第55話 入浴は赤裸々の始まり
眼の色を変えた青年に詰め寄られるシャックス。
恋が始まる予感……? な訳はない。
薔薇の花は咲かない。残念だったな
しかし、困ったことになった。
〈虚飾〉の罪魔法とて万能ではない。
罪魔法も分類上魔法だ。
つまり、魔法に精通している人間であればある程度看破してしまえるのである。
魔力知覚に長けた人間であれば幻影の違和感に気付くことは不可能ではない。
それこそ、そういった類の特殊能力でも持たれていたら普通に見破られる事態もあり得るだろう。
そして、俺は眼前の青年がその類であると知っている。
「どうしてきみのような獣が聖都に足を踏み入れているのかな?」
「お、俺は……」
青年に詰め寄られるシャックスは俺の方を見てくる。
目が助けてくれと訴えている。
「……仕方ねえ」
俺はシャックスと青年の間に割って入った。
強引な割り込みに眉一つ動かさぬ青年。ニコニコと笑ってはいるが、その裏側には猛獣の気配が潜んでいる。
一つでも選択をミスれば終わる──そのような緊張感の中、俺は彼と向き合った。
「おい、アンタ」
「なんだい?」
「見ろ」
「? ……──!!?」
次の瞬間。
「じおんぐっ!!?」
青年が決壊したダムから溢れる激流の如く、鼻血を噴き上げてぶっ倒れた。
これを見たアータン&シャックスは愕然とした表情を浮かべる。
しかし、この青年が天国に昇ったような幸せな表情で卒倒した今こそ逃げ出すチャンスだ。
「よし、今の内だ」
「ライアー何したの!!? 法に触れることしてない!!?」
「いつか解けてしまう儚い夢は見せたさ」
「魔法掛けたのね!!? 後で怒られない!!?」
「アータンさん……バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」
「ここ公衆の面前!!!」
とはいえ、流石に何の対策も立てずに卒倒させたわけではない。
卒倒させる寸前に周囲に〈
「ほれ、こいつが倒れてる間に行くぞ」
「あぁ、もう! ライアーったら!」
「た、助かった……」
「むぅ……とはいえ、放っておいてもいいものか?」
「これで死んだなら本望だろう」
未だに意識を取り戻さない青年の前からさっさと立ち去る。
魔法を解除したタイミングを機に、ざわざわと周囲が騒然とする声は聞こえてくるが、その頃には俺達はもう十分距離を取っていた。
「にしても、あんな大物がここに来てるとは予想外だったぜ」
「え? ライアー、あの人知ってたの?」
「まあな。その界隈じゃちょっとした有名人だ」
「どの界隈なの……?」
「変態界隈」
「衛兵さんに突き出すべきだった?」
案外容赦ない物言いをするアータンである。
「まあ……理解できなくはないが」
「おい、さっぱり分からんぞ。あいつは誰なんだ? オレにも分かるように説明してくれ」
少し後ろを追ってくるベルゴが訊いてくる。
だが、ここで反応したのはリーンだった。
「静かに。いつどこで聞かれるか分かったものじゃない」
「……どういう意味だ?」
「── “千里眼”。聞いたことくらいはあるだろう?」
千里眼。
それは遠い土地の出来事を見知ったり、未来の出来事を見通したりする魔眼だ。
その単語を口にされた瞬間、察しが付いたようにベルゴは自分の口を手で覆った。
「……まさか、あの男が持っているというのか?」
「そうだ」
「なるほど……すまん、迂闊だった」
「気にするな。だが、お前ら二人も気を付けておけ」
そう言ってリーンは少女と鳥頭を順番に見やる。
