第二話 性癖自覚
キーンコーンカーンコーン。
「はい、そこまで。回答をやめてください。後ろの席の人は回答用紙を回収してください」
回収係の生徒に解答用紙を手渡して、
「お、終わった……」
和哉は二つの意味で終わった。
一つは、中間試験全日程が終了したという意味。
もう一つはというと――
「
「あっ、ごめーん! この後バイトあるの。ご飯ぐらいだったらいーよー!」
「おけ、じゃあお昼食べに行こっ!」
「はいよーっ!」
隣では、亜美が早速友達と放課後の予定を決めている。
その隣で、和哉は突っ伏したまま腕と顔の間から、亜美の太ももを覗き見してしまっていた。
どうやら和哉は、とんでもない毒牙に引っ掛かってしまったらしい。
消しゴムが亜美のムチムチな太ももに挟まってからというもの、彼女の太ももから目が離せなくなってしまっているのだ。
トントン。
すると、亜美が和哉の机を爪で叩いてくる。
和哉が身体を起こすと、亜美が前屈みになりながら手を出してきた。
「はいこれ。あんがと」
亜美の掌の上には、和哉が試験前に貸したシャープペンシルが乗っていた。
「あれっ、消しゴムは?」
しかし、貸したはずの消しゴムが見当たらない。
亜美もそれに気が付き、キョロキョロと辺りを見渡す。
「あっ、あったぁー!」
亜美がパっと視線を下に向けた。
和哉もつられて下を向ければ……なんという事でしょう。
まるで図っていたかのように、亜美のムチムチな太ももの間からひょっこりと消しゴムが顔を表しているではありませんか。
亜美は太ももに挟まっていた消しゴムを拾い上げると、こちらへ手渡してくる。
「はいこれ! ありがとー!」
「ど、どういたしまして……」
和哉は恐る恐る亜美からシャープペンシルと消しゴムを受け取った。
太ももに挟まれていたせいで、消しゴムはモワっと熱を帯びていて生暖かい。
「そんじゃ、また明日だてにしー!」
亜美は荷物を持って席を立つと、和哉に手を振りながら友達と一緒に教室を後にしていく。
惜しげもなく丈の短いスカートから伸びる健康的な太ももを晒しながら……。
「どうした和哉。
とそこで、クラスメイトで今回の期末テストの勝負相手である伊藤牧人(いとうまきと)が声を掛けてきた。
ネクタイを緩めただらしない格好。
制服のズボンのポケットに手を突っ込みながら、もう片方の手を和哉の肩に置いてくる。
「いや、別に何でもない」
和哉は牧人の手を払い、身体を元に戻した。
「前から忠告してるけど、米浦はやめておいた方がいいって言ってるだろ」
「いや、だからそういうんじゃないから」
和哉が手を振って否定すると、牧人が耳元に顔を近づけてささやいてくる。
「噂によると、米浦の奴、どうやら怪しいバイトしてるみたいなんだ」
「……怪しいバイト?」
そう言えば、さっき友達に放課後の予定を聞かれてアルバイトがあると言っていた。
「あぁ、噂によるとな。隣町のすげぇ怪しいマッサージ屋が入った雑居ビルに入ってたってのを見た生徒がいるらしいんだ」
「ただの噂だろ。それにビルの中に入っただけなら、もしかしたら別の階に用があった可能性だってあるだろ」
「それがな、そこのビルが問題らしくて、どうやら半数以上怪しいお店らしいんだ」
「だからって、米浦さんがそんなことするわけ――」
「おやおやぁー? 随分と米浦のことを信頼してるみたいですなぁー。やっぱりお前、米浦と何かあるんだろ?」
顎に手を当てながら、ニヤニヤとした笑み浮かべて和哉と亜美の関係性を怪しんでくる牧人。
「ちげぇっての! あぁもう鬱陶しいなぁ! てか、お前の方こそどうなんだよ? バイト先クビになったんだろ? 新しいバイトは見つかったのかよ?」
