第29話 次の私へ
「なにやっていたんですか!?
もう、奥さんは分娩室に入りましたよ!」
妻のスマホからの連絡。
それに気づかないほどに作品作りに私は、集中していたのだ。
病院に到着したのは、電話がかかってきてから2時間後だった。
書きはじめると、タイプをする手が止まらない。
私の脳内に浮かび上がる映像を文章にして、記していく。
いま、この脳内に浮かんでいる映像を文字にしてしまわないと、それはどんどん離れて行ってしまう。
だからこそ、どんなに身体が疲労してようとも、私は書く。
そして、その文章や表現を読者さん達は求めてくれている。
私は、このときこそ、もっとも求めていた、「今を生きる」を体現できているのだ。
だが、書くことと、明のことは別物だ。
書くことよりも、明のことが第一優先。
しかも今回は、明だけではない。
私と明の結晶がいるのだ。
執筆が一息つき、スマホで明からの連絡を確認したときには、顔面が蒼白した。
私は、創作という「そんなものの」ために、大切な明と子どもの大変なときに近くにいない。瞬時にアタマに浮かんだのはそんな言葉だった。
創作に没頭していた自分を呪いつつ、急いで外出の支度をする。
……一秒でも早く……、明の傍に私は行かなければ……。
大通りに出てタクシーを拾おうとする。
だが、今日は、日曜日の昼間。
多くの人がタクシー利用をする。
仕方なく、病院に向かって走る。
右脇腹が痛い。
こんなことになるのであれば、定期的な運動をしていればよかった。
数百メートルごとに辺りを見渡し、タクシーの存在を確認する。
こんなときに限って、一台も視界に入らない。
数メートル走ると私の脇をタクシーが走り去る。
「クッそぅ。
こんなときまで、俺はついていないのか……」
恨み言を吐きながら、病院へ向かう。
病院に到着し、産婦人科に到着すると共に言われたのが冒頭のコトバだ。
―――――――――――――――――――――
「や~ん!
猿みたい~!
目がでっかすぎでしょ~! 可愛い~!!」
出産から数時間でこの対応ができるとは、改めて女性というものは、すごいと思う。
私は、明の病室で、生まれてきた子供と面会している。
赤ちゃんとは、本当に赤い。
全身が赤い。
そして、圧倒的に愛おしい。
瞳が圧倒的に明にそっくり。
そして、鼻が私のそれでしかない。
子どもとはこんなにも愛しいモノなのか。
明の瞳には、疲労なんてものが感じられない。
むしろ新しい生命に全力で感動しているようだ。
ある種の高揚感が彼女を包む。
嗚呼、命というものは本当に尊い。
私は、明と生まれてきた子を抱きしめ、あふれる涙を止めることができなかった。
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