第127話 サブクエストは攻略の始まり




「早速だが本題に入らせてもらう」




 無垢なる失言に端を発する辱めを経て始まる話し合い。

 ほっぺたムニムニの刑で涙目を浮かべるアータンを膝の上に置き、俺は里の族長であるハガネと対面していた。


 しかし、流石はかつて修羅と謳われた鬼人族を束ねる長だ。

 死合いであれば間合いの外。にも拘らず、まるで喉元に刃を突き付けられているかのような威圧感が凄まじい。


 見たところ罪冠具の類は身に着けてはいないが、この世界の強さは〈罪〉が全てではない。

 〈罪〉がなくとも魔王を倒せる勇者も居れば、〈罪〉がなくとも勇者を殺せる魔王も居る。付け加えて言えば、〈罪〉の関係ないところで得られる天賦の才ギフトを駆使する聖騎士だって現存するのだ。腕っぷし一つで罪使いをはっ倒せる鬼人が居たところで、何も不思議はない。


 それはさておき。


「まず俺個人の意思として……あんた達に金時盗取の疑いは持っちゃいねえ。なんなら里と民を救ってくれた恩人として歓迎したい。なんなら島の外まで船で送ってもいい。足がなくて苦労してんだろ?」

「親父! ですがっ……!」

「コガネ」


 身を乗り出す金髪の鬼ことコガネくん。

 中々に突っ張りの利いた強面を披露する彼だが、それ以上の強面モテモテダンディズムを披露する族長には敵わなかった。ギロリと一瞥をくれられて、すごすごと座布団の上に戻る。


「……とまあ、里の中にゃあまだあんた達を疑って掛かる連中も少なくはねえ」

「仕方ねえよ。この面だもの」

「客観視できんなら活かした方がいい」

「ヒヒィン……」


 正論だ。

 正論過ぎて俺はお馬さんになってしまった。今すぐ野原に駆け出したくなった。


 しかし、それに族長が待ったを掛ける。


「だから、ここからは俺の提案だ。里の連中にあんた方の身の潔白を証明し、尚且つその腕を見込んで頼みがある」

「サブクエストなら大歓迎よ」


 なんせ俺はギルシンでも新しく出てきたサブクエストを全てクリアしてからストーリーを進めていた。というか、それをこなしてようやくちょうどいいぐらいの難易度なのがギルシンだ。善意と良心を忘れてはならないというゲーム製作者からのメッセージであると俺は受け取っている。


「なら話が早ぇ。実はだな、この里にはとある使命が課せられている」

「使命……とは?」

「守り人──この島に開いた“穴”を監視する役割だ」


 一段と低い声で告げる族長。

 比例して、その言葉が持つ意味の重要さを思い知らされるようだった。


 しかし、いまいちピンと来ていない人間が二人ほど。


「“穴”……?」

「“穴”……」

「アスくん、不潔アウト

「なんでわたしだけッ!?」


 疑問符を浮かべるアータンとアス。

 その内、アスには俺からアウト判定を下しておく。ストライクゾーンが広すぎるダメダメ審判を審判する人間も時には必要だからだ。


 一方で、神妙な面持ちを浮かべていたベルゴが口を開いた。


「“穴”とはつまり……がここにも?」

「そうだ。それも太古の昔、大淫婦とやらが堀り当てたドデケェ“穴”の一つがな。そのことはお上──アヴァリー教国の人間も知っている」

「アヴァリー教国が? つまり彼らは貴殿ら鬼人と……いや、なるほど……」


 何かを悟ったような素振りを見せるベルゴ。元騎士団である以上、何かしらの事情に精通しているのだろう。

 そうやってベルゴが内容を咀嚼している間、何者かが俺のマントを引っ張ってくる。


「ねえねえ、ライアー。“穴”ってなぁに?」

「良い質問だな、アータン。では“穴”について説明しよう!」

「不潔です!」

「では!! 説明しよう!!」

「がああああ!!」

「……」


 全自動不潔判定機のアスくんには48の聖人技の一つ、『聖人の十字架』──要はアームロックを掛けて封印を施す。


「“穴”ってのはだな、俺達人間が住んでいる地上と悪魔が住んでいる地獄、二つの世界を繋ぐのことだ」

「あれ? でも、ベルゴさんは『迷宮』って……」

「そこんところも説明しとかなきゃいけなさそうだな」


 チラリと一瞥。

 すると、ベルゴが待っていましたと言わんばかりに咳払いをする。ずっと話したそうにしていたからここは譲ってやろう。代わりに俺は存在が卑猥なおちんちんシスターの封印に専念だ。恨むならその桃色の脳内回路を恨むんだな。


