第17話 告白
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「ここでメシを食うと、アルテミスで食うメシが如何に味気ないかを実感するよな」
「……悪かったわね。私の料理が下手で」
「そーじゃねーって。アルテミスじゃ使わない食材とアルテミスにはない設備、そしてプロの技があるといつもより豪華なもん食えるよなって話だよ」
「私が下手なのは知ってるもん」
「だから違うって」
アルテミスがロサンゼルスドームに到着して三日。アレックスとコーヘイのダイナーの一角で、丸テーブルを挟んだマルスとクラリスが口論をしていた。
マルスはホットドッグを、クラリスはサンドイッチを食べているようだ。食べかけのそれらの間に小さなミネルヴァが現れ、両手を腰に当てて嘆息する。
『お兄ちゃん。素直に謝ったほうがいいよ』
「いや、だからさ……。だいたい、それを言ったらアルテミスでメシ作ってんのは俺の方が多いだろ」
「私が料理下手だもんね。迷惑かけてるのはわかってるよ」
「だからそーゆーことじゃなくて。お前は全然わかってねーよ……」
拗ねるクラリスに、マルスが空を仰いだ。
朝には遅く、昼には早い時間だった。そのせいか、ダイナーに他の客はいない。カウンターの内側では、コーヘイがつまらなさそうな顔でホロムービーを眺めている。ホロムービーは店内中央で流れていて、テンガロンハットを被った保安官が、時代遅れの回転弾倉式の小型拳銃で無法者との一騎打ちをやり終えたところだった。
赤い荒野で向かい合う二人のうち、無法者らしき男が力を失いその場にくずおれる。対する保安官は、構えた小型拳銃をくるくると回しながら腰のホルスターに収める。その二人の向こうの遠景にはどこかのドームが映っていた。
それは何十年か昔に流行った“マーズ・ウエスタン”のホロムービーだ。大昔に存在したマカロニ・ウエスタンのリバイバルなのだが、火星を舞台とすると流石に荒唐無稽に過ぎ、数年ですぐに廃れてしまったジャンルのホロムービーだった。アウトローを取り締まるのがなぜMSTFではなく“保安官”という聞いたこともない謎の役職の人物なのかわからなかったし、説明してくれる親切な登場人物はいなかった。ついでに言えば、ここにいる誰一人としてその“ウエスタン”がどこの“西部”を意味しているのかも知らない。
そんなホロムービーの更に向こうで、入口のドアがカラン、と音を立てる。マルスとクラリスが視線を向けると、ダイナーにアスカが入ってきた音だった。
『あ、アスカさんだ。おはよー』
「遅いお目覚めだな」
「……」
クラリスだけはまだふて腐れているのか、頬を膨らませたままむすっとしている。
カウンターのコーヘイも片手を上げてアスカに声をかける。
「いらっしゃい。何か食べる?」
「いえ、その……。……じゃあ、アイスティーを貰えるかしら」
「あれ。食べなくていいの? 朝ご飯まだじゃないの?」
「今はちょっと……食欲がなくて」
言い淀んだアスカに、コーヘイは深くは追求せずにうなずくと、グラスに氷を入れて注文の品を用意する。
丸テーブルを三人で囲むように座り直したところで、コーヘイがアイスティーのグラスを運んでくる。
「どうぞ。シロップとミルクはテーブルの中央にあるから」
「ありがとう」
「どういたしまして」
コーヘイがカウンターに戻るのを見届けて、アスカはアイスティーをストレートのまま口をつける。
「……」
アイスティーを口の中で転がして、アスカは不思議そうな顔でグラスを眺める。
その仕草に、コーヒーを飲んだ時みたいだな、とマルスは思った。アスカがまた「これがアイスティー?」と口に出そうとしたのをなんとかこらえたようにマルスの目に映っていたのだ。
「……」
それでもアスカは何も言わないままアイスティーを飲み、ふう、と息をつく。
『アスカさん。どうかしたの?』
「ああ、えっと、その……」
ミネルヴァの問いにあいまいな言葉を漏らすアスカ。
その明らかに何かをためらっている様子に、ミネルヴァとクラリスが顔を見合わせる。
「その……話をしておこうと……思って」
ややあってアスカはそう言うが、まだ決心がついていないようにも見える。
「話?」
「ええ」
クラリスの問いかけに、アスカはうなずく。
「私が……どこから、来たのか」
「!」
『!』
アスカの言葉にクラリスとミネルヴァが目を見開く。
マルスは片眉を上げただけだった。
「でも……いったいどこから説明したらいいのか」
ためらうというよりは途方に暮れた様子で、アスカはアイスティーを口にする。
それからまたしばらく考えて、ようやく口を開いた。
「あなた達から聞いた話から総合すると……私は数百年前からこの時代にタイムスリップしてきたみたい、なの」
「え?」
