第10話 焦燥


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「ーーっ!」

 衝撃と同時にホロライトが明滅し、ミネルヴァの姿がかき消える。

 アスカは続けようとした言葉を飲み込み、他の面々と同じように頭上を見上げた。

 振動は大きいものが一度だけで、パラパラと室内のホコリが舞う。

「……」

「……」

 全員が先程までのやり取りなど忘れて、何が起きたのかと身構えていた。

『ワーニング。ワーニング。格納モジュールにて車両用ハッチに損傷が発生。気密性保持のため、格納モジュールを隔離します。格納モジュールの作業員は、直ちに退避してください。これは訓練ではありません。十秒後に閉鎖を開始します。格納モジュールに残された作業員の生命は保証できません。リピート。ワーニング。ワーニングーー』

 急にモジュール内のアナウンスががなり立て、天井の照明が赤く点滅する。

 マルスが怪訝そうな表情を浮かべる。

「気密性保持のため隔離……?」

「テラフォーミング以前からある基地だから……。まだちゃんと動いているのね」

 涙の跡をぬぐうものの、まだ瞳を赤く腫らしたままのアスカがぽつりとこぼす。

「格納モジュール……ミネルヴァとアルテミスが!」

 クラリスの言葉に、マルスとアスカもハッとして、三人であわてて格納モジュールへと走り出す。

「ミネルヴァ! 無事か!」

 通路を走りながらマルスが叫ぶが、ミネルヴァからの返事は無い。

 通路の先、格納モジュールの手前までやってくるが、まだ繰り返し響くアナウンスの通り、隔離されて扉は開かなかった。

「くそっ」

 真っ先にたどり着いたマルスが扉を叩くが、それでも扉は反応しない。

「格納モジュールの気圧は?」

 アスカの問いに、警告アナウンスが一時停止する。

『作業員は、直ちに避難してーー格納モジュール内の気圧は〇.七一〇四気圧になります』

「人体に影響はないわね?」

『ネガティブ。標高三千メートルと同様の気圧のため、急激な気圧の変化は高山病をもたらす可能性があります』

「言い方を変えるわ。致死性のある気圧ではないわね?」

『アファーマティブ。人体の生命活動が直ちに停止するほどではありません』

「なら、この扉を開放して」

『ネガティブ。安全プロトコル第七六項に基づき、格納モジュールの隔離の終了には、格納モジュールの修繕完了が必須となります』

「管理者コードHIVEⅢUN二一二八四四六五八七八一。アスカ・ヤマサキにより安全プロトコル第七六項をオーバーライド。隔壁を開放して」

『安全プロトコル第七六項をオーバーライド。……しかし、安全プロトコル第七六項を無効とした場合、安全プロトコル第八項が懸念されます。安全プロトコル第八項はーー』

「ーーハイヴⅢ全体の気圧低下を懸念しているなら、隔離範囲をこの通路まで広げなさい。そうすればこの通路と格納モジュールの間の扉は問題ではなくなるわ」

 基地のアナウンスと口論を繰り広げるアスカを、マルスとクラリスの二人がぽかんと見つめる。二人の視線にアスカは気づかないままだった。

『アファーマティブ。隔離エリアを格納モジュールとC2ブリッジまで拡大します。C2ブリッジと実験モジュール間の隔壁を閉鎖します』

 アスカは小さくうなずく。

「格納モジュールとの扉を開放して」

『アファーマティブ。気圧の低下にご注意ください』

「二人とも。気をつけて」

 アスカの言葉に、マルスとクラリスはうなずいた。

 と同時に通路の扉が開く。その扉はいつもよりやや重そうに開くと、隙間から空気が抜けていき、通路内に突風が吹いた。気圧の低下により気温もまた低下し、三人とも急な肌寒さに身を震わせる。

 それでもマルスは扉が開ききるのを待たず、真っ先に駆け出していく。その後を追い、クラリスとアスカが続いた。

「ミネルヴァ!」

 格納モジュールの様子は、先ほど入ってきたときとあまり変わらないように見えた。強いて言えば、気圧の低下により、格納モジュール内も肌寒く感じるくらいか。

 アナウンスの言う通りに、モジュール内に損傷があるようにはアスカにはとても見えなかった。

『……お兄ちゃん。あたしは、大丈夫』

 アルテミスの外部スピーカーで、ミネルヴァが控えめに告げる。

『ただ、基地が緊急閉鎖モードになったから、周りの機器に干渉できなくなっちゃって』

「そうか……。それだけならよかった」

「ハッチが損傷したって言ってたのよね? ハッチを開くことはできないのかしら」

「アスカ、止めとけ」

「え?」

 マルスはまたアナウンスに指示をしようとするアスカを制止し、巨大なハッチの端の方を指差した。

 その先は、目立つようなものではないが、よく見れば確かに入口のハッチが歪んでいた。外壁とハッチの間に隙間が空いているようには見えないが、それでもどこかに細かな隙間が生まれ、気密性が失われてしまったのだろう。

