第69話 竜殺しは英雄の始まり




 戦場のド真ん中で大爆発が巻き起こった。


「きゃあ!!?」


 当然、その衝撃はアータンにも襲い掛かる。

 爆風は無論のこと、瞬間沸騰した熱湯や抉られた地面の破片もまた立派な凶器だ。それらが弾丸のように少女へと迫りくる。


 今の彼女は罪化も解け、ただの人間に戻った状態。

 その姿で鋭利な破片や熱湯を浴びようものならただでは済むまい。


 しかし、そんな彼女を受け止める柔らかな感触があった。

 柔らかいは柔らかいでも布団のように軽やかなものではない。もっと、こう、むっちりと包み込んでくれるような肉肉しい感触である。


 謎の感触に疑問符を浮かべたアータンは思わず振り返った。

 そこに居たのは、


「セ……セパル様!?」

「ふふっ、よく頑張りましたね。アータンちゃん」


 先の爆発で戦線離脱していた騎士団長だ。

 彼女は降りかかる凶弾の一切を片手で展開する〈盾魔法スクート〉で難なく受け止める。


 心強い人間の参上にホッと安堵するアータン。

 だが、それはそれ。


「今までどこに!?」

「少々不覚を取ってしまいましたので……すぐ戻って来ようかとも考えましたが、アータンちゃんが頑張っている姿が見えたので、ちょっと悪戯しに行っていました♡」

「へぁ?」

「……それより前を」

「え……」


 言われるがまま前を見るアータンは──絶句した。


「う……そ……!?」


 先の〈海蛇神の大水魔槍〉と〈不死鳥の大火魔弓〉の爆発。

 その爆心地はアニエルの頭上であった。

 ならばアニエルが最も深い傷を負って然るべしだ。常人ならばまず即死級の爆発だったはず。


──グチャリ。


 だが、泥濘の中で“何か”が蠢いた。

 水と泥、そして血が入り混じった血溜まりとも呼べぬ汚泥には白い骨が浮かんでいる。すると骨から黄金の火が灯った。


「ま、さか……!?」

「流石は不死鳥。殺しても殺しきれぬとはこういうものを言うのですね」


 次々に燐火が灯っていく。

 それはいつしか人の形を描き、泥濘の中に立つ一羽の火の鳥と化した。


 不死鳥の蘇生が今、為されようとしていた。


 しかし、全て無事とは言い難かったようだ。

 そのまま肉体を再生しようとするアニエルだが、ブクブクと肉が膨れ上がったかと思えば、すぐに焼けて崩れ落ちていく。


 それを何度も繰り返す。

 だが決して臓器や肉体は元には戻らなかった。


 自らの炎で炭に、そして灰と化していく体を前に、アニエルはしばし呆然と立ち尽くしていた。


「あ、姉貴の体が……っ」


 それを遠巻きに眺めていたシャックスがポツリと一言零した。

 そう──アニエルは元々死んでいた人間。火葬が一般的なディア教国において、墓場から死体を掘り起こそうとしたところで得られるのは当人の骨のみ。


 つまり、本来のアニエルの肉体は骨しか残っていなかったのだ。


 そこへネビロスが肉付けし、〈罪〉の力で取り繕ったとしよう。

 けれど一度全身が爆散して、ネビロスの罪魔法が刻まれた肉体が焼失した以上、不死鳥としての性質が適応されるのは本来の肉体のみであるのだろう。


 骨だけと化した不死鳥を前に、シャックスは涙を流す。

 それは悪魔の支配から逃れた姉の肉体を思ったからか、二度と戻っては来ないという確信を得たからか。あるいはそのどちらもか。


──ギシッ。


「っ……!」


 しかしだ。

 まだ終わってなどいなかった。


『ギ、ギギ、ギッ……!!』


 声とも呼べぬ軋轢音を奏でながら、不死鳥の骸骨は動き出した。

 継ぎ接ぎの肉が焼け落ちたとて、彼女の魂は未だネビロスに操られたままだ。それをどうにかしない限り、彼女は永遠に解き放たれない。


「セパル様、一体どうすれば!?」

「……大丈夫。その為の布石を打ちましたから」

「布石……?」


 次の瞬間だった。


『ギッ──!!?』


 アニエルの足元から間欠泉の如く大量の水が噴き上がる。

 それは彼女に纏わりつく再生の炎を飲み込まん勢いで、いや、彼女を飲み込むように陣を描いた。


「こ、これは!?」




「──〈嫉妬の血河フレジェント〉」




『──ッ!!!』


 大地を飲み込まんとす激流が、たった一人を、アニエルを飲み込んだ。


 反撃に打って出ようとするも、それは無理だった。

