第三章 色欲の聖女

第74話 壁尻は崩落の始まり




 冥い闇の中、結晶の柱が光を放っていた。

 数は六つ。されど、その内の一本だけはこれっぽっちも光を宿していなかった。


『ハハッ!! 〈大疑たいぎ〉の奴、死んだんだってなぁ!?』


 別の一柱より、姦しい声が暗黒にわんわんと響き渡いていた。


『あのナメクジ、湿っぽい場所に引きこもり過ぎて頭にカビでも生えてたんじゃねえかぁ!? だから人間なんぞに負けるんだよ!!』

『……喧しいぞ、〈愚癡ぐち〉』


 堪らず一つの柱からも声が響く。

 冷静な、しかしながら、明らかに苛立っていることがわかる怒りの声だ。


『貴方が吠えていると頭が痛くて敵わない』

『あぁ? ハァ……謀略家気取りの〈瞋恚しんい〉様にゃあわからねえだろうなぁ。苦労して〈怠惰たいだ〉の死体をくれてやったってのに、そいつを宝の持ち腐れにされた気分はよぉ』

『あの戦いには私も居た。貴方一人の手柄のように言われるのは心外だ』


 二つの結晶柱の間に火花が散る。

 魔力を用いた遠方通信だというのに、今ここで殺し合いが始まりそうな重圧が周囲に襲い掛かっていた。


『そこまでだ』


 刹那、重い声が木霊する。

 暗黒を満たす空気が一段と凍てついた。


『いつまでも死んだ者の話をしても仕方なかろう』

『……〈我慢がまん〉』

『あのネビロスがのは想定外だったが、まあ仕方あるまい。


 〈我慢〉と呼ばれた向こう側に佇む悪魔は口で弧を描く。


『彼奴は──

『……ハッ! たしかにな』

『〈貪欲どんよく〉もそう思うだろう? この世は弱肉強食。弱い者から死に絶える』

『……別に……』

『フフッ、つれんな』


 〈我慢〉に呼びかけられた〈貪欲〉であったが、プイとそっぽを向く。

 面白くなさそうに〈我慢〉は唇を尖らせたが、その時、一際強く一本の柱が冥い光を放った。


『──死んだ塵のことはどうでもいい』


 淡々と、さも当然のような声色で言い放たれる。

 そして、光を失っていた一柱が音を立てて瓦解し始めた。


 用済みだ、と。

 そのありありと見せつけられる光景こそが“彼”の主張だった。


『俺達の為すことは変わらない。魔王様の為、“王冠”と“杖”、そして“聖剣”を手中に収める……いいな?』


 有無を言わさぬ威圧感。

 既に崩れ落ちた結晶の柱は、さらに粉々に破砕されていく。これが失敗した者の末路であると言わんばかりに。


『フフッ、無論だ』

『ああ。……お前はお前の仕事をやれ、いいな〈貪欲〉』

『……了解……』

『ハハァ!! じゃあ場所がわかったら教えてくれよ。俺様が速攻取りに向かってやる』

『……〈愚癡〉』


 諫めるような声が響く。


『……んだよ、〈邪見〉。何かおかしいことでも言ったかぁ?』

『お前が取りに向かうのは構わん。だが、一つ忠告をしておく』

『忠告ぅ?』


 今度は〈愚癡〉が苛立つ番だった。


──忠告だと? 自分に?


 己に絶対の自信を持っているらしき〈愚癡〉にとっては、他者からの忠告そのものが不快だったのだろう。


 暗闇に覆われている虚空に亀裂が走った。


『……どういう内容だぁ?』

『“罪派潰し”の話は聞いているだろう』

『……あぁ~? ?』


 〈邪見〉は続ける。


『“杖”は十中八九罪派シンぱが保管している。だが、場合によっては罪派潰しと鉢合わせになるだろう』

『ハッ! そいつらとやり合うかもしれないってか?』


 ニィイ……! と、〈愚癡〉の口元に三日月が浮かんだ。


『望むところだぁ……! うちの連中も随分世話になってんだろう? 代わりに礼言っといてやるよ』

『……罪派潰しには“大罪”が居る。くれぐれも──』

『心配すんな。手筈通りにしてやるよぉ!』


 そこまで言い切った瞬間、〈愚癡〉の一柱より光が消えた。

 魔力が絶え、通信機能が切れたのだ。

 もうすでに柱の向こう側に〈愚癡〉の気配は消えてなくなっていた。


『……〈愚癡〉め。大丈夫か?』

『奴の安否を懸念するだけ無駄だ』

『そうではない』


 心配の声を漏らしていた〈我慢〉は、〈瞋恚〉の言葉に悪戯な笑みを浮かべた。


『彼奴は加減を知らん。“大罪”を殺されては吾輩達が困る』


──敗北の可能性など、毛頭考えていない。

──組み上げられるはすでに勝った後の話。


『〈邪見〉、よかったのか?』

『問題ない』


 変わらぬ声色で〈邪見〉は告げる。


『それで死ぬようなら──もとより計画に不要なゴミだ』


 〈大疑〉は死んだ。

 されど、残る柱はまだ五つ。


 〈愚癡〉は逸り。

 〈貪欲〉は務め。

 〈瞋恚〉は企り。

 〈我慢〉は坐し。

 〈邪見〉は蔓延る。


 彼らは〈六魔柱シックス〉。

 六つの災厄、六つの病魔。




 七つの大罪に並ぶ──罪の根源だ。




 ***




 トンネルを抜けてるのは壁尻だった。


『お~い、誰かぁ~』


 擬音を付けるとすれば『たぷんっ♡』か『ぷるんっ♡』とかが相応しいであろうデカケツだ。


『うぅ……誰かぁ……』


 とうとう尻の主が泣き始めてしまうが、やはり声は壁の向こうから聞こえてくる。

 それを眺める俺とアータン、そしてベルゴの三人は、このへんてこりんな状況に適切な言葉を見つけ出せず立ち尽くしていた。


 さて、このような状況に至った経緯を話すには、少し時間を遡らねばなるまい。




 ***




「セクシーピクシー!」

「往来の真ん中で叫ぶのは迷惑だよ」

「はい」


 『ごめんなさい』とアータンに頭を下げる俺。

 最近はアータンのツッコミも淡々としてきた。一抹の寂しさを禁じ得ないものの、それもまた距離感が縮んできたからだと受け取ろう。


「にしても、アッシドのギルドも人が多くなってきたなぁ」


 早速ギルドに赴いた俺達を出迎えたのは人、人、人。

 少し前にドゥウスから帰還した時の三倍は居るであろう人口密度である。これにはアータンも気圧され、ぬるりと俺のマントの中に隠れ始めた。おやめなさい、こんな人込みの中で透明化は。


「ドゥウスも奪還したから何かと物入りなのだろうな」

「そういうもんか?」

「ああ。周辺に逃げた悪魔や魔物の掃討。壊れた聖都の整備……仕事ならいくらでも用意できるからな」


 こう語るのはベルゴだ。

 『用事がある』と告げてシルウァの村で別れたリーンやビュートとは違い、正式に俺達の仲間となった元聖堂騎士団長の男。

 ぶっちゃけ冒険者ギルドに似つかわしくない大物であるが、そもそもここに訪れた理由が、ベルゴを冒険者として登録する為だ。


「それじゃあ娘が新婚のパパさん、行ってらっしゃ~い」

「ああ。すぐに終わらせてくる」


 ベルゴが手続きを終わらせる間、俺達は待望の食事タイムだ。

 ちなみに待望していたのは、この涎を垂らすお嬢さん。


「いただきま~す」

「はぁ~い、たんとお食べ~♡」

「おいひぃ~!」


 すっかりギルド飯が楽しみとなったアータンである。

 チャーハンを掻き込んで膨らむ頬袋はリス顔負けだ。思わず指で突っつきたくなる衝動に駆られる。


 このように食いしん坊も大満足なチャーハン。

 そのお値段、なんと外に店を構えている定食屋よりずっとお安い!