未だ完全には理解し切れていない二人だが、リーンの眼力を前には素直に頷かざるを得ないらしい。止まるべき時を見失った赤べこの如き速度でうんうん頷いている。
だが、理解もしないまま放置もできないとリーンは口を開き、
「要はあの男が私達の知らない場所で、こっちを見聞きしている可能性があるという訳だ」
「はぁ!? じゃ、じゃあ俺が悪──」
「ふんぬ」
「おがぁー!?」
うっかり自分が悪魔と口走りそうになったシャックスが、リーンに口──もとい、嘴を掴まれた。
なんかミシミシ言っている。怖ぁ。
「迂闊に喋るなと言ったろう。せめて聖都を出るまではそういった類の単語は口にするなよ。いいな?」
「あ、あい……」
「アータンもだ。分かったな?」
リーンに睨まれたアータンは高速で頷いた。そりゃあもう頷いた。頷き過ぎなくらい頷いた。アータンとて口を失いたくはあるまい。
そうやって二人に忠告を済ませたリーンだが、『そう言えば』と俺の方に顔を向ける。
「奴の千里眼をどうやって欺いた? 力尽くで気絶させた訳じゃないだろうに」
「まさかまさか」
無辜の民に対し武力行使なんてするはずないだろう。
「未来で美女の裸を見せただけさ」
「は?」
「っつー訳でだ。皆で銭湯行こうぜ」
「「「「は?」」」」
***
かっぽーん、と。
天井の水滴が湯船に滴り落ちた、そんな音が鳴り響いた。
ここは新聖都アッシドの端っこの方に構える公衆浴場の一つ、名を『血の池地獄』。
もっといい店名あっただろう。
だが、この湯船の色を見れば『血の池地獄』と名付けた理由が嫌でも分かる。
真っ赤だ。
アータンが『パンを食べたい』を『パンツ食べたい』と言い間違えた時の顔ぐらい真っ赤っかだ。
まさにこれが店名の由来。
なんか、あれだ。湯船に泥が混じっているのだが、そこに酸化鉄やら酸化マグネシウムが入っていて、その化学反応で赤く見えるらしい。
まあ、詳しい理屈は専門外だ。
なので。
「ヒャッホウ! 風呂だぜ~!」
久しぶりの湯船!
俺は脱衣場で鎧やら服を脱いでから、全力で歩き、全力で掛け湯をし、そして全力で足先からゆっくりと浸かった。
「言動が合ってねえんだよ」
肩まで浸かったところで後から来たシャックスに言われた。
マナー、大事。
「というか、ライアーお前……頭の防具を外せたのだな」
「いんや、外せないよ?」
「おわぁ!? 湯船に生首の鉄仮面が!?」
ベルゴの問いかけに〈幻惑魔法〉を解除してやれば、血の池に浮かぶ生首さながらの俺の鉄仮面姿を見て飛び退いた。
怖いか、人間よ。
自分の非力を嘆くがいい。
いや……まあ、これ罪冠具だから外そうにも外せないだけなんだが。
「見てくれだけ魔法で誤魔化してるだけだよん。今のシャックスみたいにな」
「そ、そうか……それにしたって心臓に悪いぜ」
「しかし、それでどうやって頭を洗っているのだ? こう言ってしまうのはなんだが、不衛生ではないのか?」
納得するシャックスの一方で、ベルゴは俺の衛生面を心配してくれたらしい。優しいお父さんである。
「ああ、安心してくれよ。ちゃんと中身洗えるから」
「? どうやってだ?」
「まあ見てな」
俺は湯船から上がり、綺麗なお湯を桶に汲んだ。
そいつを躊躇いなく目元の穴にシュゥゥゥーッ!
そして始まるぜ、俺の洗濯劇が!
──ブゥン、ジャーーーーー……。
──……ゴゴゴゴゴゴ。
──ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン。
──ジャーーーー……。
──ガガガガガガガガ……。
──ピーッ! ピーッ! ピーッ!
