第1話 鍵当番
これは、私がまだ新人だったころの話なんですけど。
そのころ勤めていた出版社では、新人なんて残業してなんぼ、みたいな風潮があったんです。要するに、ブラックですね。
それで、鍵当番っていう役割があって、鍵当番になったら、最後まで残って、使った部屋を施錠して、鍵を警備室に預けるんです。
そのころには通路も消灯されていたし、早く帰りたいもので、みんなが鍵当番を嫌がっていました。
私は別に、忌避していたわけではありませんが、鍵当番が回ってくることは少なかったです。
夜の廊下だって、非常口のライトくらいは点いてますし、ただ暗いだけでしたから。それに、ほとんどの場合、一番遅くまで残った人と一緒に鍵を預けにいきますし。
ですが、入社して1年くらい経ったころですかね。
作業が長引いて、私以外誰もいなくなっていました。
しかも、ちょうど鍵当番の日だったんですよ。
鍵当番が一番遅くなったら、そりゃ一人ですよね。
そういうわけで、作業がひと段落したところでさっさと帰ることにしたんです。
私が使用していたパソコンの真上のライトしか点けていなかったから、パソコンを閉じて、ドアのほうに向かうと、すでにかなり暗いんです。
パチンとライトを消したら、すぐに真っ暗になりました。そこで、私は違和感を覚えたんです。
そのころ使っていた作業部屋のドアには、すりガラスの窓が付いていたんですが。それなのに、真っ暗になったんです。
ドアのすぐ向こうにある廊下には、非常灯が点いているのに、です。
その時は特に、見えなくて困る、くらいしか思わなかったんですけど、今考えてみると、おかしいですよね。
非常灯の電気が消えていたら、他の人が気づくでしょうし、仮に、私の前に帰った人がいたときは点いていたとしても、電球が切れそうならわかるでしょう。
その時の私は特に疑問に思うこともなく、ああ、事務に報せなければと思いつつ、手で壁を伝って警備室に向かいました。
廊下を半分ほど行ったときのことです。
カツン、カツン……と、後ろで音がするんです。
女性の足音だ、と思いました。ハイヒールを履いている。
それが、最初は同じ間隔で歩いているように思えました。ですが、それが間違いだとすぐにわかりました。
だんだんと、早くなっていくのです。
急に早くなりはしないけれど、ゆるやかに、けれどもはっきりとわかるくらいに、その足音は加速していきます。
会社でも少ない女性、ましてや仕事に向かないハイヒールの人が、こんな深夜にいるのは絶対におかしい、そう思いました。それにそもそも、廊下を半分歩くまで、人の気配は全くなかったのですから。
何が何だかわからないがこれはまずいと思い、私は警備室へ走っていきました。
そんな私を意に介さずに同じ割合で加速していく足音が、心底気味が悪かったです。
なんとか追い付かれる前に警備室に逃げ込めましたが、そこの明かりが見えた時に匹敵する安心感は、後にも先にもありませんね。
守衛が言うには、時々そういうことがあるそうなんです。
何故あるのかは誰も知りませんし、知りたいとも思いませんが、それ以来、最期まで居残るのは避けるようになりました。
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