第52話 過去は赦しの始まり




「無事かー?」

「……お前か」


 潜んでいた死霊術師の悪魔を倒した俺が戻れば、すでに戦闘は終わっていた。

 ベルゴの足元には一人の死体──彼の親友であるというレイエルが横たわっている。


「勝ったんだな」

「ああ、なんとかな。そっちはどうだったんだ?」

「ピザって叫びながら死霊術師っぽい悪魔の肘を砕いてきた」

「なんだって?」

「ピザって叫びながら死霊術師っぽい悪魔の肘を砕いてきた」

「繰り返すな。相手が話を呑み込めていないのだから嚙み砕く努力をしろ」

「膝・ピザ・肘」

「咀嚼が少なすぎるわ」


 そう言ってベルゴは疲れたように息を吐いた。

 視線は眼前の死体に向いている。

 18年前見殺しにするしかなかった親友であり、10年前に聖都陥落に関与した可能性もある相手だ。


 とてもではないが勝って晴れ晴れした表情とは言い難い。

 様々な感情が綯い交ぜとなったかのような複雑な表情だ。


「なんかあったのか?」

「これを見てくれ」


 促されるままレイエルの死体……の首元を見る。

 そこには首を一周する縫合痕があった。


「……なんだこれ?」

「首を縫い合わせたのだろう」

「おいおい。それって要はこいつがレイエルじゃないって言ってるように聞こえるぜ?」

「その通りだ」

「……え、嘘?」

「あいつの首には黒子があるはずだ」

「黒子ぉ? んなことよく憶えてるな」

「喧嘩になった時、よく重点的に狙ったからな」

「思いのほか陰湿だな」


 そう言ってベルゴは死体の首元を捲ってみるライアー。

 ベルゴの言う通り、そこには黒子などはない。


「……どういうことだ」

「推論にはなるが構わんか」

「ああ」

「この操られていた死体……これはあくまでレイエルに似せたものであって、本物の死体ではない」


 ほとんど確信したような口調で言い切る。

 親友が断言するのだ。俺のような朧気な記憶でしかレイエルを知っていない第三者よりもずっと信用できる。


 しかし、ここで疑問が浮かび上がってくる。


「なあ、死霊術って本人以外の肉体でも動くのか?」

「死霊術は死霊術でも降霊術ならばあり得よう。だが、わざわざ似せた死体に魂を降ろす理由など……」


 皆目見当がつかない。

 口にこそしないが、ベルゴの困惑した眼がそう訴えていた。


「では、本物の肉体は一体どこへ……?」


 胸中にだけ留められぬ言葉が口をついて出た。

 思わずベルゴもハッとして口を押えるが、俺は聞かない振りをして話を変える。


「ともかく敵は倒したんだ。一先ずアータンやベアティ達と合流しようぜ」

「……それもそうだな」

「んでもって仏さんには南無三、っと……」

「なんだ、それは?」

「俺の故郷に伝わる死者の魂を昇天させる呪文だ」

「おぉ、そうなのか……」


 素直に信じ込むベルゴはそれから少し考え込む。


「そう言えば……」

「なんだ? 俺のスリーサイズか?」

「誰が野郎のスリーサイズを聞きたがる。オレが聞きたいのはお前の剣についてだ」

「なんだ、これかぁ? 王都の鍛冶屋に打ってもらった鉄の剣だぜ?」

「いいや、素材ではない。お前の剣術について気になってだな」

「剣術ぅ?」

「ライアー……師は誰だ?」


 じろり、と鋭い眼光が俺を射抜く。


 なるほど、


「フッ……気づいちまったか。俺の扱う剣術の流派に」

「やはり──」


 ベルゴが察した顔を浮かべた時、俺の脳裏には当時の思い出が過る。

 そうだ、この剣術は──。


「スペルビ教国に居た頃、近所のババアにしばかれて叩き込まれた剣術だ」

「何者だ、そのババアは!?」

「女尊男卑の激しい教師の風上にも置けねえババアだったよ……」


 いやあ、実際あの日は地獄だった。

 だってあのババア、ロクに剣も知らねえ子供を木剣でボコボコにしてくるんだぜ?