 何故なら球形と化した水中は激流そのもの。身動き一つ許さぬ水流の監獄だ。


「みんな! 準備はいい!?」

『は!!』


 セパルが合図を出せば、それまで姿を隠していた団員が数人姿を現す。

 そこには傷を癒したザンも含まれており、脂汗を額に滲ませながら、自らも団長の助力に加勢する。


「主よ、与えたまえ!」

『主よ、与えたまえ!』


(──追複詠唱!)


 セパルの後を追うように紡がれる団員の詠唱に、アータンはすぐさま眼前で繰り広げられる光景の意味を理解した。

 これは『追復詠唱』と呼ばれる技術だ。最初の詠唱者に続いて、他の人間も同様の詠唱を繰り返す。そうすることで術者の発動する魔法を極限まで高めるのだ。


「永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光で照らしたまえ!」

『永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光で照らしたまえ!』


 だが、彼女達の歌声は清澄だった。


「正しき人を永遠に記憶し、悪しき報せを払いたまえ!」

『正しき人を永遠に記憶し、悪しき報せを払いたまえ!』


 まるで死者の安息を願う鎮魂歌のようだった。


「全ての死せる者の霊魂を、罪のほだしより解きたまえ!」

『全ての死せる者の霊魂を、罪のほだしより解きたまえ!』


 そして光が、一筋の光芒が。

 天へと導くきざはしとなってアニエルへと降り注いだ。




「──〈祓魔魔法エクソシスム〉!!」




『ギッ……ァアアアアア!!?』


 水牢を貫く光芒に焼かれ、骸骨の不死鳥が劈く悲鳴を上げる。

 炎に焼かれても灰と化さなかったはずの骨が、その光に照らされた途端、ミシミシと軋む音を奏でながら煙を上げ始めたではないか。


『ィ、イイ……ァアァ……!!』


 苦悶に喘ぐアニエル。

 余りにも痛々しい姿に思わず顔を背けるアータンだったが、その先ではセパルが首を振っていた。


「しっかり見届けてあげて」


 優しく促すセパルに言われるがまま、アニエルへと視線を戻す。


「あれは……?」


 再生の炎が消え、唯一彼女の魂を縛り付けていた骨がバラバラと瓦解する。

 すると、崩れ落ちた骨から何かが立ち昇る光景が目に映った。


──煙だろうか?


 しかし全ての骨が塵と化すや、それは美しい一人の女性の姿を浮かび上がらせた。

 朝日のように明るく眩い金色の髪。その合間に覗く碧眼は、さながら晴れ渡った空と言うべきだろうか。


 誰もが目を、心を奪われた。

 理由もわからぬまま涙を流す者も居た。


「あっ……」


 アータンが頬を伝う涙に気づいた時、その女性は少女の方を向いて柔らかな微笑みを浮かべてみせた。


──ありがとう。


 声に聞こえたわけではない。

 ただその口が、唇が、そう言っているように動いて見えただけ。


 けれども、はっきりと聞こえた気がしたのだ。


「アニエルさん……」


 言葉も交わしたこともない相手なのに。

 むしろ殺し合った相手でしかないのに。


 それでも彼女が光芒の中を上り行く光景に、アータンは溢れる涙が止まらなかった。

 少女はぐちゃぐちゃになった顔を拭い、傍に居たセパルに抱き着く。セパルはと言えば少女の心境を慮るように優しく肩を抱き寄せた。


「これで彼女の魂は安息の地へと導かれたでしょう……」


 同じ人間としてできる手向けとして、セパルは静かに手を組む。


「……これからはあなたの代わりにわたくし達が戦いましょう」


 祈り、そして誓った。

 いつの時代もそうだ。死にゆく騎士の代わりに戦う者もまた騎士だった。住んでいる国や信じる神の違いなど些細な問題でしかない。


 不死鳥の死を見送ったセパルは、やおら空を見上げた。

 そこでは幾度となく漆黒と白銀が交差し、眩い火花を散らしている。


「団長! あれは……?」

「加勢ならおやめなさい。むしろ邪魔になります」

「はっ!」


 それは彼女が想いを寄せる勇者が放つ光だった。

 あそこは聖域、いや、神域だ。選ばれし者しか踏み入ってはならぬ死地でもある。


(ライアー様……)


 だからこそセパルは祈った。

 彼の救われた一人の人間として。


(負けないでください……!)