「──これで終わりだ」
「人としての生をか?」
「誰が人間失格だ」
失礼しちゃうわ。俺はただ洗濯機を参考に鉄仮面内でお湯を爆速で回転させていただけなのに。
「いや、十分やめてるだろ」
シャックスにも言われちゃった。
ふんっ、ここは多数決ってことで俺の負けにしといてやるよ。運が良かったな。
しかしだ。
「「「ぶひゃ~~~、気持ちいぃ~……」」」
男三人、湯船に浸かってだらしのない顔を浮かべる生首と化す。
やっぱデカい都市に来たらデカい風呂よ。宿屋の小さい浴槽も趣があるけれども、足を広げて肩まで浸かってとなると、大人数が入浴する前提の浴槽でないと不可能だ。
特に体の大きいベルゴはそれが顕著であるらしく、筋骨隆々な体をあちこちに伸ばすようにストレッチを始めた。
「くぅ……やはり風呂はいいな。心が洗われるようだ」
「そうそう、風呂は命の洗濯ってな」
「さっきお前は物理的に洗濯してたけどな」
シャックスの相槌を打つようなツッコミも、風呂場に反響して響き渡る。
それにベルゴは『はははっ』と笑いながら、懐かしむように言葉を続けた。
「昔もよくレイと一緒に来たものだ。訓練の後、任務の後……一日の終わりに浸かる風呂のなんたる心地いいことよ」
「風呂上りにビールなんか飲んだりしてか?」
「あぁ……あれは最高だったなぁ」
よくあるシチュエーションを口にしてみれば、どうやらベルゴにはクリティカルヒットだったらしい。
「お前の姉を救出し終えた暁には、もう一度ここに来よう。そして、仕事終わりに一杯引っかけようか」
そう言ってベルゴはシャックスの方を向いた。
話を振られたのが自分だと理解したシャックスは、まるで仲間の一員であるかのような言い回しが琴線に触れたのか、顔を赤らめながら逸らしてしまう。
「なーに照れてんだよ」
「うるせぃ!」
揶揄う俺に湯を浴びせかけるシャックス。
しかし、それから少し彼は黙り込んでしまう。
それを心配するベルゴは、うつむく彼の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
「……なんでアンタらは俺に協力してくれるんだ?」
「なんだと?」
「俺は……クソみたいな連中だが仲間を裏切った。そんな奴の為に、どうしてアンタらは命を張れる?」
罪を告白するかのような物言いだった
今はもうとっくに死んだとは言え、グラシャラボラスや元盗賊の悪魔共はシャックスの仲間であった。
そんな彼らに対して今のシャックスは反逆する形となっている。
どのような経緯であれそれは裏切りだ。彼も思うところはあるのだろう。
「うぅむ……」
「俺がアンタらを嵌めようとしてるとか考えないのかよ?」
「嵌める? ……ふ、ははははは!」
「な、なにが可笑しいんだよ!?」
「いや……それを己が言うかと思ってな」
涙を流すほど笑ったベルゴは、頬を伝う汗か涙かも分からぬ水滴を手で拭う。
「嵌められたとしても構わんよ。どうせオレにはドゥウスで為すべきことがある」
「……ネビロスを討つことか?」
「そうだ」
迷いなく、そして力強くベルゴは頷いた。
「オレはあの日多くのものを失った。国や誇り、守るべき家族……だがな、その中にまだ拾い直せるものがあるのではと思ったんだよ」
「拾い直せる……?」
「ああ、そうだ」
「……意味分かんねえ」
「お前も他人事ではないぞ」
シャックスは弾かれるように顔を向けた。
それを見たベルゴは微笑んで続ける。
「お前もきっと拾い直せるものがあるはずさ。あの日失ってしまった“何か”を……」
「……」
「まあ、行ってみなければ分からんがな」
呵々とベルゴは笑う。
「あの日失った“何か”ね……」
横で話を聞いていた俺は、言いえて妙だと頷いた。
騎士としての誇りや、人として逸れてはならない人道……ドゥウスには二人が取り零したものがたくさんあるはずだ。
それを拾い直すのは容易い行いではない。
二人にとって旧聖都ドゥウスは、目を背け、逃げ、ずっと省みることを恐れていた過去の過ちに他ならない場所である。
誰だって自分の罪を直視するのは嫌だろう。
それでもベルゴは行くと決めた。
「……ふぅ、長話で上せてしまったな。オレは一足先に上がらせてもらおう」
「お、俺も……」
湯船から出るベルゴにシャックスも続く。
「おいおい、もう出ていくのか? 血と汗と涙と男まみれのお風呂タイムはまだまだこれからだろうが!」
「そんな不浄なものにまみれた風呂の何が楽しいというのだ……」
「そこまで言うなら仕方ねえ……これを見な!」
「藪から棒にどうし……ぬおお!!?」