 その癖に女の子には甘いんだから、ヤんなっちゃうわ。


「当時を思い出すと……おぉ、寒気がッ……」

「お、おぉ……済まない。嫌なことを思い出させてしまったな」

「いや、別に。ババアと仲良かったし」

「良かったのか」

「殺し合うほど仲が良いって言うじゃん?」

「一線を超えているのだ、それは」


 そっかぁ、ババアと一線超えちゃったかぁ……それは普通に嫌だな。


 よく売り言葉に買い言葉の結果、真剣で斬り合う羽目になったけど、あれは仲が良い訳じゃなかったのか。


 そうして『……違うか』と納得したベルゴは疑問を胸の中にしまい込み、救出した人間が居る場所へと向かうことを優先した。


 ベルゴがクンクンと鼻をヒクつかせながら臭いを辿れば、あっという間に廃城から少し離れた場所にあった天然の洞穴を見つける。

 人の気配がする……そう思いながら中を覗き込めば、案の定大勢の人達が姿を現した。

 当初は突然現れた人間に驚いていた人々であったが、その内の一人──ベアティがベルゴに抱き着くや否や、緊張していた空気は一変する。


「お父さん!」

「ベアティ! 良かった、無事だったんだな……!」

「うん! お父さんは? 怪我はない?」

「当たり前だろう! なんたって俺はベアティの父親なんだからな!」

「ふふっ、なにそれ」


 泣きながら再会を喜ぶ二人に、一同が温かな眼差しを送る。

 いやぁ~、良かった良かった。これで俺はギルシン界隈で名画と称される光景を見ずに済むわけだ。


 あれは本当に胸が痛くなる。もうホント。

 想像するだけで具合が悪くなるレベルだ。


 あっ、不味い。

 思い出すだけでげんなりしてきた。

 ここはひとつアータンを見て中和しよう。


「本当に良かった……ぐすんっ」

「あぁ~、癒されるぅ~」

「え?」

「ごほんっ。アータン女史、よくぞベアティ達を守り通した。褒めて遣わそう」

「うん! シカっぽいカモシカとカモっぽいカモシカが襲ってきたけど頑張ったよ!」

「え、なんて?」

「シカっぽいカモシカとカモっぽいカモシカが襲ってきたけど頑張ったよ!」

「ふんむ」

「むぎゅあ!?」


 どうにもややこしい魔物に襲われていたようだ。

 でも、聞いているだけで頭が混乱しそうになったので、アータンのほっぺを両手で挟んで口を封じる。


魔女ウィッチ挟むサンド……これがサンドウィッチの由来だ」

ほーはほそーなの?」

「いや、違うけど」

うほふひ嘘吐き!?」

「本当はサンドウィッチ伯爵から名を取ったんだ」

ほーはんはそーなんだ

「いや、違うけど」

ほおうほふひ大噓吐き!?」


 多分この世界にサンドウィッチ伯爵は居ない……はず。居たらごめんね。

 しかし腑に落ちない様子のアータンは、ほっぺを挟まれた状態で『ふにゃー!』と子猫のような抗議の声を上げている。


 ので、もっと強く挟み込んだ。


「ふまっふ!?」


 アータンから形容しがたい悲鳴が上がった。


 お待たせしました。

 アータン100%、お肉たっぷりサンドウィッチの完成ですよ。

 このもっちり肉感だけお楽しみください。


 ってなわけで、俺は存分にアータンのほっぺで自分の疲れを労った。


「ふ、ふみゅ……」

「はっはっは、何もできずほっぺを良いように遊ばれる気分はどうかね?」

「ふぁ、ふぁいあー……」

「ファイヤー?」

「ん゛ん゛ん゛っ! ライアー!」


 我慢の限界なのか、顔を真っ赤にするアータンが俺の手を振り払う。