 だが彼ならきっとこう言うだろう。




 『負けるつもりなんか端からねえよ』、と。




 ***




「──アニエルが倒されたみてえだな」


 レイエルと激しい剣戟を演じる最中、〈嫉妬の血河フレジェント〉と〈祓魔魔法エクソシスム〉が放たれていた。


 前者は水魔法オーラ系最強の魔法。言うまでもなく威力は絶大。

 一方後者は悪霊ゴーストの魂を昇天させる魔法。死霊術特攻と言ってもいい効果を有している。


「さて……そろそろこっちもケリをつけてぇところだなぁ?」

「──」


 当然ながらレイエルから返事は返ってこない。いや、返ってきたら来たで怖いんだけども。

 しかし、これ以上ない殺意は感じ取られる。

 感情の乗っていない無機質な殺意。ただただ命令をこなそうとする、ある意味で最も恐ろしい類の代物だ。


 だからと言ってくれてやる命はない。


「そぉら!!」


 俺が振るうのはイリテュムを変形させた剣『竜殺の聖剣ゲオルギウス』。

 ギルシンシリーズではお馴染みのドラゴン系に対し特攻効果を有する武器の一つだ。それは罪化し、竜人と化した悪魔や天使に対しても言える話だ。


 妄執とさえ言える次元で竜殺しに特化された刃は、まさに今レイエルの表皮を裂き、中から鮮血をぶち撒かせるに至る。


 だが、この程度かすり傷にも入らない。


「やっぱり再生しやがるか……!」


 たった今刻んだ傷はものの数秒で塞がっていく。

 これが竜人族の特徴の一つ、尋常ならざる再生能力だ。

 これがまぁ~~~~~厄介なのだ。

 なんたって他の相手なら後々響いてくる傷が即治っちゃうんだもの。


 これだから竜人はよぉ……。


 しかも、これが生きている相手なら傷を付けた時は怯んでくれるが、レイエルは死霊術で操られている屍。これまでの反応から見るに、こいつは痛みでは怯まない。

 『痛覚? なにそれおいしいの?』と言わんばかりにガンガン攻めてくるのだ。やめて、ガンガン来ないでちょうだい。ガッツいてくる男は嫌いよ。


 故に再生が意味をなさぬ致命の一撃を与えなければ竜人には勝てない。


 ……のだが、考えてみよう。


 相手は聖騎士で、しかも大罪の〈罪〉を扱う。

 ナンバリング主人公と比較してもなんら遜色ないスペックの持ち主だ。


 そんな相手に俺如きが勝とうなんざ、へそで茶が水蒸気爆発を起こしてもおかしくはない──けどな。


「それでも勝たせてもらうぜ、聖騎士!!」


 ゲオルギウスを握り、今度こそレイエルを仕留めるべく接近する。

 レイエルの気を付けなければならない行動はレナトゥスによる斬撃と、口から吐く炎攻撃。どちらもジャブ感覚で放ってくるが、俺にとってはオーバーキルもいいところな一撃だ。


 それらを回避して、ようやくスタートラインだ。

 しかし、相手は聖騎士。

 真面にやり合おうとした瞬間、俺の首は危機一髪ばりにすっ飛んでいくことになる。


 同じ舞台に上がったとしても、同じ土台で戦ってはならない。




 ではどうする?