 単純に大量仕入れによるコスト削減が安さの秘訣──というのも勿論ある。

 だが、重要なのはギルド関連の施設が冒険者相手に割引を実施している点だ。

 これが組合の強いところ。現代社会でも組合に所属していれば、特定の施設で割引が使えるだろう。それに近い。


 冒険者ギルドだろうが商業ギルドだろうが、組合に所属していると何かとお得だ。

 特に国家間移動に際しての通行料。これがまた馬鹿にならないお値段なのだが、冒険者なら基本的に無料である。


 これから人探しで大陸中を歩き回るかもしれない以上、余計な出費を抑える為にもギルドへの登録は不可欠。そういうわけで立ち寄ったのだった。


「ほへひひへほ」

「うん、なんて?」


 口をいっぱいにしながら何か言いかけたアータンに嚥下を催促すれば、『も゛っ! も゛っ!』とおおよそ咀嚼とは言い難い音が鳴った。


「ごくりっ! ……ふぅ。それにしてもベルゴさん、本当に冒険者になって良かったのかな?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、騎士に戻らないかって誘われてたんでしょ?」


 ディア教国聖堂騎士団〈灰かぶりシンデレラ〉。

 『悲嘆の贖罪者』では、ドゥウス奪還作戦に際して多大な犠牲──団長のエレミアも喪った彼らだが、この前の戦いでは無事エレミアも生き残った。

 それなら別に元団長勧誘する必要もなくね? と思われがちだが、このエレミアという女は自身が結婚できてないことを非常に気にしているようで──。


『上司の娘どころか、この前見かけた子にも先を越されたぁーーーっ!!?』


 ついさっき、騎士団詰所でベルゴと一緒に報告に行った際、そのようなことを宣いながらショックの余り気絶してしまった。

 その時アータンに視線が向いていた気もするが、まあ気のせいだろ。

 あれだけの戦いの後だ。生存本能が高ぶって入籍を決める騎士が居てもおかしくはないし、きっとそちらを見ていたに違いない。


「おおい、終わったぞ」

「おっ、ようやくか。こっちこっち」

「俺の席は……む? 椅子がないな……」

「ありゃ?」


 いつの間に……、と俺は満席になったギルド内を見渡す。

 うーん、繁忙期とかもだが人が集まるとすぐこれだからな。


「仕方ない。アータン、こっちおいで」

「ん? んぅ~」

「よし、ここ座れ」

「ん!」


 手招かれたアータンは俺が広げた脚の間にストンと腰を下ろす。そのまま彼女は異を唱えることもなく、俺の真ん前でモグモグと食事を進める。


「よし、席が空いたぜ」

「……兄妹のようだな」


 一人用の椅子に二人掛けする俺達に、ベルゴは目元を綻ばせながら腰を下ろす。


「それじゃあ今後の動向について話そうぜ」


 三人揃ったところで本題に移る。


「俺達の目的は家族探し。ついでに魔王討伐だ」

「……自分で言うのもなんだが、耳を疑う内容だ」

「じゃあ家族が大事じゃないってのかぃ!?」

「そんなわけなかろう!」

「──それでいい」


「誰目線?」


 ベルゴの元気がいい返答を貰ったところで、腹八分目まで堪能したアータンも会話に加わる。


「それでだ。これまで俺達ぁ馬車護衛をしながら旅してたわけだが、今後はそういう必要もなくなってくるだろう」

「オレの馬がいるからな」

「Yeah」

「何語だ?」


 思わずパーリーピーポーになってしまったが、今の俺達には馬が居る。

 RPGで冒険、そして馬とくれば想像できるものは一つだろう。


「馬車買おうぜ、馬車」

「馬車か……悪くはないな」

「えっ、馬車買うの!?」


 納得するベルゴの一方で、馬車を買うことにアータンは驚愕の声を上げてきた。

 何もそう驚くこたぁあるまい。

 だって馬車便利よ? 荷物を載せたり人を乗せたり。あと単純に足が疲れないし、野宿の時も便利だ。


「アータンは野宿する時、屋根があるのとないのとどっちがいい?」

「……あった方が嬉しいかも」

「だろ?」


 雨ざらしでする野宿ほどひもじいものはない。

 横殴りの雨に耐えかねて雨避けになる場所を探し、シャウトラットの巣穴で一晩過ごしたのはいい思い出だ……鼓膜破れそうになったけど。


「っつーわけで、馬車を買おー!」

「おー!」

「──しかし金が足りない」

「話の高低差が積乱雲ぐらいあるね」


 雲行きが怪しくなったとでも言いたいのだろうか。フフッ、言い返せない☆

 しかし、実際馬車を買おうとすると高いのだ。現代で言うところの車なのだから当然か。エンジン部分である馬の値段を差し引いても良いお値段するのよ。


 それを一介の冒険者風情が買おうなんて……ただでさえ孤児院への寄付とアータンの食費でカツカツの懐が氷河期になっちゃうわ!


 半分嘘である。


「っつーわけで、手っ取り早く稼げる依頼こなそうぜ」

「話が二転三転するね」

「そこで俺が選定した依頼がこちらになります」


 ズラッと掲示板から持ってきた依頼文をテーブルの上に並べる。

 どれどれと視線を落とし、声を上げて読み上げたのはベルゴであった。


「『ここ最近、山から町にアシッドモスキートが下りてきます。このせいで温泉を観光資源にしている町の収入は減り、住民の皆が困っています。これらをぜひ駆除、または発生の原因を突き止めてください 依頼主・テルマーエ町長』……か」

「金貨5枚だ。よっぽど困ってんだろうな。羽振りがいいぜ」


 金貨5枚もあれば、中品質の馬車ぐらいならば余裕で買えるだろう。別にお貴族様が乗るようなゴテゴテした装飾が施された物に乗る必要はないし、最低限の品質が保証されてればいい。


「アシッドモスキートってなぁに?」


 と、そこへアータンの無垢な声音が聞こえてくる。

 あらヤダ、そんな五歳児みたいな喋り方しちゃって。カワイイんだから♡


 しかし困った。あの蚊をなんて説明したらいいものか。


「あー、アシッドモスキートはなぁ……」

「?」

「……温泉の近くに湧いたりするデカい蚊だ」

「……それだけ?」

「口から酸性の液体を飛ばしたりはするんだが……」


 これは言っていいものか……いや、やめておこう。

 アータンの健全な成長の為には、余計な知識はあえて話さない方がいい時もある。


「それさえ気を付ければ特段危険な相手じゃあない」

「へー、そうなんだぁ」

「それなのにこの報酬金か?」


 ベルゴは訝しみ、眉間に皺を寄せる。


「……何か裏があるのではないか?」

「そん時ぁそん時だ。それよりも──」

「それよりも……なんだ?」

「──温泉街に行ってみたい」

「そっちが本命だろ、貴様」


 悪いかね?

 俺は開き直るぜ。


 足湯! 岩盤! 露天風呂!

 町中じゃ中々味わえない風呂の種類だって、本場の温泉街なら色々あるだろう。


 浸かるだけなら公衆浴場でもできるが、あれだけ激しい戦いを生き延びた後だ。自分へのご褒美にちょっといい湯に浸かったって罰は当たるめぇ。


「温泉、温泉かぁ……」

「嫌か? おっさんともあろう者が」

「おっさんをどういう目で見てるのだ、お前は。というか、おっさん呼ばわりするな!」

「またまたぁ……ビールと枝豆をつまみながら何を」

「はっ!?」


 気付かぬ内に典型的な酒飲みの食事をとるベルゴ。

 これが娘が嫁入りした親父の食卓風景か……見ているだけで涙が出てくるぜ。


「やめろ! 憐れむような目で見るのは」

「憐れんでなんかいやせんよ、親父ぃ~」

「お前に親父と呼ばれる筋合いはないが……」

「って向こうは言ってるけどさぁ」


 俺は眼前にちょこんと座っているアータンに目を移す。


「アータンだって温泉行きたいよなぁ~?」

「温泉? う~ん……」

「温泉はいいぞ~? 疲れは取れる。肌だってつやつやになる。なんたって出てくる料理が旨」

「行きたいっ!!」

「そういうわけだ」


 食い物の話をした途端、かなり食い気味に賛同を得られた。

 フンッ、どうだベルゴ。これがアータンの扱い方よ。悔しかったらアータン取扱講習を受けた後、筆記試験に合格してきな。講師と出題者は俺だぜ。


「ベルゴさん……ダメ?」

「う、う~~~~~ん……」


 俺が言ったら渋っていたというのに、アータンが潤んだ瞳を浮かべて首を傾げれば、途端にベルゴが唸り始める。


「まあ……構わんか」

「やったぁー!」

「っとに、お父さんったらアータンに甘いんだから~」

「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはない」


 アータンに甘々な野郎二人、漫才みたいなやり取りを交わす。

 その間アータンはと言えば、まだ見ぬ温泉グルメに想いを馳せ、すでに涎を垂らしているのだった。


「美味しい食べ物……何があるかなぁ~?」


 実に幸せそうな笑顔だ。

 最近ほっぺの肉付きもよくなってきている気がする。




 ***




「それでは皆様、アシッドモスキートの対処……お願いします」


 依頼を受けてすぐアッシドを発った俺達。

 一週間ほどかければ、ディア教国が誇る最大の温泉街テルマーエに到着していた。


 匂う……匂うぜ、硫黄の香りが!


