第113話 切札は決着の始まり




 斬る。消える。飛ぶ。

 斬る。消える。飛ぶ。


(──こいつ)


 斬る。消える。飛ぶ。

 斬る。消える。飛ぶ。


(──この野郎)


 斬る。消える。飛ぶ。

 斬る。消える。飛ぶ──。


 彼らは幾度繰り返しただろう。

 一つ一つが相手を死に至らしめんとする行い。それは全ての戦いに言える言葉であるが、この場に限っては行動一つの重みが違っていた。


十天流アストラ、第一天──〈月天げってん〉!!」


 虚空を捲るように出現したライアー。

 もう何度サルガタナスの背後を取ったかも数え切れない。仕留め損なった回数も数知れずだ。


 あと一歩……いつももう少しというところで、サルガタナスの驚異的な反射神経によって回避されてしまう。ライアーは失敗を重ねる度、自身の力不足を呪ったものだ。


 だが、今度は違う。

 彼の背後に巨人が一人佇む。猛々しく燃え盛る炎を押し固めたが如き益荒男は、ライアーの身の丈以上もある剣を振り下ろし、音さえ置き去りにして斬撃を飛ばした。


「チッ!!?」


 それは最早本能だった。

 当たれば即死。全身が総毛立つ感覚の生命の危機と理解したサルガタナスは、理解するよりも早く〈ヒク・サルタ〉でその場から離れる。


「舐めんじゃ──ねェぞ!!」


 転移した先の地面に、サルガタナスは両手を突き出す。

 そのまま地面を掴むように指を閉じ、両腕を自分の下へと手繰り寄せる。すると何も見えない空間に歪みが──サルガタナスの方へと引き寄せられる流れが生み出された。


「──〈リグヌム〉!!」

「おわっとっとっとぉ!!?」


 グニィイ……! と、突然ライアーの足元はサルガタナスの方へ引き寄せられる。

 まるで自分が乗っている絨毯を引っ張られるような感覚だ。これがテーブルクロス引きなら、動く範囲はテーブルクロス分だけで済むだろう。

 しかし、実際地面は何も見えていない。ただただ暗い空間が広がっているばかりで、どこからどこまでが地面の範囲であるかも分かったものではなかった。


 そうこうしている間にも両者の距離は縮まる。

 すでに互いの間合い。


「サロモン!!」


 自らの罪器の名を叫ぶサルガタナスが一閃。

 横薙ぎの“歪み”は進路上の万物──文字通り全てを噛み千切る。


 それは剣閃の軌道にあったライアーも例外ではない。

 スルリ、と。ゼリーにナイフを滑り込ませたかのように、鎧を着た男の体は真っ二つに両断されてしまう。


「ぐッ──!!?」


 上下が泣き別れとなった勇者が、断末魔にしては呆気ない苦悶の声を漏らす。

 それを見たサルガタナスは、


(どこだッ!!?)




「──こっちだ」




(上!!?)


 声に誘われ頭上を睨む。

 そこにはいつの間にやらライアーが居た。両手で剣を逆手に握り、サルガタナスの脳天目掛けて突き立てようとしているではないか。


 避けねば致命傷は必死。

 歪みで逸らすか、転移で避けるか。


 サルガタナスが選んだのは……そのどちらでもない。


(こいつはブラフ!!)


 直感のまま受け入れれば、突き立てられた剣の刀身は脳天を素通りした。


(本物は──!!)


 姿勢を低く身構え、全神経を巡らせる。

 ここまで再三再四、ライアーの不意打ちをいなしていく中ではっきりと分かった事実が一つ。


 空中への逃避は悪手。

 相手がどこから襲い掛かってくるかの選択肢を無用に増やすだけだ。一瞬の隙が命取りになる死闘の中、選択肢の多寡は命に直結する。


 事実、すでに四方から四人のライアーが迫っていた。

 魔力知覚は役に立たない。〈虚飾〉の前では感じ取った魔力すらも罠の一つだ。


(それなら──!!)


 見極めることを諦めたサルガタナスは前に突っ込む。

 その突撃に反応し切れなかったライアーを一人、貫手で仕留めた。


(違う!!)


 手応えがない。

 だがこれは予想の範疇。


(こいつも!! こいつも違う!!)


 一番恐ろしいのは同時攻撃で、歪みを展開できていない部位に斬りかかられること。

 それを防ぐ為の先手必勝。


 しかし、ここでサルガタナスにとって不測の事態が発生する。


(本物が……居ねェ!!?)