「おい、どうし……おおお!!?」
振り返るベルゴとシャックスが、湯船から上がった俺を見て赤面する。
「なんなのだその女体は!!?」
「て、てめえ女だったのか!!?」
「そうよ、あたしはライ子! 身長は165cm! 体重は55kg! サイズは上から85、60、79! 今を時めく女冒険者よ!」
「体の数字は聞いておらん!!」
「けど……その……ありがとうございます!!」
シャックスくんは素直でよろしい。
そう、今の俺はいつぞや見せた幻の女体化こと『ライ子』である。
幻影とは言え、曲がりなりにも美少女の裸体だ。先ほどまで神妙な面持ちを浮かべていたベルゴとシャックスも、ライ子のファビュラスでダイナマイトなセクシーボディに釘付けになっている。
フフフッ、俺の妄想が具現化した姿を見て前屈みになる野郎共を眺めるのは優越感に浸れていいわ。ネカマの気持ちもちょっとだけ分かってくる。
「いや、待て!! そもそもなぜ男湯で女の姿になったのだ!!?」
「よくぞ聞いてくれたな。これこそ俺が編み出した千里眼への対抗手段だ」
「おのれ!! 千里眼への偏見が高まることをほざきおってからに!!」
でも無警戒のところに美女のすっぽんぽんが出てきたらビックリするじゃん?
そういうことだよ。
「クソ、肝心なところが湯気で見えねえ!!」
頭を抱えるベルゴの傍ら、性欲に素直な鳥頭は大事な三点──スケベトライアングルと名付けよう──ここが異様に濃密な湯気で隠れている事実を悔しがっていた。
「シャックス……残念だが、お前にスケベトライアングルは見せられんよ」
「どうしてだ!!? このまま生殺しにするってか!!?」
「ここはな、大いなる機関の力によって自動的に白い光やら黒い線、あるいはモザイクで隠されるのさ」
「なんだって!!? なんだよ、その大いなる機関ってのは……!!」
ゲームのレーティング審査機関のことである。
まあ白い光は勝手に俺が自重しているだけなんだけど。残念だったな。
初代ギルシンならばともかく、コンシューマー向けとして発売された『悲嘆の贖罪者』で局部開放なんてできんわ。
良い子は18歳になったら素直に初代ギルシンを買ってきなさい。
時代が許した限界を攻めた表現がそこにはある。ドットのエロ絵はいいぞぉ……。
「さて……これであのキザ野郎をぶっ倒す未来は再現したわけだ。これでここの用は済んだ。上がって着替えようぜ」
「「できるか!!」」
前屈みになる野郎共は、浴場全体に響き渡る声で叫んだ。
んもぉ……エッチなんだから♡
***
「ふぃ~……癒されるぅ~」
ライアー達がガヤガヤと騒ぐ一方、女湯の方ではようやっとアータンが湯船に浸かるところだった。
「広いお風呂って最高……トロトロに溶けちゃいそう」
「風呂が好きなのか?」
「はい! 湯船にお花を浮かせたりして香りを楽しむのも好き、で……」
アータンの言葉はどんどん尻すぼみになっていく。
その原因は眼前に現れた美女、リーンの肉体にあった。稀代の彫刻家が彫ったかの如く均整の取れた艶めかしい肉体は、たとえ女であっても喉を鳴らしてしまうくらい美しい。
その体を見た経験は二回目であるが、以前はあくまで部屋着を着た姿。
今回のように一糸纏わぬ裸体ともなると、当然前回は見えなかった部分までもが見えてしまうわけで──。
「おっきぃ……」
「何が大きいって?」
「ひぃ!!?」
驚愕のあまり喘ぐアータンを前に、湯船に下半分が浸かる双丘を、リーンはわざとらしく揺らしてみる。
どたぷるんっ! と揺れる双丘は間もなく特大の津波を巻き起こす。
さながら全てを攫っていくタイダルウェーブ。人間の手に余る自然の力は、ただそこに立ち尽くすしかない少女を襲い、水中へと沈めるに至った。
完全敗北だ。
湯船の底へ手をついて這いつくばっていたアータンは、胸に手を当ててそれを強く実感した。
「どうして……どうして私ばっかり……」
「胸が小さいのを気にしてるのか?」
「皆まで言わないでください!!」
繊細な部分を粗雑に触れられたアータンは吠える。
もっと優しく触れてほしかった。
それこそ胸はフェザータッチのように触れてほしかった。
しかし現実は無情だ。
持つ者と持たざる者の隔絶はどうしようもし難いほどに広い。
それこそアータンとリーンの胸囲の差の如く──。
「……Aか」
「言わないでください!!?」
「いや、AA……AAAか」
「どんどん下に見積もられていく!!?」
アータンの胸は物理的にも精神的にも抉られる。
どうして風呂に入りに来ただけでカップ数をバラされなければならないのだろう?
