第十七話 変態客

「それじゃ、また明日」

「はい、また明日」


 会長と駅で別れを告げ、ホームへと続く階段を下っていくところまで見送ってから、和哉かずやは踵を返して駅前を歩いていく。

 和哉が腰を痛めて休んでいると、突然琴音ことねから日頃の感謝を言われたと思いきや、さらに膝枕までされたのだ。

 琴音の言葉を聞いて、和哉は自身の気持ちを再度認識させられることとなったわけだが、それはそれでよかったのかもしれない。

 会長には今度何か奢ってあげることにしよう。

 そんなことを思いつつ、和哉は耳かき専門店イヤティへと急ぐ。

 早く琴音に会いたいという気持ちにさせられている。

 和哉ははやる気持ちをぐっと堪えつつ、亜美の働き先である耳かき専門店イヤティへと向かっていく。

 イヤティの入っている雑居ビルに到着して階段を上り、入口の自動ドアをくぐる。


「こんにちはー」


 和哉が挨拶をするものの、受付には人がいない。

 入店したことを知らせるピンポーンという音が鳴り響いているだけで、店内はどこか閑散としている。


「あれ……? バックヤードとかに行っちゃってるのかな? すいませーん!」


 和哉がお店の奥へと声を掛けるものの、反応は返ってこない。


美紀みきさんー? 亜美あみー?」


 米浦姉妹の名前を呼ぶものの、二人からの反応もなく、入り口にポツンと取り残される和哉。

 どうしたものかと顎に手を当てて悩んでいる時である。


「はーい、ただいまお伺いいたします!」


 そこでようやく、お店の奥から返事が返ってきて和哉は安堵する。

 しばらく待っていると、速足で廊下を歩きながら美紀がこちらへとやってきた。


「あら、和哉君いらっしゃい」

「どうも」

「ごめんね、今ちょっと大忙しで」

「繁盛してる感じですか?」

「おかげさまでね。それで亜美なんだけどね、和哉君との練習の成果を発揮するため、今お客さんを対応中なの」

「えっ……」


 和哉はそこで、驚きと唖然の入り混じった声を上げてしまう。

 いくら何でも、まだ二回しか練習していないのだ。

 実践は早いのではないかと不安に駆られてしまう。


「ちょっと、様子見てきてもいいですか?」

「うーん、お客様が気分を害されちゃうかもしれないし……」

「少しだけ、覗くぐらいでいいので」

「そうねぇ……まあ亜美ちゃんの成長した姿を和哉君も観たいか。じゃあちょっとだけよ」


 美紀からの許可をもらい、店内の廊下を奥へと進んでいき、亜美が接客中の前に到着する。


「いやっ、本当にやめっ……!」


 とその時、部屋の奥から微かに聞こえる悲鳴にも似た亜美の声。


「亜美ちゃん!?」


 その声を聴いた美紀が咄嗟に部屋に向かおうとするものの、それよりも早く和哉が駆けだしていた。


「和哉君!?」


 和哉がなりふり構わずスライド式の扉を開け放つと、そこには目を疑うような光景が広がっていた。

 亜美の股を強引に開き、今にも魅惑の秘部へと触れようとしている男の姿があったのだから。


「おい、てめぇ何してんだゴラァー!」


 気付いた時には、和哉の沸点は一気にカンストして、我を忘れて叫びながら男に向かって飛びかかっていたのである。



 ◇◇◇



 遡ること10分前。

 亜美は準備を終えて、お客様が待ち構えている部屋の前に到着する。


「ふぅ……よしっ!」


 和哉と練習してきたことを思い出せば大丈夫と自身に言い聞かせて、亜美は意を決して扉をノックする。


「どうぞー!」


 中から美紀の声が聞こえ、亜美は正座をしつつスライド式の扉を開き、お客様に向かって恭しくお辞儀をする。


「当店のご利用誠にありがとうございます。本日担当させていただきます『亜美』と申します。先ほども申し上げた通り研修中のため、お客様がご満足いただけるサービスを出来ない可能性がありますが、何卒よろしくお願いいたします」

「よ、よろしくお願いします」


 亜美が深々と頭を下げながらお辞儀をすると、お客様も緊張した声色で返事を返してくる。

 入室して、丁寧に音をたてぬよう扉を閉めて、再びお客様の方へと向き合う。


 お客様の男性は眼鏡をかけた男性。

 やせ型で、年齢は30代から40代といったところだろうか。


「それでは準備いたしますので、少々お待ちください」


 そう言って、亜美は畳の上に座布団が敷いてある場所に腰掛けて、手元に持っていた耳かき用品を用意していく。


「お待たせいたしました。それではどうぞ」


 亜美が正座をして、お客様を促していく。


「では、失礼します」


 ヘコヘコとお辞儀をしつつ、男性はゆっくりと亜美の太ももへと頭を下ろしていく。

 男性の頭が亜美の太ももへと乗っかってきて、重みを感じる。

 刹那、亜美は嫌悪感に満たされてしまう。


(なにこれ……和哉君を膝枕してる時と全然違う)


 和哉を膝枕している時は、リラックスさせることが出来ているという安心感があるのに、今は見知らぬ男性を膝枕しているという緊張感と重圧しかない。

 変に意識してしまうと、お客様に勘繰られてしまうと思い、亜美はすぐさま綿棒を手に持った。


「それでは早速、耳かきを始めてまいります。もし痛みなどがありましたらすぐに申しつけ下さい」


 そう言って、亜美は目の前に差し出された男性の耳へと目を向ける。


「えっ……」


 がしかし、男性の耳を見た途端、亜美は困惑してしまう。

 あまりにも、和哉との形状が違い過ぎるのだ。

 和哉がどちらかというと丸みを帯びた形とするならば、今目の前の男性はひし形に近いといった表現が正しいだろうか。

 ちらりと遠目で空気になっている美紀へ視線を向ければ、姉は握り拳を作って応援してくれている。


(お姉ちゃんが期待してくれてる……その期待に絶対に応えてみせてやる……!)