 これこそまさに温泉街って感じだ。

 町中に立ち並ぶ露店の多くでは温泉卵なんかが売りに出されている。


 しかし、俺達が最初に向かったのは、依頼主であり町長でもある老人のお宅。詳しい事情を聞いていたのが、ついさっきだ。


「よーし、じゃあこのまま現場見に行くぞぉー!」

「えぇ~……今からぁ……?」

「さっさと依頼終わらせた後、温泉でさっぱりして美味しい料理堪能するぞぉー!」

「おぉー!」


「存外現金な性格だな……」


 あからさまにテンションが上下するアータンを見て、呆れるようにベルゴが呟いた。


 そう思ったでしょう?奥さん。

 ……その通りよ。


 でも、最初に出会った頃の遠慮ばかりしていた態度に比べれば、こっちの方が断然楽しくやれるというものだ。

 折角の冒険だ。楽しめる時は存分に楽しむ。そいつが粋ってもんよ。


 ってなわけで、一先ず温泉は後回しにしてアシッドモスキートが発生している川まで向かう。蚊の幼虫──ボウフラは基本的に水棲だ。したがって成虫も水回りに多く発生する。

 ただし、温泉街の近くに流れているのは熱湯だ。人が浸かるのに適した温度の場所もあれば、50℃を超えるような場所もある。


 通常の水生生物であればまず生きられない環境だ。

 だが、この極限環境でも生きられる魔物こそアシッドモスキートなのである。


「気分悪くなったら言えよ? 硫黄中毒になるからな」

「うん、わかった!」

「……鼻が曲がりそうだ」


 温泉に慣れ親しんでいる俺や物珍しさではしゃぐアータンはともかく、ベルゴには中々きつい環境らしい。すでにグロッキーである。


「ベルゴも無理そうなら言えよ。最悪俺とアータンだけでも大丈夫だからな」

「それには及ばん。若い男女だけを残したら何が起こるかわからんからな」

「ベルゴは俺達の何?」


 保護者?