少女はこの悲劇に、一筋の涙を流した。
「うぅ、妬ましい……私より胸のある全人類が妬ましい……」
「気にするな。私は胸の大きさなんて気にしない」
「私が気にするんです!!」
そうだ、持っている者はいつだって持たざる者を無自覚に見下す。
嫉妬の炎が燃え上がるアータンの罪冠具からは禍々しい罪紋が広がっていく。
貧乳による巨乳への嫉妬が生み出した悲しい力だ。
それだけの力をあふれさせたところで自分の胸は結局大きくならないという点でも、今のアータンは哀れであった。
「うぅ……妬ましや……!!」
「でもライアーは小さい方が好きだと言っていたぞ」
「えっ……ホントですか!!?」
(すぐに引っ込んだな)
しかし、リーンがライアーの胸の好みを言った途端、広がっていた罪紋は嘘のように消えてなくなる。
(適当に言ってみたんだが。それにしても分かりやすい娘だな)
しかしながら当人は至って上機嫌だ。
そのような少女に水を差すのも忍びないと感じたリーンは、静かに湯船に浸かることにした。
だが、しっぽり湯に浸かっていると感じる視線があった。
「……どうした?」
「いや……その……」
「気になるなら聞け。なんでも答えるぞ」
同性とはいえ、まじまじと裸体を眺め続けられるのも気になる。
疑問があるならばさっさと解消するに越したことはないと、リーンは質問を促す。
それに対しアータンは、
「体……いっぱいアクセサリー着けてるなぁーって……」
「そんなに物珍しいか?」
「はい、まぁ……」
「……ちなみに言っておくが、これは全部
「えぇ!?」
驚愕の事実に、アータンが素っ頓狂な声を上げて飛び退く。
「ぜ、全部……?」
「そうだ」
「罪冠具って一個だけしか着けられないじゃないんですか……?」
「そこからか」
少女の罪冠具に対する理解度を察するリーンはため息を吐いた。
「罪冠具が〈罪〉の解放を補助する装身具。これは知っているな?」
「それは、はい……」
「その原理は大まかに素材と術式だ。金や銀といった貴金属を素材に、〈罪〉の力を増幅させる術式が内部に刻み込むことで罪冠具は完成する」
ここまではいいな? と確認が入る。
少女はこくりと頷いた。
「そして、罪冠具の〈罪〉の増幅効果だが……こいつは単純に面積や体積が大きい方が高い」
「……つまり、一個だけ大きいものを身に着けるより、生活に支障が出ない程度に小さなものをたくさん着けてる方が便利ってことですか?」
「察しがいいな」
まさに今説明しようとしていた内容を言い当てられ、リーンは少女の理解力に感心しながら拍手を送る。
「これなら純粋なファッションとして受け取られやすいからな。賊にも目を付けられにくくて面倒事を避けられる」
「? どうしてそこで賊が出てくるんですか?」
「……金や銀を素材にしていると言ったろう。罪冠具でなくとも、高い貴金属で作った装飾品なんかは賊に狙われやすい」
「へぇー」
