第27話「森に触れた異物、世界を揺らす影」
白い粒が降り続く。
世界の残骸が剥がれ落ち、森の純度が増し続ける。
焚き火の周りの植物は光を吸い、火を喜ばせ、
根は大地を深く繋ぎとめ、
風は音の代わりに感情を運んでいた。
この森は、最初からここにあったわけじゃない。
俺が望んだから、世界が森に変わった。
だから安定している。
だから静かだ。
だから幸福だ。
――そのはずだった。
◆
空気が“歪む”。
白い粒の降り注ぐ音なき夜に、
まるで濁った墨のしぶきのような“黒い塵”が混ざった。
ひとつ。
またひとつ。
そして、数え切れないほどの黒。
その黒は雨とは違い、地面に落ちない。
葉にも触れず、火にも燃えず、霧のように漂い――
森そのものに拒絶されていた。
「……異物だね」
リュミエルの声は静かだった。
「世界が、外から“何か”を押しつけられた」
カインが分析する。
「でも拒絶してるな。黒い塵が森に触れられねぇ」
バロウが興味深げに目を細める。
「これは敵じゃなくて、“別の法”」
エリスが断言した。
敵意ではない。
悪意でもない。
ただ、“この森と相容れない存在”。
それだけで、拒絶が起こる。
◆
俺は立ち上がり、黒い塵へ指を伸ばす。
塵は人間の埃に似ているが、
匂いはなく、感触もなく、痕跡も残さない。
まるで、触れたという事実そのものが消えていく。
皮膚に触れても記憶に残らない。
「……これは?」
「世界の“祈りのカス”だ」
リュミエルが呟く。
「崩れゆく世界のどこかで、誰かが祈った。
肉体も魂も魔力も、すべて失われた末に残るのは――祈りだけ」
カインが続ける。
「それが、世界の外へ溢れ出して、ここに漂着した」
バロウ。
「祈りそのものに対象はない。
けれど、確かに“求める声”として存在する」
エリス。
黒い塵は祈りの残骸。
祈りは本来、誰か・何かへ向けられるものだ。
だが、外の世界は崩れ、
祈りを受け取る存在も対象もいなくなった。
向かう先を失った祈りが――
外へ漏れた。
そして、唯一残った世界へ流れ着いた。
つまり、ここだ。
◆
「祈りが、俺に向いているわけじゃないのか?」
そう問うと、四人は同時に首を振った。
「向いていない」
「狙ってない」
「託されてもいない」
「ただ溢れただけ」
それは、どこまでも“無関係”。
俺を頼ったわけでも、欲したわけでも、すがったわけでもない。
ただ流れてきただけ。
それが逆に、妙な恐怖を孕んでいた。
“祈り”という言葉が本来持つ意味とは違う、無方向の祈り。
対象も、願いも、意志もない。
“誰でもいい、どうでもいい”という願望の残骸。
そんなものが、森に触れようとしている。
◆
黒い塵が焚き火の灰に触れ――
炎が一瞬、揺らいだ。
エリスが息を飲む。
カインが身構える。
バロウが笑うのをやめる。
リュミエルが魔法を構えそうになり――
俺は手を上げて制した。
触れさせるべきだ。
避けるのではなく、世界の反応を観測すべきだ。
俺の思想が、自然にそう判断した。
火に触れた黒い塵は――
燃えなかった。
燃える代わりに、声になった。
「……見つけて……」
誰かの声。
大人か子供かも分からず、性別も不明。
嗚咽でも悲鳴でもなく――喪失の宣告。
次の瞬間、炎は黒い塵を拒絶し、
塵は霧散して消えた。
森は祈りの残骸を受け入れなかった。
◆
「……お前、何か思うか?」
カインが問う。
「何も思わない」
俺は即答した。
悲しみも憐れみも、怒りも嫌悪もない。
ただ――無関心。
「祈りの残骸に応える義理はない」
俺は淡々と続ける。
「俺の世界に必要なのは、俺の望みだけだ」
仲間たちは、穏やかに目を細めた。
「だろうな」
「そうでなきゃ困る」
「それでこそ俺たちの中心だ」
「あなたがそう思ってくれてよかった」
肯定しか返ってこない。
否定が存在しない。
◆
黒い塵は次々と流れてくる。
無数の祈りの残骸。
意味も対象もない願いの屍。
森は拒絶し、世界はそれを受け入れない。
でも、塵は止まらない。
外の世界が完全消滅に近づくほど、
祈りの残骸は大量に流れ込んでくる。
