にのまえくんは救えない

芳香サクト

第一章 【カフェインにカフェインを混ぜたら後味が苦い】

前略『その序章は、崩壊へのカウントダウンのようだった。』

すめらぎ青芭あおばが、カンニングをしたらしい。」


 その噂が教室という名の閉鎖空間を駆け巡るのに、一分もかからなかった。

 昨日まで学校一の「王子様」として羨望の眼差しを集めていた彼女が、一瞬にして「卑怯な嘘つき」へと選別される。


 証拠なんて、誰も持っていない。

 けれど、誰もがそれを信じたがった。  

 なぜなら、完璧な人間が泥にまみれ、無様に転落する瞬間ほど、娯楽として優れたコンテンツはこの世に存在しないからだ。


 昨日まで彼女に黄色い声を上げていた女子生徒も。  

 彼女の背中に憧れていた男子生徒も。  

 今では一様に冷めた目を向け、あるいは嘲笑を浮かべてスマートフォンを叩いている。


 ――美しくない。


 旧校舎の隅、埃の舞う化学室の片隅で、白髪の少年、にのまえ八雲やくもは、フラスコの中で激しく泡立つ毒々しい色の液体を見つめて、無機質に呟いた。


「実に行列の並びが悪い。この学校の悪意は、統計学的な予測値を大幅に逸脱しています。……非合理的だ」


 彼は救世主ではない。

 サヴァン症候群という特異な脳を持ち、数字と論理以外を「ノイズ」として切り捨てる、ただの変人だ。  

 他人の涙にも、正義感にも、彼は一パルスの興味も示さない。


 だが。  

 もしも、その歪なノイズの裏側に、誰かが仕組んだ「醜悪な数式」が隠されているのだとしたら。  

 彼はその冷徹なメスを、容赦なく真実へと突き立てるだろう。


「……付随物の旅人たびとさん。君の友人を救うのに、感情論は一ミリも必要ありません。必要なのは、この不条理を解体する『執刀』だけです」


 彼は決して、優しさで動くわけではない。

 ただ、間違った数式がそこに存在することが、我慢ならないだけなのだ。


 ようこそ。

 完璧な王子様が壊れ、白髪の天才が嘲笑い、言葉を操る語り手が奔走する。

 あまりに不条理で、けれど最高に痛快な、僕たちの復讐劇へ。


 その幕が上がる音は、何かが致命的に壊れる、終わりの合図のようだった。

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