第68話 罪器は逆転の始まり
(ベルゴさん……)
ネビロスを前に膝を突くベルゴを見て。
(セパル様……)
アニエルに吹き飛ばされるセパルを見て。
(ライアー……)
レイエルの炎に焼かれるライアーを見て。
(みんな……!)
アータンの中の何かが弾け飛んだ。
彼女はつい先ほどまで、ライアーに言われた通り実験棟内の人々の避難に奔走していた。
しかし、実験棟全体を揺るがす爆音を耳にするや、間を置かず襲い掛かってきた衝撃に一瞬意識が飛んだかと思えば、前述の死屍累々を目撃してしまったのだ。
彼らの強さは身に染みて感じていた。
ベルゴの聖霊を操る精神の強さ。
セパルの魔法を扱う魔法の才覚。
ライアーの剣と罪を交えた戦法。
どれも今までの戦いにおいて、相手に遅れを取ったことのない力であったはずだった。
だが、実際はどうだ?
〈六魔柱〉を始めに、悪魔と化した聖騎士や聖女を前に手も足も出ずにやられているではないか。
その時、アータンは自分の中にあった幻想が脆く儚いものであることに気づいた。
(私、が……)
分身のライアーは爆発の折、降り注ぐ瓦礫から囚われた人々を庇って崩壊してしまった。シャックスも重傷の身だ。
戦える者が居るとすれば、やはり自分しか残されていない。
(私が……助けなきゃ!)
──だがどうする?
彼らを下す相手に自分ができることなどたかが知れている。
戦闘の経験は微々たるもの。
少しは自信がある魔法もどれだけ通用するだろうか。そもそも魔法の天才と称されるセパルが倒された時点で結果は見えたようなものだ。
──どうすればいい?
思考が巡る。
しばし堂々巡りを続け、思考回路が焼き切れんばかりの知恵熱が頭を苦しめる。
助けたい、と。
その一心で思考を繰り返した、ちょうど百回目だった。
「……あ」
訪れた天啓。少女の視線は自分の手首に向けられた。
『──〈嫉妬〉の堕天は相手が強大であればあるほど魔力が増幅する』
脳裏に黒騎士の声が思い起こされた。
『逆に〈堕天〉は自分の魔力を増幅させる』
彼が口にすることはなかった〈嫉妬〉の伝説。
今、縋れるものがあるとすればそれだけだった。
『それでもお前はライアーの隣に立って戦いたいか?』
今一度、リーンの声が脳裏を過った。
アータンは躊躇う素振りも見せず、左手で己の罪冠具へと触れる。
膨張。
彼女が解き放った魔力を表すならば、それが正しかった。
空気を吹き込まれた風船の如く、ブクブクと、瞬く間に膨れ上がっていく。
一見際限のないように見える限界も仮初。いつかは泡のように弾け飛ぶと分かっていながらも、彼女は魔力を高めることをやめなかった。
(熱、い……!!)
以前とは違う“邪”の罪化。
どこまでも天に昇っていけそうだった〈昇天〉とは違い、アータンは体内に流れる魔力に身を焼かれそうな苦痛を覚えていた。
煮え滾る熱湯か、あるいは溶岩か。
己が身を焼き尽くさん嫉妬の炎の苛烈さに、アータンは唇を噛み締めるが余り、ツーッと一筋の血を流すに至った。
しかし、少女はすぐさま罪冠具を嵌めた腕で血を拭う。
(このくらいどうってこと……ない!!)
そう自分に言い聞かせ、血を拭った手の甲を見た。
(ッ──これって?)
