第26話 私だけの身体ではない


月刊の文芸誌に連載が決まった。

編集者が私の筆致を気に入り、是非とも書いて欲しいと依頼がきたのだ。

私は数冊、本を書いただけで、実績もなく、まだまだ弱小。

そんな嬉しいコトバに乗らないわけがない。


確かに忙しくなる。

自らの執筆に加え、連載。

いってみれば、これまでの仕事量が倍になるのだ。

昨今では、隣国発肺炎は若干の収まりを見せているモノの、未だ国民は慎重になっている。

そんな中、有り余る時間を消化するために、動画や本が選ばれた。

特に中産階級以上の知識層は、本を求める傾向が強く、新進気鋭の作家として売り出された私の本は、多く読まれることとなった。


さらに拍車をかけたのが人気動画配信者だ。

先の理由から若年層には動画が多く見られた。

それにより動画配信者として名乗りを上げるモノさえもいたという。

そんな中、あろうことか私の本を動画内で紹介したモノがいたのだ。


マス層に広がる動画というモノの拡散力はかなり大きいモノで、私の本は次から次へと売れていった。

自ら販売促進活動をするでなく、広がっていくことに若干の不安を感じながらも、私は、次の執筆をただ、淡々と進めていた。


一つの成果を上げると、世界は渦中の彼を放っておかない。

そんな現代的な流れを、私は今さらながらに感じていた。


―――――――――――――――――――――

「弘毅……! 大丈夫?

 電気もつけないで……。もう、20時だよ?」

……いかん。

どうやら眠ってしまっていたらしい……。


明が部屋の照明をつける。

仕事が終わって疲れて、帰ってきたというのに夕食を準備できていない。

こんなことでは、夫失格だ。

しかもパソコンが点きっぱなしになっている。


最近、少し弛んでいる気がする。

作家としての仕事が増えたとはいえ、家事や明への配慮が疎かになってしまっては、本末転倒だ。

私は一つ伸びをすると、明に向かって言う。


「お帰りなさい。

 今日もお仕事、お疲れさまね。

 ゴメン。

 今すぐ、食事の支度をするから、先にお風呂、入っておいでよ」

私は、立ち上がりすぐに台所に向かう。

軽い立ち眩みを覚えるも、ふらつく足取りで冷蔵庫までは辿り着いた。

冷蔵庫を開ける。

今日は、明の好きなロコモコにしようと昼の間にハンバーグを仕込んでおいたのだ。


後はフライパンでハンバーグを焼くだけ。

牛肉の焼ける食欲をそそるニオイが部屋に充満する。

これにお風呂場から、明の桃のトリートメントの香りが合わさる。

どうやらお風呂から出てきたようだ。


広めのお皿にレタスと三日月形に切ったトマトを乗せる。

ごはんをお皿の中央にエアーズロックのようにもる。

さらに、ご飯の上にパイナップル、ルッコラを乗せ、その上に焼いたばかりのハンバーグを乗せる。

仕上げに目玉焼きをハンバーグの上に乗せれば、完成だ。


テーブルに二つのランチョンマットを敷き、スプーンとフォークを添える。

おッと。忘れていた。

冷蔵庫から、冷えたグラスと350mlの発泡酒を取り出す。

最近では、この青いラベルに金色の文字が浮かぶ銘柄が明のお気に入りだ。


洗面所から聞こえるドライヤーの音が止まった。

我ながらにナイスタイミングだと、ココロの中でガッツポーズをする。

明が、リビングに入って来る。

「うん~!!

 いいニオイ~! 今日はハンバーグかな!?

 あ! ロコモコじゃ~ん!

 今日のランチにカフェの前を通ったとき、食べたいって思ってたんだよね~!」

あぁ、この笑顔を見るために私は毎日を懸命に生きている。

自分と家計のために書き、明のために生きる。

それは、数年前の私からは想像できなかった人生であろう。


「では、ご一緒に! いただきま~す!

 弘毅、いつもありがとうね~!

 あっ……」

明の実家で昔から行われている作法にのっとり、夕食をはじめる。

この号令を聞くたびに、優しさに包まれた家庭だったのだろうな、と、しみじみ思う。

ビールグラスに延びる、明の手が止まる。

いつもだったら、一気に半分ほどを飲み干し、

「ぷは~!! 今日の私は、このために生きてきた~!」

と、定型を行うのだが。


「今日は、いいや。

 弘毅、飲んでよ。私は、お茶にする」

そう言うと、冷蔵庫から常備している「やっほ~。お茶」を取り出し、別のグラスに注ぐ。


「う~ん! やっぱり弘毅のロコモコは最幸~!!

 このソースがまた、なんとも言えないよね~!!」

よかった。いつも通りの明だ。

私の作る料理を頬一杯に放り込み、かろうじて聞き取れる言葉で何やら、モグモグという。

大の女性がこんな食べ方をするとは……、祖母が見たら何と言うか?


「で、ちょっと、最近の弘毅、頑張り過ぎ!

 昨日も遅くまで、仕事やっていたでしょ!?

 仕事がたくさんあって、それは助かるけど、無理だけは絶対ダメだからね!」

口にモノを入れた状態で話すな。

半分ぐらいしか聞き取れない。

まあ、なにを言っているかは、大方想像できるが……。


「もう、弘毅と私だけの身体じゃないんだからね……」

明が、ぼそりという。

その声に私のアタマの中が真っ白になる。

「え……、それって……」

私は、明の手元にあるビールがなみなみと注がれたグラスを見る。

そして、再度、明の瞳を真っすぐに見る。


「もう……。

 バカ……、気づけよ……」

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