剣を筆に持ちかえて_9
黒暗の都市は人々の喧騒や生活の光を全て包み込み、ひとつの夜景を作り出していた。その光景はやがて闇夜に抱擁され、ぽつりぽつりと順に漆黒へと消えていく。しかし、再び朝になれば喧騒は波紋のように広がり、人々の生活の光はまたひとつ、またひとつ灯される。都市のサイクルはまるで生命だった。
ウィリデの小屋を後にしたルークスは都市へ帰還していた。運が良かったのは街道へ出てすぐに行商人の集団に出会ったことだ。旅の戦士として彼らの護衛をすることで、遠回りすることなく都市まで来ることができた。
(一年近く留守にしていたが、相変わらずここは変わらないな……)
街を歩きながらそう思ったルークス。
王国内有数の交易都市は夜になっても騒がしい。集まっているのは腕に覚えのある勇士ばかりなのだから尚更のことである。今夜もあちらこちらで飲み、歌い、踊り、そして喧嘩する音が耳を澄まさずとも聞こえてくる。一年近く空けていたが、まるで時が止まっていたかのように都市はいつもと同じだった。その賑わいにルークスは思わず頬を綻ばせる。
(無くなった鎧を新調したいし、剣もメンテナンスが必要だ……やることは山積みだが、まずは叔父上の元に挨拶にいかないと……だけど……)
ルークスは人の生み出す喧騒をもうしばらく味わっていたかった。
・
・
・
「いらっしゃい! 旦那、何にしやすか?」
「麦酒をひとつくれ」
そう注文するとルークスはカウンターに銅貨を何枚か置いた。帰り道を共にした商人から心付けとして貰ったものだった。「まいど!」という威勢の良い声が聞こえると、銅貨と入れ替わる形で麦酒が注がれた杯が出てくる。
ルークスはそれに一口つけた。鼻を抜ける久々の酒精に頭がくらくらするのを感じた。
もう少し人の営みを感じたいと考えたルークスは酒場にいた。書き入れ時ということもあり酒場の中はごった返しており、そこら中のテーブルで荒くれ者たちが手に持った杯を交わらせている。
ルークスは店内のカウンター席の一番端に座り、杯を傾けながらとあるテーブル席の男たちの話に耳を傾けていた。ルークスはその卓にいる者たちの何人かに見覚えがあった。彼らはルークスが隊長を務めている遊撃部隊に所属する戦士たちだった。
幸いなことに彼らは上司であるルークスに気が付かなかった。それはルークスが死んだことになっているという先入観があるからなのか、はたまた酒の酔いが回っているからなのかは誰にもわからない。フード付きのローブを目深に被っているせいもあるだろう。
「グハハハ! 見ろ! この片腕を!」
「まーた始まったよ。ゲッツさんってば酔うといつもこれだからな」
「まあまあ、許してやれよ武勇伝を語るくらい。あの腕じゃあもう戦場には出れないでしょ」
「それもそうだな」
戦士たちのテーブルが一際盛り上がりを見せると、その中にいる隻腕の戦士が立ち上がり、店中に聴こえるほどの大声で武勇伝を語り始めた。
「一年前の戦争で不運にも俺は孤立してしまった! 味方は目を凝らせど、どこにもいない! 目の前に広がるのは仲間の死体と子鬼と大鬼の大群。獰猛な目つきに鋭い爪、棍棒! だが、俺も負けちゃあいない。俺には領主様に頂いたこの名剣があるからな! バッタバッタと魔族共をなぎ倒してやった!」
隻腕の戦士は腰に差した剣を輝かせながら酒を杯に口をつけると、さらに熱量を増してまくし立てる。
「しかし! 多勢に無勢! 流石の俺も魔族共に押し込まれ始めた。一瞬の隙を突かれて片腕を落とされたときはぁ、死を覚悟した! しかあし! そこで一迅の風が吹いて目の前の魔族共がバッタバッタとなぎ倒される! そこに現れたのが……!」
「いっよ! 待ってました!」
「我らが遊撃隊長のルークス様だ! あの、流れるように魔族共を倒していく姿は何度見ても痺れるね。一つ目の鬼との一騎打ちも凄かった。まるで神話の戦いのようだった! 領主様はあの戦いでルークス様は死んだと仰られるがぁ、俺は信じていないぜ。あの人のことだ、きっとどこかで今も魔族共を蹴散らしているぜ」
そう言い終わるやいなや隻腕の戦士は揚々と歌を歌いだした。同じ卓を囲む者たちは共に歌うものや、苦笑いするもの、他の卓を気にして恥ずかしがる者など様々だった。
ルークスはそんな彼らを見て少しむず痒く感じた。上司と部下、貴族と平民、大きな違いがあるにしろ、倍近く年齢が離れている相手に英雄のごとく崇められるのは流石に面映い。遊撃部隊に復隊したあと、どういう顔をして彼らと話せばいいかルークスにはわからなかった。
そんなことを考えていると酒場に一人の男が入ってきた。浅黒く焼けたいかにも労働者といった出で立ちで、店内を見渡すと屈託のない笑顔を浮かべながらカウンター近くのテーブル席までやってくる。その席には小綺麗な身なりをした商人風の男がひとり座っていた。
ルークスがそのテーブルを注視したのは、遊撃部隊の戦士たちと同様に労働者風の男のことも知っていたからだ。その男は領主の館に勤める庭師だった。
「よお、待たせたな、元気だったか!」
「久しぶり。こっちはぼちぼちだ」
「はっはっは! 相変わらずだな、お前は! あれ、最後に会ったのっていつだったか?」
「確か……ああ、そうだ、あの魔族との戦争の少し前だから……一年くらいか?」
「おお、そうだそうだ、そうだった」
「あの後、葬式や何やらで大変だったんだぜ?」
「葬式? 誰のだ?」
「女房の兄さんのだよ。例の戦争で戦死したそうだ」
「それはそれは……ご愁傷さまだな。お前の義兄って三人くらいいたよな?」
「ああ、戦死したのは三番目の義兄だ。長いことフラフラしてたんだが、ようやく職を見つけたと思ったらこれだ」
「そりゃあ大変だな……とりあえず今日はお前の義兄さんに乾杯だな」
そういうと男たちは杯を掲げてそのまま飲み干した。
「お前の方は、最近どうだ? 領主様のところで働いているんだろ? 羽振りがいいって聞いたが」
「まあな確かに給金は、いい」
「なんだよ、何かあるのか?」
「……実はちょっと前に屋敷に大量の美術品が運び込まれたんだよ」
「貴族サマなんだから美術品を集めるのは普通のことだろ? それがどうかしたのか?」
「いやな、領主様ってかなり実用主義な方なんだよ。元々、美術品の類はほとんど置いていなかったんだ。それが急に美術品を増やしたんだ。なんか変だろ?」
「うーん」
「しかもだ。運び込まれた美術品を見た使用人の一人が真っ青な顔をして領主様のところへ行ったんだけどよ、そいつは次の日には家の事情だか何だかで退職したんだ、挨拶もなしに。何で真っ青な顔をしたのか聞きそびれちまったんだが、何か裏がありそうなんだよな……」
「気にしすぎじゃないかな」
ルークスは二人の話を聞いて眉をひそめた。庭師の言う通り、叔父のパトルスは美術品の類は好まない上、むしろ嫌悪しているようにも見えたからだ。その理由をあえて聞くことはなかったものの、急に手のひらを返して美術品を収集するとは考えにくい。何か別に理由があるに違いなかった。
後で美術品について叔父に直接聞いてみようと考えたそのとき、ルークスは酒場の中からヒリつくような殺気を感じた。それはルークスに向けられたものでなく、商人風の男と庭師の男がいる卓に向けられたものだった。
殺気の主はルークスがいる位置とは対角線上にある席に座る二人の男からだった。黒い外套を羽織っており、その表情を伺うことはできないが明らかにカタギではない。
背の高い方の男がもう片方の男に耳打ちをすると、そのまま一人で酒場から出ていった。残った男は商人風の男と庭師の男をじっと監視している。
(追うべきか……?)