「お前も他人事じゃないぞ。罪冠具は単純に外せない分、相手によっては肉を抉ってでも奪い取ろうとしてくる」
「いやぁーーーっ!!?」
突然のバイオレンスな事実に、アータンは右腕の罪冠具を外そうと試みる。
だが残念。単純な腕力で外れるわけもない。結果は暴れて起こった波がリーンの乳房をブイの如く揺らすだけだった。
二重の敗北感。
アータンは再び湯に沈んだ。
「うぅ……私もリーンさんみたいな小さいのが良かった。ピアスとかじゃなくても、指輪みたいな……」
「魔力を流して壊せばいいだろう。見たところお前の罪冠具は少量の銀に鉄や銅を練りこんだ混ぜ物だ。純金や純銀よりも魔力の許容量は低い」
「そうなんですか?」
「ああ。〈嫉妬〉なら尚更容易い」
「どうしてですか?」
「……まさか、〈嫉妬〉の力について何も聞いていないのか?」
さっきのやり取りから少女の察しの良さは理解した。
だが、ここまで言っても分からないということは、単純にあの嘘吐きが少女に〈嫉妬〉の詳細を語っていないだけだろう。
これにはリーンの美貌にも青筋が浮かんだ。
「チッ。あいつは変なところでもったいぶる癖があるからな。お前も知りたいことがあるなら何でも訊け」
「は、はい」
「……話を戻すぞ。『どうして〈嫉妬〉なら罪冠具を壊せるか』だな?」
シンプルな理由だ、とリーンは淡々と言葉を続けた。
「〈嫉妬〉の堕天は相手が強大であればあるほど魔力が増幅する。つまり、魔力増幅能力こそ〈嫉妬〉の真髄だ」
「ま、待ってください!」
「なんだ?」
「堕天って悪魔になっちゃう奴ですよね!? いくら罪冠具を壊す為だからって、それで悪魔になったら本末転倒じゃ……」
以前、王都でライアーと罪冠具に語った時を思い出す。
その時に彼は罪冠具を外す方法として『堕天による魔力増幅』を挙げていた。しかし、悪魔堕ちの方が早いという結論に至った為、却下となったはずだ。
だがしかし、
「堕天と悪魔堕ちは違うぞ」
(そうだったんだ……)
「可逆的な方が堕天、不可逆な方が悪魔堕ちだ」
(そうだったんだ……)
「そして、昇天と堕天で〈罪〉の力は逆転する」
(そうだったんだ……)
そうだったのである。
初耳が多すぎてアータンはオーバーヒート寸前だ。
それにリーンは驚きもせず、密かに後であのクソボケ鉄仮面を断罪しようと心に決めた。
──ぶぇーくしょい!
と、男湯の方からくしゃみする声が聞こえるが、これを無視してドスケベティーチャー・リーンの解説は続く。
「〈嫉妬〉の〈昇天〉は周囲の魔力を増幅させる力を持つ。逆に〈堕天〉は自分の魔力を増幅させる」
「へ~、そうなんだぁ……」
「かつて実在した〈嫉妬の勇者〉リヴァイもそうだ。これら二つの力を使い分け、世界を救ってみせた」
「……あれ?」
ここでアータンは以前の出来事を思い出した。
あの時──サンディークとの死闘に赴く直前のやり取り。ライアーが自分から魔力が流れ込んでくると嘯いていた気がする。
(まさか、あれも……?)