 うん、まあ……保護者か。実際それくらい年の差あるしな。


「でも俺達もう成人してるんだぜ?」

「成人したところで子供は子供だ。ましてや精神の成熟など、一朝一夕でなるものではないからな」

「それは確かになぁ~」

「……? なんだ、まるで自分が体験でもしたかのように言うじゃないか」

「気のせいザマスよ」

「知らないご婦人が出てきたな……」


 勘のいいベルゴの指摘で、俺の視線がバタフライする。

 まあ実際ベルゴの言う通りだ。前世が二十代で死んだからって、また赤ん坊からやり直して20歳になったら精神年齢40歳! となるはずもない。

 俺から言わせてもらうと精神の成熟は周囲からどう扱われるかが重要だ。

 赤ちゃん扱いや子供扱いされていたのに、『お前30歳として扱うからな』なんて理不尽にも程があるだろう。


 なので、今の俺は精神が中年とかそういうわけもなく、ただただ青春をやり直した二十代なだけである。要はアホだ。


 男ってのはね、どれだけ外面取り繕おうが中身はずっと高校生みたいなもんなのよ。


 つまりだね……。


「おっんせん♪ おっんせん♪」

「おっんせん♪ おっんせん♪」


 温泉に想いを馳せ、アータンと一緒に浮足立っていた。スキップもしちゃうもんね。


「おいおい……仲が良いのは結構だが魔物が相手なんだ。気を付けろよ」

「わかってるって。そんなヘマはしないライアーさんですとも」

『お~い』

「それにしてもアシッドモスキートか……気を付けねばな」

「まあ、それはなぁ……」

『だれかぁ~』

「あいつが出す酸は──なんか言ったか?」

「え? 何が?」

『助けてくださぁ~い』


「「「ん?」」」


 談笑している合間に差し込まれてくる声。

 耳を澄ませてみれば、どうにも幻聴でないことがはっきりしてくる。


「……誰かが助けを求めているっ!」

「おぉい!? 迷いがなさ過ぎではないかっ!?」

「いつものことだよ」


 即行で駆け出した俺にベルゴが声を上げるも、そっとアータンがフォローを入れてくる。ありがとうアータン。そういうとこ本当に大好き。

 そんなこんなで始まった助けを求める人間の捜索だが、思いのほか見つけるまでにそう時間は掛からなかった。


『だれか居ませんかぁ~?』


「「「……」」」


 目の前にあるのは家だった。

 土砂崩れに巻き込まれたであろう、瓦礫に埋もれた後、何者の手も加えられていない倒壊した家。


 しかし、何よりも目を引くのは倒壊した家屋の壁にポツンと埋まった──尻だった。

 控えめに言ってデカい、デカケツだった。ひょっとしたらセパルよりも大きいかもしれない。


『うぅ……だれかぁ……』


 声の主は確かにこの尻からだ。いや、尻の穴から喋ってるわけじゃないけども。


「……あのー」

『! だれか、だれかそこにいらっしゃるんですね!? よかったぁ~! わたし、このまま一生壁に埋もれたままなんじゃないかと不安で不安で……!』


 俺達の存在に気づくや、捲し立てるような早口で壁尻の主が喋り始める。

 声は……女っぽい。聞き心地の良い穏やかな声色だ。壁に尻が埋まった状況でなければ、もうちょっと落ち着いて耳を傾けていただろうに。全然集中できやしねえ。


 すると、居てもたっても居られないアータンが壁尻に呼びかける。


「あの……どうして壁に埋まって……?」

『そ、そうですよね! 気になりますよね!?』

「それはとても……」


 壁尻と対話する少女の図。

 なんだこれ。神話を描いた壁画か?

