第31話

仕事に集中できない……。

週明けの一花は、どこで何していても誠とのあの一件が頭から離れないでいた。

突然思い出してはボッと顔が熱くなってしまう。

唇の感触も、体温も、香りも……自分を掴んで離さない。


その時の誠もそうだし、助けてくれた時の誠もそうだったけど……


「かっこよかったなぁ……」と、気がつけば口に出して呟いてしまっていた。


帰り道、スマホを取り出し、誠からのメッセージをチェックする。

毎朝おはようから始まり、他愛もない話、どうでも良い内容のやり取りをして、会えるか会えないかの確認も毎日する。

最近気がついたのは、今夜は会えないと言われた時の気分の落ち込みと、会えると言われた時の胸の高鳴りだ。


「やっぱり私は……誠のこと……」


「い〜ちか〜」


突如背後からした声にビクリと肩が上がる。

おそるおそる振り返って背筋が凍った。


そこにいるのは……


「悠斗……」


1番会いたくなくて、1番のトラウマである元カレだった。

恐ろしい笑みで近づいてきて、思わず後ずさりする。


「あれ〜?今日はあんときの彼氏いないのー?仕事終わり〜?」


「や……来ないで……っ」


またこの感覚だ。

足が竦んで体が震える。

その恐ろしい獣みたいな眼光から、目を反らせない……

逃げ出したいのに、思うように体が動かない。


「これで最後にするからさぁ、ちょっとだけ付き合ってよ」


「さ、最後……?」


「そのあとは、一花のこと綺麗さっぱり忘れるからさ。だから頼むよ。な?」


突然優しい声色になるのが不気味だ。

あの頃の弱い自分なら簡単に頷いて操り人形のようについて行っていただろうが、一花は拳を握りしめ、首を横に振った。


「……ふぅん。変わったね、一花。あんなに俺に従順で可愛かったのにさぁ。あの男のせいかな?それとも今は、あの男に飼われてんの?カタギじゃないもんね、絶対。やっぱり無理矢理付き合わされてんじゃないの?助けてあげるから来いよ。」


「違うっ!誠はそんなんじゃない!」


咄嗟に大きな声を出していて、自分でも驚いた。

悠斗も一瞬目を見開いた。が、すぐに睨むような視線に変わった。


「あっ、そう。まぁなんだっていいけど、お前が今日俺に従えないなら、あの男を訴えてやるからな。あいつのせいで俺の体の一部が危うく死にかけたんだ。」


「そ、そんなの……」


アンタが悪い……と言おうとした時には、ガシッと腕を掴まれていて血の気が引いた。


「来い。今日1日俺の言うことを聞け。さもなくば、あの男の身分をバラしてやるからな!」


「……は?」


瞬時に引っ張られて近づかれ、耳元に息が吹きかかり、ゾクッと全身が粟立つ。


「やっぱりあいつ、黒井誠だろ」


目を見開く一花に、ほくそ笑む悠斗がスっと一花の顔を覗き込んだ。


「今さっき自分で名前出してたよ?」


「っ……」


「週刊誌のあの写真もさぁ、絶対お前だって思ってたんだ。俺が一花を見間違えるわけないじゃん?隅々まで知ってんだからさ。」


「………。」


ゾクゾクと鳥肌が立っていき、みるみる顔色が悪くなっていく一花の腕を、もう一度悠斗が強く引き寄せた。


「ほら、良い子だからおいで?一花。」


バラされたくなければ、大事にされたくなければ、従え。と、有無を言わさぬ強制力を込めた一言に、頭が真っ白になっている一花の足は無意識に動いてしまっていた。


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