Zombie stomp (1)

 夜の繁華街を、二人の影が駆けずり回っていた。

「畜生! どこに行きやがったんだ!」

「ダメだ。こっちにもいない!」

 肩を上下させるヨルと平の姿を、道行く人々が好奇の目で一瞥しては去っていく。実際のところ、通行人には自分が「息急き切りながら独り言を言っているヤバい奴」に見えているのは平も承知していたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

「早く見つけないと……」

 二人は再び走り出した。


   ※


 結局、篠田が本当の理由を話すことはなかった。ただ彼にはある目的があり、それに向けての練習として、ワッチやクーちゃんを襲撃したということだった。

 インターネットにはダークウェブという特殊な方法でしかアクセスできない階層がある。篠田の話では、そこに妖怪退治の依頼や請負を取り持つ、いわばマッチングサイトがあるらしい。彼はそのサイトに退魔師として登録していて、社長からの依頼もそこで受けたということだった。

「まあ、練習もできてお金にもなるから、一石二鳥だと思ってさ」

 軽口を叩いた信太に再びヨルが激昂したが、クーちゃんの一瞥で場は収まった。

 ワッチに関しては依頼されたのではなく、偶然発見して練習台にしたらしい。突拍子のない言い分だったが、意外にもヨルが一番に首肯した。ワッチはこの学校に来てから外に出たのはあの事件が初めてで、誰かに退治を依頼される筋合いはないとのことだ。

「ちなみに、社長がクーちゃんの退治を依頼した理由はなんだったんだ? やっぱり、クーちゃんの力無しでも事業をやっていけると思ったからなのか?」

 「練習」の目的に話が向くと篠田は固く口を閉ざした。平は知っている。この少年はこうなると頑として口を開かない。仕方なく、平は話題を社長の方に切り替えた。もしかすると、それが何か話の糸口になるかもしれないと考えたのだ。

 篠田の口から出たのは、ある意味で唾棄すべき、しかしある意味では非常に明快な理由だった。

「それもあるんだろうけど……」

 一瞬口籠る。しばらく困ったような顔をしたが、彼はやや顔を赤くして、おもむろに口を開いた。

「いつまで経ってもヤラせてくれないから、だってさ。あのオッサン、いかにもジェントルマンって見た目に反して、中身は性欲のバケモンだよ。いや、ある意味見た目どおりか」

 クーちゃんが「おえっ」と声を上げて肩をすくませる。と同時に、ヨルが怒りに満ちた唸りを上げた。

「あのクソジジイ…… ブッ殺してやる!」

 言うなり踵を返したヨルの背中に、篠田が呟いた。

「いや、多分もう遅いんじゃないかな」

 ヨルが血走った目で振り返る。

「あ? どういうことだよ?」

「あのカワイイお姉さんに先を越されてるよ。なんなら、もうやっちゃったんじゃない?」

「あん? 誰だよ、カワイイお姉さんって」

 ヨルが目を血走らせる横で、平があっと声を上げた。

 これまでの記憶が繋がり、体中から血の気が引いていく。


 平が社長の会社名を口にしたときの反応。

 クーちゃんが襲われたとき、何故かその場にいた違和感。

 そして、先ほどすれ違ったときの笑顔。


「まさか、ミサキ先生が……」

 言うなり立ち上がり、平は保健室を飛び出した。

 平の中で不安が急速に膨らみつつあった。七人ミサキは順番に人を取り殺す。取り殺した者は七人ミサキを抜ける。だが、抜けた後はどうなるのだろう。成仏するのか、あるいは消滅するのか。しかしながら、平の中にはもっと別の厭な予感があった。