次第に塵が重くなり、空気の揺らぎが強くなり――
森がわずかに“うめいた”。
拒絶し続ければ摩耗する。
異物と衝突を続ければ不安定になる。
森は世界だ。
世界は俺だ。
俺の声が法だ。
ならば――
この状況に答えるのは俺の役割。
◆
「どうする?」
バロウが笑う。
「異物を壊す?」
リュミエルが期待に満ちた目を向ける。
「受け止める?」
カインが淡々と聞く。
「抱きしめる?」
エリスの声は少し震えていた。
黒い塵の“祈り”は、あまりにも弱く、あまりにも虚しい。
けれど、無害ではない。
量が増えれば、世界へ侵食する。
外の世界の死に間際の残響が、
この森を飲み込もうとしている。
だが俺は――そのどれも選ばなかった。
「選ばないんじゃない」
喉が勝手に熱くなる。
「新しい選択肢を作るんだ」
人間的な倫理でも、魔王的な破壊でも、神的な救済でもない。
俺だけの選択。
◆
俺は一歩、火のそばへ踏み出し――
喉を鳴らした。
森が息を止め、
影も静まり、
白い粒の雨も凍り付く。
そして――声を発する。
「――還れ」
祈りの残骸へ対する命令。
祈りを受け取るでもなく、壊すでもなく、救うでもなく。
“送り返す”。
◆
黒い塵が一気に波打った。
どこかへ運ばれるように、空気が裂け――
亀裂の向こうに、黒い虚無が覗く。
そこは世界でも空でも宇宙でもない。
“外の外”。
どんな物語も始まらず、
どんな物語も終わらない場所。
祈りすら溶けてしまう、絶対の静寂。
黒い塵はすべてそこへ吸い込まれ、
最後の一粒さえ残さず消えていく。
俺の声は、祈りの残骸を“存在の外側”へ送り返した。
◆
裂け目は、すぐには閉じなかった。
どくん、と脈を打つ。
森が警戒して緊張している。
しばらくして――
裂け目の奥から音が響いた。
「みつ……けて……」
さっきと同じ声。
でも全然違う。
意味も感情も分からない、
対象も目的もないのに――
俺へ向かっている。
祈りは無方向のはずだった。
だが、“還れ”という命令を受けた瞬間、
祈りに方向性が生まれた。
→ 自分を「見つけてほしい」という方向性。
命令によって“祈り”を目覚めさせてしまった。
◆
裂け目の先から、姿のない何かがこちらへ手を伸ばそうとしていた。
黒い塵ではなく、
言葉でもなく、
光でも影でもない。
ただの“気配”。
だが――
その気配は“俺を理解しようとしていた”。
俺の声によって、
無方向の祈りが――
方向性を得てしまった。
“俺を探す”方向性を。
◆
森が震える。
仲間の影が立ち上がる。
狼が唸り、牙を剥く。
焚き火の炎が燃え上がり、
裂け目へ向けて巨大にうねる。
「来させたくない?」
エリスが尋ねる。
「来させたいとも思わない」
俺は答える。
「どうでもいい?」
リュミエルが微笑む。
「どうでもいいわけじゃない」
俺は首を振る。
そこには、確かな確信があった。
「俺の世界に“理解”はいらない。
“肯定”だけがあればいい」
裂け目の奥の存在は、俺を理解しようとしている。
理解は、侵入だ。
観測は、侵略だ。
だから――拒絶する。
「――閉じろ」
低い一言。
裂け目は一瞬で閉ざされ、
森は深いため息のように揺れた。
黒い塵も、祈りの声も、異物の気配も――
すべて消えた。
◆
焚き火に戻る。
仲間たちは座り直し、
笑い、微睡み、
何事もなかったように続きの時間に戻った。
俺も座る。
世界に侵入しようとした存在は排除した。
だが、俺の声は世界を再び一歩深めた。
“祈りの対象”になる未来を拒絶し、
“理解される未来”を拒絶し、
ただ“肯定される未来”だけを残した。
それが、森の安定へと接続する。
焚き火は安堵のように揺れた。
その炎に照らされながら、喉が静かに脈打つ。
――次の言葉は、まだ必要ない。
必要なとき、望んだとき、
俺はまた声を出す。
世界はそれを待ち、
仲間はそれを信じ、
森はそれを受け入れる。
それでいい。
それがいい。
今日も、狂気と幸福の日常が続く。
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