「今そんなことしてる場合じゃないの!」

「アータンを愛でてる場合じゃないって!?」

「それは後で……じゃなくて! 誰かの魔力が近づいてきて──」




「俺のことか」




「「「!」」」


 突如、背後から聞こえた声に全員が反応する。

 特に俺とベルゴはすぐさま剣を抜き、声が聞こえた方向に切っ先を向けた。


 暗がりではっきりとは見えないものの、そこには鳥頭の異形──シャックスとか呼ばれていた悪魔が佇んでいた。


「おーおー。わざわざそっちから顔を見せてくれるとは殊勝なこって」

「まだ諦めんか……!」

「へへっ……そうピリピリしてくれるなよ」


 そう言うとシャックスはその場に胡坐を掻くように座った。

 実に無防備極まりない状態だ。その気になればすぐにでも首を刎ね飛ばせてしまえる状況。

 しかし、わざわざ向こうから隙を晒す意図を汲み取れず、俺達は警戒を高めてその場から動かない。


 一方、シャックスの表情には影が差すばかりで敵意の色が窺えない。


 ベルゴはああ言ったが、俺の目にはむしろ諦めたような面持ちに見えた。

 その理由が何なのかまでは分からないが──。


 次第に空気がヒリついていく。

 きっかけさえあれば今にでもベルゴはシャックスを殺してしまいそうだ。自分に向けられているわけでもないのに、痛いほどの殺気が俺の肌を突き刺している。


 しかし、そのような状況の中で真っ先に口火を切ったのは、他でもないシャックスであった。


「……俺達が若い女を攫おうとしたのはネビロスの命令だったからだ」

「ネビロス……!!?」


「ネビロス?」


 驚愕の表情を浮かべるベルゴの一方で、アータンはこてんと首を傾げる。

 これに関してはアータンが知らないのも無理はない話だ。


「魔王軍の大幹部〈六魔柱シックス〉の一人か」

「大幹部……〈六魔柱〉!?」

「たしか旧聖都を根城にしてるのも奴だったはずだ」


 旧聖都──もとい、ドゥウスのことだ。

 かつて魔王軍の襲来を受け、陥落してしまったディア教国の聖都。ベルゴの故郷でもある聖都は現在、その〈六魔柱〉の一柱たる大悪魔ネビロスが支配する居城と化している。


 なるほど、見えてきた。

 そう俺が一人推測を組み立てている間にも、シャックスは暗い瞳で地面を見つめながら、こう言葉を紡いだ。


「俺の姉貴もネビロスの配下に連れ去らわれた」


 空気が一瞬にして冷えた。

 今が夜だからなどという理由だけではないだろう。


「……こんななりをして信じちゃもらえねえだろうが、俺は元々人間だった。どこにでもいるような……薄汚いコソ泥さ」


 シャックスは語り始める。


「10年前、俺と姉貴はドゥウスで暮らしていた」


 ヒュッ、と。

 息を呑む音が聞こえ、殺気が霧散した。


 代わりに荒い息遣いが聞こえてくる。

 だがしかし、シャックスにはそれが聞こえていないようであり、彼は滔々と言葉を紡いでいった。


「知っての通り、ドゥウスは魔王軍の襲来で聖都は陥落した。俺と姉貴はなんとか生きて逃げられたが、ガキ二人で真っ当に暮らしていけるはずもねえ。だから俺は逃げた先で賊に身を窶した」


 シャックスはただ事実を述べているだけだ。

 だが、その言葉の裏には壮絶な過去があったのだろうとは容易に想像できた。


「だがある時、俺達は村を襲撃している悪魔とバッタリ出くわした。その時はお頭が何とか言い包めて、手下になることで手打ちになった。村の人間を攫ったのも悪魔共の命令だ」