 その歪みは、アスカ達がやってきたときには明らかに存在しなかったものだ。

「あれが? でもーー」

「あれは外側からの攻撃で凹んでいる。それに、あの衝撃。おそらく砲撃によるものだ。ハッチが動いたとして、あれを開くのは敵に自分たちの居場所をさらす行為だ」

「……」

 マルスの分析を聞いて、アスカはそのハッチを観察してみる。

 確かに外側からの凹みには見えるが、だからといって敵だと断定するのは早計に思えた。

 が、しかし。

『施設管理者に告げる。大量殺人や連邦施設損壊等、多数の罪による指名手配犯であるマルス・シュタイナー及び、クラリス・アンジェリカ・ヴァイセンホープの両名を即刻我々MSTFに引き渡せ。彼らがここに潜んでいることはわかっている。先ほどのは警告だ。我々はこの施設を焼き払う用意ができている。二人の引き渡しを拒否するのであれば……どうなるかわかるな?』

 急に外から響く音声に、マルスはほらな? と言いたげな顔をする。

「……この前の偵察機共との接触でバレたか」

「でも、偽装はちゃんとしたよ。ミネルヴァと二人でミスがないか確認したもん」

 クラリスの言葉に、マルスもうなずく。

「それは俺も知ってる。だけど、他に心当たりがねーんだよな」

「それは……そうだけど」

 否定できず、クラリスが口をつぐむ。

「しかし……出ていって捕まれば処刑されるだろう。出ていかなくても殺されるが、ザ・レッドのこの基地も灰燼に帰す。なんとか逃げられたところで、IDチップの偽装が間に合わねーだろ」

 マルスの懸念に、目の前にザ・レッドが姿を現す。

『ーー心配する必要はないよ。クラリス君にIDチップの代替品は渡してあるし、認識用アプリケーションもミネルヴァ君経由でアルテミスにダウンロード済みだ。君たちがロスに着く頃には、偽装IDを火星連邦のデータベースに登録しておこう。IDに関しては心配しなくていい』

「そうは言うけどよ。俺たちがここから逃げ出すってことは、MSTFと戦うってことだぜ。そうしたらこの基地はーー」

 ザ・レッドは分かっているさ、と言いたげに首を横に振る。

『なあに。このハイヴⅢを失ったとしても、私にはそこまで大きな痛手ではないよ。君たちも捕まるわけにはいくまい』

「それはそうだが、これは……ずいぶん大きな貸しになるな」

『そうでなければマルス君が納得できないのであれば、貸しということにしておこうか。いつか返してもらわなければね』

 そう言って笑うザ・レッドに、マルスも苦笑する。

「……わかった。貸しは返す。いつになるかはわかんねーけどな。だがーー」

 マルスはアスカをちらりと見る。

「ーーアスカは、本当にそれでいい?」

 クラリスがマルスの言葉を継ぎ、そう聞く。

 アスカは唇をきつく引き結んでいたが、ややあって口を開く。

「……。私、は……大丈夫」

「いいんだな?」

 念を押すマルスに、アスカはうなずく。その顔は事態についていけず困惑しているようだった。

「よし。決まりだ。クラリスはミネルヴァとアルテミスを守れ。俺が囮になる」

 マルスがパッと決めた分担に、クラリスはすぐにうなずいて準備を始める。不意を打つなら時間が重要だとわかっているのだ。

「うん、わかった。ほら、アスカも。早くアルテミスに乗るよ」

「あ、はい」

 クラリスに促され、アスカがアルテミスに乗り込む。

『繰り返す。施設管理者は、即刻指名手配犯両名をMSTFに引き渡せ。我々はこの施設を焼き払う用意ができている。これは誇張ではない。返答がなければ、五分後に我々は行動を開始する。我々は一切交渉には応じない。二人を差し出すか、もろとも灰燼に帰すかだ。助かりたければ、迅速に行動し給え』

 外からの音声には目もくれずに乗り込もうとしたクラリスへと、マルスが声をかける。

「クラリス」

「なに?」

「一発も当てるなよ」

 マルスの言葉に、クラリスは不敵に笑った。

「当たり前でしょ。マルスこそ気をつけてよね」

「ああ。頼んだぜ」

 マルスの言葉にうなずくクラリスの姿が、アルテミスのハッチに遮られる。

「よし。じゃーいっちょ行くかね」

 マルスは襟を正すと、瞳を蒼く輝かせる。

 両手を振りかぶり、十字に振り下ろす。

 ガゴン、と重い音が響き、ハッチを切り裂く。

「……容赦しねぇぞ」

 マルスは鋭い視線で前方へと駆け出し、切り裂いたハッチを蹴り飛ばして基地の外へと飛び出した。


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