第5話 価貨
村に戻った安綱は、目を泳がせながらサヤとカタナを呼んだ。
懐をまさぐって奥歯を噛みしめる安綱の姿に大体の事情を察したサヤは優しく問いかける。
「お金の事ですね?」
「話が早いけど……良く分かったな」
「去界人の方とのお付き合いは長い方なので」
実際、安綱は彷界で生きていくための資金について何も知らなかった。移界と共に持ってきた手荷物の中に財布もあったが、その中の手持ちがこの世界で換金できるとは思えない上、そもそも彷界には貨幣の文化があるのかすら分からなかった。
「サヤの言う通り、俺には金がねぇ、これから生活するのに困っちまって…」
「あぁ、金ってアレか、『
手槌を打って笑みを浮かべるカタナに、安綱が首を傾げる。
「カカ? もしかして彷界の通貨か?」
「はい、彷界にも去界と同じく貨幣経済がありまして、去界の貨幣とも交換できるように整備がなされてきました」
「じゃあ俺の持ってる金も…」
「指定の場所で交換できるはずです」
それを聞いて安堵する安綱に、それと、とサヤが言葉を加える。
「先日の魔造獣討伐の分、安綱くんに報酬が発生していると思われます。そちらの構造も追って説明しますね」
「魔造獣ブッ倒すのって金…価貨が出るのか。食い
「とりあえず安綱くんの持っていたお金が交換できるか聞いてみましょう」
サヤに従い、屋敷に戻った安綱がカタナから荷物を受け取る。
移界したときにズボンのポケットに入っていた財布をそのまま屋敷で保管していたらしく、そのままの状態で渡された。
「おー俺の財布ちゃん、いくら入ってたかな…」
安綱が久し振りに手にした二つ折りの財布の中身を改める。
所持金3096円といくつかのカード類、お守りとして入れていたヘビの抜け殻。
移界した朝と変わらぬ中身に安心すると共に、所持金の心もとなさに肩を落とす。
「3000円じゃ生活には苦しいな……いや待てよ」
彷界の貨幣事情がさっぱり分からない安綱だったが、もしかしたらここでの貨幣価値によっては大金に変わるかも知れないと淡い希望を抱いて口角を上げる。
「とにかくサヤ、カタナ! 俺の金も手に入ったし、いくらになるか調べてみようぜ!」
「それでは村から少し移動して、城下町にある交換所を目指しましょう」
「えっ…また移動?」
呆気に取られる安綱に、サヤがしまったと言わんばかりに目を見開く。
移動手段を何も考えていなかったサヤがカタナへ視線を向ける。
「…ちょっと待ってな、なんとか考えるわ」
──────────────────
安綱とサヤを連れてカタナが長老の元へ訪れる。
斬扇を駆る2人を見て長老は深々と頭を下げる。
「安綱さまにサヤさま、先日は魔造獣を倒していただきありがとうございました。それにカタナまで面倒見ていただいて…」
「俺が安綱の面倒見てんだけどな」
カタナの無駄口に長老は拳骨を食らわせる。頭頂部の鋭い痛みに涙を浮かべるカタナを尻目に長老は話を続ける。
「それで本日はどうされたのですじゃ?」
「城下町まで出るために魔導車を借り受けたくて」
サヤの申し入れにそうでしたか、と長老がうなづくと、頭をさすっているカタナの襟を掴む。
「うおっ何だよじいちゃん!」
「お前が運転せい、鍵貸しとくからの」
魔導車の鍵を受け取り、カタナが口を八の字に曲げる。
「安綱さまとサヤさまに運転させる訳にはいかんじゃろうが、何のためにお前がいるんじゃ」
「わーってますよ、流石にそこらへんは弁えますってば」
気だるそうに答えると、カタナが安綱、サヤを連れて長老の元を後にする。
長老に車を預けられたカタナはやれやれ、と呟きながら家の横に停められた魔導車の後部座席に2人を乗せると、座席から然を供給していく。
「車がありゃ城下町まですぐだろ」
「助手席、いなくていいのか?」
「ああ、大丈夫だ、お2人さんは後ろで休んでな」
「つかカタナ、車運転できたんだな…17なのに」
「彷界では踏板に足が届く様になったら魔導車の扱いを叩きこまれるんだぜ。まぁそんなに難しくねぇから安綱もいつかやってみるといいぜ」
安綱の方へ振り返りながら不敵に笑うカタナは、然の昂りを告げる様に震える
広くはない車体の後部座席に押し込められた安綱は、サヤとの距離に緊張する。
こんなに近くに女性がいる事に不慣れな彼は、照れながら目を右往左往させる。
「どうしましたか、安綱くん」
「ああ、いや、その……ここ、狭くないか?」
「確かに広いとは言い難いですね…このままでは安綱くんと肩がくっついてしまっています」
「あ、ああ。そう、俺、もっと