「迷宮とは、地上と地獄を繋ぐ通り道たる“穴”を起点に作られた構造物だ」

「地上と地獄の間にそんなものが?」

「ああ。元来“穴”とは自然に生まれ出づるものだった。だが、地獄の悪魔にとって“穴”とは地上に脱出……あるいは進出するに等しいものなのだ」

「それに悪魔が手を加えた……ってこと?」

「そうだ」


 穏やかではない内容に、アータンも不安そうな顔色を湛える。

 かつて故郷を一度焼かれ、あまつさえ二度目の村焼き未遂に遭ったアータンのことだ。悪魔の襲撃は他人事ではないだろう。


 そして、それは国を守る騎士団とて例外ではない。


「地獄の悪魔は、“穴”に補強や拡張を施して地上進出の拠点に仕上げる。逆に地上の人間も、それをみすみす見過ごす訳にはいかない。悪魔が地上に出られぬよう罠や仕掛けを巡らせるのだ」

「じゃあ、迷宮は人間が作り上げたの?」

「半分正解だ。人間側もただ待っている訳ではない。ある時は自ら攻め入り、悪魔が築き上げた拠点を破壊するのだ。悪魔側もそれを恐れて罠を張る」

「お互い相手が攻め辛いよう色々やった結果、迷宮になったってことだね」


 もちろん、天然の迷宮もあるんだけどね。

 けれど、この世界の迷宮というのはこういった敵対する勢力同士が手を加えていった結果、人為的な罠が各所に張り巡らされたTHE・迷宮が出来上がったという訳だ。


 と、ここまでベルゴが解説したのを見計らい、族長さんが口を開いた。


「──ここも、かつては〈大淫婦〉と呼ばれる魔王が人間共に“穴”を掘らせていた歴史がある。〈強欲のマモン〉が〈大淫婦〉を討ってからは地上に巣食っていた悪魔は去ったが、地下の迷宮に潜む悪魔までがそうとは限らん」

「だから、守り人の監視が必要だったと?」

「当時にしても鬼人──魔人の肩身は狭かった時代だ。悪魔に虐げられていた間人の地で、俺達が地上から追いやられぬ免罪符を得るにゃ“役目”が必要だったんだろうなぁ」


 今となっては地上の魔人は絶滅危惧種。

 一部地域を除いて、魔人の暮らす集落は消えてなくなった。それは単に魔人の血が薄れたという意味合いでもあるが、他にも人間が魔人と悪魔を同一視し、行き過ぎた迫害を行ってしまった悲しい歴史もある。


「ま、そうした歴史があって俺達ゃ今も“穴”の管理を続けている訳だ──が、魔人が“穴”の管理をしていると知っちゃ堅気の間人は不安がるだろう」

「そんなことは……」

「時代の流れはどうしようもできん。だからこそ、お上もごく一部の人間だけが把握した上で、獄卒島ここに近寄るのをご法度にしてるっつー寸法だ」


 魔人と悪魔の違いは何なのか?

 それを証明することは──とても、とても難しい問題なのだ。


 だからこそ、この里は遥か昔に交わした“契り”を守ってきたのだろう。

 それが未来の子孫を守る為のものだと信じて──。


「──で、だ。あんた方にゃ、この“穴”を確かめてきてほしい」

「“穴”を……確かめる?」

「“穴”を……確かめる?」

「アス、復唱禁止」

「なんで!?」


 『冤罪です!』と訴えるシスター。


 だが控訴は棄却だ。諦めて判決を受け入れな。

 今のお前は執行猶予期間だ。貞節な言動を心掛けよ。


「失礼。確認とは、具体的に何を?」

「“穴”──迷宮の最深部に“主”が居るのはご存じか?」

「“主”とは、最も魔素濃度の高い迷宮最深部に座す最強の魔物。迷宮を踏破しようとする者に立ち塞がる、いわば迷宮最後の砦のようなもの……というのが我々人間の認識です」