――ミサキ先生がいなくなってしまう……何かもっと良くない形で……


 平の全身に冷たい汗が滲む。ヨルは訳が分からんといった顔をしていたが、すぐに平の後を追った。


   ※


 女はずっと、街を彷徨っていた。

 何時からこうしているのか、何時までそうしているつもりなのか、彼女は既に考えることさえやめていた。ただ、自分がどうして彷徨っているのかは分かっていた。

 繁華街から少し南に下ると、大きな国道に出る。今日も女は「目的」を果たせず、そこへ帰ってきた。ベッドタウンというだけあって帰宅ラッシュの時間にはそこそこの交通量があるが、夜の十時にもなれば車通りは殆どない。

 ふと、古ぼけた陸橋が目に入る。幾度も通ったことのある陸橋だ。とりわけ鮮明に覚えているのは、


 急速に近づいてくる真っ黒なアスファルトの海と

 急速に遠のいていく逆さまの橋桁と

 誂たように猛スピードで「お迎え」にきたヘッドライトと……


 しかし、何よりも脳裏に焼き付いているのは、そういった強烈な死のイメージではなかった。むしろ、彼女にとって死など付帯物に過ぎなかった。

 そもそも、彼女は死ぬつもりではなかった。否、正確にいえば、死ぬつもりではあったが、陸橋の欄干から身を乗り出した瞬間、急に馬鹿馬鹿しくなったのだ。


 何をやってるんだ、私。あんな男のために……


 乾いた笑いを胸から絞り出して、乗り出した身を戻そうとしたときだった。


――やめなさい!


 背後から老人の声がした。女は咄嗟に考えた。きっと、自分の馬鹿馬鹿しい行動を諫める人がいるのだ。やや赤面しながら、彼女はモゾモゾと身を捩る。早く体勢を立て直して振り返り、「そんなつもり」ではないのだと弁明せねばと思った。だが、いつも以上に身を乗り出していたせいか、なかなか身を起こせない。


――やめろ!


 と、先ほどよりも険しい声が響いた次の瞬間、

 彼女の背中が勢いよく押された。


 その声と背中の感触が、彼女の脳裏に最も強く焼き付いた、生前の記憶だった。


 女は陸橋の階段を上り、自分の「最後」を探す。私が最後に踏みしめたコンクリートは何処だったろうか。私が最後に触れた金属は何処だったろうか。

 それらしき場所はすぐに見つかった。小さな一輪の花が、ぽつねんと歩道の端に置かれていたから。だが、彼女は首を傾げる。誰が置いたのだろうか。身寄りも友人もない私に花を手向ける人間など、いないはずなのに。


 まさか、あの男ではあるまいし。


 女は淋しい笑みを浮かべた。生前から変わらぬ、卑屈な笑みだった。

 これまで、何度か「あの男」のことは見かけていた。彼女は自分がどういう存在になっているのか自覚していたし、自分が果たさねばならない宿命も理解していた。だが、どうしても出来なかった。男に対して未練があったわけではない。まして同情の余地など探すまでもない。


 ただただ、怖かった。


 人を呪い殺したせいで地獄に堕ちることなど、どうでも良かった。彼女はただ、自分が人を呪うこと、自分が人を殺すこと、それ自体がどうしようもなく怖かった。

 そんな理由で、女は今の今までなあなあで過ごしてきた。別に成仏なんてしなくても、このままで良いんじゃないのか、などと思うようにさえなっていた。輪廻転生など望んでいるわけではない。こんな世の中にまた生まれるなんてまっぴらだ。かといって地獄で悔い改めるのもしっくり来ない。このまま沈香も焚かず屁もひらず、鬱鬱と彷徨い続けるのが自分には相応しいのではないか。

 そう、思っていたときだった。

「一緒に来ませんか?」

 背後から男に声を掛けられた。振り向くと、男が優しく微笑みかけていた。その背後から、五人の男女が同じようにニコニコと女を見ていた。彼女はすぐに直感した。


 この人たちは、自分と同じだ。


   ※


 ミサキは夜の街に佇んでいた。様々な人たちが目の前を行き交う。帰路を急ぐサラリーマン、じゃれあう学生カップル、居酒屋の客引きたち。

 ふと、一組のカップルが目に入り、ミサキは表情を暗くした。頭頂部の剥げただらしない腹の中年男と二十代前半であろう派手な女。男は欲望を隠そうともせず、女は堂々と男の鼻毛を読んでいる。

