アスカはマルスの様子を伺う。

 アスカの視線の先で、マルスがクラリスを胸元に抱えて車両から飛び降りるのが見えた。向こうからもこちらが見えているのだろう。マルスは迷うことなくアスカの方へと歩いてくる。

 近づくにつれて、アスカにも二人の様子がはっきりしてくる。クラリスはぐったりとしているが、胸元が浅く上下しているように見えた。彼女も無事のようだ。

 とはいえ、彼女を抱えたマルスは、蒼く輝かせた瞳に特大の怒りをたたえている。

 全員が無事なのは確認できた。けれど……ここからが正念場ね、とアスカは思った。

 彼は瞳を蒼く輝かせたまま、警戒を解くことなくアスカのところへとやってくる。

「……アスカ。俺の忠告を無視しやがって」

「止められるものなら止めてみなさいって言ったでしょ? 私、やらなければならないと思ったことは、押し通すことにしたのよ」

 アスカの言葉に、マルスのこめかみに青筋が浮き、瞳から発せられる蒼い次元光放射もその輝きを増した。

「へえ。恵まれた生活して地獄を知らねぇヤツぁ言うことがちげーな。理想論ばっかり振り回して楽しいか?」

 怒気とともに刺々しい言葉を吐くマルス。

 自分の言葉がマルスを怒らせることはわかっていた。だが、言わずにはいられなかった。

 火星でタイムスリップに巻き込まれてマルスとクラリスとミネルヴァに出会うまで、アスカは周りに流されるまま無為に過ごしてきた。……まあ、無為と言い切るには大きなキャリアではあったかもしれないが、アスカはそこに価値を見出すことがついぞ出来なかった。

 初めてだったのだ。

 自らを投げ売ってまで誰かのために何かをしようと思ったことが。

 危険を承知の上で、それでも彼らを救う意義があると思ったことが。

 自分がこんなにも幸せを望んでやまない存在と出会ったことが。

 だからアスカは、マルスのために、クラリスのために、ミネルヴァのために命をかけることにしたのだ。マルスの信念と相容れないとわかっていたし、こうして対立することになるだろうと予測していた上で、あえて。

 だがアスカは、そこまでは口にはしなかった。

 言葉でお互いの信念をぶつけ合う段階はすでに過ぎている。いくら言葉を尽くしたところで、アスカの信念は最早マルスには伝わらない。

 アスカがマルスを納得させるーーマルスに有無を言わせないようにするーーには、自らの信念を体現することしか残されていなかった。

 そしてこれが、その第一歩だった。

「その理想論を実現すれば、貴方も認めざるを得なくなるでしょう?」

 マルスが鼻で笑い、MSTFの兵士たちをあごでしゃくる。

「ハッ。そんなことのためにあのクズどもを助けたってのか?」

「当たり前よ。誰も死なせるわけにはいかないもの」

「馬鹿言うなよ。そもそもこの事故自体、あんたが引き起こしたクセによ」

「彼らと貴方たちと、両方を助けるためよ。まあ……ここまでの事故になってしまったのは、確かに私たちの判断ミスがあったのは認めるけれど」

 アスカの「私たち」という言葉にマルスは一瞬眉根を上げたが、追求はしてこなかった。

「そうか。……そこまで言うんなら容赦するこたねーな」

 そう言ってマルスの手元で小さな蒼い魔法陣が瞬く。

 アスカはすぐさま瞳を紅く輝かせ、真紅の視界からマルスを見る。

「カイン・スローネンバーグ。あいつはまだいい。けど、他の奴らは別だ」

 マルスの手元から長大な力場が伸びる。陽子や中性子を構成するアップクォークとダウンクォーク同士を繋げているグルーオンによる場を消失させる、第三項の天使だけが扱える力場だ。

 それに触れた物体は、物体を構成する分子を構成する原子を構成する陽子と中性子の内部のグルーオンによる場が失われる。結果、物質はアップクォークとダウンクォークのみとなり散乱する。