 こうするんだよ。






「──〈仮面舞踏会マスカレード〉」






 突如、無数の“俺”が宙に現れた。

 その数は十、二十……いや、三十体を超えても尚増え続ける。


 この光景を前にレイエルはあからさまに瞠目していた。だろうな。でなきゃ、こいつを見せた甲斐がねえ。


「一気に」

「決めさせて」

「もらう」

「ぜぇ!」


 無数の俺が一斉にレイエルへと切りかかる。

 それに対しレナトゥスを振るい、一気に五体程胴を泣き別れにさせられた。


 直後、レイエルの背中から血飛沫が噴き上がる。


「──!」

「んぎゃ!?」


 と、間抜けな声を上げて振り向きざまの斬撃にやられる俺の一人。

 しかし、そいつは〈もう一人の自分アルターエゴ〉で生み出された分身であり、本物の俺ではない。


 次に斬られた俺も、その次の俺も、そのまた別の俺も。

 あれも、それも、これも──その倒された俺のどれもが本物ではなかった。


 こいつが俺の罪魔法の奥義、〈仮面舞踏会マスカレード〉。

 実体を持たぬ幻影と持つ幻影を同時に展開し、相手を幻の内に切り刻む技だ。ちょっとばかしおこちゃまには過激な光景が広がることはネックだが──ま、そいつも幻でパパッと消し去ってやるさ。


「さぁて……本物おれを見つけられるかな?」


 〈虚飾〉は本物と見紛う幻影こそが肝。

 端から見破らせるつもりはない幻影の剣士は次々にレイエルへと切りかかり、返り討ちにされては、生まれた隙に実体を持った幻影と本物の俺が切りかかっていく。


 再生する?

 なら、再生が間に合わない速度で傷をつければいいじゃない。


 稀代のストロングアサシンことパワー・アントワネットもそう言っていた。もちろん嘘である。


 絶え間なく浴びせ続けられる斬撃に、レイエルの肉体のあちこちから鮮血が舞う。

 いくら再生能力が高いとはいえ、リソース無しに再生などできやしない。必ずどこかで割りを食う場所が出てくるはずだ。

 それに生き物である以上、筋肉や骨を断たれれば肉体構造上動かなくなる。そうすれば一層綻びは現れるだろう。


 そこまでの我慢比べだ。


「おおおおおっ!!」

「──!!」


 ここに来て初めて、レイエルから苦悶の息遣いが漏れる。


「おやおや? 具合が悪そうだな、聖騎士さんよぉ~?」


 息遣いは荒く、表情も険しい。

 体の動きもどことなくぎこちなく、最初の豪快かつ洗練された動きと比べれば、その動きはお粗末なものだった。


「……そうでなきゃこっちが困るんだよ」


 吐き捨てるように毒づき、俺は手に握るゲオルギウスを見遣る。

 こいつにはあらかじめ毒を塗っておいた。随分昔に倒した毒蛇竜ヒュドラから採取した劇毒だ。一滴でシャウトラットが1000匹は死ぬっていうレベルの代物である。


 たとえ肉体を再生できたとしても、体内に入り込んだ毒を解毒できるかはまた別の話。

 種族によっては非常に強い耐性を持つことから、ここぞという時だけ用いることを決めていたが──今回は出し惜しみしている場合ではなかった。


「グオオオオオッ!!」

「っとォ!! とうとうマジになって来やがったか!!」


 体内を巡る毒に侵されるレイエルが吼えた。

 空を揺るがす猛々しい雄叫びだ。あまりの声量に耳をやられて立ち止まった幻影の何体かが、そのままレイエルの振るう尻尾によって掻き消されてしまった。


「オオオオオッ!!」

「負けられねえってか!!? お生憎様……こちとらおんなじさ!!」

「グルォオオオッ!!」


 まるで逆鱗を触れられたかのように暴れる竜人。

 その獰猛な戦いぶりはまさしく嵐だった。翼の起こす風圧で数人吹き飛ばし、尻尾の一薙ぎで叩き潰し、振るう剣と爪で幻影の俺達をズタズタに引き裂いていく。


「チッ!! このままじゃ魔力が……!!」


 〈仮面舞踏会マスカレード〉は攪乱と攻撃を同時に行える技だが、相応の魔力を消費する。何せ幻影を出しっぱなしなのだ。なけなしの魔力がマッハで溶けていく。


 あ~あ! 大抵の敵だったら序盤で倒れてくれるのになぁ~!

 これだから素のスペック、略して素ペックが激高な奴はなぁ~!