 四体仕留め終えたサルガタナスだが、その全てが煙に巻かれたように消える。

 全てが幻影だった。


(どこに──ッ!!?)


 肩口に触れる感触。

 刹那、幻視したのは自分の右腕が切り落とされる光景だった。


「ッ──ぁぁあ゛あ゛あ゛ッッ!!?」

「くっ!!?」


 前に倒れ込むように回避する。

 ただし、ここで回避だけに徹すれば相手の思う壺だ。回避と同時に、お返しと言わんばかりに手ぶらの左手で空間を引き裂く。

 磨かれた刃の如く鋭い輝きを放つ五本爪は、キィイイ゛……! と不快で甲高い音を奏でながら空間を引っ掻く。


 直後、二人の間に無秩序な激流が生み落とされた。

 龍がのたうち回るかのような激しい力の流れだ。引いては押されを繰り返し、受け身を取ることさえままならぬ両者は、最後に大きく突き飛ばされるように距離を取った。それからだ。


 サルガタナスは転移で宙に飛び、体勢を整える時間を作る。

 ライアーは分身を生み出し、不格好に受け止めてもらった。


 互いの能力を存分に生かし、隙を殺す。


「はぁ……はぁ……!」

「ふぅ……ふぅ……!」


 今のやり取りの中だけでも、数度命に手が掛かった。

 それを理解している両者の背中には大量の汗が伝う。極限の緊張からか、まだ肉体的な余裕があるにも拘わらず、呼吸もかなり乱れていた。


(こいつ……!)

(野郎ぉ……!)


 精神的な立て直しを図る間、二人は睨み合う。


(相変わらずふざけた反射神経しやがって……!)

(よくもまあ性悪な幻影を何度も何度も……!)


 互いの敗北条件はこうだ。


 ライアーは一度でも直撃を喰らえば負け。

 サルガタナスは一度反応が遅れれば負け。


 一度のミスが敗北──死に直結する。


(〈罪〉もクソチートだろ。広範囲を巻き込む歪みとかありかよ……!)

(目に見えている幻影を囮にした不可視の攻撃。陰湿な野郎だぜ……!)


 油断も隙も無い。

 故に、互いに決定打を与えられない。


(でもまあ……)

(分かってきたぜ)


 休憩は終了。

 再び互いの得物を構え、いつでも動き出せるよう──いや、睨み合っている時間からすでに動ける準備自体は整っていた。


 必要だったのは理解の時間。


(空間を歪めるあいつの〈罪〉)

(幻影で惑わすこいつの〈罪〉)


 〈虚飾〉と〈愚癡〉。


 片や幻影を生みだす〈罪〉。

 片や空間を歪ませる〈罪〉。


 それを聞いた者のほとんどは、全く違う力だと決めつけるだろう。

 だが、彼らだけは違った。


(〈愚癡のサルガタナス〉……)

(〈虚飾のライアー〉……)


 まったく系統の違う力。だのに、命のやり取りを繰り広げていくにつれて確信へと変わっていく感覚──答えがあった。


 幻影で惑わし不意を突く。

 空間を歪めて一撃で屠る。


 互いが互いの最も苦手とするところの戦法を取れるのだ。

 それすなわち、


(あいつは俺の──)

(こいつは俺様の──)




((──天敵だッ!!!))




 認めざるを得なかった。不倶戴天の存在を。

 許さざるを得なかった。己が負ける可能性を。


(けどなァ!)

(勝つのは!)



((──俺だッ!!!))



 この世界から二人分の影が消える。

 彼らの立ち合いは、常にこの動きから始まる。


 一瞬で相手の姿を見失うのだ。

 ならば自分より先に相手を捕捉させまいと、姿を隠すなり転移で移動せざるを得ないのは条理。

 回数を重ねていくごとに最適化されていく立ち回りは、より深度の深い読み合いを発生させ、肉体以上に精神を摩耗させていく。


 これは力の戦いではない。心の戦いだ。

 如何にして相手の心を擦り減らし、露わとなった隙に爪を突き立てられるか否か。全てはそこに掛かっていた。


「十天流!!」

(来た!!)


 どこからともなく声が聞こえてくる。

 しかし、サルガタナスは地上のその場から動かない。宙に逃げれば、ただでさえ前後左右と頭上に加え、足元にも気を配らねばならなくなる。


(奴の初撃は必ず囮!!)