和哉が強引に話題を牧人のことへ移すと、彼はどこか遠くを見つめながら笑みをたたえた。
「……ふっ、この辺りじゃ有名人になっちまったもんだ。俺の名が全国にとどろくのも時間の問題だな」
「ただブラックリストに載っただけじゃねぇか。マジで何やっちゃってんの!?」
この男、実は意外とやらかしているのだ。
何をしたのかは、牧人の名誉のためにここでは伏せておく。
「俺のことはとにかく、お前は米浦と仲良くしてるみたいだけど、今後の付き合いはちゃんと考えた方がいいぞ」
「ブラックリストに掲載されてるお前にだけは言われたくねぇよ。それに、俺は自分が付き合う人は自分で決めるっての」
「ちぇ、つまらねぇ奴。てかお前、テストの調子はどうよ?」
興ざめした様子で、話を切り替える牧人。
しかし牧人が振ってきた話題は、今和哉にとって触れてはいけない事柄だった。
「お前、皮肉か?」
「別にそんなんじゃねぇよ。今回の出来はいいけど、和哉には勝てねぇって」
「出た。そうやって点数取れてるやつ」
「んなことねぇよ。今回の日本史に関してはマジで難しかったから、完全にお手上げだ。和哉はどうだったんだよ?」
亜美の太ももが気になって全く問題に集中できませんでしたなどと言えるわけがないので、ライバルからの煽りに対して、和哉は背筋を伸ばしあえて肩を竦めてみせる。
「まあ余裕だったかな。少なくとも、俺の勝利は確実だろうな」
「ほう、流石は和哉。テストの結果が楽しみだぜ」
日本史以外の教科は相当自信があるのか、和哉ドヤ顔に対してドヤ顔で返してくる牧人。
感触が相当良かったのか、いつにもなく余裕たっぷりの表情を浮かべている。
「後で吠え面ことになっても知らねぇからな」
「その言葉、そのままお前にそっくり返してやるよ」
バチバチと火花を飛ばし合っていると、教室前のドアからもう一人の友人である
「何やってんだお前ら。もう終わったし帰ろうぜ」
眼鏡をクイっと親指で上げつつ、ポーカーフェイスで和哉と牧人に支度を整えるよう促してくる勇太。
一時休戦となり、和哉と牧人はそれぞれ帰り支度をしてから、勇太の元へと向かっていく。
牧人から聞いた亜美のバイトの話は少し気がかりだったけれど、考えるとすぐ脳裏にムッチムチの太ももが浮かび上がってきてしまうので、彼女のことを考えるのをやめることにした。
◇◇◇
和哉、牧人、勇太の三人は、ファミレスで三時間ほどたむろしてからそれぞれ家路に着いた。
自身の異変に気付いたのは帰り道でのこと。
和哉は人混みの中を避けて、人通りの少ない通りに出て呼吸を整える。
「なんだこれ……どうなっちまったんだ……」
動悸が激しくなってしまった呼吸を整えながら、和哉は自身に起こっている症状を分析する。
吸い寄せられる魅惑の誘惑。
和哉の視線は、街中を歩く女子生徒の太ももへと自然と目がいってしまうようになっていた。
先ほどまであまり興味のなかったスカートの裾から見える太ももの絶対領域を、気づけば食い入るように見つめているのである。
これではまるで、視感している変態そのもの。
「もしかして俺……太ももフェチに目覚めちまったのか?」
どちらかと言えば、今までの和哉はおっぱい一筋だった。
にもかかわらず、今は太もものことで頭がいっぱいになってしまっている。
どうやら和哉は、とんでもない性癖に目覚めてしまったらしい。
原因を考えればすぐに思い当たる。
間違いなく、『消しゴム、亜美の太ももムチムチ事件』が発端だろう。
あんなムッチムチな太ももの間に消しゴムごときが挟まるなんてけしからん……!