『ちょっとちょっと、どういうことなのアスカさん!』
アスカの言葉に面食らう二人。ミネルヴァにいたってはその場で飛び上がって宙返りをしてから黒髪を逆立たせた。ホログラフィックだからこそできる、カートゥーンのような芸当である。
『タイムスリップってどうやって? しかも数百年なんて、どうして知ったの? あれ? ってことはアスカさんは火星のテラフォーミング以前の人ってこと? じゃあどうやって火星までやってきたの?』
怒涛の質問の嵐に、アスカだけでなくクラリスも驚いて目を丸くした。
「……ミネルヴァ。落ち着け」
『でも!』
「とりあえず落ち着けよ。まずはアスカの話をひと通り聞いて、それから質問をしてくれ。じゃねーとアスカも困るだろ」
『それはそうだけど……むぅ』
たしなめるマルスにミネルヴァは渋々口をつぐむが、不服そうに頬をふくらませる。聞きたいこと、知りたいことが多すぎるのだろう。
「ええと……それじゃ、私達に教えてくれる? アスカさんに何があったのか」
「そ、そうね」
ミネルヴァが静かになったところでかけられたクラリスの言葉に、アスカがハッとして姿勢を正す。
「私がいた時代は二十二世紀の前半で……環境破壊や人口増加なんかが問題にはなっていたし、地域によっては紛争もあったけれど、貴方達が言うような地球規模の最終戦争――〈崩壊〉と言っていたかしらね――はまだ起きていなかったわ」
「二十二世紀……。火星は――」
クラリスがそう言いながらミネルヴァを見る。彼女はクラリスの聞きたいことがわかっていたようで、即座に言葉を継いだ。
『――テラフォーミングよりもずっと前の時代だよ。人間が住める環境じゃない』
「そう。その通りだったわ。私は……火星への初めての有人探査のクルーだったのよ」
アスカの言葉に、三人が一様に目を丸くする。
「私、これでも物理学者だったのよ。天使でもあったから、多次元素粒子物理学を専門にしていたんだけど……そんなのよくわからないわよね。とにかく、自分の仕事の一環で火星有人探査に立候補したら、色んな訓練の結果本当に採用されちゃって……それで、火星にやってきたの」
『じゃあ……アスカさんって、初めて火星にやってきた人類ってこと?』
ミネルヴァの質問に、アスカは苦笑しながらもうなずく。
「厳密に言うなら四人目になるけど……プロジェクトチームとしては、その通りね」
『わーお。ご先祖様だ』
「ミネルヴァ。その言い方は無いでしょ……」
クラリスが呆れた声を上げた。
『でもー』
「ふふ。まあ、あながち間違ってないのかもね。私たちは地球から半年かけて火星にやってきて……当時は地表に降り立つだけでも一大ミッションだったわ。その頃はまだ、火星のテラフォーミングなんて『将来的にそれを実行して、人類が移住できるようになれたらいいね』っていう想定以上のものでしかなくて……。まずは火星に自分たちの基地を設置して、周囲の地質調査だったり、地形探査だったり……手付かずの惑星を前に、何もかもがやるべきことっていう状態だったのよ。自分達がこの星で生き残ることも含めてね」
「すごい仕事だったんだね」
感心するクラリスに、アスカは微笑みを返す。些細なミスが死に直結する緊張感がどれほど伝わるのだろうか……いや、それは今の彼らの生活ともそう変わらないかもしれない、などと考えながら。
「火星にやってきて、私達の拠点として初めて設置したのが……あのHIVEⅢだったわ」
「え!」
『あの、ザ・レッドの基地だったところ?』
「そう。破壊されてしまったけどね」
「……」
『……』
アスカの言葉に、クラリスもミネルヴァもMSTFとの戦闘を思い出したのか、二の句を継がなかった。
「五年で地球に帰還するミッションだったわ。だけど、火星にあるはずのない遺跡が見つかって、その調査に出ることになって……気付いたら、貴方達の前に現れたっていう状況だったのよ」
『ほえぇ。だから与圧服なんて着てたんだね』
「今の火星について何も知らないのも、仕方ないよねって感じ。だってアスカからしたら……未来の話なんだもんね」
『なら知ってるわけないもんね。あ! それじゃ、アスカさんからしたらあたしたちは未来人ってことだ』
感心して口々に言い合うミネルヴァとクラリスに、アスカの方がきょとんとしてしまう。
「信じて……くれるの?」
「疑われてーのかよ」
マルスが呆れた声を上げた。
「そういうわけじゃ……でも、こんな話――タイムスリップなんて話よ――自分で話してても冗談を言っているようにしか感じられないわ」
手のひらを額に当てて、呆然とするアスカ。
そんなアスカに、クラリスが微笑んで見せる。
「まあ、確かに突飛な話だし、不思議だなって思うよ。でも……なんでかな。なんとなく納得できる。出会ってからまだそんなに経っていないけど、アスカが嘘ついてるようには見えないよ」