 思った傍から〈魔弾マギ〉が迫る。

 サルガタナスには避けるまでもない攻撃。それをあえて“歪み”を以て受け止めれば、巻き起こった爆炎と煙が気流に乗って流されていく。


 たとえ、いかに強大な攻撃を叩き込んだところで、サルガタナスの歪みを真正面から破れる攻撃はない。


 それを理解しているからこそ、ライアーは歪みを見極める。

 それを理解しているからこそ、サルガタナスは歪みを餌にする。


 炎と煙の流れが、サルガタナスの弱点を露わにした。

 あとはそこに一撃叩き込めさえすれば、勝利の天秤は虚飾の勇者側へ大きく傾く。


「第八天──〈恒星天こうせいてん〉」


 しかし、一撃などでは足らない。

 その意思の顕れのように、煙と炎を無数の切っ先の雨が晴らした。


 十天流・第八天〈恒星天〉。

 その正体は超高速で繰り出される連続の刺突だ。ただし刃は魔力を帯びており、一撃一撃が〈月天〉のように攻撃が

 そして、あえて始めの刺突を遅くすることで、刺突の雨は後続と合流するタイミングが組み合わさり、一度に無数の突きを繰り出したように見えるのだ。


 一点だけの攻撃ならまぐれで展開していた歪みで逸れるかもしれない。

 だが、これほどの密度だ。


 そうそう避けられることは──。


「ハッ……


 はずだった。


 晴れた視界の先に、サルガタナスの背中が見える。

 がら空きの背中だ。刃を突き立てれば、心臓を貫くことさえ容易いだろう。


 しかし、放った刺突はいずれも直撃することはなかった。

 悪魔の背面を狙う刺突は、いずれも彼の体表を滑るようにして側面へと曲がる。そして、そのまま明後日の方向へと飛んで行った。


「チッ!!」

「見えてんだよォ!!」


 舌打ちを禁じ得ないライアーに、サルガタナスが満面の笑みで振り返る。


 その手に握られるは鋭利な銀光を湛える三日月刀。

 名を罪器サロモンという。


「〈ソトラメントゥム〉!!」


 刀身に翠玉を散りばめられた刃は、進路上に佇む万物を一瞬にして食い殺す。

 直後、遅れて暴風が吹き荒れた。これは空間を歪めたからだけではなく、刀身の翠玉が風魔宝石であるからだ。

 魔力を注がれた風魔鉱石は、注がれた魔力の分〈風魔法ベント〉と同じ真空の刃を発生させる。それがもし罪器の権能と共に発動されたらどうなるか……。


「くっ──!!?」


 答えはすぐ目の前にある。

 上体を仰け反り、すんでのところで回避するライアー。ただし聖霊はそうはならなかった。傍若無人な牙に引き裂かれるが如く、炎を押し固めた巨躯は胴体を両断され、上半身と下半身が泣き別れとなった。原型を留めていられなくなった聖霊はそのまま霧散した。