 そう思った時だった。


「スゥーーー……」

「っ! あの予備動作……不味い!」


 突如、幻影の俺達を払いのけて上空へと飛翔するレイエル。

 そのまま大きく息を吸う挙動を見て、俺は大急ぎで奴の後を追いかける。


「撃たせるかよ、〈腐竜王の殺息アスタロト・スピラーレ〉は!」


 それは罪化したレイエルの最強技。

 そして、ゲーム内でもプレイヤーを幾度となく苦しめた最凶の技だった。


 これがまあクソ……いや、ゴミ……いや、カス……いや、お排泄物な性能を誇る、盛り盛りのメメントモリな技なのだ。

 その効果、なんと相手に『火傷』、『毒』、『防御ダウン』のデバフ三種盛りである。

 上記の状態付与に加え、そもそもの威力が高いこともあり、真面に喰らえばパーティ壊滅は必至。ゲームでもいかに撃たせないかが重要になってくる技だった。


 喰らえば一発アウト。

 しかも、ここは虚構ゲームと違って現実。上空から放たれれば、猛毒を含んだ炎が地表にも降り注ぎ、アータンやベルゴ達にも被害が及ぶ可能性が高い。


「待ちやがれぇ!!」


 しかしなんだ。

 レイエルの飛ぶ速度の速いこと速いこと。


 つまりだ……追いつけねぇーーーーーッ!!


「チクショーーーッ!! 待て、待ってください!! とりあえず話をするところから始めようじゃあないの!!」


 対話を呼びかけてはみるものの、レイエルに応答する意思は見られない。


 話せばわかる! 話せばわかる!

 あっ、これフラグか!


 そうこうしている間にも距離を突き放すレイエルは、俺の手が届かぬ高度に至るや、毒々しい煙を漂わせる口から、今一度膨大な空気を吸う。

 膨らむ胸部は充填された毒炎の残量とイコールだ。


 あれを吐き出されたが最後──俺達は死ぬ。


「ク、ソォオオオオオ!!」


 俺の絶叫は澱んだ空に虚しく木霊するばかり。

 一方、白銀の竜人はその口にあらゆる生命を絶つ竜火を含み、眼下を見下ろした。


 標的は……当然俺だ。


「間に合えぇーーーーー!!」


 やけっぱちに〈魔弾マギ〉を撃ってはみるものの、軽くレナトゥスの一振りで切り払われる。

 ああ、クソ……この距離では絶対に間に合わない。

 俺が辿り着くよりも早くレイエルは〈腐竜王の殺息アスタロト・スピラーレ〉を放ち、地上を猛毒の劫火に晒すだろう。


「……あ~あ」


 太陽を覆い隠す翼に、俺は息を一つ零した。




「やっぱり──




「──……ッ!!?」


 ズグリッ、と。

 鈍い、肉を貫く音が奏でられた。


「グッ……!!?」


 意思とは裏腹に漏れてしまう苦悶の吐息を漏らすレイエルは、己の喉を貫く刃を掴みながら、グリンと眼球を後方へと転がした。


 そこに居たのは俺──いや、本命の〈もう一人の自分アルター・エゴ〉だ。


 ゲオルギウスをまんまと背後から突き立てた俺は、信じられぬものを見るような眼差しのレイエルに笑ってみせる。


「なんで俺がここに居るか不思議って顔だなぁ?」


 そんなリクエストにご丁寧にお答えして差し上げよう。


「──最初ハナっからここに誘い込んでたからだよ」


 〈仮面舞踏会マスカレード〉を出した狙いはレイエルを倒すことではない。

 ギリギリまで追い詰めて〈腐竜王の殺息アスタロト・スピラーレ〉を誘発する為だ。


 こいつだけは繰り出させてはいけない。

 こいつ以外ならなんとかやり過ごせる。


 なら、最大限警戒しなければならぬ技の為だけの配置をするのは当然だ。

 ましてや、それが最大の反撃にもなるのだから。


「あ~らら♪ 気道を塞がれちゃったねぇ~? それだと吐こうとした炎はどうなっちゃうのかなぁ~?」

「──ッ!!」


 命の危機を覚えた獣のように、死に物狂いの竜の一閃は喉に剣を突き立てた俺の分身を切り裂いたが……。


「もう……遅ぇよ」


 分身の俺が苦し紛れに言い放った、その次の瞬間だ。

 貫かれた喉の隙間から炎が溢れ出る。


 俺が狙ったのは喉にある火炎袋。正確には火炎袋から気道へと繋がる合流地点近くだ。

 竜も竜人も、それぞれの息吹に対応した内臓器官より燃料を供給し、強力なブレス攻撃を繰り出す。


 レイエルの〈腐竜王の殺息アスタロト・スピラーレ〉もその類だ。

 罪魔法により生成した可燃性の腐食ガスと火炎を混ぜ合わせることにより、致死性を格段に向上させた猛毒の息吹を吐き出す……そういう原理の技だった。


 だが、それが堰き止められたならばどうなるか?