異変に気が付いたのは、その時だ。
自分の体が自分でなくなっていた。あまりにも婉曲的な表現だが、そう言うしか他ない現象が少女の身に降りかかっていた。
鱗だ。
魚の体に生えている、あの。
それが少女の手首──罪冠具を中心に、鮮やかな魚鱗がメキメキと生え始めていたのだ。
「ひっ……!?」
一瞬、少女は怯えるように息を呑んだ。
けれども立ち直るのも早かった。
恐怖を押し殺すように拳を握り、全身に魔力を巡らせていく。
そうすればするほどに全身の変化は加速していき、みるみるうちに少女の肉体は魚や蛇のような鱗に覆われていった。
同時に感じる強大な力の胎動。
フォルネウスと戦った時とは比べ物にならぬ覚醒の予感に、少女は柄にもなく恍惚とした。
(これが……〈堕天〉)
力に溺れ、自分が自分でなくなるような感覚。
なるほど。確かに罪派や悪魔が〈罪〉の力に傾倒するのも理解できるような気がする。
普通の人間が身の程を超えた権力や財力を手にし、変わっていくように。
魔人の肉体と化して手に入れる力は、人としての心を容易く変え得るまでに強大だったのだ。
しかし、その力を手にして尚、少女の双眸はしかと前を向いていた。
討つべく敵を。
憎むべき罪を。
(大丈夫)
リーンが言っていた。
毅然とした心構えで、と。
(私は……大丈夫)
手段と目的を違えるから、人は間違える。
本当に大切なことさえ見失わなければ迷わない。
(ライアー達を助ける為なら、たとえどんな姿になっても……!)
もしも悪魔になってしまったら──怖い。
もしも人間に戻れなくなったら──怖い。
けれども、そんなことは端から問題ではなかった。
(たとえ悪魔になったって、ライアーなら私を愛してくれるはずだから……!)
好きと言ってくれる人が居る。
優しい嘘を吐く勇者が居る。
下らない嘘も馬鹿馬鹿しい嘘も。
たくさんの嘘を吐く彼が、唯一目を逸らさず伝えてくれる言葉がある限り、自分は迷わない。
迷う必要もない。
(この力は、その為に使う!)
それこそが皆を救う道だと信じ、少女は告解した。
果たしてその告白は罪か、あるいは愛か。
***
実験棟の壁を吹き飛ばし現れる魔人。
魚人族の特徴を色濃く表す少女は、青にも緑にも見える鱗を鎧のように纏い、悠然とその場に立っていた。
「ほぉ……」
感心した声を漏らすのはネビロス。
まず間違いなく、ドゥウスに存在する悪魔の中で最強は彼だ。
その大悪魔が感嘆するほどの魔力を、今のアータンは全身から湯水のように垂れ流していたのである。
「流石は〈嫉妬〉と言ったところかぁ」
〈
「フ、フフ、フ……それでこそ“大罪”だぁ」
──欲しい。
欲深い大悪魔は、喉から出る勢いで右腕を翳す。
すると、どこからともなく参上したレイエルとアニエルが、魔人化したアータン目掛けて飛天で突撃した。
いや、突撃と呼ぶには些か速すぎる。
瞬く合間に魚人の少女が立つ場所が、剣圧と魔法によって爆砕された。たとえ常人でなくとも直撃を受ければ四肢が散り散りとなる威力だ。
「──避けたかぁ」
だが、すでにアータンは宙を泳いでいた。
足元から尾を引く水の流れは、水掻きを得た足裏を押し出すようにして少女を一瞬の内に遠方に運んで見せたのだ。
これが水属性の飛天。
天すらも泳いでみせる優美な飛行。
ドレスにも似たヒレを翻すアータンは、寸前まで自分の立っていた場所を見て一笑。
小悪魔のような笑みを湛え──。
(あ、ああああぶ、あぶ、危なかったぁ~~~~~!!?)
内心全力でビビっていた。
正直漏れそう、いや、漏れているかもしれないくらいにはビビっていた。妖艶な潤んだ瞳も、ただ半泣きになっているだけである。
だが、泣いている場合ではない。
すぐさま避けられたと理解した二体の屍は、空を泳ぐアータンに狙いを定める。
レイエルはその口から火の息吹を、アニエルは両手から魔法の火を飛ばす。
景色を赤く染め上げる炎の大軍。
人魚と化した少女の頬は、焼かれてもいないのに引き攣った。
「っ──〈
誰だって焼き魚にはなりたくなかろう。
目と鼻の先にまで迫る劫火を前に、アータンは巨大な水の盾を繰り出して防ぐ。即席の盾など一発も受ければ蒸発してしまう。
だがそれがどうした。
消された?