 ベルゴと族長が真面目なやり取りを繰り広げる。

 静かに、しかし、重々しく頷く族長さん。自然と事態の重さも伝わってくるようだった。


「うちの“穴”にも迷宮主が住み着いていた。地上に住まう俺達は迷宮主が取り逃がした分の悪魔や魔物を仕留めるだけで良かった──今まではな」

「……もしや、主が討たれたと?」

「分からねぇ」


 ゆっくりと首は横に振られた。


「若衆を何人か確認に行かせはした……が、どうにも迷宮を徘徊する魔物が手強くなったみたいでな。行けても浅層。これ以上深層に行かせようってんなら人死にを覚悟せにゃならん」

「それを我々に、と?」

「『死にに行け』と聞こえたか?」

「まさか」

「……なんだと?」


 予想外の言葉だったのだろう。

 細められていた族長の目も、これには見開かれていた。


 逆にベルゴの鋭い眼光が迸っていた目は細められる。そこには人々を守り抜く騎士の──そして、親として若い世代を守ってきた男の人情が宿っているように見えた。


「腕を見込んでと頼まれた。力なき民を力を以て守る騎士としては、これ以上ない言葉です」

「……成程。案外神様とやらは居るらしい。島の一大事に、あんた方みたいな武士もののふを寄越してくれるたぁ」

「信じる神は違えども、我々が信じる心を抱く同胞はらからであることに変わりはない」


──たとえ、それが鬼人であっても。


「……済まねぇな、お客人にこんな頼みを」

「いえ。しかし、一つ問題が……」

「なに?」

「まだ仲間全員の了承を得られておらず……」

「ああ……」


 そりゃ大事だな、と。

 ハガネは強面を破顔させた。


 直後にベルゴは振り返る。

 顔には困った笑みが張り付いていた。


「勝手に話を進めてスマン。皆、いいか?」


「いいかお前ら。迷宮は準備が命! つまりだ……おやつ選びにも命掛けろよぉ!」

「ライアー! バナナはおやつに入る!?」

「バナナ……!? 不潔です!」


「勝手に話が進んでいたな」


 肯定として受け取ってもらった。異論はない。


「そういう訳で──貴方方の頼み、謹んでお受けいたします」

「……助かる」


 深々と頭を下げる族長。

 そう何度も下げていい頭じゃないだろうに。余程切羽詰まった状況だと推察できる。


 これは……腕が鳴るな。


「俺達の居場所はここだけだ。俺のような年寄りが追い出された先で野垂れ死のうが構わんが、若いもんに苦労を掛けさせるのは忍びないからな」

「そのお気持ち……少し理解できます」

「……随分修羅場を潜ってきたようだ。嫌な世の中だねぇ」


 含蓄のある声の重みに察したのだろう。

 同情の籠った族長の眼差しがベルゴに向けられる。だがそれも一瞬。次の瞬間には、里を導く長としての鋭さを取り戻した。


「里の奴らにゃ協力するよう声を掛けておく。道具や食料も出来る限りこっちで用意させてもらおう。必要な物は遠慮なく言いつけてくれ」

「助かります」

「クロガネ。そういう訳だ。引き続きお客人を案内してやりな」

「応」


 応答するクロガネが立ち上がり、俺達を部屋から案内する。

 時間だけで言えば一時間も経っていないだろうに、中々の疲労感だ。門構えを潜った後、俺達は途轍もない開放感を覚え、自然と背伸びしてしまっていた。


 そこへ申し訳なさそうなクロガネの声が飛んでくる。


「……変なことになっちまったな。だが里が困っているのは事実。族長の息子としても頭を下げよう──頼む」

「いいよいいよ。旅は道連れ世は情けなんとやらって言うしな」

「全部言い切ってから『なんとやら』言う人初めて見ました」

「極め付きには……」

「知らない続きが紡がれようとしてる……!?」

「……」

「……言えっ!」


 アスの綺麗な蹴りが俺の腰に叩き込まれた。

 ッパァン! と響く乾いた音。美しい音色だ。俺は感動の余り、声を失って地に沈んだ。同時に俺の腰も死んだ。


「本当にすみません。毎度毎度話の腰を折って」

「いや……話の腰よりもそいつの腰の方を……」


 クロガネくんは本当に優しいね。大好き。

 それから腰が回復して立ち上がるまでに、彼は迷宮内の構造を端的に話してくれた。迷宮の構造を知っているか否かは、迷宮踏破の成功率に大きく関わってくる貴重な情報だ。俺も腰を折っている間、しかとその情報を痛みと共に頭に叩き込んでいた。