 答えは……だ。




「爆散しやがれぇえええええ!!!」

「ォ──オオオオオッ!!?」


 けたたましい雄叫びと共に、レイエルの喉から鮮烈な閃光が解き放たれる。

 直後、天地を轟かす爆発が起こった。俺の〈魔神の弾丸デウス・エクス・マギア〉なんて比じゃない次元の爆発だ。


 飛び散る肉片や火の粉を掻い潜り、俺は一直線に空を目指す。


「──そうだよな」

「グッ……ヴゥウウッ……!!!」

「その程度で死ぬタマじゃねえよなぁ!!!」


 爆心地に佇む竜。

 喉から胸にかけて大きく抉れ、肋骨と心臓を剥き出しにしながらも──レイエルは生きていた。

 目を奪われるほど美しかった白銀の鱗も、腐食ガスの影響か大部分が黒ずんでいる。あれではほとんど黒竜だ。血走った瞳も相まっていっそおぞましささえ覚える風体と化していた。


 欠損した肉体は現在進行形で再生を始めている。

 だが、俺の与えた毒と自身の毒で上手く再生が進んでいない様子だ。


──好機は今だ。


「そろそろ白黒つけようぜ、聖騎士レイエル!!!」

「グゥウウゥウ……!!!」


 血塗れの歯を剥き出しに唸り声を上げるレイエル。

 死霊術で蘇った屍とはいえ、奴らは学習している。


 すなわち、この好機を逃せば次はない。


 俺は全速力で飛翔し、レイエルの懐へと突撃する。

 狙うは異様な紋様が刻まれた心の臓。死霊術で動く屍であるにも関わらず脈打つ心臓は、怪しさが一周回って清々しささえ覚える。


 なるほど、心臓が動いていたら“生きている”判定で〈罪〉が使えると。


「アンタも悪魔にいいように操られて苦労してんなぁ」

「ォオオオオッ!!!」

「けど──これで終わりにしてやる」


 俺の狙いを察したのか、レイエルは左腕で心臓を庇う。反撃前提の防御態勢だ。

 これでは心臓を貫けない──と言うとでも思ったか!


「ぶち抜け、ゲオルギウス!!」


 その為の竜殺の聖剣ゲオルギウスだ。

 竜人の片腕を貫くなどわけはない。


「おおおおおっ!!!」

「オオオオオッ!!!」


 要は俺の全身全霊がレイエルを上回れるかの戦いだ。


 そして勇者と聖騎士が激突する──。


「──とでも思ったか?」

「ッ!!?」


 レイエルの間合いに入った瞬間、レナトゥスの一閃が俺に叩きこまれた。

 だがしかし、そいつは音もなく宙に溶け込んでいく。


 そう、こいつは幻影。

 本命はその後ろ。刺突の構えで待ち伏せていた俺だ。


──獲った。


 刃に触れる感触があった。

 それは肉や骨を貫く生々しいものではない。ましてや鱗ですらない。

 刃と刃がぶつかり合う甲高い金属音が耳朶を打った。俺の頭上では弾かれた剣がヒュルヒュルと音を立てて回転している。


 あれは──竜殺の聖剣ゲオルギウスだった。


「ッッッ……!!!」


 腕に痺れる感覚が奔り、俺は歯噛みする。

 放すつもりはなかったが、それでも力尽くで弾かれてしまった。


 俺がゲオルギウスを手放した一方、レイエルは度重なる損傷と毒で脱力した右腕をだらりと垂れ下げていた。


 超速で反応し、返す太刀を繰り出したのならわかる。

 しかし、あれではおかしい。レイエルの右腕は一振り目を振り抜いたままだった。


──ならばどうやって?


