第9話 英雄

「おい、何やってんだ!」


 トッドは叫んだ。


「いいからやれ!僕は大丈夫だ!」


 人形に握りしめられながらドミトリは叫び返す。


「クソ!恨むなよ!」


 人形の意識は完全にドミトリに向いていた。今まで暴れていたのが嘘のように、ただドミトリを掲げ、静止している。


 トッドは両手を組み、集中力を高める。


 自らの魔力を意識を集中させ、この世界に偏在するエーテルへと向かわせる。彼の精神がエーテルへと接続し、現実への干渉を始める。空中に粒子が集い、少しずつ、これまでこの世界には存在していなかった物体が、滑らかな金属の巨大な槍が構築される。


「許せ」


 どこからともなく、誰かがそう言ったような気がした。


 人形は地面に崩れ落ちた。槍が背後から胸を、コアを守るその装甲ごと貫いたのだ。目の中の光は失われ、ドミトリを掴んだ腕は彼を庇うように掲げたままゆっくりと地面に叩きつけられた。


 巻き起こる衝撃と振動、砂塵から顔を庇いながら、トッドは叫んだ。


「おい!おい!大丈夫か!生きてんなら返事ぐらいしやがれ!」


 残骸を乗り越えながらトッドはドミトリの方へと走る。


「クソッ!化けて出てくるなよ!俺は知らんからな!止めたんだぞ!」


 無茶苦茶なことを口走りながら、重く硬い指の中で眠るドミトリを抜き出そうと、そのローブを引っ張った。


「クソッ!おい!生きてんのか!無駄な力を俺に使わせるんじゃねえよ!俺は非力なんだ!」


 彼の絶叫に応えるように、ドミトリはゆっくりと目を開いた。


「存外に情熱的な男なんだな。君は」


 全身の力を込めて彼を拘束している指を押し開いた。


「全く……火事場の馬鹿力ってヤツだな」


 トッドはドミトリの手を取り、引き上げた。トッドの身体よりも遥かに小さな体躯は軽々と空に浮いてしまう。


「ありがとう。君がいなければここはタダじゃ済まなかっただろう」


 ドミトリがそう声をかける背後でパラパラと拍手が鳴り始める。その音の雫は波紋となって広がり、万雷の拍手や歓喜の声が坑道を揺らす。


 昨日まで得体の知れぬ盗人だった男が1日にして英雄となった瞬間であった。




 警備部隊が警戒線を張ったとしても人々の好奇心は抑えられない。


 最初はおっかなびっくり遠巻きに眺めていた群衆も、化け物が完全に息絶えていると知ると、さざなみのように人形の周りに打ち寄せた。最初は彼らを押し退けていた警備部隊もその壊滅的打撃ゆえに抑えようもなく、諦めたようにその光景を眺めるだけであった。


「ふん、こりゃあすごい。こりゃドワーフ鋼じゃな」


 ゲーニックが金槌で人形を叩きながら言った。

 

 彼の周りには何人かのドワーフの子供達が体育座りの姿勢で集まり、彼の話を聞き入っていた。


「わしも滅多にお目にかかった事が無い。軽く、強い、ドワーフの貴重な合金じゃ」


 体の半分もある髭を撫でながら、ゲーニックは嬉しそうに言った。


「すげえーーー!」


 ゲーニックの授業を聞いていた子供達も同じく、嬉しそうに叫ぶ。

 

 人形に興奮する人々から少し離れ、2人の英雄は静かに座っていた。


 達成感と疲労感––2つの感情を身体に満たしながら、ドワーフ鋼の山に登る子供達をボケーっと眺めていた。


「よくドワーフ鋼を貫く金属を造れたな」


 なんともなしにドミトリが口を開いた。


「知ってたからな。オリハルコンの槍なら貫ける」

 

 トッドは大したことなさそうに笑い飛ばした。


「オリハルコン……君がこの世界で最も希少な合金を作れる程の魔術師だとは思いもよらなかったよ」


 ドミトリの目がトッドに注がれる。水晶玉のような目が彼を逃さぬように動く。


「……別に……今の世じゃあ、魔法が使えるなんて……秘密にしておいた方がいいからな……」


「でも、君は使った」

 

 トッドはドミトリの前に座る患者を想像した。その目はどこまでも見透かそうとする目だった。

 

「わりぃかよ。あのままじゃ……大勢が死んでたからな」


 それ以上、ドミトリは何も言わなかった。


 人々は飽きることなく人形の周りではしゃぎ続けていたが、やがて再び2人の元へその視線が注がれた。


 居住区の方角から来た白い影がドミトリに抱きついたからだ。


 女は膝を突き、男は必死に背伸びをする。腕の長さもアンバランスで、思わず笑ってしまうような抱擁だったが、誰も笑う者はいなかった。


 2人は何も言わず、互いがこの世に存在していることを確かめるかのように何度も背中をさすった。


「シズカ、怪我人は……」


 何かを隠そうとするかのようにドミトリは口を開いた。


「今はローラが見てくれてる。ごめんなさい、私、医者失格ね」


 ドミトリは何かを言おうとしたが、ただ口を開けたまま言葉を出すことが出来なかった。


「そんなこたねえさ」


 そんなドミトリに助け舟を出すように、トッドが言った。


「それが心ある生き物ってもんだろ」


 虚空を漂っていた台詞が、言うべき言葉が、ドミトリの中で定まった。


「心配かけてごめん」


「その通りだ。無茶をしおってからに」


 厳かな声がシズカの背後から現れた。


 大きな傷を持つ小さな男––その男に一同は姿勢を正した。


「まずは住民を代表して感謝を示したい。その罰は適切であったとはいえ、あなたを罰した我々をあなたは救って下さった」


 ジュールスはトッドに手を伸ばす。


「ありがとう。ここに滞在する間、あなたの生活は全て私が保証する。法を犯さぬ限りはね」


 トッドは慌ててズボンで手を拭くと、少し照れ臭そうにジュールスの手を握り返した。


「そして、ドミトリ」


 ジュールスはドミトリへ向き直った。


「かつて君の父君が私を救ってくれたように、再び私を……いや、この街を救ってくれた……心から感謝する」


 ジュールスの光る目を真っ直ぐに見つめ、ドミトリもその手を強く握った。


 再び拍手が轟き、2人の英雄を讃える。


 この地下居住地の長は2人の横に立ち、ここに立つ全ての定命の者達へ語りかけた。


「今回、我々は大きな痛手を負った。多くのものが破壊され、傷を負った者や、命を落とした者もいる。

 しかし、我々は下を向いてはならない。

 我々が父祖より受け継いできたこの地を、誇りを我々の子供達に引き渡さなければ。

 今日、この日を記憶しよう。

 我々の痛みを。そして、2人の英雄と共に。我々は打ち勝った!

 あの巨大な体を溶かし、資材としよう!

 行商ギルドを入れ、必要な資材を手に入れよう!

 我々は立ち上がる!このアイル坑道も再建する!

 だが、今、この瞬間!この時だけは喜ぼう!

 生き残ったことを。

 そして、今ある生を大いに祝おうではないか!」


 




 


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終わってしまう世界を僕らは歩く ながぐつ @nagagutsu

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