なら、消された傍から追加すればいい。
「はああああ!!」
押し寄せる劫火の群れ。
それを堰き止めるのは無数の盾。
さながら魚鱗の如く宙に敷き詰められる水の盾は、聖騎士と聖女の一斉掃射を受け止めていた。
(やれる!! 私、戦えてる!!)
胸中に抱いていた一抹の不安が消えさり、少女の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。
しかし、すぐさま彼女はハッとして口元を抑えた。
(ダメ!! 力に飲まれたら……私もああなっちゃう!!)
強大な力に溺れゆく感覚に焦燥を覚えたアータンは、眼下の悪魔を見遣る。
もはや元の面影など残っておらず、死と破壊を撒き散らすだけの悪魔と化したかつての聖騎士と聖女を。
彼らのようになりたくなければ、確固たる自制心の下に力を揮わなくてはならない。
(でもこのままじゃ!!)
いかに強大な力を得る〈嫉妬〉の〈堕天〉と言えど限界はある。
現に今は相手の攻撃を防ぐだけで手一杯だ。
(何か反撃する手段を!!)
そこまで考えてアータンは違和感を覚えた。
(一人……居ない!?)
激しい炎に目が眩み、つい見逃してしまっていた。
今も尚続く炎熱地獄はアニエルが生み出しているものだ。
「っ……上!!?」
魔力知覚が叫んだ。
咄嗟に頭上を見上げれば、そこには白銀の翼が太陽を覆うように広げられていた。
「しまっ……!?」
剣を振り翳していたのは竜人と化したレイエル。
濃密な死の予感に、アータンの表情が引き攣った。加えて回避しても間に合わないかもしれないという不安と恐怖が脳裏を過り、彼女の一歩目を遅らせる。
目と鼻の先に白刃が迫る。
(ああ、やっぱ私なんかじゃ──)
姉ならもっと上手くやれていただろうか?
そのような後悔が湧き上がってきた瞬間、視界は血に染まる。
パタパタと降り注ぐ血の雨は、いくらかアータンの頬を赤く染めた。
だが、その紅潮は血が理由ではない。
「いーや、よくやってくれたぜ」
「ラ……」
白刃は──宙を舞っていた。
右腕諸共斬り飛ばされた剣を驚くように目で追いかけるレイエル。
聖騎士との間に割って入って現れたるは死さえも偽るこの男。
「ライアー!!」
「おっとっと。お初にお目に掛かりますわ、きゃわたんな人魚姫様」
「ちょ……!?」
アータンはまんざらでもない表情で頬を赤らめる。
語るに落ちる様子の人魚姫の頭をポンポン叩く勇者であったが、そのお茶らけた声色はすぐさま、優しく、それでいて力強いものへと変貌した。
「──よくやってくれた。おかげでメインウェポン切り離し成功だ」
その勝ち誇った声色が少女の心に安堵をもたらす。
しかし、一方で無視できぬ点が一つ。
「その剣は……?」
「お、これか?」
アータンの視線はライアーの握る謎の剣へと注がれていた。
随分と刺々しい攻撃的なデザインだ。製作者の敵意がありありと見て取れる形状を前に、少女はゴクリと生唾を呑む。
だが、当のライアーはと言えば得意げにそれを掲げる。
訝しそうに鋭い眼光を突き刺してくるレイエルへ見せつけるように。
「『
「ゲオルギウス……?」
「要はドラゴンぶっ殺しソードだ」
(急に俗っぽくなった)
「これなら竜人相手だろうが関係ねぇ! ……だろ、レイエルさんよぉ?」
文字通り竜を殺す為だけの剣。
その厳つい形状も、全ては竜の堅牢な鱗や皮膚を裂き、強靭な筋肉と頑強な骨を断つべく、緻密な計算の下に整えられたもの。
特殊な才能や魔法がなくとも悪竜を退けられるように──そんな聖人の願いを宿したゲオルギウスは、その竜殺しの力を揮う為の使用者を選ばない。
魔道具や罪器のような術式はなく、ただただ純粋な形状と機構のみで竜に対する殺傷能力を高めている。
それゆえに術式までは模倣できないイリテュムでも、その対竜性能を発揮することは十分であった。
しかしだ。
「ヤッベ」
突如として素っ頓狂な声を上げるライアー。
次の瞬間には彼はアータンの腰を抱き、黒翼を羽搏かせて急降下する。
間もなく彼らの背後で、暴風を巻き起こった。
「にゃろう! 厄介な剣持ちやがって!」
それは魔法ではない。ただただ純然たる力が生み出す暴だった。
悪態をつくライアーが睨んでいたのは、宙を舞う一振りの剣。
それは鍔の部分が翼のように変形し、斬り飛ばされたレイエルの右腕諸共空を羽搏いていたではないか。
やがて剣はレイエルの下へと戻る。
そして切断された腕は断面同士が合わさった途端、急速に再生を始め、完全に接着したのであった。
まるで意思を持ったかのように飛び回った剣にライアーは歯噛みする。
「レナトゥスか! ッハ! まさか現物をこの目で見られるとはなぁ!」
──罪使いの武器は罪器と疑え。
例に漏れず聖騎士たるレイエルの剣もまた罪器だ。
その名も罪器レナトゥス。『再生』の名を冠する剣に刻まれた術式は、同じ〈罪〉を持つベルゴと非常に酷似したものであった。
「意思を持った剣! 〈怠惰〉を宿した罪器! ──いいねぇ、どうせ白黒つけんなら互いの全力を出した方が後腐れがねえ」
「ラ、ライアー……!」
「アータン、こいつは俺に任せろ」
ライアーは『その代わり』と眼下に待ち構える不死鳥の悪魔に視線を移す。
「あの人──アニエルを頼んでもいいか?」
「!」
「大丈夫大丈夫。今のアータンだったら負けないさ」
鉄仮面から覗く優しい眼差しと、反響する声。
「これ以上、ベルゴを苦しめるわけにはいかないからな」
少女は、そこに滲み出る悲しい決意を垣間見た。
それ以上の理由は──要らなかった。
「──任せて」
「頼んだ!」
重なっていた影が二手に分かれる。
堂々と空に坐す竜人にはライアーが。
黙然と地に舞う鳥人にはアータンが。
それぞれが各々の相手の前へ赴けば、対峙した悪魔もまた己が敵を見定める。
だが、それを面白くなさそうに眺める悪魔が一人。
ネビロスはたった今地に降りた人魚姫目掛け、枯れ枝のような掌を突き出し、禍々しい色の魔力を収束させる。
けれども、放った〈
「チィ……死にぞこないがぁ……」
「何を見てそう思った?」
「あぁ……?」
「この程度甚振っただけでオレが死ぬと思ったら──大間違いだぞぉ!!」
ゴゥッ!! とベルゴの吐く気炎と共に解き放たれる魔力。
砂煙を巻き上げながら押し寄せる魔力の風に、ネビロスは鬱陶しそう眉を顰める。
「……でぇ?」
「告解する!!」
魔力回路の拡張は全身へと及ぶ。
刹那、ベルゴより魔力の炎が噴き上がった。彼の猛々しい闘志を表すが如き火勢はさらなる暴風を巻き起こす。
──罪度Ⅱ。
現状のネビロスと同じ罪度だ。
「我が〈罪〉は〈怠惰〉!! 我は〈怠惰のベルゴ〉ッ!!」
「刻むなぁ。まさかとは思うがぁ……それでおれに
「無論だ」
フン、と悪魔は鼻で笑った。
「本当に頭を疑うぜぇ……おまえらのその楽観的な思考にはなぁ……」
「オレ達がただの楽観でここに赴いたとでも? それこそ馬鹿の考えだ」
「じゃあなんだぁ?」
「勝たねばならぬから──ここに来た!!」
「愚図がぁ」
今度は心の底から蔑むようにネビロスは吐き捨てた。
「そのセリフは何度も聞いたぞぉ……殺してやった親友とやらからもなぁ」
「そうか、あいつと一緒か」
「なら結果はわかるなぁ?」
「ああとも」
ベルゴはネビロスの言う言葉に鼻を鳴らして答えた。
「今度こそ──オレ達が勝つ!!」
継いだ意思があればこそ、ベルゴはここに居る。
彼は不撓不屈の〈
倒れてからが彼らの始まりだ。
「今日のオレは……死んでも死なんぞ」
獰猛な笑みを湛えて言い放つ。
今宵のシンデレラは零時を超えても帰らない。
夜が明けるまで踊り明かすつもりだ。
***
水と火が激突する。
魔法の相克関係によれば水と火は対立の関係。それ故にほぼほぼ同威力の魔法の激突は、互いの威力を相殺して消滅という末路を辿る。
それが何十、何百回と繰り広げられただろうか?
「ッ──!!!」
「──」
人魚姫と不死鳥。
悪魔と見紛われる姿を得て尚、彼女達は全身全霊を掛けて魔法を撃ち続けていた。
地上を流す、あるいは焼き焦がす魔法の閃きは延々と瞬く。
(これが〈悲泣の歌姫〉……!!)
軽く小耳に挟んでいたアニエルの情報を思い出しながら、アータンは思考を巡らせる。
(魔法の正確さ、連射性、威力……どれを取っても私とは比べ物にならない!)
ズグリ、と。
胸の内に灼けるような痛みが滲む。
(このまま撃ち合いをしたって勝てっこない。こっちが先に削り切られる!)
またズグリ。
再び痛みに胸が灼ける。
(かと言って反撃を仕掛けたところで……!)
魔法の嵐を縫うように一発〈水魔槍〉を飛ばす。
それは確かにアニエルの肩部を削り取るが、すぐさま抉られた肉体は炎を伴って再生を始める。
──これでは決定打にならない。
不死鳥の不死鳥たる由縁、その再生能力を目の当たりにし、アータンの表情は苦々しいものとなる。
やはり強大な一撃でなくては不死鳥を打ち取れない。
とすれば、やはり取るべき手は一つ。
(〈
全てを飲み込む海蛇神の顎ならば、不死鳥の喉笛を嚙み千切れる可能性がある。
元より格上を倒すならばこれしかないと薄々気づいていた。
だが、絶え間なく浴びせ続けられる劫火の雨がそれを今の今まで許さなかったのである。
そう、今までは。
(感じる……魔力の高まりを)
劫火の雨からアータンを守る無数の盾。
まるで鱗のように敷き詰められるこれらは、ただ少女の身を守るばかりのものではなかった。
──〈
彼女はそう名付けた。
渦を巻きながら炎を巻き取る水の盾は〈海蛇神の大水魔槍〉同様、受け止めた魔法を分散・吸収し、我が物へと還元する。
つまり、喰らい続けた魔法攻撃の分だけアータンの魔力は高まるというわけだ。
この時まで耐え忍んだおかげでアータンの魔力は十分高まっていた。最大級の大技を放つに不足はない。
(今!)
左手で〈海蛇神の水鱗盾〉を制御しつつ、杖を握っていた右手で〈海蛇神の大水魔槍〉の用意を開始する。
「主よ、満たしたまえ。天つ真清水、流れ出でよ。遍く世をぞ……」
──バキッ!
「バキッ?」
音の鳴った方──右手の方を見遣る。
すると、何かがパラパラと落ちてきた。何かの金属片。それもちょっと大きめだった。
『なんだろう?』と考えるのも束の間、手首にズルリと滑り落ちる感触が奔る。
(これって……)
滑り落ちる物体を目で追う。
地面に転がる欠けた輪っか。それはどこからどう見ても自分の右腕に癒着していたはずの──。
(こッ……こここ、こ、壊れちゃああああああああああ!!?)
そう、罪冠具であった。紛れもなく罪冠具であった。食べかけのドーナツなどではない。
あの陰険クソ眼鏡司祭ことアイムに無理やり嵌められたものが外れたのだ、やったね。
などと喜んでいる場合では、なかった!
(どうしようどうしようどうしよう!!? あっ、心なしか魔力が減ってきてる!! あと体も元に戻ってるぅー!!?)
この時ばかりは最悪のタイミングだ。
ここ一番というタイミングであるというにも拘わらず〈罪〉を補助する罪冠具が破損するなど全くもって由々しき事態。
これは一体誰の所為だろう?
〈嫉妬〉を詳しく教えなかったライアー?
〈堕天〉の存在を示唆したリーン?
それとも安物を掴ませたアイムだろうか?
……なんとなく前者二人の所為にはしたくない為、最後の一人に責任を被せることにしよう。
かと言って事態が好転するはずもなく、刻一刻と魔力は減衰してきている。
早く放たねば折角高めた魔力は減る一方であるし、アニエルの猛攻を防ぐ盾の維持もできなくなってしまう。
しかもこれを好機と見たアニエルが頭上に穏やかでない火球を生み出し始めた。
あれこそ全力の〈海蛇神の大水魔槍〉で迎え撃つもの。罪冠具が壊れ、罪化もままならぬ状態では対峙するべきではないことは火を見るよりも……否、火を見ればこそ尚のこと明らかであった。
「くっ!!!」
だが、アータンは勝負に出た。
今更逃げても背中から焼かれるだけだ。
ならば先手を打つしかない。
「お願い──『ウェルテクス』!!!」
そう言ってアータンは掲げていた杖を握り直す。
魔力を込められて水槍と化す杖を肩に担いだアータンは、そのまま全力で投擲。
螺旋を描く穂先は空気の壁を突き破りながら、アニエルの頭上に浮かぶ火球──否、火の鳥の胸に突き刺さった。
成長途中の火の鳥は胸を射抜かれ、悲鳴のような声を上げる。
しかし、耳を劈く絶叫を上げた後、火の鳥は謳い始めた。本来術者がするべき魔法制御と強化を担う詠唱。これをアニエルの罪魔法は魔法そのものが執り行うのである。
「──?」
けれども、違和感。
そっとアニエルは頭上を見上げる。火の鳥の詠唱は滞りなく続いていた。薪としてくべた羽根も燃えている。にも拘わらず、火の鳥はそれ以上の成長を果たさない。
「──!」
そこでアニエルは見た。
成長していたのは自身の魔法ではない──アータンの罪器であったと。
ウェルテクス。
その名の意味するところは『渦』。
文字通り渦巻く穂先は貫いた対象を削り、抉る。それだけならばただの〈水魔槍〉とさほど変わりはない。
だがこの罪器の持ち主は誰だ?
刻まれた術式はなんだ?
〈嫉妬〉の罪魔法が刻まれたウェルテクスの真髄は削り取った魔力の還元。
魔法に突き立てれば形成途中の魔力を削り、我が物へと還元し、より一層激しい螺旋と共に魔法を食い破る。
それが今まさにアニエルの罪魔法を喰らっていた。
〈嫉妬〉は──〈
「いっけぇぇええええ!!!」
──それは意図せぬ意趣返しだった。
本来放たれるべき〈不死鳥の大火魔弓〉を喰らい、急激な成長を遂げたウェルテクス。
それは小規模ながら〈海蛇神の大水魔槍〉と増幅し、巨大な牙を剥くに至った。
しかし、先の一幕を覚えているだろうか?
セパルが吹き飛ばされた爆発──あれは膨大な量の水が急激に熱せられたことに伴う水蒸気爆発であった。
それが再び巻き起ころうとしていた。
アニエルの頭上で。
「──ッ!!」
不死鳥に海蛇神が喰らい付く。
その喉笛に海蛇神の毒牙が突き立てられた瞬間、アニエルは激しい光発を見た。
夜明けの日よりも眩しい光の中に、彼女は天使を垣間見た。
その姿は小さく、可憐で。
そして、必死の形相でこちらを見つめる少女の姿をしていた。
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