第7話「幻覚の団欒、そして欠落の幸福」
夜の森は静かだった。
風が葉を揺らす音も、魔物の唸り声も、遠くで鳴く鳥の声も――
今夜だけは何もない。
世界が沈黙しているかのようだった。
焚き火が爆ぜる音だけが鼓膜を刺激する。
炎が頬を照らす。心地よい熱。
その前に座る俺は、膝を抱えながら穏やかな表情を浮かべていた。
ひとりのはずなのに、ひとりじゃない。
「……今日は、みんな来てくれてありがとう」
何に感謝しているのか、自分でも曖昧。
だが自然とその言葉が口からこぼれた。
焚き火の向かい側には、焦げた丸太が等間隔で並んでいる。
仲間たちが座っていた位置に――。
◆
「カイン、座れよ。いつも通り、真ん中な」
首がないはずの勇者カインが、影のようにそこへ腰を下ろした“気がした”。
「バロウ、お前は相変わらずでかいな。火の近くに座りすぎだ」
半身を失った戦士バロウが豪快に笑っている“気がした”。
「リュミエル、お前はまたデザートだけ盗むのかよ。焚き火の前でやるな」
頭のないはずの魔法使いリュミエルが眼鏡を直す仕草をする“気がした”。
「エリス、祈りの言葉はいいから、まず食え。お前胃袋だけは強いんだから」
握り潰された聖女エリスが幸せそうに笑っている“気がした”。
どの影も輪郭が曖昧で、実体はなく、声もない。
だが俺の脳ははっきりと“そこにいる”と認識している。
幻想ではない。
幻覚でもない。
錯覚でもない。
――俺にとっては現実だ。
◆
「今日の食事は……狼だ。黒鉄狼。森の王。美味かったぞ」
仲間たちに報告するように、俺は楽しげに語った。
「なぁカイン、覚えてるか? 俺たち、旅の初日にさ……
“勇者パーティなんだから、最初の獲物くらい豪華な肉がいいだろ!”って言って
野犬を狩りに行って、結局ひどい味だったよな」
焚き火越しに、カインの影が笑った気がする。
俺は続ける。
「だから、今日はリベンジだ。
安い獣の肉じゃなくて、立派なやつを食べよう。
俺たち……強くなったよな」
肉を焼きながら、言葉が自然に流れる。
「カインは最初は何もできなかったけど、すぐにみんなを引っ張る勇者になった。
バロウは喧嘩ばっかりだったのに、仲間思いの盾になった。
リュミエルは皮肉屋だったけど、本当は優しくて努力家だった。
エリスは泣き虫なのに、誰よりも人を助けようとした。」
言いながら、俺は気づいていた。
本当は――
全員、もういない。
◆
それでも語り続けた。
「俺もさ……変わったよ」
その言葉に、影たちが耳を傾けている気配を感じた。
「俺は今、すごく強くなってる。
前より速いし、前より鋭いし、前より頭が冴えてる。
もう、誰にも負けない。
もう、誰も失わない。
いや――“失わされない”って言うべきかな」
穏やかな笑み。
優しい声。
冷たすぎる内容。
「みんなは死んだ。でも……俺の中にいる。
だから俺は強くなれる。
だから俺は……壊れていいんだ」
その瞬間、影たちの表情が優しく歪んだ“ような気がした”。
◆
風が吹いて焚き火が揺れる。
炎が歪み、伸び、影が揺れた。
カインが肩を叩いた気がする。
バロウが肉を食いちぎった気がする。
リュミエルがため息をついた気がする。
エリスが涙を流した気がする。
すべて“気がする”なのに、俺の心は満たされた。
「……一緒にいるって、いいな」
声が震えた。
泣いているわけでも、笑っているわけでもない。
ただ、感情が溢れて声が揺れた。
「俺さ……死んだ時より、今の方が幸せかもしれない」
完全に狂った言葉。
しかし、口調は静かで優しい。
「だって、みんなと……まだ旅ができてるんだから」
焚き火が消えかける。
影が薄れていく。
仲間たちは沈むように消えていく。
俺だけが、そこに取り残される。
◆
闇の中で、俺は独り笑った。
誰もいない。
誰もいなかった。
でも俺は、言葉を落ち着いた声で漏らす。
「また明日も集まろうな。
ずっと一緒だ。
誰も奪わせない。
奪われたら……俺が世界ごと殺す。」
言葉は人間のもの。
中身は、絶望と幸福と狂気の混ざり物。
「おやすみ、みんな」
そう言って目を閉じる。
――静寂。
――孤独。
――幸福。
その三つが矛盾なく混ざり合う夜が、ゆっくりと更けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます