転生先の英雄王がブラックにつき、自主退職を決行しました

冬狐あかつき

異世界転生したら勇者の体だった

第1話 どこぞの英雄に転生したらしい



 働いたら負けだと本気で思っている。

 それは水城和也みずきかずやがブラック企業で七年間勤めた結果、たどり着いた考えだった。


 来る日も来る日も厄介上司の罵倒を受け、おつぼね事務の機嫌を伺う日々。

 朝から晩まで働き詰めで、心身ともに疲弊していた。

 満員電車に揺られ、会社に到着すると押しつけられる仕事の山。

 終わりの見えないタスクに追われて、昼食すらまともにとれないことが多かった。


 仕事外ではいかに睡眠時間を捻出することだけを考え、趣味なんてものを作る余裕もない。

 つまらない。なんてつまらない人生なんだろうか。

 唯一続けている日課は、嫌いな上司の顔写真を貼り付けたサンドバッグをひたすら殴ることくらいで……

 そんなことをしても、多少の鬱憤は晴らすことはできるが、直面している問題がなくなるわけではない。

 日常がただただ苦痛だった。


 


 一ヶ月ぶりの休みだというのに朝から気分が悪く、何もすることができなかった。


「飯……食わなきゃ。何もないな」


 冷蔵庫を漁るも出てくるのは、賞味期限が過ぎたカピカピの惣菜と缶コーヒーのみ。

 買い物に出ようと立ち上がったところで、激しい頭痛に襲われた。

 あまりの痛みに耐えきれず、その場に崩れ落ちてしまう。

 

「……久しぶりの休みだったんだけどな」

 

 薄れゆく意識の中で呟く。

 どうしようもない倦怠感と共に体が重くなり、ゆっくりと瞼を閉じた。







 目が覚めたら、今まで感じたことがないくらい体が軽かった。


「勇者様がお目覚めのようです」


「良くやった! 勇者候補だなんだとほざきよる奴らも、これで大人しくなるだろうな!」


 聞き覚えのない声が聞こえて目を向けると、豪奢な服を身に纏った男女が、こちらを見ながら何やら盛り上がっている。


 女性の方は金髪の碧眼へきがんで、日本人離れした美貌と豊満な体つきをしている。

 彼女は金の刺繍が施された真っ白いローブという、奇抜な服装をしているが、不思議とよく似合っていた。

 恐らく、何かのキャラクターのコスプレをしているのだろう。

 ナイスだオタク文化。オタクに幸あれ。


 隣に立つ年配の男性はこれみよがしに王冠をつけており、胸には拳大の光る宝石が、指にはいくつもの指輪がついている。

 紫紺のローブには何色もの色を使った刺繍が施されており、その華美さは素人のコスプレというよりも、プロの演劇で使われる衣装のようだ。

 

 二十代くらいの金髪グラマラス美女と、四十代くらいのダンディーな茶髪おじ。

 男の方も日本人離れした彫りの深い顔立ちだが、両者ともに日本語が上手だった。

 日本に住んで長いのだろう。

 細かなアクセントも全く気にならず、まるで日本人が喋っているみたいだけど……なんだろう、この違和感は?


「エリオット様! 久方ぶりの現世ですが、ご気分はいかがでございましょう?」


 金髪美女が嬉しそうに話しかけてくるが、俺の名前は水城和也だ。

 生粋の日本人に向かって変なあだ名をつけないでもらいたい。


「どうやら困惑しているようだ。エリオット殿は常世の世界から戻ってきたばかりだからの。無理もあるまい」


 厨二病になるな、とまでは言わないが、他人に迷惑をかけているのなら、止めるのが常識ではないだろうか?

