ネクタイ
今日は、紗奈が悠の部屋に泊まりに来ている。今日も学校だったし、明日も学校があるので、悠の部屋には制服が男子用と女子用、二つが掛けられていた。
「ねえ、悠くん」
「んー? 何?」
紗奈は壁に掛かっている制服を見つめながら、悠に声をかける。
「私、悠くんにネクタイ結んでみたい」
「ネクタイ……?」
「お父さんが仕事に行く前にね、お母さんがネクタイを結んであげてる時があるの。あれ、素敵だなあって思って……」
紗奈は手を軽く動かして、ネクタイを結ぶようなジェスチャーをする。仲良しな紗奈の両親を思い出しているのか、ほんのりと頬が赤く染まっていて、可愛らしかった。
「ああ、そう言う事か。いいよ。結んでみる?」
「本当?」
「うん。それに、俺もちょっと憧れる。好きな人が結んでくれるの、嬉しいし。紗奈の両親みたいに、俺もいつか結婚したら、奥さんに結んでもらったりとかしたいって思うし」
悠がそう言って微笑むと、紗奈の頬は先程よりも鮮やかな赤色に染まった。
「奥さん……」
「あ、えっと…まあ、うん」
紗奈の反応に、悠も照れたように頬をかいた。
「そうだね。俺がいつか迎える奥さんは、紗奈を想像してるよ。……ふふ、予行練習みたいだね」
と、悠も軽く頬を染めてはにかんだ。
「はわ。が、頑張って覚えるね! 絶対、お母さんみたいに綺麗に結べるようになるから……!」
「ふふ。楽しみ」
悠が優しく微笑むと、紗奈は恥ずかしそうに頬を両手で包んだ。そして、紗奈の頭の中で妄想が膨らんだのか、少しずつ口角が上がっていく。
「紗奈。紗奈がネクタイを結んでくれるならさ。紗奈のリボンも、俺が付けてあげていい?」
「え? うん! 嬉しい!」
明日学校に行く準備をするのが楽しみだ。紗奈は心底嬉しそうに笑う。悠はそれを横目に見つつ、練習のためにハンガーにかかった制服からネクタイを取る。
「えっと、まず俺がやってみた方がいいよな?」
「うん。ありがとう、悠くん」
悠はいつも学校に行く時のように、ネクタイを結ぶ。紗奈が見やすいように、ゆっくりと丁寧にだ。紗奈はじーっと悠の首元を見つめて、空で手を動かした。
「やってみる?」
「うん」
悠からネクタイを受け取った紗奈は、悠がやっていたようにネクタイを結ぼうとする。
「……あれ? えっと、こうじゃなかったかな?」
しかし、見ているのとやってみるのとでは少々勝手が違った。
「一巻少ないかも?」
悠は一度ネクタイを外して、さっきまで使っていたクッションに巻き付けてみる。
「……あれ?」
が、悠も結び方を間違えてしまい、形が崩れた。
「いつも自分で結ぶ時は簡単に感じるのになあ」
悠はそう言いつつ、むくれた顔で紗奈の首にネクタイを巻いてみる。
「こうして……。そうだ。こうだ」
紗奈は悠が結んでくれたネクタイを見つめてから、チラッと悠の顔を見る。
「鏡見てみていい?」
「ふふ。気になるの? もちろんいいよ」
悠の部屋には、壁掛けの鏡がある。着替えの時に見る姿見なので、全身を写すことの出来る大きな鏡だ。
「わぁ……! へへ。……ふふふ」
紗奈は自分の首元を飾っているネクタイをさわさわと手で触り、ご機嫌な様子で笑っている。そのご満悦な表情のまま悠を振り返ると、口を開いた。
「大好きな人が結んでくれるのって、こんなに嬉しいんだね!」
紗奈はそう言って、両手で大事そうにネクタイを撫でる。つい胸を高鳴らせてしまった悠は、紗奈に見蕩れたまま紗奈の手に触れる。
「そんな可愛い顔して……」
紗奈の手を取った悠は、そのまま彼女の手のひらにキスをした。