――私も、あんな風に見えていたのかな……

 彼女は淋しい笑みを浮かべると、久方ぶりの彷徨を始めた。


   ※


「まあ、依頼者に関しては言えないよ。守秘義務ってやつがあるからね」

 クズハの膝枕で横になったまま、少年は無邪気な笑顔で付け足した。

「いくらカワイイお姉さんの頼みといってもね」

 少年の「カワイイ」には、下心が感じられなかった。否、純真無垢な、好奇心に近い下心があったという方が正確かもしれない。いずれにせよ、直球で向けられたその言葉に、ミサキは少しばかりドギマギしてしまった。コホンと小さく咳払いをして、話を戻す。

「でも、あなたは依頼に失敗してしまったのでしょう? 守秘義務がどうのと言っている場合じゃないくらい、拙い状況だと思うのだけど」

「まあ、まだ依頼が解消されたわけじゃないからね」

 少年は飄とした口調で言ってのけた。

「ふーん。それはつまり、またクーちゃんを退治しに来るってこと?」

 少年は少しの間困ったような顔で斜め上を見つめていたが、

「それはどうかな」

 と曖昧な返事をした。その言葉を聞いて、それまでミサキの顔に浮かんでいた和やかな笑顔が一変、不気味な笑みへと変わった。じわじわと保健室の空気が冷たくなる。

「あらそう。そういうことなら、私はあなたを放っておくわけにはいかないわ。生徒を守るのは教師の役目ですからね」

「ちょっと! やめてください、ミサキ先生!」

 クズハの焦った声をよそに、ミサキの背後から六体の黒い影が這い出してくる。ただならぬ雰囲気に、さすがの少年も顔色を変えた。

「わ、分かったよ。話す。話します。お話させていただきます」

 ミサキの顔が元の和やかなものに変わり、部屋の空気が晴れていく。黒い影たちは怨嗟たっぷりの舌打ちをすると、しゅんと引っ込んでいった。


 その間、篠田はずっと違和感を感じていた。見ていたのだ。ミサキとも、六体の影とも別の人影が、こちらをじっと……

――このお姉さんは七人ミサキか。だとすると、一人多いよな。誰だよあれ、気持ち悪い…………ま、いっか。

 彼はあっさりと、依頼者についてペラペラと話し始めた。


   ※


 ミサキは男を発見すると、後をつけていった。彼は若い女を連れていた。もちろんクーちゃんではない。派手な格好をした女。恐らく彼女も、あの頃のミサキと同じように、男のステータスと金におびき寄せられたのだ。そして自分はそうではない、金や身分に関係なくこの人を愛していて、同じようにこの人も私を愛してくれている。そう思っているのだろう……あの頃のミサキと同じように。

 ミサキは篠田から聞いたクーちゃん退治の依頼理由を思い出して、下唇を噛んだ。

 相変わらず下衆な男だ。

 恐らく、平とヨルも同じことを聞くだろう。そうなれば、きっとヨルは逆上してあの男を殺しに行く。


 そんなこと、可愛い教え子にさせるわけにはいかないじゃない……


 年貢の納め時というやつだ。今まで散々先延ばしにしてきたことをやる時が来た。それだけだ。思えば、怖いというのもただの言い訳だったのかもしれない。何か理由が、背中を押してくれるきっかけが欲しかったのだ。大義名分が欲しかったのだ。


 見つかったじゃないか。「教え子を守るため」……立派な理由だ。


 馬鹿みたいな人生だった。生きている内には何も成すことが出来なかった。だけど、死んだ後でようやく私の人生は小さな意味を持つんだ。


 ミサキは自分に言い聞かせながら、男の後を追った。

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