第3話 妹の宣言
「昨日は本当にすごかったのよぉー!」
梨々子の大きな声が、廊下まで聞こえる。
伊織が呼ばれたのは、この屋敷で一番広い部屋で、客間としても使用している和室だった。高名な画家に描かせた、見栄を張った掛け軸と、 襖絵には羊の絵が描かれている。
伊織がお茶を持って部屋に入ると、梨々子と父と継母が、座卓を囲んでコの字に座って談笑をしていた。三人とも、まるで伊織を気に留めていないそぶりだ。
少し離れた場所で、伊織は、うつむきながらお茶を淹れる。
本当はここへは来たくない。だが、会合の後は、話を聞きに来なければならなかった。
(来なければ、また叱られるだけ……)
梨々子が上機嫌なので、……きっと昨日はうまくいったのだろう。
自分の能力がいかに認められたか――梨々子はそれを得意げに語っていた。
父も継母も、そんな梨々子を「すごいすごい」と褒めちぎる。
そんな会話を、湯飲みを配膳しながら伊織は聞いていた。
梨々子は、ひとしきり自分の活躍を語った後、「それにしても――」と話し出した。
「来るって聞いてたのに、九頭竜家の次期当主さまは、いなかったわね。残念だわ。あぁん、噂では顔面国宝って言われてるのに、見たかったわ! めったに会えない上に、いつもチラリとしか拝見できないんですもの!」
「あなた、梨々子なら九頭竜も婿にできるんじゃなくて?」
継母が言って、父は首を振った。
「家には序列がある。……九頭竜は無理だ」
「なによ、いっつも序列序列って。私はイケメンと結婚したいだけなのに!」
「……お前には、猿城寺がいるだろう」
「ふふん。まあねー♪」
父は、眼鏡をあげながら言った。
「――昨夜は、会合の直前で鬼がでたとの報告があった。九頭竜が見回りに向かったらしい」
「ふーん。それでいなかったのね」
「鬼が……。どのあたりで、でるんです?」
継母が聞いて、父が答える。
「
「ずいぶん近くですね」
「我々も、もし鬼に遭遇したら『すぐに他の家に協力要請をだすように』、という話だ。連携して退治にあたらねばならない」
――鬼。妖怪の中で最上位の力を持ち、最も退治が難しい存在だ。日本のどこかに隠れ住んでおり、時折、姿を現しては人を攫っていくのだという。その集落がどこにあるのかは、いまだにつかめない。滅多に姿を現さないため、ほとんどの人間は鬼を見たことはない。
祓い屋たちが普段退治しているのは、もっと弱い妖怪たち――といっても害のある危険なものなのだが――だ。
鬼の出現報告があったなら、一番強い能力を持つ九頭竜家が見回りに出るのは、妥当だった。
父の難しい顔と対照的に、梨々子は興味なさげにあくびをする。
「ふーん。まあ、見かけたらすぐに逃げて、九頭竜家に連絡すればいーんでしょ」
「梨々子は、それでいい」
「はぁーい。お父さまー」
通常であれば一般市民に被害が出ないよう、祓い屋こそが妖怪を食い止めるものだ。
ましてや羊垣内家は、分家ではなく、『羊』の本家である。それでも、父は梨々子が可愛いのだろう。戦闘を避けることを許容していた。
「私は戦うのって全然好きじゃないし。それに――、私の『仕事』は、縁談、でしょう? だから、見かけたところで、さっさと逃げるしか選択肢がないわね。うふふ」
そう言って、梨々子は笑った。
「ま、それでいうと、私はとても上手くやってるわよ! 猿城寺ヤシロさまとの婚約も、昨日でついに決まったわ! ヤシロさまも結構イケメンなのよねー♪」
「……普通なら上位の家との婚姻は難しいところだったが、猿城寺の当主が了承してくれて良かった。今度正式に書面でやり取りをする段取りを、つけてきた」
「あなた、それはきっと梨々子が可愛くて優秀だからよ!」
「うふっ! もちろんそうよね!」
梨々子はそう言って笑った。
十二支の家には、一族の規模や能力の強さによって序列がつけられている。
『羊』の家は最下位の十二位 ながら、梨々子は序列三位の『猿』の家と婚約したのだった。
楽しく談笑する家族と少し離れ、伊織は部屋の隅に下がっていた。
数秒、話がやんだので、ちらりと様子をうかがい見る。父と目が合わない代わりに――ぱちりと梨々子と目が合って、伊織は慌てて下を向いた。
「…………」
梨々子は、そんな伊織を見て、うっすらと笑みを浮かべた。
「ねぇお姉さま――。私とヤシロさまが結婚したら、お姉さまには 家を出て行ってもらわなくちゃねー」
「…… え……」
急に話を振られて、伊織は控えめに顔を上げた。
梨々子が、笑みを深めた。
「だってそうでしょう? 私とヤシロさまの愛の巣に、お姉さまみたいな異物を置いておきたくないんですもの」
「え……? どういうこと……? 梨々子、何を――……」
考えないようにしていた。この先のことなんて。ただ、今と同じ日々が続いて、それを耐え忍ぶ日々だと、そういうことにしておかなくちゃ、わたし。
「見てわからない? 私と、お父さまと、お母さま、今三人で――綺麗な家族でしょう? お姉さまって、いなくても――なにか問題あるかしら?」
(……家族?)
目の前には、父と継母と梨々子が三人で座卓を囲んでいて、伊織はひとり離れた部屋の隅で正座していて……。
ぐわり、景色が歪む。
(あ、れ……?)
今まで三人で楽しそうに談笑していて、伊織は会話に加わらなくて。
使用人のように注 いだお茶も、誰も口をつけていない……。
「……ぁ……」
気付かないようにしていた。
見ないようにしていた。
動悸が、止まらない。
梨々子と、父と継母は、揃って伊織をじっと見ている。
頭の中に響く、速い鼓動。ドッドッドッと、まるで胸の内側から拳で叩かれているかのようだった。
ようやく伊織の口からでたのは、か細い掠れた声だった。
「で、でも……呪符とか……。わたし、梨々子の分……」
「ふふん」
梨々子は、湯飲みを持つと――パシャリと伊織の顔にかけた。
「熱……っ!?」
「あんなもの、本当は私でも書けるわよ。でも、やることがない可哀想なお姉さまに、やりがいと使命を与えてあげてるだ・け 」
「はぁ、はぁ……。梨々子……何を言って……?」
「無能よねぇお姉さまって! 呪符を扱えない羊垣内に、価値はあるのかしら?」
「……っ」
「うっふふふふ!」
梨々子が、笑う。
そして、大きな声で宣言した。
「家は私が継ぐ。お姉さまのような、学なし・能なし・用なしは、羊垣内家には、いらないの!」
前髪から滴り落ちるお茶の雫を、伊織は呆然と眺めていた。
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