「俺も可愛い紗奈の手で、早くネクタイ結んでもらいたいんだけど」
「はわ……」
紗奈は顔を真っ赤にして、悠に握られていない方の手で頬を押さえた。
「ごめんねっ。悠くんに結んで貰ったのが嬉しくて、私ばっかり堪能しちゃった」
「ふふ。明日が楽しみだな」
「うん。もうちょっとだけネクタイ借りていい?」
「もちろん。俺の身体もお好きにどうぞ」
紗奈はやっと自分の首からネクタイを外して、悠に巻いてみた。身体も好きにしていいと言うことなので、遠慮なく練習台になって貰う。とはいえ、本番も彼の首に巻くのだけれど。
「よし。今度は上手に出来たよ」
紗奈が結んでくれたネクタイを見つめてから、悠も鏡に向かう。そして、先程の紗奈のように、満足そうに笑みを浮かべるのだった。
。。。
紗奈がネクタイを結べるようになってから数日が経った。
紗奈は父親にも練習台になってもらって、悠に教えてもらった簡単な結び方以外にも、何種類かネクタイを結べるようになっている。もちろん、教えてくれたのは母だった。真人は基本的なネクタイの結び方しか知らないのだ。
「えへへ。また今度、悠くんに結んであげるんだ!」
「喜んでくれるといいわね」
「うん!」
紗奈は由美に見送られ、家を出る。今日は義人も一緒だ。由美の具合が著しくないため、今日はマンション付近の公園で義人の友達と合流するまでの間、紗奈が義人の面倒を見ることにした。
「あっ、義人。おはよー!」
「義人の姉ちゃんもおはよう!」
「うん。おはよう。佳奈ちゃん。零くん。義人くん、行ってらっしゃい。友達と仲良く、気をつけていくんだよ?」
「はーい! ねーねも気をつけるんだよー」
義人は紗奈の真似をして、紗奈を見送ってくれる。義人達の学校と紗奈が向かう駅は別の方向にあるので、すぐに別れなければならないのだ。
。。。
朝のホームルームが終わって、授業までの休憩時間。悠は春馬に貸した辞書を取りに紗奈の教室に来ていた。
「ねえ、藤瀬くん。紗奈、なんか元気なさそうなんだけど。何か知ってる?」
悠は、机に頬杖をついてため息をつく紗奈を見つめて、春馬に聞いた。
「ああ。なんか、ホームルームの前に加賀さんと本読んでて、その後から少し元気なかったかも」
「そお……」
悠は気になったので、席に座って本を読んでいる百合子に声をかけた。紗奈に聞くと、内容によっては誤魔化される場合があるからだ。
紗奈は自分から「悠くん、聞いてよ!」と話してくれる時もあれば、悠が何度聞いても「大丈夫だよ」と誤魔化す時もある。少し寂しいが、今日は百合子の方に聞いてみることにした。
「ああ。紗奈ちゃん? えっとね……。これ」
悠が紗奈の様子について質問したら、百合子は読んでいた本のページをパラパラとめくって、とある文章を見せてきた。
「今週の…占い?」
「そう。この雑誌によると、紗奈ちゃんは占いで最下位なの」
「それで落ち込んじゃってるのか」
悠は頬杖をついて唇を尖らせている紗奈を見つめて、眉を下げる。ただの占いだし、すぐに元気になるだろう。とは思うのだが、今の紗奈は落ち込んでいるのだ。彼氏として、何とか元気づけてあげたいに決まっていた。
「加賀さん。占いってラッキーカラーとかラッキーアイテムってあるよね? 紗奈が元気になれるようなもの、何かないかな?」
「ふふ。本当に小澤くんは紗奈ちゃんが大好きだね。えっと、紗奈ちゃんのラッキーアイテムは……」
百合子は占いのページをもう一度遡って、調べてくれる。
「ネクタイだって」
「ネクタイか」
ネクタイならば、丁度学校指定のネクタイを自分が着けている。