「レナトゥス……!!!」


 〈怠惰〉の〈罪〉を宿した罪器レナトゥス。

 〈怠惰〉によって意思を獲得したレナトゥスは、主の危機を察知したのか、自ら主の手を離れ、俺のゲオルギウスに飛び掛かっていたのだ。


 その姿はまるで小竜。

 鍔が変形した翼を羽搏かせ、ゲオルギウスが俺の手に戻らぬ場所まで運ばんとしていた。


 かくして、千載一遇のチャンスはレナトゥスに奪われた。


 ゲオルギウスでなければ俺にレイエルの鱗を貫く力は……ない。

 フィクトゥスに変化させたところで、あれは形状までが限界だ。完全再現とまではいかない。




 そう、フィクトゥスではダメなんだ。




「ああ──だからそっちは『偽物フィクトゥス』さ!!!」




 俺は黒翼の陰から一本の剣を抜く。

 そいつはすでにゲオルギウスへと変化済だった。


 竜を殺さんと息巻くような禍々しい殺気が放たれる。

 これにはレイエルの生気宿らぬ瞳もカッと見開かれた。


 そうだよな。あんたにゃ今までイリテュムしか使ってなかったもんなぁ?

 なんて夢にも思っていないだろう。


──だろ? レナトゥス。


 俺が初めから誘っていたのはレナトゥスの方だ。

 あいつがレイエルの手の中にある限り、安い不意打ちは即時対応されてしまう。


 だからブラフが必要だった。

 レイエルを騙し、そのカバーに回ったレナトゥスさえ騙せるブラフが。


 相手は二人居るようなもんだしな。

 まっ、それを言っちゃあこっちは三人か。


 イリテュムとフィクトゥス。

 どちらもなければ俺にはレイエルの虚を突くことはできなかった。


「おおおおおおおおおおお!!!」


 だから、この手に伝わる感触は。

 勝利を手にしたという確信は。


 俺達全員の勝利に等しかった。


「……レイエル。アンタは強かったよ」


 貫いたゲオルギウスの刀身を伝い、真っ赤な血が俺の手に流れ落ちてくる。


 生温かいのに冷めていくような。

 まさに今命が消えゆく感覚を覚えつつ、俺は灰と化していく聖騎士へと語り掛けた。


「力も……速さも……なんもかんもが俺に勝っていた。でもさ、俺には一つだけアンタに勝てると信じられるものがあった」


 呪縛から解かれた心の臓が鼓動を止めた。

 だと言うのに、ほんの一瞬だけ彼の瞳には光が戻っていた。


「……なに、が……?」

「愛」

「あ、い……?」

この世界ギルシンへの愛さ」


 相手がどんな技を使ってくるか。

 相手にどんな武器が有効なのか。


 全部が全部、この世界ギルシンが好きで身に着けた知識だ。

 中途半端に好きだったら適当なところでにわかを晒して、バッサリ殺されていただろう。


 でも、ここまで何とか生きて来られたのはギルシンが好きだったから。


 俺は、そうだって言い切れる。


「そう、か……愛、か……」

「お気に召さなかったか?」

「いや……」


 魔力の供給が止まり、罪化が解けたことで一瞬素顔に戻ったレイエルは……笑っていた。




「愛に負けたのなら……本望さ」




 そう言い残し、稀代の聖騎士は灰と化す。

 するとどこからともなく吹いてきた風が、彼の遺灰をどこかへと運んでいった。


 耳鳴りだろうか? 

 風はこう言っていた。




──あとは、きみに託すよ。




 耳の奥に聖騎士の言葉を残り続ける。

 一人噛み締める俺は、しばし空に立ち尽くしていた。


 聖騎士に託された言葉は。

 聖騎士を殺めた十字架は。


 それほどまでに重く、俺の背中に圧し掛かっていた。


「……任せな」


 そうして覚悟を決めた時、俺は地上を目指して翼を羽搏かせた。


 聖騎士と聖女は討たれた。

 ならば、残るは諸悪の根源──〈大疑のネビロス〉。


 しかし俺が地上に降り立つまでの間、大罪と大悪の戦いはすでに佳境を迎えていた。




 この地を揺るがす騎士と悪魔の戦争の終結は──目前だ。




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