 岩隠れの伝説のエロ同人かよ。


『実はわたし、宣教師をやっておりまして……』

「宣教師?」

『はい。各地を渡り歩いてスーリア教の教えを広めているんです』


 宣教師と名乗る壁尻。

 言われてみれば確かに格好が修道服っぽい。


 宣教師と言えばあれだ、ザビエルだ。頭頂部が焼け野原と化している、あのおじさんである。まあ、あの髪型は修道士伝統のものらしいけども。


 ……それにしてもデケぇな、尻が。

 喋る度に左右に揺れる尻を見ていると、だんだん本当に尻が喋っているように錯覚してくる。ぶりぶりしやがって。


「で? その宣教師さんがどうして壁に埋まってるんで?」

『それはですね、宣教がてら立ち寄った町がアシッドモスキートに困っていると伺いまして』

「ほう?」

『宣教師とは赴いた土地の困りごとを解決してこそ! そこでわたしは意気揚々と解決に乗り出したわけなんですが……』


 はぁ……、と壁尻シスター(暫定)は溜め息を吐いた。


『一休みしようと壁に寄りかかった時、棒に吊るしていた荷物がちょうどよく壁の穴に入り込んでしまって……』

「嬉しくねえホールインワンだな」

『それでなんとか拾い上げようと潜り込んだらこのザマで……うぅ、穴があったら入りたいです』

「今まさに入ってるんだけどな」

『こんなの、頭隠して尻隠さずですよぉ……』


 要は尻まで入りたいと。いや、そういうわけでもないか。


「じゃあなんだ、とりあえず引っこ抜いたらいいか?」

『そうしてもらえると助かります……』

「ふぅ……やるか、ベルゴ」


 呼びかけに『ああ』と応じたベルゴが片足を持つ。

 俺はもう反対の方。男二人が全力で引っ張れば、大概の物は引っこ抜けるだろう。


「よし、じゃあいくぞ~」

「いつでもいいぞ」

「「せ~~~のっ!」


『あ──あ゛い゛だだだだだっ!!? ちょ、ちょっと待ってーーー!!!』


「一旦やめよっか!」


 壁尻から悲痛な叫び声が上がったところで、俺達は引っ張る手を止める。

 なるほど、こいつは強敵だ……うんともすんとも言わなかったぜ。


『も、もうちょっと優しく引っ張っていただけませんか?』

「優しくたってなぁ……ビクともしなかったぜ?」

「むしろどうやって入ったんだ……?」

『うぅ……入る時はイケたんですよぉ……』


 壁尻はシュンとするように強張った尻肉の力を抜く。

 表情豊かだな、この壁尻。


「このままじゃ引っこ抜ける未来が見えねえぞ?」

「何か滑りを良くするものでもあればいいのだが……」


「あっ、石鹸ならあるよ」


「「それだ!」」


 背嚢から石鹸を取り出したアータンを、俺達は全力で良い子良い子してあげる。

 アータンの趣味がまさかここで活きてくるとは。人生何が役立つかわからないものだ。


「すごいぞ、アータン!」

「お前はやはりできる子だ!」

「えへ、えへへへ……!」


『あのぉ~……そろそろ引き抜いてもらってもいいですか?』


「もうちょっと待って」

『そんなっ!!?』


 殺生な! と叫ぶ壁尻。

 流石に可哀そうになってきたので、アータンを褒め称えるのもそこそこに救出に戻る。

 〈水魔法オーラ〉で濡らした石鹸を泡立て、滑りが良くなるよう壁尻シスターの腰回りへ入念に泡を付けていく。


 なんだろうね……この……なんだろうね?

 ちゃんと人助けをしているはずなのに、イケないことをしているような気分は。


「ふぅ。これでさっきよりはだいぶ引き抜きやすくなったはずだ」

『お手数おかけします……』

「よし、さっきのでダメだったから今度は最初から全力でいくぞ」

「ああ、任せろ」

『あのぉー、助けてもらう身で言うのもなんですが、できるだけ優しくぅ……』

「「せ~~~のっ!!」」


『痛゛──づだだだだだだだだぁ~~~!!?』


「オーエス!! オーエス!!」

『ひぎぃ!!? ちょ、ま゛っ……!!?』

「オーエス!! オーエス!!」

『もうちょっと!!! もうちょっと丁寧にひいいいいっ!!?』

「ぜ、全然抜けねえ!!? 何が引っかかってんだ……!!?」

「長期戦になるな……聞こえるか、そこの人!! もうしばしの辛抱を……」


『ぐおおお!!? やるなら、やるなら一思いにやれぇーーーっ!!!』


「作業中止ィーーーっ!!!」


 とうとう壁尻が女騎士みたいなことを言い始めたので、慌てて作業の手を止める。

 俺達が手を離せば、壁尻は先ほどよりも疲労困憊の様子で項垂れた。いや、項垂れたってなんだよ。尻が項垂れたって何?