 運動しながら勉強するシンクロマッスル法の亜種、シンクロペイン法だ。

 痛みが俺をより強くする。嘘だ。真面目に勉強するんで痛みは要らないです。


「うちにある“穴”──〈マモンの迷宮〉は現役の鉱山だ。よく刀の材料を採りに潜るが、ここ最近は魔物のせいで満足に採集もできないのが現状だな」

「なるほどな。じゃあ、道すがら魔物退治もやっておくか」

「助かる。ある程度退治が済めば、中にある人車軌道トロッコも安全に使えるはずだ。それを使って深層に潜るのも楽になるはずだ」

「トロッコ!」


 アータンはそう声を上げ、目を輝かせていた。

 鉱山と言えばトロッコであるが、ギルシン世界ではまだまだ一般的ではない。それこそ有名な鉱山にちょこっとばかり走っているだけである。


 だが、そんなトロッコが走っている獄卒島の鉱山……中々近代的だ。今からもうワクワクしてきた。


「兎も角、物資の調達が先決だ。俺も案内するが、人車軌道を使っても数日は潜ることになる」

「お前も一緒に潜ってくれるのか?」

「迷宮なら内部の地理を把握している人間が同行した方がいいだろう? それに里の人間しか知らない休憩所もある」


 そこを活用しようと説明するクロガネに、誰も首を横に振ったりはしない。

 それから俺達は族長に言われた通り、鬼人の里を巡って必要な物を物色した。迷宮攻略は地上を冒険するだけとは訳が違う。必要な物資の種類も量も異なってくる。


 しかし、そこで頼りになるのがベルゴだ。

 なんでも騎士団では時折迷宮内に潜む悪魔退治の為、定期的に討伐隊を編成し、迷宮に潜っていたとのこと。


 迷宮攻略のノウハウがあることはアドバンテージだ。

 俺も迷宮攻略経験がないことはないが、ここはベテランの顔を立てて大人しく指示に従う。


 俺が攻略しようとしたらストロングアサシンになるからね、仕方ない。


「──これであらかた用意はできた」

「よしっ。それなら明日にでも迷宮には潜り込めるな」

「なら、今日はうちで休んでくれ。大したご馳走は出せんかもしれんが、精一杯もてなそう」

「気持ちだけで十分さ。それより……」

「それより?」

「な・れ・そ・め♡ 聞かせて?」

「チィ!」


 『覚えてやがったか』と憎々し気な声色を漏らすクロガネ。

 残念だったな。俺は一夜漬けしたテストの知識は三歩で忘れても、面白そうな話のタネは向こう一年忘れないのだ。

 そして、馴れ初めと聞いて我慢できずに寄ってきたアータンは、蛙を睨む蛇もかくやと思われる眼光をクロガネへと向けていた。これぞ、まさに蛇睨み。クロガネも毒牙を突き立てられ、麻痺毒を注ぎ込まれたかのように固まっていた。


「……はぁ。別に面白い話じゃあねえぞ?」

「いいよいいよ。そういうのもっと頂戴!」

「まだ始まってすらいないんだが?」


「──あいつと出会ったのは、漁場を荒らす賊退治に出向いた時だった」


 獄卒島の面積は七大教国に名を連ねるアヴァリー教国本土〈月島〉と比較すれば微々たるもの。島内で作物を栽培してはいるものの、食料の多くは漁で得られる魚介類に依存していた。

 その為、獄卒島の民にとって漁場を荒らす賊は不倶戴天の敵。アヴァリー教国からの許しも得て、漁場を荒らす賊は捕縛し、秘密裏に引き渡していた。無論、抵抗が激しければそのまま船を沈めることもあったとのこと。


