第20話 白い神殿

 夜が更けると、ゼナとアロイスはいつものように一つのベッドに横になる。ディナー中もずっと胸の高鳴りと罪悪感が表裏一体となって、ゼナの気持ちを掻き乱していた。

 すぐ近くから、すやすやと安らかな寝息が聞こえてくる。


(アロイス様のことが知りたい。できることならば、わたしの知らない全てを)


 ゼナは半ば無意識に彼の背中へと腕を伸ばした。黒いリネンシャツで隠れているが、その向こうにはあの黒い天使の羽があるだろう。

 ゼナは痣を確かめるように、シャツ越しにそっとアロイスの背に触れてみる。


「っ……!?」


 瞬間、指先からピリリと痺れが伝わり、ゼナはぎゅっと目を瞑る。同時に激しい睡魔に襲われ、夢の中へと潜り込んでいくかのように意識を手放した。



 ゼナは神殿にいた。

 大理石で築かれた、光に包まれる白い世界に。

 神殿は静寂に包まれていた。青白い光が天井から差し込み、古代の紋様を刻んだ石造りの壁を淡く照らす。風はなく、空気はまるで時間が止まったかのように澄んでいる。


 今日は女神が不在の日。

 ゼナは迷宮のように広い神殿を歩き回り、やがて地下への階段を降りていく。

 暗い地下道を通り抜けていくと、いくつもの部屋があった。ゼナは得体の知れない力に引っ張られるようにして、地下の一番奥にある部屋まで駆ける。


 とても重い扉をなんとかこじ開け、背中に生えた羽を縮こませて、中へ滑り込むと、部屋の中にヴェールに覆われた大きな鳥かごがあるのを見つけた。

 しかし、透き通るヴェールと黒鉄の格子の向こうには誰もいない。不思議に思っていると、鳥籠から離れた部屋の隅に、他の誰よりも純白の羽を持った天使の少年が横たわっているのが見えた。

 ゼナは辺りを見渡してから、忍び足で少年のもとへと近寄り、声を潜めて問いかける。


「どうしたの……? 泣いているの?」


 すると、少年はびくりと身体を揺らし、ゼナの顔を見て、ぎょっとしたような表情を浮かべた。目元は赤く、頬には涙が伝っている。

 声をかけるまで、こちらの存在に気がついていなかったらしい。

 鮮やかなルビーの瞳を持つ少年は、泣き腫らしても美しい顔を少し歪めて、口を開く。


「……誰?」


 話ができたことが嬉しくて、ゼナは興奮気味に身を乗り出す。


「わたしは。地下に美しい天使が住んでいるっていう噂を聞いてきたんだけど、本当にいたのね……! ねえ、あなたの名前は?」


 尋ねると、天使は少し考える素振りを見せる。

 沈黙の後、何かを答えようとした瞬間、彼の口から「ぅ゙っ」と鈍い声が漏れた。

 よく観察すると、少年の羽は途中であらぬ方向へと折り曲がり、羽がいくつか剥げてしまっていた。


「大変! 羽が折れてるわ」


 ゼナは羽の傷に手を翳し、心で祈り、神から授かった力を分ける。これで、傷の治りもはやくなるはずだ。

 しばらくそうしていると、荒い息を吐いていた少年は落ち着きを取り戻し、涙も止まった。


「すごい、痛みがなくなった」


 彼は確認するように羽を広げて呟く。

 羽に向けていた目をゼナへと動かす。目が合うと、少年はこちらへ身を寄せて、耳打ちをした。


「俺は


 と。

 それから、ゼナはアロイスに、いつ生まれたのか、どうしてここにいるのか、とたくさん質問をした。

 アロイスは他者と話をするのに慣れていないのか辿たどしい様子だったが、質問にはひとつひとつ答えてくれた。


 生まれてから約十年間。ずっと鳥籠の中にいて、一度も外へ出たことがなかった。神が出してくれなかった。外の世界を見てみたくて抜け出したが、上手く飛べずに怪我をしてしまった……アロイスはそう語った。


「わたしが連れて行ってあげる」


 ゼナはアロイスに言った。彼の境遇が可哀想で、悲痛に思えて。

 瞬く彼の手を強引に掴み、地下室の入口へと歩いていく。

 アロイスは、手を振り払わなかった。地下室を飛び出し、暗い道のりを早足で通り抜ける。

 地下の階段から見る地上は、とても眩しい。隣を見ると、アロイスが涙の跡が残る目をうっとりと細めていた──。



 ふっと水中から浮かび上がるように、城の上から突き落とされたかのように、意識が急浮上する。

 視界に移るのは、暗い地下道でも白い神殿でもない。見慣れた天井だった。


「は……」


 金縛りから解かれた時みたいに、ゼナは喉元から息を絞り出す。

 知らずに身体の横で握りしめていた手が汗ばんでいる。


「今のは、夢……?」


 ゼナはベッドに横たわったまま、額に手を当てて考える。

 おかしな夢だったが、以前も同じような夢を見たような気がしてならない。

 いや、これをただの夢や空想だと考えるにはあまりに鮮明すぎる。夢の中にいた白髪のアロイスは、本当に生きているかのようだった。


「記憶」


 無意識に、言葉が口をつく。

 そう、記憶と言った方がしっくりくる。

 しかし、ゼナはこのような神殿にいた覚えはない。それでは、この記憶はいったい誰のものなのか──否、いつのものなのか。


(段々と分かってきた気がする。もう少しで、手が届きそう)


 もう一度先程の記憶を見ようと、ぎゅっと目を瞑ってみるも、どうにも寝付けない。


(また、アロイス様の痣に触れれば)


 そう思い、ゼナは横を向く。彼の背にある痣。そして、己の背にある痣。それが、天使の名残りだとしたら。

 普段ならば、ただの空想だと割り切るけれど、それが本当に有り得ることのように思えてならない。


 意を決して、ゼナは再びアロイスの背に手を伸ばす。指先で触れたのを確認して、目を瞑る。

 だが、いつまで経っても何も起こらない。


「あれ」


 不思議に思ったその瞬間、微かな呻きとシーツの擦れる音が耳に届いた。背を向けていたアロイスの身体が、こちらに倒れてくる。


「あ……」


 ゼナと向き合うように寝返ったアロイスは、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 目と目が合い、アロイスが口を開く。


「ゼナ、どうした」

「すみません。起こしてしまって……」

「それは構わないが。眠れないのか」


 心配そうに顔を覗き込まれ、曖昧に頷く。

 アロイスはゼナの頭をそっと撫で、その腕の中に身体を抱き込んだ。


「まだ早い。ちゃんと寝ないと朝に響く」

「はい、ありがとうございます」


 ゼナは彼の体温に包まれながら考える。


(わたしの意思で、あの記憶に干渉できるわけじゃないのね……)


 なんて不甲斐ないことか。やっと鍵を見つけたと思ったのに。

 あれが本当にあった出来事なのだとしたら、なぜアロイスは隠そうとするのだろう。なぜ、女神のいる神殿ではなく地上で、こうして身を寄せあっているのだろう……。

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宿縁の花嫁は黒王子と二度目の愛を誓う 祈月すい @kidukisui

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