 しかし、まさか壁尻一つにここまで苦戦するとは思わなんだ。

 『ギルティ・シン 色欲のエデン』で全ヒロインの壁尻スチル絵をコンプリートする時でも、こんなに苦戦はしなかったぞ。


 立ち塞がる強敵……否、強尻を前に、俺達は一旦作戦会議へと移る。


「どうする? あの感じ、たぶん胸だか肩だかが引っかかってるぞ」

「大層立派なものを持っているようだな……」

「かもな」


 野郎二人がそこまで言いかけた時、横から突き刺さる気配を感じた。

 絶対零度──いいや、違う。

 これは灼熱の業火。燃え盛る嫉妬の炎が如き熱量をはらんだ視線に、肌が焼け付く感覚を覚えた俺達は、わざとらしい咳払いを挟んで真面目な話に戻す。


「と、ともかくだ。このままでは埒が明かねえ。一旦引っこ抜くことから離れよう」

「周りの壁を削るか?」

「いや、土砂崩れで埋もれた壁をそのまま削るのは危ないだろ」

「ではどうする?」

「……発想の転換だ」


 一つ案を思いついた俺は、確認を取るべく壁尻の下へと向かう。


「おーい、聞こえるか?」

『ま、また引っ張るつもりですか!!?』

「いいや、壁の向こう側にスペースがあるかと思ってな」

『スペース、ですか……?』

「人一人分ありそうか?」


 そう聞いていれば『まあ……一応は?』と返ってきた。

 これさえ確認できれば勝ったようなもんよ。


「よし──向こうに押し込むぞ」

「本気かライアー!!?」

「引いて駄目なら押してみろ。俺の故郷に伝わることわざだ」

「む、むぅ……確かにあの御仁が穴の向こう側に行ってくれさえすれば、安全に穴を広げられるだろうが」

「穴穴言うな。……やるしかねえだろ」


 腹を決めた俺達は、いざ壁尻の前に立つ。


「決まったぞ。今からあんたをそっち側に押す」

『えぇ!!? お、押すんですか……?』

「ああ。その後、こっちに出て来られるよう穴を広げる。それじゃダメか?」

『ま、まあ……あんな痛い思いをするよりは……』

「……決まりだな」


 了承も得られたところで、改めて壁尻シスターの脚を持つ。


「相手が苦しまないよう、出来るだけ一発で決めるぞ」

「……ああ」


 謎の緊張感だ。

 後ろで見守っているアータンも、思わず固唾を飲んだまま、祈るように手を組んでいる。

 この張り詰めた空気を感じてか、埋まっている壁尻もふるりと震えていた。


「よし……いくぞ!!!」

『お、お願いします!』

「「せぇ~~~のっ!!!」」


『捥゛け゛ま゛す゛っ゛!!!』


「ヤベぇ断定入ったぞ!!! つか、ケツがデカすぎて思ったより押し込めねえ!!!」

『待って!!! パンツが!!! 引っかかってパンツがずり落ちてるッ!!!』

「なんだと!!? クソッ、一旦引き抜くぞ!!!」

『あ゛ぁーーーッ!!? 今度は服が捲れ上がってるぅーーーッ!!!』


「はぁーーーい!!! 一旦作業中止ぃーーーっ!!!」


 壁尻シスターの訴えに再び作業を止める。

 俺達の前には……それは無残な光景が広がっていた。


『う、うぅう……』

「ああ、かわいそうに……! お尻が、お尻が泣いてるよ……!」

「落ち着け、アータン。あれはただのホクロとケツ汗だ」


 パンツがずり落ち、あまつさえ服が捲れ上がった壁尻シスターは、ギリギリ尻の穴が見えぬラインの半ケツを晒す羽目になっていた。

 その半ケツに点在するホクロから汗が流れ落ちることで、ちょうど尻が泣いているように見えていたのだ。なんだこの奇跡。


 しかし弱ったな。

 引いてもダメ、押してもダメなら方法が限られる。


 それこそ当初ベルゴが口にした、周りの壁を削るぐらいしか──。


──ミシッ。


「うん?」


 何の音だ? と落としていた視線を壁尻へと戻す。

 するとだ。埋もれていた壁尻を中心に、放射状に亀裂が入り始めていたではないか。


 ま、まさか……。


「押し込まれた尻がデカ過ぎるあまり、ケツ圧で壁が壊れ掛かっている!!?」

「ケツ圧って何!!?」

「不味いぞ!!! 周りの壁が崩れる!!!」

「ケツを……じゃなかった!!! 壁を支えろぉー!!!」

『えっ!!? わたしのお尻がなんなんですか!!? ちょっと、ねえ!!?』


 俺達ががやがやと騒いでいている間にも亀裂は広がる。

 そして遂に、亀裂が広がった壁が瓦礫の重みに耐えかねて崩壊したではないか。


「「「ぎゃあああ!!?」」」


 激しい轟音。

 崩れ落ちる瓦礫。

 顔に伸し掛かる尻。


 濁流のように流れ込む質量と情報量の中、俺達がどうなったかと言えば……。


「──〈降臨ペンテコステ〉!!!」


 ベルゴの召喚した聖霊が、圧し掛かる瓦礫の全てを払いのけた。

 聖霊にとって多少の瓦礫なぞ羽毛同然。面白いくらいに瓦礫が宙を舞っている光景が──見えない。


「すまん。俺の顔が潰れる」

「えっ? ……あああああ! ご、ごめんなさい!」


 仰向けに倒れる俺に圧し掛かっていた尻が退け、視界が開ける。

 舞い上がる土煙が晴れた頃、俺達の目の前には一人のシスターが座り込んでいた。桜色の艶やかな長髪がなんとも目を引く。


「ふぅ……助けてくださってありがとうございます」


 壁尻シスターはずり落ちたパンツを穿きなおし、俺達に頭を下げた。

 それから『改めて』と言わんばかりに、全員を一瞥するように見渡す。


「わたしの名前はアス。スーリア教より宣教師の任を拝命している者です」


 以後お見知りおきを、と。

 『アス』と名乗った壁尻シスターが自己紹介を終えた時、俺の頭には一条の落雷が突き刺さった。


 スーリア教?

 宣教師?

 アス?


 ……なるほど。




──知らないデカケツは知ってるキャラだった。




「Holy shit!!!」

「急にどうしたの?」


 思わず外国人になっちゃった。

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