 だが、フェルムの話にもあった通り、ある時クロガネ達が人攫いを乗せた船を襲撃した。フェルムが助け出され、鬼人族の里に拾われたのもその時だ。


「……で、あいつは追い出す方便を鵜呑みにして里に居残った」

「『だが、後にクロガネがフェルムに好意を寄せる出来事が……』」

「頼んでもねえ心の語り手出てくんな」


 声色を変えた俺のナレーションだが、ズバッと切り捨てられてしまった。誠に遺憾である。


「まあ、実際あいつにゃ……というか、間人そのものに良い印象は抱いていなかった」

「……賊のせいか?」

「そうだ」


 俺はこれに納得した。

 里に定住する間人以外、里の鬼人にとって目にする外の世界の間人は漁場を荒らす賊ばかりだ。それを踏まえた上で島の外から来たフェルムには警戒心や猜疑心を抱けども、最初から好印象を抱けなど無理な話だろう。


「最初はなんて図々しい女だと──いや、女とすら思っちゃいなかった。一日中鍛冶場でトンカントンカン……」


 その光景が如実に想像できたのだろう。

 俺を始めとし、アータンにベルゴ、そしてアスまでもが脳内で金槌を振るうフェルムの姿を幻視した。なんて想像が容易いんだ……。


 だが、と。

 クロガネの声が、俺達を脳内妄想から引き戻す。


「ある日、あいつは喧嘩してたんだ。鬼人の男相手に素手でな。信じられるか?」

「ワ、ワイルド……」

「しかも、結構押してた」

「ワイルド……!」


 慄くアータン。

 鬼人は間人より大柄な者が多い。男ともなれば、その体格差はかなりのものだ。


 それを人間の女と比べた時には……まあ、間人で言うところの大人と子供ぐらいの身長差がある。


 にも拘わらず、喧嘩で押し負かしていたとは。

 シムロー……アンタの倅、強く育ってるよ……というか、強く育ち過ぎてるよ。是非とも育児方法をご教示願いたいところである。


 とは言えだ。


「流石に見てらんなくてな。何とか仲裁に入ったら、あいつこう言うんだ。『こいつの曲がった根性を叩き直す!』って」

「ひゃあ……」

「聞きゃあその男、最近子供が生まれたばっかりでな。でも子供の世話は嫁に任せっきりで自分は夜遊び。嫁さんはロクに眠れねぇと悩んでたらしい」

「まさか、それを聞いて……!?」

「ああ、ブチ切れだ」


 フンッ、おもしれー女。

 今後、フェルムに舐めた口利かないようにしよう。今この瞬間、俺はそう固く誓った。


 しかし、ビビり散らかす俺達とは違い、クロガネはどこか感慨深そうに目を伏せる。まるでその時の光景を思い出しているかのようだった。


「あいつが言うには『余所の文化や風習にとやかく言うつもりはない。けど、連れの悩みに寄り添ってやらなくて何が夫婦だ』、って」


 ここまで聞けば俺達の中で何かがピンとくる。

 夫婦の不仲──フェルムの両親──思い当たる節はいくつもあった。


「聞きゃあ、あいつも家族のことで苦労したみたいじゃねえか」

「ああ、そうみたいだな」

「家族については俺も思うところがあってな。お袋が間人なのをからかわれたこともあった」


 ハハッ、と。

 クロガネは懐かしむような面持ちのまま続けた。


「親父は族長って立場もある。餓鬼の喧嘩に首を突っ込むのも控えてた。だから、俺の味方はいつもお袋だった」

「優しいお袋さんだったのか?」

「いや……鬼だった」

「鬼」

「親父も外にゃ亭主関白気取ってたが、家ン中じゃあお袋の尻に敷かれてた。俺も喧嘩に負けてめそめそ帰ってきたら『やり返してきな!』って怒鳴られたもんさ」


 そう言って額に拳骨を当てるクロガネ。

 なるほど。かつてのクロガネ少年は、肝っ玉母ちゃんに拳骨喰らってたんこぶを作っていたらしい。こぶとりじいさんに出てくる鬼も恐れ戦くレベルだ。


「──でも、一本芯のある人だった。価値観って言うんだろうな。お袋なりの物差しがあるんだろうなってのは餓鬼の俺でも感じてたよ」


──俺はそいつを……格好いいと思った。


 瞳を閉じるクロガネ。

 その降ろされた瞼の裏には、きっと母親の姿が映っていることだろう。


 そして、ついに。


「あいつ──フェルムもそうだ。手前ェの芯があって、曲がったモンは叩き直す。そんな一本筋の通った生き様に……」


「惚れちまったのか?」

「惚れちゃったんだろうなぁ……」

「惚れていたのだな」


「三段活用で完結するな」


「病める時も健やかなる時も……」


「ひょっとして祝言か?」


 文化圏の違う祝言の口上を察するなんて、クロガネは中々勘の良い男である。

 だからこそ……フェルムの良いところに気付いてしまったのだろう。あっ、ヤベッ。俺の中のオタク魂が気ぶっちゃいそう。っていうか、気ぶるね?