 亜美は覚悟を決めて、綿棒を男性の外耳へと押し当てた。

 そして、外耳にこびりついた汚れを取っていく。

 男性はこそばゆいのか、ビクンと時折身体を震わせていた。


「どうでしょうか?」

「い、いい感じだと思います」


 それにしては反応が薄い。

 和哉君が分かりやすすぎるからなのか、少し物足りなさを感じてしまう。

 一通り外耳の掃除を終えて、続いて耳の中の掃除をしていく。


「それでは、今度は仲の掃除を行ってまいります」


 亜美は綿棒を男性の耳穴へと突っ込んでいき、ピトっと曲がり角に差し掛かったところで、少し綿棒を器用に折り曲げ、さらに奥へと突っ込んだ。

 さらなる曲がり角に差し掛かったところで、亜美は上下に動かして耳奥を掃除していく。


「ど、どうでしょうか?」

「おう……いい感じっす」


 男性はうっとりとした声を上げて心地よさそうにしている。

 満足していただけているようで何よりであるものの、和哉君以外の男性が心地よさそうな声を上げても全くときめかない。

 それどころか、少々気持ち悪さすら感じてしまっていた。


(ダメダメ。相手はお客様なんだから、ちゃんと誠実に対応しなきゃ)


 亜美は感情を押し殺し、ただただ耳掃除をしていくマシーンと化す。


 ピンポーン。

 とそこで、お客様の来店を知らせるチャイムが鳴り響く。


「ごめん亜美ちゃん、そのまま続けていて頂戴。私はお客様の対応をしてくるから」

「分かったわ」

「失礼いたします。ごゆっくりおくつろぎください」


 美紀が畏まってお辞儀をしてから、綺麗な所作で扉を閉じて廊下へと出て行ってしまう。

 室内には、亜美と男性だけが取り残される。

 亜美は無言のまま耳かきを続けていく。


 サワサワ。


 その時である、男性が突然亜美の膝辺りを手で触り始めた。


「どうかしましたか?」

「あっ、すいません、つい無意識に……」

「いえ、以後気を付けてください」


 最初は軽く注意した程度にとどまったのだが……。


 サワサワ、さわさわ。

 二人きりになったのをいいことに、男性はさらに膝から太ももにかけてを撫でまわるように触れてきたのだ。


「あの、お客様?」

「ご、ごめんなさい……!」


 亜美は一抹の不安を覚えつつも、耳掃除を続けていく。

 一通り掃除を終えたところで、亜美は男性に声を掛けた。


「それでは、続いては反対側のお耳を掃除してまいりますので、向きを変えていただけますか」

「分かりました」


 男性は大人しくくるりと寝返りを打ったかと思えば、そのまま勢い余って亜美の腹部へと鼻先を押し当ててきたのだ。


「きゃっ……ちょっと何するんですか!?」


 ガシッ!?


「うわぁ⁉ ちょ、何すんのよ変態!」


 すると、今度は亜美の身体に腕を回して抱き着いてきて、男性が引っ付いてきた。


「グヘヘッ、太もも、太もも、太もも」


 先ほどまで大人しそうに見えた男性の顔が下卑たものへと変化している。


「いやっ、ちょっとやめっ……きゃぁっ!?」


 男性は亜美のしおらしい反応を見て、さらに顔を太ももと太ももの間に埋めてスリスリ擦り合わせるようにして顔を動かしてきたのだ。


(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……!)


 亜美は背筋が凍り付き、ただただ恐怖に打ち震えてしまう。


「だ……か、……けて」


 声を張り上げようとするものの、恐怖で声を上げられない。


「おらぁ!」

「きゃっ!?」


 男性がついに暴走して亜美の身体を力づくに押し倒すと、そのまま両足を掴んで強引に股を開かせようとしてくる。


「いやっ……本当にやめ……」


 そこで思い浮かぶのは、和哉の顔。


「助けて……和哉君」


 いるはずのない彼の名前を呼びながら、亜美は涙目で必死にか細い声を上げて助けを求めた。

 男性の荒い吐息が太ももにかかって気持ち悪い。

 もう嫌だ……。


 その時である――


 ガラガラガラ。


 勢いよく扉が開け放たれ、目の前に現れたのは、亜美が今最も求めていた救世主であった。

 彼を見た途端、亜美はとてつもない安堵感に満たされる。


(あぁ……やっぱりアーシ、彼のこと……)


「おい、てめぇ何してんだゴラァー!」


 和哉君がすぐ異変に気が付き、男に向かって怒声を浴びせながら飛びかかってくれた時、そこでようやく、亜美は自身の気持ちを完全に理解するのであった。

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