第3話 パブロフの犬

その後、私の口から後藤さんの名前が出なくなったことを心配した友達に打ち明けた。

架さんのこと、架さんに言われたこと、そして私の心が折れてしまったこと。


「後藤さんからメールが来ると、架さんを思い出しちゃう、条件反射みたいに」


友達は心配そうな顔をしていた。


「メール来ても嬉しくないの?」


「もし会えることになってもまた架さんいるのかなとか、

架さんの言う通りなら、じゃあなんで後藤さんは返信くれるのかなとか、

いろいろ考えちゃうのに疲れちゃって、返信するのも億劫になってきちゃって…」


友達は一生懸命励ましてくれたけど、私の心は完全に後藤さんから離れていた。

後藤さんのことを考えるたび、思い出すのは架さんばかり。

後藤さんのことを考えないように後藤さんと距離を取るのは必然だった。

ちゃんとフラれたわけではないのに、架さんの言っていることは真っ当のような気がして。

私から連絡することはなくなり、返信すら後回しにしていた。

そうして後藤さんとの繋がりは簡単に途絶えた。

なんだかモヤモヤしたまま、私は高校を卒業。大学生になった。

栄養学科を専攻した私は勉強やレポートに加え、一人暮らしにバイト、新しい友達との遊びと、

忙しくも楽しい日々を過ごしていた。

残念ながら出会いには恵まれず、恋をしている余裕もなかったが、それでも充実していた。

一生懸命1年生をしていたせいかあっという間に2年生の春を迎える。

新しい生活に慌ただしくしているうちに自然と心のモヤモヤは忘れていたし、

だから当然、名前も顔も記憶から薄れていて、その声に気付くはずもなかった。


「やあ」


帰宅途中、改札を抜けて通り過ぎざまに声をかけられても「私?」と振り向いてしまう程。

足を止めてようやく素通りすべきだったと気付く。無視するんだったと後悔する。

突然現れた悪魔に言葉が出てこない。

人懐こい笑顔をしていた架さんは急につまらなそうな顔になる。


「なにそれ。反応薄くない?もっと喜んでよ、久しぶりの再会なのに」


絶対に再会したくなかった。

言葉は失っていたものの、一歩後ずさることで私は防衛反応を示していた。

架さんは再び人懐こい笑顔を見せ、私に一歩近く。


「ご飯行かない?」


「結構です」


被せ気味に即答する私に架さんは驚く様子もなくケロッと笑って首を傾げた。


「どうして?」


その質問の意味が理解できず私は思わず顔を顰めた。

それから縮められた距離を空けるようにまた一歩後ずさって尋ね返す。


「どうして?逆にどうして?」


架さんは「んー?」と考えるように天を仰いだあと、またにっこり微笑んで私を見る。


「じゃあ君はどうして後藤とご飯を食べに行ってたの?」


えぐってくるな?!

再会早々すごいえぐられ方!

後藤さんのことに触れるんだ…触れちゃうんだ…

まあ、でも、架さんにとっては取るに足りない出来事。

私に言ったことなんて覚えていないんだろう。

それで私がどんな思いをしたかなんて知る由もないんだから。


「架さんとご飯に行く理由は微塵もないので」


「僕には山ほどあるんだけど」


塞がったはずの傷口が開くような感覚だった。

だけど後藤さんのことを吹っ切れている今、湧き上がるのは怒りだけ。

どうしてあんなこと言ったんですか?

そう聞いてみたい気持ち、私がどんな思いをしたかぶつけたい気持ち…

私にも理由はあるのかもしれない。

だけどわざわざ関わりを持つ必要もない。

いろいろ考えて俯いている私に架さんは観念したように口を開いた。


「まあいいや。また会いに来るよ」


「え?」


「もう会えないかと思った」


私はもう二度と会いたくないと思っていました。

喉元まで出かかった本音を呑み込んで架さんをじっと見つめた。

今度は何を…企んでいるんだろう。

架さんは妙に優しげな微笑みと口調で言う。


「僕のこと覚えててくれたんだね」


「…それは…」


忘れるわけないでしょうよ。

いや、違う。忘れたかった、一刻も早く。

でも後藤さんのことを考えるたび、条件反射のように架さんを思い出した。

だから私は後藤さんを忘れるしかなかったのに。


「僕もそうだよ」


悪魔単体で再登場してくるなんて…


「だから何度でも会いに来るよ」


架さんはそう言って人懐こい笑顔を見せると、クルッと向きを変えて去って行った。

ホッとしたのも束の間。

「何度でも会いに来る」?また来るの?どういうこと?

私はたった今、地獄に足を踏み入れたのか?

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その出会い、最悪につき。 だみまる。 @damimaru

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