「おぎゃあああ!!?」


 ライアー自身も横殴りの暴風に煽られ、地面をタンブルウィードよろしく転がる。

 それを見逃すサルガタナスではない。瞬時に〈転〉で近づいた彼は、魔力を注ぎに注いだサロモンを振りかぶり、タイミングよくライアーへと刃を振り下ろした。


 巻き起こる暴風は、最早大爆発だった。

 ドォン!! と大気を揺さぶる風は、閉鎖空間たる〈世界ウェニ・ウィディ・ウィーキ〉の中を縦横無尽に駆け回る。

 触れればカマイタチ同然に肉を裂く刃に等しい風だ。

 多少の自傷は厭わず仕留めに掛かったサルガタナスは、次の瞬間、怒りと喜びが半々の絶妙な笑みを湛えた。


「ハッ!! 避けるのだけは上手ェな」

「……お前のエイムがガバ過ぎるだけだろ」

「そうか、なら次はもっとよく狙うぜ!!」


 サルガタナスが刃を振り下ろした場所にライアーは居ない。少し離れた場所に、彼は膝を突いていた。


「はぁ……はぁ……」


 肩で息をする姿からは、当初の余裕はない。

 鉄仮面で表情こそ覗けないものの、細められた双眸には疲労が滲んで見えた。あれだけ激しい風に吹かれて地面を転がったのだ。体のどこかを痛めていてもおかしくはない。


「限界だな」

「ハハッ、ご冗談。俺はまだまだ元気モリモリメメントモリよ」

「強がったって無駄だ」


 煙に巻く言動を前にしても苛立たなくなったサルガタナス。

 その表情には目に見えて余裕が浮かび上がっていた。


「今のではっきりした……てめェは俺様に絶対勝てない」


 勝利への確信。

 それこそが彼の抱える余裕の支柱。


「てめェの聖霊は虚仮威しだ」

「ッ……」

「ババアや〈怠惰〉みてェに実体を持っちゃいねェ──ただの幻影だ」


 断言するサルガタナスに、息を呑むライアー。

 それが決定的だった。

 より強く確信を抱いた悪魔は、笑みを吊り上げる。


 より細く、より鋭く。

 研ぎ澄ませた刃のように鋭い笑みは、それだけで心の弱い者なら殺してしまえそうな殺気を放っていた。


「てめェの聖霊には手応えがねェ。攻撃こそ似せちゃいるがどれもお粗末だ」

「俺の聖霊が単にカッスい可能性とかは考えねえのか?」

「だったら尚更てめェに負ける道理はねェ」


 正論で突き返し、サルガタナスは続ける。


「てめェには“歪み”を突破する手段がねェ。だから死に物狂いで隙を突くしか勝機はなかった。聖霊はその隙を作る心理的圧力を生む手段に過ぎねェ……違うか?」

「……」

「だがてめェは結局俺様の〈罪〉を突破できなかった!! 時間と魔力を無駄に消費しただけだ!!」


 勝ち誇るサルガタナスは声高々に叫んだ後、サロモンの切っ先を突き付ける。

 当然、突き付ける先はライアーだ。悪魔の眼には彼しか映っていない。


「俺様の勝ちだ!! 力も、魔力も、速さも!! 全てにおいててめェは俺様に劣る!!」

「劣ってたらお前に勝てないってか? おいおい、そいつは尚早だぜ」

「尚早も何も揺るぎねえ事実だ」


 切り返す口は鋭く、ブレがない。

 普段なら口が回るライアーでさえ、これには一瞬押し黙ってしまった。



「てめェは失敗した」


 そこへトドメを言わんばかりに悪魔は突き付ける。

 聞く者が聞けば、それは断頭台の刃のように重く鋭く感じられただろう。死を目前にした屠所の羊同然の状態だ。


「てめェは俺が幻影を見破る前に仕留めるべきだった──機を逸したんだよ」


 慎重に戦い過ぎたせいで、と付け加える。

 しかし、それは〈愚癡のサルガタナス〉相手に戦う上では、余りにも過酷な意見でもあった。


 何せ最短の道を選べばもれなく人死にが出るのだ。

 仲間の犠牲を許容できぬライアーにとって、慎重に戦うことは避けては通れぬ道と行っても過言ではない。


 だが、それをサルガタナスは唾棄すべき甘い考えだと断じた。


「初めから命捨てる覚悟で突っ込んでくりゃあ腕の一本くらい獲れたかもしれねェがな」

「もう一声」

「ねェよ」


 それでは両腕を持っていかれると、サルガタナスは即座に拒否した。


「だがまァ──それがてめェの底ってこった」


 熱に浮かれていた声音が、急激に凍てついた。

 冷たき刃を彷彿とさせる声色だ。思わずライアーも背筋が凍える感覚を覚えた──が、しかし。


「戦いなんて臆病風に吹かれるくらいがちょうどいいんだよ」


 軽快に笑い飛ばしてみせた。

 いつも通りだ。恐怖も絶望も、味わった経験は一度や二度ではない。だからこそ、そうした時にどうするべきか理解していた。


「吹かれて消える風前の灯火じゃなけりゃあなァ」


 しかし、サルガタナスの嘲笑は崩れない。

 確信とは、つまりそういうことだ。一度掴んだ確固たる信用はそう易々と手放されることはない。


 最早、言葉だけでサルガタナスの動揺を誘うことは難しい。

 己の手札が一枚失われた感覚を覚え、ライアーは視線を落とす。死闘の中において、手札の数とは勝敗を左右する重要なファクターだ。一つ一つの効果は弱くとも、出すタイミングでは大きなリターンを得られる場面などいくらである。