「いや待て待て、それじゃあまるで和哉が消しゴムに嫉妬してるみたいじゃねぇか!」
悲しきことに、亜美の太ももを想像するだけで、顔を埋めたいという変態級の欲求に駆られてしまっている和哉。
亜美のせいで、和哉はとんでもない性癖に目覚めさせられてしまったらしい。
「ひとまず、まずは安全地帯へ逃げ込む必要があるな」
街中にいたら、女子高校生に出くわしてしまうか分かったものではない。
和哉は出来るだけ人と出会わないよう、細い道を選んで家へと向かうことにした。
野生の太ももに出会わないように……。
◇◇◇
「ただいま……」
ようやく家に到着して、和哉はどっとため息を吐いた。
「おかえりー」
玄関で出迎えてくれたのは、妹の羽香(わか)である。
肩口まで伸びた髪、小柄ながらほっそりとした体つき。
棒アイスを咥えながら和哉を出迎えてくれた羽香を見て、和哉はジトっとした目を向けてしまう。
「……あのな羽香」
「なぁに、お兄ちゃん?」
コテンと首を傾げる妹。
和哉は帰ってきたときよりもさらに深いため息を吐く。
「家とはいえ、なんて格好してるんだ!」
羽香は下はネイビーのスウェットを履いており、上はなんとブラトップ付きの黒インナーを着ているだけの状態だった。
ほぼ下着姿を晒しているといっても過言ではない服装である。
「えっ? ダメだった?」
アイスを咥えたまま、悪びれた様子もなく反対側へコテンと首を傾げる羽香。
「あのな、いくら兄妹だからってな、下着姿を見せちゃいけません!」
「らってぇ。ジュボッ……これが一番楽なんだもん」
「アイスを咥えながらしゃべらない!」
決して変な意味はない。
ただ行儀が悪いから指摘しただけである。
「宅配の人が来たらどうするつもりだったわけ?」
「部屋に羽織りものあるもん」
「なら常に羽織ってなさい!」
「えぇ……面倒くさい」
「全くもう……」
ただでさえ年頃の男子高校生である和哉という存在がいながら、この妹には恥じらいというものはないのだろうか。
「ほら、さっさと羽織りものを着てきなさい!」
和哉はそう促して、羽香を手で押していく。
「お兄ちゃん」
「なんだ?」
羽香はアイスを再び咥えると、和哉のことを上目遣いに見つめてくる。
「ううん……なんでもない」
しかし、羽香は何でもないと言って首を横に振った。
「ほら、アイス咥えたまま階段で転んだりしたら危ないから、俺が持っててあげるから、さっさと部屋から羽織るもの持ってきなさい」
和哉は羽香のアイスを受け取り、部屋に羽織りものを取りに行くよう促した。
「はぁい」
無機質な返事を返しつつ、羽香は階段をスタスタと登っていく。
「全くもう……」
一人になり、和哉は再び深いため息を吐いた。
ただでさえ亜美の太もも事件で脳がオーバーヒートしているというのに、これ以上無防備な姿を見てしまったら頭が爆発してしまう。
いくら妹とはいえ、和哉は年頃の男の子。
反応しなくても、ダメージは多少なりともあるのだ。
とそこで、和哉の手にツゥーっとひんやりしたものがへばりつく。
手に視線を向ければ、羽香が咥えていたアイスが溶けて、和哉の手にベトっと垂れてきていた。
「はぁ……なんで俺こんなことしてるんだろう」
一日色々と振り回されたせいで、和哉は今自分が置かれている状況を見て、なんだか惨めな気持ちになってきてしまう。
妹が食べかけのアイスで手がベトベトになる中、部屋から戻ってきた羽香は大人しくパーカーを羽織ってくれたものの、その後ずっと和哉のことをじぃっと見つめてきて、ずっと看守に監視されている牢獄にとらわれた囚人みたいな落ち着かない時間を過ごす羽目になるのであった。
しかし、和哉の本当の地獄はここからだった。
彼女いない歴=年齢の悲しき思春期男子高校生の性癖が開花してしまうと、とんでもない中毒性を帯びるということを、和哉は身に染みて実感することになる。
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