第16話 血筋


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「血筋、なのかな……」

 窓の外を見ながら、アスカはぼんやりとひとりごちた。

 アスカがいるのは、アレックスとコーヘイのダイナーの向かいにある、三階建ての邸宅だった。マルスとクラリスがロサンゼルスドームに来た時は、この邸宅を借りているらしい。話しぶりからして無人の建物を勝手に使っている、という感じだったが、誰かに咎められることもないくらいにはこの辺り一帯は閑散としている。

 アスカも二人にそのままついてきて、適当な一室を間借りしたというわけだった。

 この邸宅は高い吹き抜け天井のリビングやダイニングに、個室も十を超えるくらいある大邸宅だった。広い庭には備え付けのプールまである。

 とはいえ、建物自体はかなり古いみたいだったし、室内に家具の類いはほとんど残されていなかった。建物に不釣り合いな簡素な椅子とテーブルがあったものの、それはマルスたちがどこからか見つけてきて持ってきたものらしい。

 アルテミスから荷物を降ろし終え、この住宅内に溜まりに溜まったホコリを掃除し終えた頃にはもう夜になっていた。

 アスカは二人が使っている部屋からは少し離れたところの、ダイナーが見える窓のある小部屋を選び、しばらく外を眺めて考えにふけっていた。

 窓から見えるホログラフィックライトによるダイナーの看板には、椰子の木と砂浜、それから「DINNER」の文字が浮かんでいるのだが、夜にまばゆく輝くその看板には、文字の上でトロピカルジュースを飲みながら寝転がる水着姿のミネルヴァが追加されていた。

 アスカは思わず微笑んで、ミネルヴァは相変わらずホログラフィックライトの使い方が上手だな、と感心する。あそこの映像に干渉しているのも、彼女のハッキング技術の賜物だろう。

 これまで、アスカは血筋なんていう根拠のないものなど信じてはいなかった。

 ヒューストンの「血は争えない」なんていうジョークも、単なる偶然を信じたがる人間の悪いクセだと思っていたのだ。

 しかし、母はそのおぞましい目的のために時を飛ぶことをためらわなかった。そして、そんな母を追い、再会するために父もまた時を飛び……公衆の面前で姿を消した。

 そして自分自身もこの有様だ。

 本当に、血筋などというものが影響しているのかもしれない。

 タイムスリップなどという超常現象を家族全員が体験するなんて、どれほどあり得ない確率なのかわからない。

 とはいえ、母は時を飛ぶ方法を心得ていたようだが、それを自分に教えてはくれなかった。

 ほとんど巻き込まれるようにして時を飛んだ父が知っているはずもない。

 なので、アスカもまた元の時代に戻る術など知らなかった。母が自分にその方法を教えてくれていれば、こんなことに巻き込まれてもすぐに戻れたかもしれないのに、と今更ながら考えてしまう。

 それが考えても仕方のないことだとわかっていても、そんなくだらない考えを振り払えない。

 父の別れ際の言葉を思い出す。

『私たちのようにはなるな』

『普通に生きて、普通に恋愛をして、人生の伴侶を見つけ、幸せになれ』

『こんなことになるのは私たちだけで十分だ』

 壇上に開かれたシュタイナー教授のワームホールを背に、自分を見下ろす父の姿。それ以降、父の姿を見た者は誰もいない。

 アスカが父に自分が娘であることを告げてから、父がいなくなってしまうまで、ほんの数ヶ月程度の期間しか無かった。父がアスカに対して、父親として接することは結局最後までできなかったが、それも仕方のないことだろう。自分に対してはともかく、不器用でも一途に母を想う父を嫌いにはなれなかった。

 そんな父に似たのだろうか、それともやはり血筋だからなのか、とアスカは自問する。

 時を飛んでしまったのも、父の望むような普通の生き方ができなかったのも。

 実際のところ、帰らなければならないという使命感らしきものはある。だが、それが本当に自分のやりたいことかというと、そうでもない。帰らなければならない感じているのは、そうしなければ同じ火星探索部隊の皆に余計な仕事を増やしてしまうという思いがあるからであり……そこにアスカ自身の望みなどかけらもない。

 暗い室内には、アルテミスから借りてきた寝袋しかない。ベッドが恋しいのは確かだが、そんなわがままを言える立場でもない。足を伸ばして寝られるというだけでもありがたい。

 アスカは窓から離れ、寝袋に入る。

 が、まとまらない考えが頭の中でぐるぐると渦を巻き、なかなか寝付けなかった。

 自分が本当にやりたかったこととはいったいなんだろう。

 考えても、アスカには答えが見つからなかった。

 母のもとを離れた時、確かに思ったはずだ。これからは、好きなことが好きなようにできる、と。だというのに、気づけば結局母と同じ物理学の研究者としての道を歩み――それは結果として父との出会いにつながったこともあり、一概に悪かったとも言えないが――父がいなくなったあとは、周囲の皆の推薦に流されるまま火星探索なんていう突飛なものに手を出してしまい、まかり間違ってメンバーに選ばれてしまった。

 それは確かに有意義な経験だと言えるし、自分にしかできないことの一つだと胸を張れるくらいの自負はある。しかし、それが本心からやりたかったことかと聞かれると……そうではなかったと思ってしまう。

 こうして思い返してみれば、自分がどうしてもやりたくて始めたことなどほとんど無かったのだと思い知らされる。

 今のアスカに何か強い意志があるとすれば、それはせいぜい、母の求めているものが認められない、というくらいだろうか。だがそれも、マルスがMSTFの兵士を殺そうとしたその時になって反射的に助け、言い放ってしまったことだ。アスカ自身、あの瞬間になるまで自分があれほど激昂してしまうとは思いもよらなかった。

 しかし……母の生き方を否定するとは、一体どういうことだろう。人を殺さないこと。殺させないこと……。それだけではないはずだ。それだけではない何かがきっとある。それを自分は見つけ出さなければならない。

 だが、一体どうすれば……自分が母とは違う生き方ができていると実感できるだろう。


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