 特にライアーにとって“口撃”とは、相手を惑わす立派な武器の一つ。

 挑発やブラフなど、使える場面は枚挙にいとまがない。それは彼が〈虚飾の勇者〉であるなら尚更だ。


「……ハッ」


 故に──彼は笑った。



 突きつけるは手と舌の剣。

 どちらも彼にとっては紛れもない武器であり、最期の瞬間まで手放すつもりはなかった。


「……なんだと?」

「残念でした~。大層なご高説を垂れていただき誠にありがとうございました。不合格ですので回れ右してお帰りくださいお馬鹿ちゃん」

「……てめェが俺をおちょくってんのだけはよォ~く分かったぜ」

「おちょくってんじゃねえ。馬鹿にしてんだ」

「──ッ」


 悠然と佇んでいたサルガタナスに、明確な苛立ちが覗いて見えた。


 ただ怒りは怒りでも、それは自分への罵倒に対する感情ではない。

 どちらかと言えば、この期に及んでまだ勝てると思い上がる蒙昧ぶりに、と言ったところだろうか。


「……いいぜ」


 天秤は自分に傾いている。

 奴の言葉に耳を貸す必要はない。


 だが、己の内から囁きかける声があった。


──潰セ。

──殺セ。

──捻ジ伏セロ。


 ともすれば、それこそが悪魔の囁きだったかもしれない。

 悪魔をかどわかす悪魔。

 これが内なる心の声──本心なのだろうと理解した瞬間、サルガタナスは笑った。


「乗ってやるよ──その口車ァ!!」


 築いた屍の玉座に座るのはこの俺だ、と。

 覇道を突き進んできたサルガタナスにとってはいつも通りのことだ。目の前を真っすぐ進む。そこに手招く悪魔が居ようとも関係ない。


──全て捻じ伏せればいい。

──それが俺の覇道だ。


「ただし」

「おん?」

「てめェには全力を見せてやる」

「おいおい、俺はバイリンガルじゃねえぞ。人語で頼むわ。ワンワンワ~ンってしか聞こえねえな」

「言ってろ」


 負け犬の遠吠えとでも言いたげなライアーを一蹴し、サルガタナスは前傾する。


 まるで獣がこれから獲物を狩るような。

 そんな姿勢のまま、切れ長の瞳からは剥き出しの刀身染みた眼光が閃く。




「これより先に──言葉は要らねェ」




 悪魔の口元に三日月が浮かんだ。

 変身は──そこから始まった。


「!」


 寒さに震えるような身震いの直後、ドクンと跳ねた肉体から白銀の体毛が生え揃う。

 体が一回り大きくなる一方、両手の爪も鋭く伸びる。一気に十本もの凶器が、サルガタナスに備わったではないか。


「……全力ね」


 あながち間違った宣言ではない。

 そう理解したライアーは唾を飲むが、カラカラに乾いた喉では上手く嚥下できなかった。


 かつてないほどの緊張に全身が強張る。

 これに匹敵する相手は〈戦死のサンディーク〉や〈怠惰のレイエル〉といった、超がつく大物ばかりだ。


 しかし、はその比ではなかった。


「シィー……!!」


 熱い呼気が犬歯の隙間から溢れ出る。

 『隙間から』と言ったのは、サルガタナスの口が物理的に開かなくなっていたからだ。前方に伸びたマズルは、ちょうど彼の罪冠具にフィットする形に収まっている。


 まるで、この姿こそ本来あるべき姿と言わんばかりに。


……」


 その姿を見たライアーは、そう評した。

 彼にとってサルガタナスの罪化態は未知ではない。転生前──それこそギルティ・シンを遊んでいる頃、画面越しに見た回数は一度や二度ではない。


 ただ、これほどの迫力とは想像もしていなかった。

 いや──想像を遥かに上回っていたと言うべきだろうか。当然、悪い意味でだ。


(油断も隙も──)


 刹那、暗闇に月光が瞬いた。


「──」

「おわっとォ!!?」


 視認する間もなく、サルガタナスが横薙ぎに爪を振るった。

 本物ライアーがあらかじめ屈まねば首が飛んでいたであろう五閃の爪撃は、幻影を切り裂き、これまでと比較にならない嵐を巻き起こす。


 幸運はここが現実から切り離された〈世界ウェニ・ウィディ・ウィーキ〉内であったことだ。

 さもなくば、スーリア教国が誇る大聖堂はなます切りにされていた。そして瓦礫の雨あられは、大聖堂内の騎士や教団員へと降り注ぎ、凄惨な血の海と果てしない悲しみを生んでいただろう。


 ただし今回は、それがただ一人にのみ振るわれている。

 巻き起こる狂飆を前に立つことさえままならぬライアーも堪らず罪度Ⅲへと移行。広げた黒翼で上手く気流に乗って難を逃れようとする。


「おいおいおいおい!!? 個人に向けていい火力じゃないってのォ!!? オーバーキルってご存じでらっしゃる!!?」


 言葉は返らず。

 返るは沈黙と鋭い爪撃だった。


「物理的に口塞ぐのはナシじゃなくって!!?」


 口輪ロザリウムのせいで沈黙を保つサルガタナスに、ライアーはギャンギャン騒ぎながら飛行を続ける。


 そこへ飛来する五閃。

 未だ吹き荒れる狂飆を細切れにすれば、また違う気流の狂飆を生み出した。これではもはや数多の龍が絡み合っているも同然。飛行など土台無理な話だ。


「ちくしょう、問答無用ってか!!? はいそーですか!!」


 ライアーは迷わず逃げの一手を打つ。

 先刻までならばまだ反撃に出られたが、今はそれどころではない。


 苛烈で、痛烈で、激烈。

 反撃さえ許されぬ圧倒的暴力の洗礼を浴びながら、ライアーは地表目掛けて翼を折り畳んで突っ込む。


 だが、その時グィと引っ張られる感触を覚えた。


「ッ!!」


 咄嗟に翻り、急制動を掛ける。

 すると間もなく全身を手繰り寄せる引力がライアーを襲った。




 三次元──空間に対する歪み〈ラテルクルス〉。




「ッソが!!!」


 滞空していては引き寄せられる一方だ。

 そこでライアーは鋭い爪を携えた手と足の両方を地面に突き立て、引力に抵抗する。


 しかし、今度は地面が動き出した。

 現代社会で例えるとするならムービング・ウォークと言ったところ。それもまたサルガタナスが地面に干渉しているが故の現象であった。




 二次元──面に対する歪み〈リグヌム〉。




 空中と地面、両方からのアプローチを前に彼我の距離は瞬く間に縮まる。

 距離を置くことはほぼ不可能。素早い判断を下し、ライアーは地表に魔力回路を走らせ、あっという間に魔法陣を展開する。


「〈嘘八百フル・オブ・ライズ〉!!」


 〈虚飾〉の〈聖域〉──〈嘘八百〉。

 広範囲に展開される精巧な幻影は、たとえ魔力探知に長けた相手であろうと見破ることは容易ではない。


 だからこそ、悪魔が選びしは圧倒的“暴力”。


「ッ!!!」


 サルガタナスは右手に握る罪器サロモンを振るう。




 一次元──線に対する歪み〈ソトラメントゥム〉。




 ただ腕を振るうだけでも、罪度Ⅲは狂飆を生み出す。その上で罪器も使うとなれば、引き起こされるは天災に等しい現象だった。


 サルガタナスの歪みは言い換えれば無限の圧力。

 何者にも押し負けぬ力は、面圧が小さければ小さいほどに極端な結果を出すものだ。


 面なら潰す。

 点なら貫く。


 ならば線は?




──全てを切り裂く。




 放たれた極閃は天地を分かった。

 当然、斬撃の軌道にあった人影は──その延長線上にいた者も全て両断してみせた。


 胴を分かたれたライアーは霧散する。




 そして、世界はサルガタナス一人だけとなった。




(……隠れたか)


 半ば予想通りの展開にサルガタナスは鼻を鳴らした。

 血の臭いは嗅ぎ取れない。人狼と化したサルガタナスは嗅覚も狼レベル。にも拘わらず嗅ぎ取れないということは、そもそも攻撃が命中していない事実の証左に他ならない。


──あの程度でライアーが死ぬことはない。


 これから殺すつもりの敵に抱くにしてはおかしな信頼だ。だが裏を返せば相手を認めたからこそとも言える。


 なればこその罪度Ⅲこの姿


 他の悪魔のように易々とは晒すつもりない。

 見せるのは殺すに値する存在と対峙した時だけだ。


(どこからでも来い)


──その上で捻じ伏せる。


 サルガタナスは気炎の如き白い吐息を吐く。

 さほど気温の低くない空間でこれなのだ。彼の肉体は燃え上がるように熱を帯びていた。


 それは天敵と認定した男に対する闘志の炎。

 他の誰にも与えたくない獲物は、これが初めてだった。


──てめェだけは俺が殺す。


 そうしたい。

 そうでなければならない。

 そうでなければ、真に〈虚飾〉に勝ったとは言えない。


 奮い立つ精神に呼応し、全身の体毛が神経の如く尖っていく。

 今や微かな風でさえ見逃さぬほど、感覚は鋭敏化している。ただでさえ尋常ならざる反射神経で不意打ちを回避するサルガタナスだ。こうなっては如何なる手段をもってしても、不意を突くなど不可能だろう。


 それを誰より信じていたのはサルガタナス自身だ。


(俺が──俺こそが頂点だ!!)


 その時だ。

 凪の中に僅かな揺らぎがあった。


 場所は──サルガタナスの背後より。


(もらったァ!!)


 刹那より短い時の間、サルガタナスは身を捩る。

 彼はここまでの戦闘の過程で、幻影を破る手段を見出していた。


 それは“風”。

 ライアーが繰り出す実体と幻影の刃は厄介だ。何せどれが本物でどれが偽物か判別しづらく、加えて見えている刃の中に本物があるとも限らない。


 だがしかし、幻影と違って実体の刃は空を裂く。

 つまりは僅かな風が吹く訳だ。それをサルガタナスは極限まで研ぎ澄ませた感覚と生え揃った体毛で感じ取ったのである。


 今までは皮膚に触れてから避けるので精一杯だった。

 それを此度は、相手からすれば予知染みた反応してみせたのである。


(これでてめェは終いだ!!)


 刃を奔らせるサルガタナス。

 勝利の確信を得る双眸には、一人分の人影が飛び込む──。




(──、だと?)




 自分だ。

 紛れもない自分が、そこには居た。


 眼前の双眸を覗き込めば、そこには相手同様に驚愕に目を剥いた自身の姿が映り込む。


(──ただの虚仮威しだッ!!)


 幻影に違いない。

 大方自分の姿に化けているのだろう。そう判断したサルガタナスは、そのまま刃を振り抜かんとする。


──違和感。


 その時、サルガタナスが覚えた感覚はそう形容する他なかった。

 相手も同じだ。確信を得て刃を振り抜く間に、次第に膨れ上がった違和感に、切っ先がほんのわずかに揺らぐ。


(こいつは──)


 刃は、相手より一瞬早く相手の肉を喰い破る。

 遅れて相手の刃もまた自分の肉に到達した──


(なんッ……だとォッ!!?)


 鮮烈な痛みが背中を刻む。


──間違いない。

──間違いない!

──間違いないッ!!


(こいつは……だ!!)


 焦燥に駆られたサルガタナス。

 だがしかし、疾うに退くタイミングは逸してしまった。このまま〈ヒク・サルタ〉で跳ぼうとしたところで、相手の刃はそれより背骨に致命的な損傷を負わせるだろう。


 唯一残された手段は相手よりも早く自分が殺すこと──それだけだった。


「──ッッッ!!!」


 ビキビキと唸る筋線維。

 それに応えるようにサルガタナスの一閃は一コンマ差で、背から胸にかけて両断してみせた。


 絶命する相手サルガタナス

 そのままサラサラと魔力の粒子になって霧散する光景を目の当たりにし、サルガタナスは己の思い違いにようやく気付いた──その時だ。


「っらあ!!!」


 裂帛の気合いと共に、サルガタナスの右手に一太刀浴びせられる。

 急速に力が抜けていく右手。腱が斬られたのである。


 起こった出来事を理解する間もなく、今度は右手が大きく弾かれた。

 それが忽然と姿を現したライアーに蹴られたからだと理解した時には、握っていた罪器は床を滑っていった。


もーらいッ♪」

「ッ──!!?」


 ライアーの選択は“追撃”ではなく“拾得”。

 罪器サロモン──サルガタナスの〈罪〉を宿した剣を、迷わず拾い上げたのだ。


 そこでサルガタナスは悟った。


(まさかこいつ──初めから罪器を奪うつもりで!!?)


 サルガタナスの罪魔法は最強の矛でもあり盾だ。

 どんな防御をも貫くことができる一方で、どんな攻撃をも防ぐことさえできてしまう。


──では、その矛と盾がぶつかればどうなるだろう?


 答えは神のみぞ知るところ。

 何故ならば、それはサルガタナスさえ試したことがないのだから。


 しかし、ちょうどさっき答えは出た。

 故にサルガタナスは駆ける。


(させるかッ──!!)


 罪器を奪われればサルガタナスの優位性は失われる。

 サロモンが敵の手に渡ることは、是が非でも避けねばならぬ事態であった。


 しかし、すでにサロモンはライアーの手の中。


(ならッ!!)


 転移の為、サルガタナスの姿が忽然と消失。

 その瞬間、ライアーは咄嗟に身を引いた。直後、サルガタナスはライアーの斜め前に出現し、手刀を縦に振り下ろした。

 巻き起こる暴風。

 渦を巻いて立ち昇る風の中には、剣を握ったまま巻き上げられるライアーの左腕があった。遅れて降り注ぐは血の雨だ。


「ぐぅッ……!!!」


 裂かれた腕の断面から漂う鉄臭さ。

 苦悶の声を発するライアーの双眸は、鉄仮面のバイザー越しでも分かるほど歪んでいた。


 幻影……ではない。

 周囲に満たされる血の臭いと、腕を斬り落とされた激痛に後退るライアーの風の流れが、それが真実であると証明している。


(これで俺の──!!!)