クラリスの言葉に、ミネルヴァが片手を上げてぴょこんと跳ねる。
『あたしもあたしも! アスカさんはいい人だもん』
「実際のところ、アスカが俺達にとっての敵――MSTFしかねーわけだが――だとして、何かしらの嘘をついて俺達の信頼を得ようとするなら、そんな突拍子もない話をするのはバカげてるよな。もっとマシな話をするハズだ」
そう言ってマルスは嘆息する。
「まあ……未来から過去へのタイムスリップはともかく、過去から未来へのタイムスリップは、別に難しい話じゃねーと思うけど」
マルスの事もなげな言葉に、ミネルヴァとクラリスがびっくりする。
『何言ってんのお兄ちゃん。そんなわけ――』
「――いえ、マルスの言う通りよ。理屈としては、未来への片道切符のタイムスリップなら、それほど難しい話じゃない」
「え?」
マルスの話を肯定したのは、意外にもアスカ自身だった。
「冷凍睡眠とかコールドスリープとかいうやつ。極低温で人体を冬眠状態にさせれば、本人が歳をとらないまま長期間経過させることが可能だわ。……数世紀もの期間をかけた場合に正常に覚醒できるのかどうかはわからないけれど」
「それはそうかもしれないけどな。ただ、不可能ではない。未来へタイムスリップする技術としてはそれで十分だろ」
『だけどお兄ちゃん』
「そこで、さっきの話が気になってるんだが……アスカのいた時代に遺跡があったって言ったな?」
「ええ……そうよ」
「アスカ達以外にまだ誰もいないはずの火星で、“遺跡”が? それが本当なら、色々と話が変わってくる」
「そう。……そんなことがあるわけなかったはずなのよ。生命のいないはずの火星に人工的な遺跡なんて……。でも、自分の身に起きたことが事実だとしたら……その遺跡もそんなにありえない話ではないのかもしれない」
「タイムスリップなんてものが現実に存在しうるなら、存在し得ないはずの遺跡もあり得るってわけか」
「ん? なんでそうなるの?」
疑問符を浮かべるクラリスの手前で、ミネルヴァの頭上に「!」と文字が浮かんだ。
『あ、そっか。タイムスリップが現実にあり得る現象たったなら、未来から過去にタイムスリップした誰かが作ったと考えたら矛盾なんかしないし、大した問題にはならないのかもってことか』
「ああ……そーゆーことね」
ミネルヴァの説明に、クラリスはやっと理解した子でうなずく。
「実際、天使の力の研究過程でタイムスリップ実験も行われていて、成功した人がいたのよ。私のいた時代にはね」
『ええっ!』
「うそ……」
「……本当なのか」
「まあ、それもあくまで過去から未来へのタイムスリップだったんだけど」
三者三様に驚く皆に、アスカは過去を思い出すように虚空を見上げた。
「でも……あれからどれくらいの時間が経過しているのかちゃんとわかってるわけじゃないけど、この時代の火星にこれだけの文明が成立しているなら、何処かの未来人が過去にやってきて、あの場所に遺跡を作ったとしてもおかしくはないのかもしれない。あり得ないと思っていたけれど……こうして考えてみると、あり得ないという考え自体があり得ないのかもしれないわね」
そこまで話してから、アスカは手元のアイスティーを飲み干してうつむく。
ふう、と息をついたところで、マルスが続きをうながす。
「それで?」
「……正直に言って、どうしたらいいのかは私にもわからないのよ。その遺跡……この時代にも残されているのなら、一度行ってみたいとは思うの。でも、その遺跡に行ってどうしたいのか……元の時代に戻れるかどうかもわからないし、そもそも元の時代に戻りたいのかどうかさえ、私にはわかっていないままで――」
「――じゃあ、試しに行ってみようよ」
クラリスはなんてことなさそうに告げた。
アスカは思わず顔を上げる。
「……え?」
笑顔のクラリスの手前で、小さなミネルヴァがうんうんとうなずいていた。
「で、でも……。いいの?」
「アスカは友達だから。だよね?」
屈託なく笑うクラリスにミネルヴァも同意する。
『もっちろん!』
「アスカ……って、あわわ! どうしたの?」
「え?」
アスカを見て急に慌てだすクラリスに、アスカ自身は疑問符を浮かべる。クラリスの視線に恐る恐る頬を触れてみると、そこにはしっとりとした涙の跡があった。
「ご、ごめんなさい。私ったら……」
アスカが慌てて涙を拭うのを横目に、マルスはなにかを諦めたようにため息をつく。その様子にアスカもクラリスも気付かなかった。
そして、アスカが落ち着くのを待って問いかける。
「それで……その遺跡とやらはどこにあるんだ?」
「……シドニア平原に」
アスカはためらいがちに、その地名を口にした。
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