 マルスの“大天使ミカエルの剣“は、そういう意味では厳密には切断というより分離と言った方が正しい。それが量子規模の現象のため、人間の目には切断にしか見えないというだけだった。

 しかし、その仕組みゆえマルスの“大天使ミカエルの剣“は防御できない。どんなに固くても、原子で構成された物質である以上は分離を免れるすべがないからだ。

 マルスがMSTFの兵士のたちへ向けてその力場を振りかざす。

 アスカは瞳の紅い光を強め、マルスの蒼い光に干渉しようとする……が、まるで次元が違うかのように手応えがない。

 アスカは瞬時に思考を切り替え、兵士たちとマルスの間に巨大な紅い魔法陣を展開。ワームホールを通過した“大天使ミカエルの剣“は、MSTFの兵士たちではなく、マルスの背後にあるマーズ・エクスプレスの残骸が転がる岩山を切り裂いた。

 予測していたのだろう。マルスはどこか無感動な表情で、冷たい視線をアスカへと向ける。

「……また、邪魔すんのか」

「また、無意味な殺しをするの?」

 アスカが質問で返すと、マルスは鼻で笑う。

「無意味? んなわけねーだろ。ここでこいつ等を殺しとかなきゃ、追跡はいつまで経っても止みゃしねーんだ」

 ワームホールを閉じるが、油断はできない。瞳を紅く輝かせたまま、アスカはマルスの一挙手一投足に注意を配る。マルスの放つ蒼い次元光放射が揺らめいた瞬間にはワームホールを展開しなければならない。

「そうやって罪を重ねれば重ねるほど、追跡はより激しくなっていくのよ」

「バレなきゃ平気だ」

「そんなことないわ。あなたに仲間を殺された復讐者が増えていくだけよ」

「だからなんだ。言ったろ、俺たちの家族を殺したのは、こいつらが先だってな」

「だからって殺していいことになんてならないわ。あなたに必要なのは許しであって、虐殺なんかじゃない」

 アスカの言葉にマルスはうつむいて深くため息をつく。

 納得してアスカの主張を受け入れたわけではないことは明らかだった。

「……相変わらず、俺たちの話は平行線だな」

「……」

 その言葉は、会話ではどちらも引かないことをはっきり示していた。

 マルスは「俺たちの話は平行線だ」から、これ以上は話をしても無駄だ、と言っているのだから。

 アスカはギリ、と歯を食いしばる。

 どうすればいい?

 マルスとクラリスをMSTFによる拘束から解くことはできたものの、このままではMSTFの兵士たちが当のマルスに殺されてしまう。彼を説得するにも、アスカの言葉はどこまで言っても彼には届かない。

 カギとなるのは、まだここまでたどり着いていないミネルヴァか、マルスの抱えるクラリスかーー。

「ーーおい! やめろ!」

 アスカの背後で兵士の声。

 その緊迫した声音に、マルスから目を離してはならないとわかっていたはずなのに振り返ってしまった。

 タタタ、と軽い発砲音が響く。

 アスカはマルスに、マルスはアスカに意識を向けていて、どちらもとっさに応対出来なかった。

「うあ、ああ……」

「くそっ! 銃を降ろせ!」

 兵士のうちの一人が、こちらに銃を向けていた。距離が離れていても、ヘルメットで顔が隠れていても、その兵士が恐怖に怯えているのがわかる。

 カタカタと震える銃口から、硝煙が昇っていた。

 隣で座り込んでいる兵士がーーアスカが最後に助けた兵士だ。確かカインと言っていた。脚の怪我で立てないのだろうーー手を伸ばして銃口を下げさせる。

 ーーしかし、手遅れだった。

 アスカが自身の手元を見下ろすと、着ているジャケットに穴が開いていた。

 思わず押さえると、手のひらが赤く染まる。

「え?」

 急に立っていられなくなり、アスカはその場でがくりと膝をついた。


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