──嘘じゃなかったのかもしれない。
だとしたら、一つ疑問が生じる。
「どうして……」
「自分に説明してくれなかったのか、か?」
「っ──」
「愛されてるからだろうな」
「へ?」
思わぬ返答にアータンは固まった。
そして、みるみるうちに顔は真っ赤に茹で上がる。湯船に浸かる猿の如き赤面だが、そのままパクパクと喘ぐ姿は餌を求める金魚にも似ていた。
「な、な、な……!!?」
「どうもあいつはお前に対して過保護だ。今は余計なことは語らず、時が来たら説明しよう……なんて考えているんだろう。大事に想うが故というやつだ」
「あい、あいさ、愛っ……!!?」
「どうした? 愛されてる自覚はないのか?」
「アイサァーーーっ!!?」
唐突なる米兵のエントリーである。
しかし、敬礼するわけでもないアータンは、羞恥と照れが限界に達した挙句、湯船を激しく揺らすように倒れ込んでしまった。
しばしの間、水死体の如く湯船に浮かぶアータン。湯船が赤いのも相まって、一見するととても穏やかではない光景だ。
「行儀が悪いから起きろ」
「ぶはぁ!!? はぁ……はぁ……!!」
「まったく……頭は冷えたか?」
「いえ、全然」
「だろうな」
むしろ温められたことで血が上っている。
その顔色、さながら鉛丹の如き赤色だ。鉛丹アータンである。
「普段のお前達がどういう雰囲気なのかは分からんが、そんなんでやっていけているのか?」
リーンも呆れた様子で溜め息を吐く。
しかしながら、彼女は唐突に明後日の方を見上げた。
「……リーンさん?」
沈黙を保つ彼女を、今度は少女が心配そうに呼びかける。
そこでようやく意識を現実に引き戻されたリーンはやれやれと首を振った。
「……いつものことだな。あいつは肝心なことに限って、自分さえ抱えていればいいと考えている」
呆れた、しかし、安堵の色が滲む声色を発するリーン。
次の瞬間には真っすぐな眼光をアータンへと向けた。
「アータン。ライアーが戦ってる時、あいつはうるさいだろ」
「ッ……!」
「無理に言葉を選ぼうとしなくていい」
喉元まで出掛かった言葉を飲み込んだのを見透かしたリーンは続ける。
「あいつの戦い方だ。あえて敵を挑発して攻撃を一手に引き受けようとする」
「言われてみれば確かに……」
「それが一番真価を発揮できるというのもあるが、一番は仲間を傷つけない為だろうな」
今度は別の意味で口を噤むアータン。
頭に過るのは、やはり自分が彼のお荷物となっているのではないかという疑問だった。
しかし、そこで黒騎士は問いかける。
「それでもお前はライアーの隣に立って戦いたいか?」
この質問に、
「はい」
少女は、微塵の躊躇いもなく頷いた。
一拍の遅れもない肯定、これにはリーンも思わず頬を綻ばせ、アータンの頭にそっと手を置いた。
優しく、柔らく、何より温かな掌だった。
「……それならいい。あいつの力になってやれ」
「はい!」
「散々語ったが〈堕天〉もあくまで手段の一つというだけだし、たとえ使う時が来たとしても、力に溺れず、毅然とした心構えで扱えばそうそう悪魔堕ちはしない」
「……なんだかやけに〈堕天〉に詳しいですね」
「それを扱う騎士団もある、という一般論だ」
あくまでそう語るリーンは『例えば』と、
「ここに来る前見た男が所属している騎士団なんかもそうだ」
「……あのキザっぽい人ですか?」
「ああ……
──七大教国最強の聖堂騎士団、〈
***
ライアー達が場を離れて少し経った頃。
突如として鼻血を出して倒れた人間に周囲がどよめく中、一人の女性が青年の下へと歩み寄る。
そして、青年のすぐ傍まで近づいた彼女は、
「何道路で寝ているんですか」
「どむっ!!?」
一切の手加減無し、全力で足を振り抜いて青年を蹴っ飛ばした。
石畳の上を数度バウンドする青年は、そのまま近くの壁に激突する。
そこでようやく青年は意識を取り戻したらしく、鼻血を拭いながら立ち上がった。
「いたたっ……セアリアちゃんは相変わらず容赦がないね」
「はぁ。どうしてこんなところに倒れてたんですか?」