そう思ったのは、妙な胸騒ぎを感じたからだ。
交易都市は良くも悪くも混沌としており、犯罪者の類はかなりの数が入り込んでいる。それでも表面上は治安が守られているのは叔父がしっかりと裏社会の住人を締め付けているからだ。
しかし今、黒い外套の男たちは一般市民を狙っている。ルークスとしてはそれを安々と見逃すわけにはいかなかった。
ルークスの足は自ずと出口に向かっていた。
・
・
・
日が落ちた後の交易都市は一日の中で一番騒がしい時間帯だ。ルークスがいた酒場だけでなく、宿屋や商店も書き入れ時ということもあり、大通り沿いのどの店も篝火や提灯を焚いて一人でも多く客を呼び込もうとしのぎを削っていた。
しかし、それとは対称に一本路地に入ってしまえば、そこは暗闇が支配する空間。光の元に入れず、光を嫌い、影の涼しさを好む者たちのいる世界である。有り体に言ってしまえば治安が悪い。
外套の男はそんな裏路地を慣れた足取りで歩いていた。ルークスは少し離れて男の後を追う。路地の端に座っている物乞いは一様に外套の男ではなく、ルークスばかりを物珍しく注視していた。
そして、男が路地の角を曲がり、ルークスもそれに続いたとき、目の前に大きな拳が現れた。
「おらああ!」
既のところで拳を躱すルークス。そして、返す手で角から現れた外套の男に膝蹴りを叩き込む。呻く男はまるで許しを請うように膝をつき、ルークスに頭を垂れた。
「大層なご挨拶だな」
「て、てめえこそ俺をつけ回して! 一体どういう了見してんだ? 俺たちのバックに誰がついてるのか知ってんのか!? 俺に手を出すってことはな、この都市を敵に回すってことだぜ!?」
「お前の背後に誰がいるかなんて関係ない。いいから答えろ、どうして酒場で商人と庭師の男を見張っていたんだ? 事と次第によってはただでは済まないぞ」
「はっ! あのお方を知らねえってことは、てめえはココの住人じゃねえな? なら尚更答える訳にはいかねえぜ!」
外套の男は勢いよく立ち上がると、密かに取り出していたナイフを片手にルークスへ斬りかかった。
しかし、ルークスは男の動きを予期していた。ひらりと身を躱しながら剣を抜くと、そのまま柄頭で思い切り男の顔面を強打した。
「あだあ! は、鼻が……!」
「次は鼻だけでは済まないぞ」
「わ、わかった……! 喋るから! 喋るからこれ以上は……!」
「最初からそうしていればいいんだ。それで、なぜあの人たちを狙っているんだ? お前たちは何者なんだ?」
男は本当に降参したのか、ナイフを路地裏に投げ捨てるとそのまま胡座をかいて座った。そして、ルークスに近寄るようジェスチャーすると、ひそひそ声でルークスの質問に答え始めた。
「俺たちは獣の牙っていう傭兵団に所属する傭兵だ。あのお方の命令であいつら……いや正確にはあの庭師を狙っていた」
「傭兵団が庭師を……!? 一体どんな理由で?!」
「理由なんざ知らねえよ。俺たちはあの方の命令を何も言わずこなすだけだ」
「待て、待てよ、あの庭師は領主の屋敷で働いているはずだ。そんな人を殺したら領主が黙っているはずがない? いくらお前たちのバックに有力者が付いていようと、領主を敵に回したらタダでは済まないだろう」
「ああ? あんたこんな路地裏まで来て本当にカタギじゃないんだな」
「どういうことだ?」
「俺たちに依頼を寄越したのは、その領主様だぜ。ここいらじゃ、俺たち獣の牙のバックにパトルス様がいるって話は有名だ」
「そんなバカな!」
ルークスの声が狭い路地に反響した。近くにいた物乞いが驚いて二人に目線を移した。
「おいおい、声が大きいって! いいか、裏社会の公然の秘密ってのは絶対に表に出しちゃいけねえんだ。カタギのあんなに教えたことがバレたら俺の命が危ねえって!」
「……ああ、すまない」
「そもそも俺たち獣の牙は十年以上前にパトルス様が作った傭兵団なんだぜ。まあ、表立ってできないことをやらせるために作ったんだろうな。貴族ってやつはどいつもこいつもロクな奴がいやしねえぜ。おい……あんた聞いてんのか?」
男の呼びかけにルークスは応えることができなかった。頭の中は一人の男のことでいっぱいだったのだ。
(叔父上は……確かに目的のためなら手段は選ばない人だった。父上のように公明正大で正義の人ではなかった。それでも! 無辜の民を害するような人ではない! 何か理由があるはずだ!)
「大丈夫だ。教えてくれて助かった……後は俺の方で調べる」
「そ、そうかい? まあ、止めることをおすすめしておくけどな。長生きしたいなら知らない方がいいことだってある」
「心に留めておくよ」
そう言うとルークスは路地裏から離れるために踵を返した。そのとき、路地裏に一陣の風が吹き込んだ。ルークスはすかさずローブが飛ばされないよう手で抑えた。しかし、時すでに遅し。目深に被ったフードがはらりと飛ばされ、路地裏に似つかわしくない金色の髪が露わになった。
それを見た外套の男の顔はまるで幽霊でも見たかのように真っ青になった。実際、男にとってルークスは幽霊であった。
(あいつは……狂剣!? 何てこった……! 絶対に教えちゃいけない奴にパトルス様の秘密を教えてしまった! こりゃあ一波乱どころの騒ぎじゃないぜ!)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます