第88話 解釈違いは激突の始まり




 罪獣を倒す舞台は整った。




 頼れる仲間と〈聖域〉。

 途中、手伝ってもらった冒険者は〈聖域〉の中に待機してもらい、俺達四人は真正面からスコルピウスに対峙する。


「ねえ、ライアー」

「どしたんアータン」

「どうやってあれと戦うの?」


 すっかり歴戦の戦士の顔をするアータンが作戦を訊いてくる。

 この中で唯一スコルピウスと戦闘経験があるのは俺だ。妥当な判断だろう。


「よし……全員心して聞けよ」


 ごくりと唾を飲む音が聞こえる。

 さて、伝説の魔獣たるスコルピウスを倒す作戦とくれば、やはり王道のしかない。


「作戦は──、だ!」

「好きに攻撃しろってことだね。もう、雑なんだから……」

「要はそれで勝てる段階ということだろう? なら問題はない」

「皆さんがそう仰るなら、わたしも異論はないです!」


 アータンは呆れ顔で溜め息を吐いている。ごめんて。

 けれど、ベルゴとアスの二人は俺に賛同してくれるらしい。信頼関係があるって素晴らしいことだぜ。話がトントン拍子で進んでくれる。


 一方、スコルピウスは異様に鋏を打ち鳴らし続けている。

 ラーディクスによって砕かれた甲殻はそのままだ。割れた頭部の中身より覗く眼光は、より鮮明に光り輝いて見える。


「ギチ……ギッ……!」

「奴さんもそろそろ辛抱堪らねえみたいだな」


 この瞬間まで積もりに積もったストレスがあるだろう。

 しかし、一触即発の爆弾の如く膨れ上がった鬱憤を抱えているのは俺も──否、俺達も同じである。


「ハッ、今すぐブチ撒けたいってか? けど残念だったなぁ」


 気持ち良くなりたいのはこっちも同じだ。


「ギギ、ギッ……!」

「早い者勝ちだ──今すぐイカせてやるよ!」




 溜まりに溜まったモン、ブチ撒けさせてもらうぜ。




 ***




「ギィイイイッ!!!」


 けたたましい咆哮が爆ぜた。

 同時に、照準を定めた鋏より樹液が噴射される。散々目にした溶解性の液体。喰らえば限りなく即死であろう攻撃を見て、四人は飛天でその場から飛び出した。


「〈水魔槍オーラハスター〉!」


 一撃目を繰り出したのはアータンだ。

 突き出したウェルテクスの穂先より、次々に鋭い水の槍を射出する。本来の彼女からしてみれば随分と抑えた火力であるが牽制には十分だ。

 螺旋回転の加わった槍はスコルピウスの体表に直撃、その堅牢な樹皮の甲殻を確実に削る。


「ギッ!?」


 しかも一発だけではない。

 二発、三発と続いていく〈水魔槍〉は、命中する度に甲殻を削る、削る、削っていく──。

 極められた収束と回転が生み出す魔法の槍の威力は、その規模こそ小さいが、着実に相手を削っていく研ぎ澄まされた殺意に満ちていた。


 それを甲殻越しに感じたスコルピウスは恐怖する。

 自分より遥かに小さく弱そうな人間に。


 そして、殺さなければならぬ敵だと認識し、標的をアータンに定めた。


「おいおい、余所見していいのかぁ?」


 飄々とした声が聞こえてきた。

 だが、それよりも早く届いたのは強烈な閃光と衝撃。

 顔面に攻撃を食らったと認識した時には、すでにスコルピウスの上半身は後ろへと仰け反っていた。


 威力は問題ではない。

 獣は、自分の視界が奪われた事実に大いに揺らぐ。その場でフラフラと足踏みをし、あまつさえ脚が縺れて転んでしまうほどに。


「──『破魔はまつるぎ』」


 それを生み出したるはライアーの握る剣だ。

 罪器イリテュムが変化した青白く神々しい光を放つ魔剣──『破魔の剣』と呼ばれるそれは、注ぎ込まれた魔力に応じて〈光魔法〉を斬撃状に放つ武器。

 〈光魔法〉の強みはその速度。

 限りなく光に近い性質を宿した斬撃は、どの魔法よりも速く敵の下に到達する。不意を突き、暗闇に慣れていた怪物の目を焼くなど容易い話だった。


「ギィイイイイ!?」

「っと、危ねえ!」

「前失礼します!」


 一時的に視力を奪われ、スコルピウスは手当たり次第に暴れる。

 その間、アータンに狙いを定めていた樹液は地面に噴射され、奇しくもライアー達の行く手を阻むように撒き散らされたではないか。


 それを見て良しとせぬアス。

 彼は地面に突き立てたラーディクスに魔力を注ぐ。次の瞬間、急成長を遂げたラーディクスがアスの体を前方へと押し出した。


 まるで棒幅跳びのように溶解性の池を飛び越えた彼は、依然として暴れ回るサソリの鋏に狙いを定める。


「てやあああっ!」


 アスは飛び掛かった勢いのまま、手頃な長さに折ったラーディクスを鋏に叩きつける。

 罪化もあって威力は十分。罪獣の得物は衝撃で地面に叩き落された。

 しかもそれだけではない。追撃と言わんばかりに根を伸ばすラーディクスが、鋏を地面へと縫い付けたのだ。


「ギィイイ……ッ!」


 しっかりと地面に根差した拘束からは簡単に脱せない。

 その間にも敵は迫ってくる。

 ある程度のところで鋏に見切りをつけたスコルピウスは、最後の武器である尻尾を振り翳す。これで貫かれようものなら〈聖域〉内であろうと即死は必至という凶器だ。


 多方向に棘が伸びた尻尾はとても真正面から受け止められるものではない。

 その気になれば爆散し、直接種を植え付けることもできるのだから、その脅威度は計り知れないものだ──本来であれば。


「おおお!」


 だがここには彼が居る。

 背後に灰色の巨人──聖霊を背負いし騎士が。


「ぬぅうん!」


 腹から絞り出される声が重く響き渡る。

 直後、巨大な聖霊は携えていた剣を一閃。文字通り魂が込められた斬撃は、生身の人間を狙っていた毒針を尻尾諸共斬り飛ばした。


 十天流アストラ第一天〈月天〉。


 聖霊を極めた者の間合いは剣の長さに非ず。

 まんまと最強の武器を失ったスコルピウスは、一瞬の呆然の後、途端に躍起になり始めた。石畳の隙間の奥深くまで伸びた根をメリメリと、その膂力だけで引っこ抜こうと試みる。


 足掻く。足掻く。足掻く。


 抜根まで掛かった時間はおよそ30秒。

 しかし、1分にも満たぬ時間があれば、彼らには十分であった。


「ギッ!!?」


 痛烈な打撃がスコルピウスの顔面を叩いた。


「ギィ!!?」


 続けて脚にも鋭い痛みが奔った。


「はいっ!」

「らあっ!」


 アスの打撃とライアーの斬撃。

 両者共に罪器を振るい、堅牢な甲殻に次々と傷を刻んでいく。


「はいっ! はいっ!」

「そぉい! そぉら!」


「ギッ!? ギィ!」


「はっ! たあ! てやぁ!」

「ほっ! らあ! おらぁ!」


「ギッ……ギィイイイ!?」


「はああああ!」

「らああああ!」


 一つ一つは小さな傷かもしれない。

 だが、塵も積もれば山となるし、小さな罅もいずれは巨大な亀裂と化していく。そこへアータンの〈水魔槍〉が突き刺さった時、とうとうスコルピウスを鎧う甲殻は限界を迎えた。


「ギィャアアアッ!!!」


 耳を劈く悲鳴と共に……あるいはそれを皮切りに、罪獣のいたるところから甲殻が剥がれ落ち始めた。

 例えるならば枯れた樹木を覆う樹皮の如く。不可逆であることを彷彿とさせる崩壊の始まりに、スコルピウスの獣染みた咆哮にも人の悲鳴が混じるようになっていた。


 遂には頭部を守る甲殻も脆く剥がれ落ちた。

 その時、それまで伽藍堂であった内部に人間の顔が浮かび上がってきたではないか。


「何故──」

「! 喋って……?」

「何故わたしの愛を理解してくれないぃぃいい!!!」


 罪獣ではない、ドミティアの慟哭だった。

 樹皮の兜も割れ、半分ほど素顔が覗いた罪派教皇代理は血走った瞳を湛えていた。ろくに焦点も合わぬ双眸はギョロギョロと左右に泳ぎ、敵対者に忙しなく視線を送る。


「貴方達もお分りでしょう!! その“力”!! 魔人の力を!!」


 罪化した面々を見回しながら、ドミティアは続ける。


「この身を以てして理解しましたよ……やはり素晴らしい力だ!! 魔人にさえなれれば誰もがその力を得られるのです!!」

「魔人にさえなれれば、ねぇ……」

「なのに何故!!? その力を享受しているはずの貴方達が邪魔をするのです!!?」


 理解できません! と。

 最早ドミティアのそれは慟哭だった。


「わたしはただ、魔王デウスがそうしたように人類へ愛を分け与えたいと……心の底からそう願っているだけなのにッ……!!」

「愛……!? こんなもののどこが……!」

「そもそも!!」


 ギリギリと歯を食い縛るアスに、ドミティアは目を見開いて叫んだ。


「アデウス様!! こんな回りくどい真似をしなければならなくなったのは、全て貴方の咎でしょうに!!」

「わたしの……!? ふ、ふざけないでください!!」

「ふざけてなどおりません!! あの日、貴方が自らの責務から逃げさえしなければ、多くの子羊は血を流さずに済んだというのに!!」


 そこまでドミティアが訴えてから、アスの動きがピタリと止まった。

 よく見れば彼の体は震えている。顔も次第に蒼褪めていく、罪器を握っていた手からも力が抜けていった。


「そ、それは……!」

「貴方には力があった!! 子羊達を導けるだけの力が!!」

「力って……こんなものだけあったって……!」

「力には責務が伴う!! 神に愛されて力を授かった貴方は、その大いなる力を以て多くの子羊に愛を分け与えるべきだったのです!! 愛!! そう、愛です!! 神より与えられし愛を平等に配る!! 愛と力の分配!! それこそが貴方の責務だったはずだぁ!!」


 がなる男の主張に道理なんてものはなかった。

 いや、彼自身の中には確固たる道理があるのだろう。ただそれが常人の思考とは相容れぬものというだけで。


 だからこそ、アスは狼狽してしまった。


 過去の自分自身が耳元で囁いてくるのだ。

 を正しいと教えられていた忌まわしい記憶のはずなのに。


『彼の主張は間違っていない』

『全部貴方が悪いんです』

『貴方が逃げたから死んだ』

『貴方があの人達を殺した』

『貴方が』

『貴方が』

『貴方が──』


「ち、が……」




「違う」




 しかし、


「……ライアー……さん?」

「愛愛愛愛うるせえんだよ。お猿さんか、てめえか」


 舌剣を抜いたライアーが、今度はイリテュムを振るう。

 刹那、虚飾の剣は一振りの斧へと姿を変えた。宗教画が彫られた神聖な雰囲気を纏う両刃斧だ。


 彼は両刃斧を担ぐように構え、言い放った。


「責務だなんだと好き勝手言いやがって。んなもん、あるわきゃねえだろ」


 断言だった。

 その瞬間、剣呑だったアスの表情が晴れた。快晴とまではいかないにせよ、暗雲が切り開かれ、どこまでも広がる蒼穹が垣間見える──さながら一筋の希望を目にしたとでも言おうか。


「そもそもお前らは履き違えてるんだよ」


 ライアーは低い声で続ける。


「デウスは別に国を強くしようとかって力を分け与えたつもりはねえよ」


 それは一種の神の視点。

 教団や罪派とも違う究極的な俯瞰から歴史を眺めていたからこそ言い切れる、ともすれば卑怯とも言ってしまえる主張が──これだ。


「ただ愛し合っていただけだ」


 時には滑稽に。

 時には純烈に。


 そうやって育まれた愛の軌跡を見知っているからこそ、ライアーは見当違いな罪派に向かって真っ向から対立する。


「最初に愛があったんだ。力はその後だ。愛した人を守ろうとして、デウスは力を身に着けた。お前が言うような責務なんてモンを、あいつはこれっぽっちも考えちゃいなかったさ」

「不心得者がぁッ!! 貴様にデウスの何が理解わかる!!?」

「分かるさ」


 彼は別に聖職者ではない。

 敬虔な信徒でも、勤勉な歴史学者でさえない。


 それでも彼が言い切れる理由はただ一つ。




「あいつは──ただの純愛馬鹿野郎だよ」




 彼が熱心な信者ファンだから。

 罪派と対立するには、その程度で十分過ぎた。


「つ・ま・り」


 現代日本なら、この単語が最も適当だ。




「解釈違いだ、この野郎ぉーーーッ!!!」




 ライアーは両刃斧を振り下ろす。

 その斧の名は『生贄の両刃斧ヴィクティム・ラブリュス』。神官が生贄の儀式に用いる神聖な武器だ。

 以前、レイエルに用いた『竜殺しの聖剣ゲオルギウス』とは違い、種族特攻の能力はない。


 だが、相手は木人族の延長線上にある存在。

 木を切るなら斧。そんなことは子供でも知っている。

 重く分厚い刃は、硬い甲殻の繊維の間へ強引に滑り込んだ。後はその大質量と遠心力、そして魔人の生み出す膂力が合わさった勢いのまま、スコルピウスの甲殻を叩き割っていく。


「ぎゃああああああ!!」


 バリバリと、まるで落雷にも似た断裂音が響き渡る。

 同時に絶叫するドミティア。堅牢な甲殻は彼にとって皮膚に等しい。文字通り身を引き裂かれる思いをする彼は、間もなく白目を剥いて泡を吐き始めた。


 生贄の両手斧が地面に叩きつけられた時、彼は既に気絶していた。

 体の前面から下半身のサソリ部分に至るまで刻まれた甲殻──否、樹皮は宿主の失神と共に完全崩壊。


 罪獣の核を成す一本の鉄の杖だけを残し、ドミティアは固い地面に放り出された。着地の際、ライアーが軽く翼で受け止めたのはせめてのも情けだろう。


「ったく、これだから厄介ファンは」


 それはそれとして翼で一発殴っておく。

 『ふぐぅ!?』と悲鳴が上がるものの、あれだけの所業をしておいで命を取られなかっただけでも寛大な処遇と言える。


 終わった。

 冒険者の行方不明事件から始まった罪派との激突、そして罪獣との死闘は幕を下ろしたのだ。


 いざ戦いが始まってみれば、実にあっけないものだった。

 呆然と立ち尽くす青年の姿こそ何よりの証拠だ。


 一人の迷える子羊へと立ち戻ったアスはポツリと漏らした。


「……おしまい、なんでしょうか?」

「おう! これで依頼達成だ」


 やったな! と肩を叩いてくるライアー。

 罪化を解いて元の姿へと戻った彼に、アスは視線を向ける。


「あの、」

「どうした? なんか言いたいことでもありたげな顔だな」

「それは……」


 正直に言えば山ほどあった。

 話さなければならないこともあれば、話しておきたいこともある。


 けれど上手くまとまらない。

 何から話せばいいのか、どれを話せばいいか。


 結局のところ、ずっと後回しにしてきたツケだ。


 どうせ打ち明けられる相手は居ないだろうと、心のどこかで諦めていた。


 勇気を持てなかったのだ。


(でも、この人になら……)


 今は……違う。

 断言できる。


 過去とは痣のようなものだ。

 消える痣もあれば消えない痣もある。

 いつしか自分は消えてはくれぬ痣を見て、一人で諦めていたのだ。


 その内他人に痣を見られることばかりを恐れ、まで思い至ってない事実さえ忘れていた。


 それを彼は思い出させてくれたのだ。


(愛の反対は無関心……でしたかね?)


 どこかで聞いた言葉を思い出す。

 たしかにその通りだと思った。無関心を貫かれれば、この痣に触れられることもなく、誰かが治してくれるはずもない。


 だからこそ友愛でもいい。親愛でもいい。

 愛をもって寄り添ってくれる人間が居たなら、たとえ治らないにせよ、もう少し生きやすかったのかもしれない。


(それもこれも自業自得ですね……)


 自嘲気味な笑みを零し、アスは今一度ライアーの目を見つめる。


「……今日の夕飯の時に、お酒でも入れながら話しましょうか」

「なら祝勝会ついでに高い酒でも買って帰ろうぜ」

「はい!」


──この人達となら楽しく生きられる。


 かつては見られなかった明るい未来を想像し、アスの顔には満点の笑顔が咲いた。

 それはまるで空に浮かぶ太陽のように。

 ようやく彼に纏わりつく暗雲は取り払われたのだった──。






「お、杖見っけ」






『!!?』


 未知の声だ。

 咄嗟に四人は武器を構え、声の方へ矛先を向ける。


 佇んでいたのは、黒い外套を羽織る謎の男だった。

 たった今、ドミティアより分離した鉄の杖──罪器カドゥケウスを拾い上げた男は、ゆらりと立ち上がっては振り返る。


 暗い夜空に青い月が浮かんでいた。


 そう錯覚させる瞳の色だ。

 本来白目である部分が漆黒に染まるが故に、青い瞳孔は蒼玉のように光り輝いている。だがそれは悪魔の──彼が堕天せし罪使いであることの証であった。


「これで面倒臭え棒拾いは終いだ……だが、どうやらツキが回ってきてたみたいだな」


 口輪マズルの奥に三日月が浮かぶ。

 鋭い犬歯が無数に並ぶ獰猛な笑みを見て、ライアーの目は限界まで見開かれる。


 彼の眼が告げていた。


──何故ここに?


「お前……!!?」




「なんたって〈大罪〉が三人も居やがるんだから……なぁ?」




「っ……冗談じゃねえぞ!!」


 ライアーはアスを庇う。

 向かい側ではベルゴも同じように、アータンを庇おうと彼女の前方に立ち塞がっていた。


 何故なら、そうしなければならないと本能が訴えたから。


「ハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハァ──ォオオオオオオオオオオオオオオン!!!」


 遅れて危機は現実と化した。

 哄笑を響かせる男が途中、その発声を遠吠えへと移行した。すれば、スコルピウスの咆哮にも辛うじて耐えていた地下空間が、途端にグラグラと揺れ動き始める。


「う、嘘!! 崩れる……!!?」

「クッ!!? なんという音圧だ……魔法なのか!!?」

「このままじゃあ……!!」


 崩落寸前の地下空間を見て、アスが振り返る。

 視線の先では未だに〈聖域〉に守られている冒険者が、不安そうな目で天井を仰いでいた。


 避難か撃退か。彼らに突きつけられた選択は二つに一つだった。


(とにもかくにも!!)

(今はを止めねば!!)

(何も始まらない!!)


 この時、三人の考えは一致していた。


「待て、お前ら!!!」


 ただ一人──ライアーを除いては。

 見れば地面に指を突き立てた男から、地下全体に魔力回路が広がっていた。その意味するところを彼だけは理解していたのだ。

 しかし、すでに各々は動き出していた。


「〈水魔槍オーラハスター〉!」

「〈月天げってん〉!」

「〈薔薇ローザ〉!」


 水の槍が。

 魂の刃が。

 茨の鞭が。


 一糸乱れぬ三位一体の攻撃が、一斉に謎の男へと襲い掛かった。

 罪獣と言えど無傷では居られなかった攻撃の嵐だ。たとえ一般的に強力とされる魔物や悪魔だろうと致命傷は必至──、だが。


「ぁあ? んだ、そのチンケな攻撃はよぉ」


 次の瞬間、標的となる男の姿は消えていた。

 三人は瞠目し、辺りを見渡す。彼らがようやく敵を見つけ出した時、彼は仰々しい玉座の背もたれの上に腰かけていた。


「おいおいおい。まさか〈大疑ネビロス〉の奴はこんなんに負けたのかぁ?」


 呆れと怒りが半々といった様子で、男は落ちてくる瓦礫を目で追った。


「……あぁ、そうか」


 何かを悟った男は、再び笑みが浮かんだ。


「ワリィワリィ! 気が利かなかったなぁ! そりゃあこんな狭ぇ場所じゃあ本気で戦り合えねえはずだもんなぁ!」


 さながら、答えが分かった子供のような燥ぎ様だった。

 しかし、垣間見えてしまった実力に冷や汗を掻く三人はそれどころではない。


(え……いつ避けたの?)

(一瞬であの場所に……)

(一体どうやって……!?)


 音もなく回避してみせた相手に、三人の思考は加速する。

 いかに素早く動ける存在だとして、音や風もなしに移動するなんてことは不可能だ。どれだけ洗練された飛天使いだとしても、多少なりとも残滓は残る。


 そうでないとすれば──残された答えはただ一つ。




「それじゃあ──場所変えようぜ?」




 一瞬の出来事だった。

 魔力の紋様が刻まれた地下が光り輝く。




「全員備えろぉおおおおお!!!」




 そして、




 ***




 時は少し遡る。

 ちょうどライアー達がスコルピウスを撃破した頃、地上では度重なる地震のような揺れに、周囲がざわついていたのだ。


「ったく、なんだってんだよ……こっちは高い金払って女抱きに来たってのによぉ」

「ここらで地震なんて滅多にないのに……」

「ホントだよ」


 罪派が経営する高級娼館の前では、地震を恐れて避難してきていた客や娼婦が屯していた。地震に馴染みのない者達にとっては微小な揺れも十分恐怖に値する。


「世界が終わる前兆かぁ?」

「縁起でもねえこと言うんじゃあねえよ」

「そーだそーだ。これじゃあおちおちセッ……じゃなかった。子作りも楽しめねえぜ」

「まったくだぜ」


 アハハハハ、と男達が笑い声を上げた。


 直後の出来事だ。

 。異様な重低音が鳴ったかと思えば、爆風とも言えぬ猛烈な気流が辺りを襲う。弾け飛んだ娼館の破片は、殺傷力を持った弾丸として周囲一帯に容赦なく飛び交った


「き、きゃあああああああああ!!?」


 とある娼婦が尻もちをつき、悲鳴を上げた。

 風に煽られたのもそうだが、彼女の隣には潰れたトマトが転がっていた。ただし辺りに広がる果汁と果肉の中には、長い髪の毛のようなものが浮かぶ。


 惨状は、一瞬にして作り上げられた。


「う……うわあああ!!?」


 ある一人が半狂乱になって逃げだした。

 時を同じくして、辛うじて生き残っていた人々も逃げ出す。


「あぁああぁあ……な、なんだよ……!!」


 避難する人間の一人が呟いた。

 娼館が爆散したこともそうだ。余波で死人が出たこともそうだ。

 しかし、何よりも彼の恐怖を煽り立てていた存在は別にあった。


 それは宙に浮かぶ石造りの舞台だった。

 重力に引かれて墜落する舞台は、石畳に張っている根のおかげで辛うじて成り立っている……そのような印象を目撃者に与えた。


 しかし、それもそのはずだ。

 




「ハッハハハハハハハハハハハァ!!!」




 墜落する石造りの舞台上で、男は哄笑する。

 彼が見上げる先では複数人の人間が墜落中だった。意識のない罪派や冒険者、そのほとんどが空を飛ぶ手段を持たぬ者達ばかり。


「チィ!!」


 故に、再び罪化したライアーは〈もう一人の自分アルター・エゴ〉でできる限り人命救助を優先する。他の面子もそうだ。各々の持てる手段を出し尽くし、今の窮状を脱そうと奔走していた。


 当の下手人を除いては、だが。


「どうしたぁ!!? 折角広い場所に移してやったんだ!! これで思う存分力を揮えるだろうがぁ!!」


 地上の惨状には目もくれず、ただ己が欲望の為に力を揮う悪魔。

 その残忍な所業を目の当たりにし、アータンの瞳は暗い決意の炎が灯っていた。


「……許さない」

「ッ!? 待て、アータン!!」

「告解するッ!!」


 ライアーの制止も聞かず、左手の薬指から伸びた魔力回路が全身を覆う。

 以前よりも格段に早く罪度Ⅲ──堕天へと至った〈嫉妬〉の人魚姫は、義憤に燃えるがままに一体の悪魔へ狙いを定めた。


「私の〈シン〉は〈嫉妬しっと〉!!! 私は──〈嫉妬のアータン〉!!!」

「てめえが〈嫉妬〉か!!!」

「〈海蛇神の大水魔槍レヴィアタン・オーラハスター〉ァーーーッ!!!」


 手加減は不要だ。

 最大・最強の一撃を以て迅速に敵を倒す。


 振り翳したウェルテクスの穂先に魔力が収束する。程なくして生まれた巨大な水龍は、〈嫉妬〉と聞いて期待した面持ちの男に対し、その顎を開いてみせた。


 天より下る水の龍。

 神話の一頁を彷彿とさせる光景が繰り広げられる最中、尚も男は笑っていた。


「──ハッ」


 着弾までおよそ数秒。

 しかし轟音は止まない。まるで瀑布のような龍の肉体は、延々と喰らい付いた敵を圧砕せんと流れ落ち続ける。

 全てが地表に流れ落ちたのはそれからやっと1分後。

 娼館の跡地──地下空間が上空へ移されたことにより陥没した大穴には、湖と見紛うほどの水が流れ込んでいた。


「はぁ……はぁ……! これで……!」


 息を切らし、水煙の舞う地表を見つめるアータン。


──アニエルでさえ一撃で屠ったのだ。

──無事で済むはずがない。


 ジッと地表を注視し続ける少女は見つけた。

 この惨状を生み出した悪魔の水死体──。



「──んだよ。〈嫉妬〉ってのもこの程度かぁ?」



 では、ない。

 

 未だ健在の男は、少女へ向けていた眼光に失望を滲ませていた。


「……嘘……」

「期待して損したぜ」


 呆然自失となるアータンを前に、男は被っていたフードを脱いだ。

 彼の興味を示す鋭い眼光は、既に他の者達へと向いていた──最早〈嫉妬〉など眼中にないと言わんばかりにだ。


「っと、告解じこしょうかいがまだだったな」




 悪魔は告げる。




六魔柱シックス──〈愚癡ぐちのサルガタナス〉だ!!!」




 夜はまだ明けそうにない。


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