 点と点が繋がり、線と化す。

 そして、一つの画を描くに至った。


「……でもな、攫った人間を連れ去った先で見ちまったんだよ。姉貴が捕まってる姿をよ」

『!』

「俺はお頭に頼み込んで、何とか姉貴だけは見逃してもらおうとした……」


 そこまで語ったところで一区切りと言わんばかりに、シャックスは深呼吸を挟んだ。


 奴の目的は、つまり──。


「……単刀直入に言う。どうか姉貴を助けてくれ」


 シャックスは地面に額を擦り付けるように頭を下げた。

 途中からある程度推測できた内容ではあるが、それにしたって随分と虫のイイ話である。俺達の後ろに居る女達から『どの口で……』と吐き捨てる声も聞こえてきた。


 しかし、今現在シャックスの生殺与奪の権を握っているのは彼女達ではない。

 抱き着いていたベアティを優しく引き剥がすベルゴが、ゆっくりと彼の下へと歩み寄る。


「……どうして貴様達は若い女を狙う?」

「死霊術の素体にするらしい」

「死霊術だと?」

「ドゥウスを支配する大悪魔──ネビロスの得意とする魔法だ」


 やおら面を上げたシャックスは、涙ぐんだ必死の形相でベルゴに告げる。


「奴は今、地上侵攻の要として多くの死霊と屍の兵を従えている! 死体を集めているのもそれが理由だ!」

「なん……だと……!?」

「俺も詳しいことは分からねえ。だが、このまま何もしなけりゃ姉貴があのクソ野郎が操るアンデッドの一人になるってことだけは確かだ!」


 だから頼む! と、再びシャックスは地面に額を擦り付ける。


「散々人様に迷惑を掛けといて身勝手な頼みだってことは分かってる! けど姉貴だけは! 真っ当に生きてたあの人は関係ねえ! どうか助けてやってくれ!」

「……それで?」

「え?」

「貴様はどうする?」


 静かな、それでいてただならぬ威圧感を覚えるベルゴの問いに、シャックスは涙とは別の雫を頬に伝わせる。

 一度でも答えを間違えれば首が飛ぶ。

 そんなプレッシャーの中、シャックスは急速に乾いていく喉に言葉を突っ返させながら、それでも答えた。


「お、れは……罪を、償う」

「どうやって?」

「……煮るなり焼くなり好きにしてくれ」


 小悪党の出まかせにしては、眼前の悪魔の目は覚悟に決まっていた。

 胡坐を掻いたまま両膝に手を突き、ジッとベルゴの顔を見据えている。


「今更奉公して償えるとは思わねえ。だから、気が済む形で……殺してくれ」

「……そうか」

「頼む。だから、どうか姉貴だけは……!」


 懇願するシャックス。

 それほどまでに彼は姉を慕い、罪を犯した己を恥じ入っているのだろう。


 こればかりは、俺にはどうしようもできない。

 仮にこの場で彼を罰せる者が居るとすれば、それは紛れもなく彼の被害に遭った者達──ベルゴやベアティが挙げられるだろう。


 当然、このようなシャックスの申し出に救出された女達からは『ふざけるな!』と罵声が飛んでくる。

 だがしかし、彼女達を責める訳にはいかない。

 きっと彼女達も、連れ去られる直前に壮絶な目に遭ったのは想像に難くない。もしかすると家族や友人といった大切な人間を殺されているかもしれないのだから。


 故に、他人の家族を害してまで自らの家族を救おうとした悪魔など、到底許せるはずもなかった。


「死ね、この悪魔!」


 そして遂には、激高した一人が石を投げた。


「あっ!」


 それを見たアータンが咄嗟に石を受け止めようとする。

 が、あとちょっとのところで爪先を掠っていった石は、シャックスの頭に──当たることはなかった。

 命中する寸前、シャックスの前に立っていたベルゴが目を向けずに捕ってみせたのだ。

 これにはシャックスも目を剥いていた。


「アンタ……」

「……一つ、訊かせてくれ」

「な、何をだ?」

「あの時、どうして人質にされているベアティを奪い取った?」


 あの時──つまり、地下牢でのやり取りを差しているのだろう。

 悪魔に人質にされたベアティ──もっともそれは幻影だった訳だが、人質にするだけならば他にも大勢居たはずだ。

 まさに今他人が人質にしている人間を奪えば心象を悪くするだろうに。


 ベルゴはその意図を知りたかったのかもしれない。

 だが、随分と抑揚のない声色だったせいで、ベルゴがどういう心境であるか深い部分を推し量ることは難しかった。


 顔さえ見られればある程度推察できたかもしれないが、今現在彼と対面しているのはシャックスのみ。


「俺は……」


 他の誰にも見られぬ表情を見つめながら、その瞬間を思い出すシャックスは、眩しい物を見るかのような目を浮かべながら語った。


「せめて……せめて最期くらい人助けすりゃあ話ぐらいは聞いてもらえると思ったんだ」

「……そう、か」

「罪滅ぼしなんて……今更遅いのになぁ」


 自嘲するようにシャックスは笑った。

 そして彼は静かに首を差し出す。


 斬れ、と。

 きっとそういう意味なのだろう。


 間を置いて、ベルゴがゆっくりと大剣を振り上げる。

 重力に任せて振り下ろすだけでも人の首程度容易く斬り落としてしまいそうな刃は、雲が晴れて顔を覗かせた月に淡く照らされ、妖しい鈍色を放っていた。

 物々しい空気が場に満ちる。