「私は構いませんが……街までの辛抱ですよ」
そうじゃなくって、と眉をひそめる安綱の顔を、サヤは心配そうに見つめる。
「こう言っちゃなんだが、年頃の女の子がこんなに近くに座ってて、緊張っていうか、照れるっつーかそのだな……」
「年頃? 私の事ですか」
「じゃなきゃ誰の事だと……」
困り果てている安綱にサヤがああ、と何度かうなづく。
「私は97歳なので年頃かと言うと……」
「は?」
呆ける安綱にサヤは苦笑いをする。
「原初の装騎の力です。私が斬扇に初めて乗った時から年齢が変わらず、70年が経ちました」
「衝撃の事実だな…だが稀にある話だな、いわゆるエルフみてーな長命種、サヤもそんな感じなのか」
「長命……命が永いという意味ですよね。だとしたらその通りですね」
だから、とサヤが微笑みながら続ける。
「私が隣にいてもそんなに恥じる事ではありませんよ」
「ややこしい話になったな……要はだな、そう、俺は……年齢とかそういうんじゃなくて……」
「サヤさまが可愛いから照れてんだろ!」
運転しながら満面の笑みでカタナが茶化す。
サヤはそれを聞いて呆気に取られるが、安綱は顔を赤くして震える。
「私が可愛い…ですか。そうなんですか安綱くん?」
「あーっと…その……そうだな、うん」
「ふふ、ありがとうございます」
まるで褒められ慣れている様に無邪気に微笑するサヤを見て安綱が眉を八の字に曲げる。
「もしかして可愛いだの美しいだのって聞き飽きてるか?」
「そうですね、数十年この容姿で生きていると、その様に仰って下さる方も多く見てきましたね。実際安綱君の前任を務めていた魔導師の方は良く私の事を美しい、と褒めちぎって下さいました」
「…前任、か」
ようやく落ち着いた安綱はサヤの語る前任の魔導師について興味が湧いた。
「なあ、その前任の魔術師って人、気になるんだが、話せたりするか? あまり思い出したくない事なら無理強いはしないが」
「いえ、いつか安綱くんも知っておくべき話だと思っていましたから…」
サヤが目を細めて過去の事を思い出しながらかつての魔導師の話を始める。
「前任の魔導師───
「そんな、何があったんだよ」
「……ジャモウが
その話を聞き、安綱が目を見開く。
「是流扇って…あの最初に戦った黒いの……」
「そうです。が、あの時戦った是流扇は、前任者が乗っていたとは思えない弱さでした」
サヤが説明する暇も無かったとは言え、彼女と面識のあった斬扇の前任者、紅が乗っていた可能性のある中で戦っていた事実を知って、安綱が冷や汗を流す。
「あの時、マジで急所狙わなくて良かった……」
「本当に彼が乗っていたかは定かではありませんでしたが、安綱くんのお陰でなんとか大事には至らなかったと思います」
それを聞いて、安綱が口元を抑える。
「それで、是流扇って一体ナニモンなんだよ」
「それは───」
「話の途中だが、目的地に着いたぜ」
魔導車を停めたカタナに告げられ、話が途切れる。
「続きは帰ってから話しましょう、それで構いませんか?」
「ああ、まずは俺の所持金を彷界のお金にしてもらわなきゃな」
城下町、オヨド。
この町に限らず彷界は去界人の持ち込んだ技術により多彩な発展をしてきたが、この町では特に価貨と去界資本の交換を主とした価値の交流が行われている。
「早速交換所を見つけたぜ! どこがいいかね~」
「? どことかあんのか?」
「そりゃあるぜ、去界人の持ってる価貨みたいなソレを正しく鑑定して適正な価格を出してくれるトコじゃねぇとダメだ。そのためには安綱の持ってる……」
「貨幣ですね」
「そ、安綱の貨幣に詳しい人がいるとこじゃないと安く買われちまうしな」
「
色々な店を見ながら悩んでいるカタナと共に、安綱が日本の貨幣について紹介している交換所を探す。
(こうやってこの世界で文字を見るのは初めてだが、翻訳魔術って便利だな、全部日本語で読めるぞ……)
サヤの施した魔術の精巧さに感嘆しながらも、安綱が“円”を取り扱う場所が無いか見ていく。
「お二人が熱心に探していらして言い出しにくかったのですが、交換所に当てならあります」
「マジか」
──────────────────
町の端にある小さな交換所、そこに連れて来られた安綱は生唾を飲み込む。
こんな所で的確な交換ができるのか、不安が
「いらっしゃい」
店の扉を開けると、痩せ身の男が3人を歓迎する。
先程まで新聞を読んでいた様だったが、乱雑にそれをしまうとサヤを見て笑う。
「サヤちゃん、いらっしゃい。何年振り?」