「ありがとう、加賀さん」
悠は百合子にお礼を伝えると、今度は紗奈に近づいて、声をかけた。
「紗奈」
「悠くん!」
紗奈は悠の姿を見た途端、落ち込みが嘘のように笑顔を見せてくれた。
「ちょっとごめんね」
「え!?」
悠は短い一言の後、紗奈のリボンを外した。当然、紗奈は驚く。
「こ、こんな所で何するの!?」
紗奈が頬を染めて狼狽えていると、手のひらの上に自分がさっきまでつけていたリボンが乗せられた。そして、首元に何かが巻き付けられたのを感じる。
「え? ……ネクタイ?」
「うん。ネクタイがラッキーアイテムなんだろ? これでもう最下位じゃないな!」
悠は紗奈と練習をしたので、人に巻くのも上手になった。紗奈の首元に綺麗に巻かれたネクタイを見て満足し、悠はまた百合子の元へ向かう。
「紗奈、俺のネクタイつけてるからこれで最下位じゃないよ」
「そうだね。紗奈ちゃんも嬉しそう」
遠くで見ていた百合子もだが、悠が紗奈に近づいた途端にクラス中から注目を浴びたので、ほとんどの人が一部始終を見ていた。ろくに話したこともない紗奈の男子クラスメイトからも「見せつけてくれるじゃん」とからかわれてしまったくらいだ。
嬉しそうに笑っている紗奈を見つめて満足しつつ、何人かの男子生徒と会話をしてから、悠は教室に戻った。
……ネクタイを忘れたまま。
「おかえり。そろそろ授業始まるよ」
「ああ。急いで準備しないとな」
春馬から返してもらった辞書を机の上に置き、悠はロッカーから教科書を取り出す。
「なあ、小澤。お前、ネクタイどーしたの?」
とクラス委員の立石に聞かれ、やっと気づく。
「あ、忘れてた!」
悠がそう言って廊下の方を見たその瞬間、紗奈が慌てて教室へと駆け込んできた。
「悠くん。ネクタイ!」
「ごめん。紗奈」
「もう。忘れて戻っちゃうなんて……」
紗奈の眉はつり上がっているように見えるが、口元は嬉しそうな弧を描いている。お小言のような言葉を呟きつつも、紗奈は悠の襟に手を伸ばして、立てた。
「悠くん。ネクタイ、本当にありがとう。占いが最下位でちょっぴり落ち込んでたけど、悠くんのおかげでハッピーな日になりそうだよ」
ネクタイを綺麗に結び終えた紗奈は、悠の襟を直して満足そうに笑う。そして、悠を見つめて微笑む…かと思いきや、また眉をつり上げた。
「でも、急にリボンを外されたらびっくりするよ。人が見てるんだよ……?」
プックリと可愛らしくお説教されてしまった。悠が謝罪をしたら、紗奈は今度こそ満足したのか、悠に向かって「また昼休みにね」と挨拶をする。今度は微笑んでくれた。
紗奈が教室を出ていくと、悠は案の定、クラスメイト達に一気に声をかけられた。
「羨ましいぞ! この野郎!」
「恋人を通り越して、夫婦みたいだね……」
「甘々すぎー! ずっと見てたいんだけど!!」
「見せつけやがって、イケメン滅びよ!」
悠は文化祭以降、周りの目をほとんど気にしなくなった。人前でも紗奈を愛でるのが通常になりつつある。
「紗奈ってば、俺にネクタイ結びたくて練習したんだよ。可愛いでしょ」
悠は頬を染め、蕩けるような表情で言う。そうすれば、周りの声がエスカレートすると分かりきっているのにだ。
「ムカつく。この野郎!」
と、一部の男子生徒からは、おふざけの物理攻撃まで貰ってしまった。それでも、悠は始業のチャイムが鳴るまで、小突かれつつも幸せそうに笑っていた。
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