 知人が初対面の相手に妄想じみた設定の押し付けをしているのに、ダンディー男は顎髭を撫でながら悪ノリしている。

 ただでさえ今朝は気分が悪かったのに――


「あの……つかぬことをお聞きしますが、ここはどこでしょうか?」


 自分が横になっていたのは、長年の酷使でぺちゃんこになった敷布団ではなく、使うのも恐れ多いほどの豪華なベッドだった。

 部屋の広さも俺が住んでいた部屋の三倍はあり、古ぼけたアパートで七年ほど一人暮らしをしている俺にとって、一生縁のないような部屋だ。


「ここは貴方様のために用意された一室でございます。なにか不満がありましたら、わたくしめにご申し付けください」


「其方が望むのならば複数部屋を用意しても構わんぞ」


 うやうやしく答える金髪美女と、上機嫌に笑いながら話すダンディ男。

 ……違う。そうじゃないんだ。


「ここは病院、じゃないですよね? もしかして俺、拉致されてたりするのかなぁ〜なんて……嘘です! 冗談です!」


 長年の社畜経験により、ダンディ男の苛つきを察知。

 ブラック企業で生き残るために得た力――事なかれ主義を発動して自らの発言を訂正した。


「すごい立派な部屋ですけど、俺を助けてくれたんでしょうか?」


「戦乱の世であった暗黒時代に覇を唱えたお主にとって、常世での休息は地獄であろう? だからこそ我らが、相応の戦いの場を用意しようと思ってな」


 何だこいつ。話が全然噛み合わないぞ……

 嬉しそうに語る髭を無視して、金髪美女に助けを求めるべく視線を送る。

 彼女は俺の気持ちを察したのか、にっこりと微笑んで。


「ここは貴方様がお救いになられた土地に繁栄した五大国家のうちの一つ、リューテンガンドの王城でございます」


 ……もうやだこいつら。




 ――――――――――――――

 結論から言うと、俺は異世界に転生したらしい。……いや、転生と言うより、憑依と表現した方が正しいか。


 

 あの後、説明を受けてわかったことだが、偉そうな話し方の髭おじはこの国の国王で、一緒にいた女は国に一人しかいない、聖女という立場にあるらしい。

 そして、俺は何故か聖女の力によって復活を果たした、英雄王と呼ばれている男の肉体に入りこんでしまったようだ。


 不法侵入はなはだしい所業だと自覚しているけど、これは事故なので、英雄王とやらはどうか俺を恨まないでほしい。


 

 


 部屋に置かれてある水鏡みかがみ(水を張ると手鏡のように変化する道具)を手に取ると、青髪金目の美青年が映った。

 俺の感覚では二十手前くらいだろうか?

 目鼻立ちは整っており、柔らかな印象を受けるイケメンだ。

 身長も高く、見た目もいい。

 転生するならこれ以上ないほどの優良物件だとは思うが、俺の心は社畜時代と変わらず、どんよりと落ち込んでいた。


 与えられた部屋でため息をついていると、不意に扉がノックされる。


「エリオット様、お時間です」


「ちょっと早くないか? もう少しゆっくりしても……」


「十分休まれたでしょう? 今日は楽しい楽しい戦闘訓練ですよ」


 その言葉にがっくりと肩を落とし、諦めたように扉の鍵を開ける。

 出迎えたのは最初に会った金髪聖女――セシリア・ルクセーヌだ。


 彼女は毎朝部屋まで迎えに来て、俺を地獄の戦闘訓練へと誘う。

 行くのが嫌になり、少し体調が悪いと告げれば、お得意の回復魔法で治療を施され、本当に余計なお世話……実に甲斐甲斐しく俺をサポートしてくれていた。


「……今日は何をするのか聞いてもいい?」


「今日ですか? 初めはボルズさんと模擬戦をして、次は訓練用に捕らえた魔獣との戦闘訓練、その後は基礎体力の強化を……」


「――この国の勉強とかはしなくていいんだろうか?」


 止まらないセシリアの説明に、慌てて口をはさむ。


 セシリアたちには、俺が異世界から転生した存在であることは伏せている。

 本当のことを話しても、ろくなことにならなそうだったので、記憶喪失ってことで納得してもらっていた。

 

 彼女からすれば、今の俺は言葉を話せる以外、何も知らない赤ちゃんと同じだ。

 だから、少しぐらいはこの世界のことについて、教えてくれると思っていたのに……


 セシリアは俺の提案に、考えるような素振りをみせて。


「……必要になれば、教えますから」


 と、満面の笑みで答えた。

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