「10年程経っているかと」
「また去界人の貨幣交換?」
はい、とサヤが笑うと、安堵の表情と共に安綱にうなづく。
「こんにちは、俺の持ってる所持金を価貨に交換したくて…」
「分かったわ、そういうお客さん沢山いるからね。日本円かしら?」
「えっ…そうです」
彷界人でありながら日本円の事を知っている店主に安綱が驚くが、それを見て店主は笑う。
「あたしが円を知ってるのそんなビックリ?」
「はい、なにせ異世界のお金ですから」
「何十年もここで交換やってるからね、それに移界してくるのは日本の人が多いし、どこの交換所でも日本円の取り扱いは当たり前にやってんのよ」
(だからわざわざ円の交換を
「でもだったらよサヤさま、なんでわざわざこんな
「どこが辺鄙よ」
カタナの問いにサヤは人差し指で顎を撫でながらはて、と呟く。
「ここの店主さんが一番話しやすかったからですかね」
「あら嬉しい」
「当時はどこの交換所が良いか当てもなく色々な場所を転々としていたのです。高く交換してくれる所や、私達が魔導師、魔導精である事をご存知で丁寧にしてくださる所もあったのですが、紅さまは首を縦には振ってくれませんでした、“鼻持ちならない”と。でもここだけは紅さまが任せたいと仰ってくれたのです」
「これはあたしの人格あってのものね」
「きっとそうですね」
サヤがそう答えて笑うと、安綱とカタナも微笑む。
「だったら俺もここで交換を任せたいぜ」
「あらあら、分かってるじゃない」
安綱が自身の財布から全財産を取り出し、目の前の盆に置く。
「コイツと価貨の交換をお願いします」
「分かったわ、すぐ査定するから待っててね」
店主がそう告げると、紙幣をめくり、貨幣を手元灯に照らす。
「そういえばサヤ、こっちのお金を価貨に交換するときの査定基準とかあるのか?」
「うーん、以前お話を聞いた限りでは……金属の方はそのまま鋳造するための品とし、紙の方は…
「紙幣もコレクター価値が一応あるのか…ただの紙クズ扱いされてたらどうしようかと」
「ヤスツナくんだっけ、終わったわよ」
査定が終わり店主が安綱を呼ぶ。店主が持ってきた盆には価貨と思しき硬貨が並んでいる。
「早かったッスね、店主さん」
「客があなた達しかいなかったからね……それで交換なんだけど、あなたの持ってきたお金はざっとこんなもんよ」
店主が示した額を見て、カタナが価貨を数える。
「…えーと───こいつぁ」
「いくらになったんだ?」
安綱が問うと、店主がペットボトルらしき容器に入った水を取り出す。
「ペットボトル…すか」
「去界ではそう呼ばれてたわよね確か。これが1本100価貨ね」
「去界、俺の住んでた日本って国でも100円くらいの価値ですね、お水なら」
「円と価貨はそのくらいの差があるワケね、それで、ヤスツナくんの3096円が価貨になると───」
「310価貨なんだが」
カタナが淡々と告げると、安綱が呆けた顔を見せる。
「あれ? 円と価貨って似た価値だったよな?」
店主のペットボトルを持って安綱は首を傾げて混乱する。
「彷界では日本円も所詮金属と紙よ。価値が同じにはならないわ。ざっと10分の1くらいに交換されるってコトね」
「お…俺の3000円が……実質300円に……」
落胆する安綱の背に、サヤが手を添える。
「どこの去界人もウチで交換するとそんな顔してるわよ、まぁヤスツナくんも気を落としすぎないで、もしかしたら他にも価貨になるモノも持ってるかも知れないし」
「そんなラッキーな事あるンスかね…」
そう言いつつ安綱が財布の中をまさぐると、中にヘビの抜け殻が入っていたのを思い出した。
彷界にもヘビがいるのかは定かでは無いが、もし存在しない生態であればそれなりの価値をつくかも知れない。
そんな淡い期待を乗せ、盆の上にヘビの抜け殻を置いた。
「コイツは、換金できませんか…!?」
「これは───」
店主の目が丸くなる。
──────────────────
「さて、価貨の交換も終わった事だし、次は報酬の受け取りだな!」
満面の笑みを浮かべる安綱に、カタナが腕を組みながら笑みを返す。
「いや~まさか安綱が“竜種の幼体の皮”を持ってるとはなぁ」
「まさかはこっちのセリフだ、ヘビがこの世界じゃ希少価値が高いなんてな」
「皮だけでも2万価貨になるとは、素晴らしい運の持ち主なのですね」
いやぁ、と安綱が謙遜しながらオヨドの町を歩き続ける。
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