「──答え合わせの時間だ」




「ッ……!!?」


 天の声が聞こえた。

 あるいは死神の呼び声か。


(馬鹿なッ!!?)


 天を仰げば、そこには居た。

 千切れた腕からサロモンを奪い取り、意気揚々とこちらに向かってくるライアー。


 即座に迎撃態勢を取るサルガタナス。

 だが今度は背後から金属が擦れる音が聞こえた。


(こいつ──!!?)

「ハハッ……」


 そこには当然ライアーが居た。

 腕が千切れ、苦悶の表情を湛える勇者を自称する男が。


 しかし、彼の左手にもサロモンは握られていた。


!!?)


 それは二重の意味を持つ疑問だった。


 本物のサロモンはどっちだ?

 本物のライアーはどっちだ?


(どっちだ──どっちが本物なんだッッ!!?)


 目を回すサルガタナス。

 コンマ一秒よりも短い時の間に繰り返される思考に、彼の思考回路は焼き付く寸前であった。


 先の幻影──サルガタナスの分身は、紛れもなく歪みの防御を破ってきた。


 それが意味するところは、分身そのものが〈罪〉を使えるという点──『他者の〈罪〉の行使』だ。

 それがどれほど無法な所業かは、〈愚癡のサルガタナス〉でさえ理解できた。


 彼以上に己の力を信じている男は居ない。

 同時に、己の力を恐れている男も居ない。


 手段は分からない。

 今理解すべきは、それが使えてしまうという一点のみ。


──その上で選ばなければならない。


 罪器サロモンの奪取か、本物ライアーの始末か。


 あの流れからして、本物のサロモンを持っているのは頭上から迫る方だ。

 つまり、本物のライアーも──。




──……。




──…………。




──………………。




──……………………




 サルガタナスは振り返る。


 滴る鮮血。

 漂う鉄臭さ。

 荒れる息遣い。


 その全てが背後に佇む、腕が千切れたライアーより発せられていた。


(──こいつだッ!!!)


 ぐりんっ! と血走った眼が先行するままに、サルガタナスは背後に振り返った。


 本物は奴だ。

 嗅ぎ取った臭いがそれを証明している。


(つまり本物の罪器を持ってるのも──)




 ズッ。




 思考に、空白が生まれた。


(なっ)


 ここまで絶えず思考を巡らせていたサルガタナスが、あからさまに狼狽した瞬間だった。


(ありえねェ)


 


(ありえねェ)


 頭上から迫るライアーとはまだ距離がある。

 にも拘わらず、サルガタナスは背中に灼けるような──紛れもない剣で斬り付けられた痛みを覚えていた。


(ありえねェッ──!!?)


 信じ難い光景を目にした時、すでにサルガタナスは罠に陥っていた。


 織り交ぜた虚構と真実の刃。

 一撃ごとに擦り減った神経。

 〈罪〉を使える分身の存在。

 突如として揺らぐ己の確信。

 罪器を奪われるという危機。

 トドメと言わんばかりに突き付けられたは──本物を囮にしたという信じ難い事実。


 度重なる衝撃の真実に、サルガタナスの視野は自覚できぬ内に狭まってしまっていた。



 とどのつまり、


 それまでのサルガタナスであれば、ひょっとすれば見破れていたかもしれない。


 腕が千切れた一人目。

 頭上から迫る二人目。

 







 姿を隠していた三人目が紡ぐ。


 馬鹿な、とサルガタナスの瞳は訴えていた。

 しかし、彼は一つ思い違いをしていたのである。


 十天流は確かに聖霊を用いる剣術流派の一つだ。

 だが、その源流はあくまで魔力を用いた魔法剣術にあり、あくまで今主流の聖霊との併せ技は発展形に過ぎない。


 つまり、使




「第十天」




 必要なのは才能ではなく努力。勝利を掴もうとするあくなき執念だ。

 彼はそれを持っていた。

 虚飾とは中身を伴わぬ上辺だけの飾り。されど、誇大化した飾りの中に紛れた真なる刃を見破れぬ限り、虚飾が負けることは──断じてない。






「──〈至高天しこうてん〉」






 純白の薔薇が暗黒に咲き誇った。

 遅れて、真紅の薔薇も花開いた。




 ***




「──俺の分身、〈もう一人の自分アルター・エゴ〉っつーんだけどさぁ」




「実は俺以外の分身作る時は名前が違えんだよ」




「教えてほしいか? ……いいぜ」




「──〈もう一人の相手ドッペルゲンガー〉」






──お前に訪れる、死の前兆さ





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