「ああ、そうだった。少し怪しい臭いのする輩を見つけたから視ようとしたんだけれど、そしたら急に全裸の美女が目の前に現れて……」
「それで鼻血を出して倒れたと。路上は貴方のベッドじゃないんです」
「そんなことないさ。きみとぼくさえ愛し合うのなら、どこだってベッドになるさ!」
青年は声高々に謳い、女性の手を取った。
内容さえ聞いていなければ完璧な所作である。青年の美貌も相まって、遠巻きに眺めていた通行人の女性も頬を赤らめる破壊力があった。
しかしだ。
「純粋に気持ち悪いです」
「純度何%?」
「1000%ですね、死んでください」
絶対零度の眼差しとはこういう目を言うのだろう。
歯の浮くセリフを口にした青年も、これには一瞬心のダメージによりビクリとショックを受けてしまう。
だが、そこでへこたれる男ではない。
心の強さを学んだ青年は諦めず、もう一度トライを仕掛ける。
「曇りなき殺意。そういうツンケンしたところも好きだよ」
「それならツンツンしてあげます」
「えっ? ちょ……イダダダダ待って!!? 抜き身の剣はやめて!!?」
「ツンケンした私が好きなんでしょう?」
「ツンケンは剣でツンツンの略じゃないから!! これはただの刀傷沙汰!!」
「私の愛を受け取れないというんですか?」
「愛という名の殺意かい!! それもまた良し!!」
「じゃあさっさとお尻を向けてください。そのきったねぇ穴に刺してあげますから」
「ぼくの純潔が奪われる!!?」
公衆の面前で特異なプレイに興じようとする二人に、それまで眺めていた観衆もサッと掃けていく。
こうなってしまっては青年の助けを求める声も届かない。
「待つんだ、セアリアちゃん!! ぼくを社会的に殺そうというのかい!!?」
「不浄の穴に剣を刺しても死ななかったらそうなりますね」
「刺すのはもう決定事項!!?」
「ほら、刺されたくなかったら括約筋に力を込めたらどうです? 私の得物をどこまで呑み込めますかねぇ」
「いや、レイピア!! 限りなく一点集中の剣!!」
誰か助けてぇー! と、情けない青年の叫び声がアッシドに響き渡る。
それから攻防は一分ほど続いた。見るに堪えない争いだった。結果、あれだけ集まっていた観衆もいつしかほとんど居なくなっていた。
「ちょっとぉ~、なに二人でイチャイチャしてるのぉ~?」
すると、叫び声を聞いて駆け付けたか、そこへ六人分の人影が現れる。
「私達ぃ~、作戦の打ち合わせあるから来てって聞いたんですけどぉ~」
「そうだぞ、セアリア。抜け駆けは許さん」
「占い通り痛い目に遭ったようじゃのぉ、かかかっ」
「それ先に言っといた方が良かったんじゃないっすか……?」
「節操のない雄にはちょうどいいしつけさ」
「私は一向に構いませんよ。どのような傷を負おうとも、私が癒して差し上げますので」
「……怖い」
矢継ぎ早に口を開く見目麗しい女性達。
彼女達を前にしたセアリアは『ようやくか』と言わんばかりの表情で、青年の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。
「ほら、ぐずぐずしている間に全員揃いましたよ」
「やれやれ……聖都に侵入した悪魔を暴こうとしたぼくの頑張りは認められないのか」
「作戦が終わったら全員で褒めてあげますよ、ヴィネ団長」
そう呼ばれた途端、青年の顔つきは先ほどまでのだらしない顔つきから、凛々しい勇猛な騎士の顔へと変貌する。
「フフッ、それは楽しみだね」
「分かったなら行きますよ」
「ああ、もちろんだとも」
『ヴィネ』と呼ばれた青年は、そのまま踵を返してとある場所の方を向いた。
「さあ、行こうか。子猫ちゃん達」
歩き出す青年に、セアリアを始めとした七人の女性も続いていく。
その歩みはさながら獅子の群れ。一人の雄獅子を、七人の雌獅子が追う光景を彷彿とさせる威風堂々たる行進だった。
獅子は進む、進む。
百獣の王たる彼らの歩みを邪魔できる存在など、ありはしないのだから。
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