青春せいしゅぅーーーん!!」

「やかましい!! ……まあ、フェルムに惚れてることは違わなくねぇ……けど勘違いするな!? あくまで俺は、人間的に好ましいってだけで──」

「オレがなんだって?」

「うおおっ!? フェルム!?」


 音もなく忍び寄る影。

 クロガネ……これが忍びなら貴様は死んでいたぞ? まあ、実際背後に忍び寄っていたのはくのいちという名のフェルムだがな。恋の巻物、頂戴いたす。


「てめェ、いつからそこに!?」

「いつって……今だが? 今……あれ? 今何時だ?」

「はあ? 何訳分からねぇことを……って、なんだその隈!?」

「クマ? ああ、クマか。じゃあクマの彫刻にしといてやる」

「木彫り職人耳に住んでんのか!? おい、スズぅ!!」


 『こいつを寝かせろぉ!』と叫ぶクロガネに、どこからともなく現れた銀髪ギャル鬼娘ことスズが現れ、颯爽とフェルムを引き連れていく。

 随分手慣れた手際だ。よくあることなのだろう。いや、よくあるな。


「……あんなのに……」

「こんな言葉を知ってるか? 『結婚は人生の墓場』──ってな」

「生前葬甚だしいだろ」


 含蓄のある先人の言葉を授けたら、秒で反論されてしまった。




 それは……確かにそう!

 生前“葬”だけに……“そう”!




 殺せよ。




 ***




『ヴギィイ……!』


 迷宮全体に響き渡る断末魔。

 大気が軋むようなそれが反響すれば、遅れて地鳴りが轟いた。


「……」


 迷宮を揺らした巨体は地に堕ちた。

 緋色の外殻を持つ大蜘蛛は、天地が逆さまになったように腹部を天井に向けて転がっている。虫が天を仰いで死ぬのは重心の関係だが、どうやらこの大蜘蛛も、その例には漏れないようだ。ピクピクと脚を震わせながら、頭部に並んだ八つの目は恨めしそうに自分を下ろす人影を眺めようとした。


 しかし、それも間もなく叶わなくなる。

 硬い、いや、硬すぎる外殻を持った大蜘蛛の顔面を、細い指の並んだ手が掴んだのだ。並の刃や矢では通らぬ外殻は、そんじょそこらの魔法では傷一つ付かぬ防御力を誇る。何せ伝説の〈強欲〉の罪器と同じ素材で形成された外殻なのだ。


 だが次の瞬間、大蜘蛛の外殻はパリンと割れた。まるで薄氷が割れるように軽い音だった。


「……」


 大蜘蛛を見下ろす無機質な双眸。

 生気を感じさせぬガラス玉のような瞳はピクリとも動かない。絶命し、伝説の武具を身に纏ったに等しい外殻を掌から間、瞬きの一つもなかった。


 長いような、短いような。

 それでいて永い時間が終わった時、赤い鉄糸が張り巡らされた玉座の間より大蜘蛛の死体はなくなっていた。


 代わりにあるのは新たな主──否、王だ。


 奪った緋色の鎧を身に纏う、六本腕の鎧武者と言うべきか。

 身じろぎすれば緋色の鉄がこすれ合う甲高い金属音が鳴り響く。それを聞いた生き残りの魔物達は、一斉に迷宮の最深部より逃げ出した。


「……オ」


 金属を引っ掻く音が鳴った。




「オカア……サン……」




 牙を携えた兜、そこに浮かぶ八つ眼が天井を仰ぐ。

 太陽も月もない暗黒に佇む人影は、静寂を切り裂く軋轢音を奏でる。噛み合わぬ歯車にも似た音は、いつまでも、いつまでも暗闇の中で己の存在を訴えていた。

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