 今から繰り広げられるであろう凄惨な光景を想像した者達の中には、蒼褪めて目を背ける者も居た。


 そして、


「……貴様の姉の名は?」

「! ……イノだ」

「そうか」

「……ありがとう」


 刃が、閃いた。




「──待って!」




 アータンの悲鳴にも似た叫び声が響く。

 時を同じくし、周囲に激震が奔った。


「おわっとっと!?」

「きゃん!?」


 余りの揺れに俺がフラつき、アータンはぺたんと尻もちをついた。

 衝撃を引き起こしたのはベルゴの大剣だ。大剣は地面を真っ二つに裂きかねない威力で振るわれたようで、辺りの木々も大いに騒めいていた。

 しかし、振り落とされた場所には血の海どころか血の一滴も飛び散ってはいない。

 ただただ困惑した様子のシャックスが、大剣を振り下ろしたまま動かぬベルゴを見つめているだけだった。


「な……へっ……?」

「──済まなかった」

「……は?」


 突然抱きしめてくるベルゴ。

 これにはシャックスも目を白黒させ、茫然とする。


「アンタ、何を……?」

「それは君の罪じゃない……俺の罪だ」

「え……?」

「あの日、何も俺が守れなかったばかりに、その十字架を背負わせてしまった……!」


 許してくれ、と。

 何度も何度も繰り返すベルゴは、大粒の涙を流してシャックスに許しを乞いていた。


 初めは理解が追い付いていないシャックスであったが、しばらくしてその涙の意味を理解したのか、はらはらと目尻から涙が零れ落ちる。


「ち、違うんだ……! 俺が、俺がバカだったせいで姉貴は……!」


 最早誰もシャックスを罵ろうとはしなかった。

 何故ならば、彼への糾弾はすなわちベルゴへの糾弾と同義であったからだ。


 全ての悲劇は旧聖都ドゥウスが陥落した日から始まった。

 ベルゴもシャックスも、あの日全てを奪われて、それまでとは違う道を進まざるを得なくなったに違いない。その間ずっと罪悪感を覚えて生きてきたのだろうことは想像に難くなかった。


 片や、国も民も守れずのうのうと生きることに。

 片や、生きる為とは言え賊に身を窶したことに。


 たとえそれが人の道を外れたとしても──。


 しばらく、二人のすすり泣く声が静かな夜に響いていた。

 そうしていつしか空が白み始めた頃、肩を震えさせていたベルゴは立ち上がる。


「……行かねば」

「お父さん?」


 不意に呟かれた声に、娘のベアティが小首を傾げる。


「行くって……どこに?」

「ドゥウスに」

「ドゥウスって……!?」


 旧聖都ドゥウス。

 しかし、今は〈六魔柱〉が一柱・ネビロスが支配する──いわば魔都ドゥウスと呼称される土地。


 そこへ赴かんことを宣言する父親に、ベアティは衣が引き裂けるような声を上げた。


「どうして!? なんで今更……もうお父さんには関係ないでしょ!?」

「いいや、時が来たんだ」

「時って……何の?」

「罪の清算だ」


 ベルゴは地面に転がっていた大剣を持ち上げ、易々とそれを肩に担いだ。

 もしも彼が本当に過去と決別していたのなら、あのような超重量の武器など扱うことはできない。聖霊を操作する技術も錆びてついていないどころか、素人目から見ても洗練された凄まじい動きだった。


 ベルゴがそこまでして力を磨き続けていた理由は……きっとあいつ自身がよく分かっていたのだろう。


 そして今、その時が来ただけだ。


「……俺はドゥウスに赴き、こやつの家族を救いに行く! それがあの日聖都を守れず、家族さえも守れなかった俺に課せられた最後の使命だ!」


 目元を泣き腫らしたまま、しかし、瞳には強い意志の光を宿したベルゴが声高々と宣言する。

 その後ろ姿を間近で見つめていたシャックスはと言えば、もはや号泣するようにその場に泣き崩れていた。


「ありがとう……ありがとう……!」

「……礼は、お前の家族を救ってからだ」

「それでも……ありがとう……!」


 泣き縋るシャックスを今一度抱きしめ、ベルゴは陽が昇りつつある空を見上げた。

 10年の暗闇を経て、ようやく覗き始めた光明がそこにはあった。

 だが、この先を見る為にはベルゴ自身が進まねばならない。たとえどのような苦難が待ち受けていようとも……。


「──って、決意を新たにしてるところ悪いんだけどさ。俺達のこと忘れてない?」

「む!? す、済まない……随分長いこと蚊帳の外にしてしまって」

「ったく、水臭いぜ。そういう話は俺達にも噛ませろよなぁ?」

「? どういう意味だ……?」


 おいおい、良い歳したおっさんが小首傾げたって可愛くないぜ。


「ドゥウスに行くんだろ? 俺達も手伝うぜ」

「なっ……馬鹿を言え!? それがどういう意味か分かっているのか!?」

「ッカァ~! これだから勇者様は大変だよなぁ~! 困ってる人を見過ごせねえんだからよぉ~~~!」


 ってな感じでアータンに目線を遣る。


「私も行く!」

「お前も……!?」


 やる気満々のアータン──満タンアータンの言葉に、ベルゴはおたおたと動揺する。

 さっきまで悪魔の根城に突っ込もうとしていた男の態度とは思えない様子だ。


「言っとくがこいつはもう決定事項だぞ」

「な、なぜだ!? これはオレの問題だ! お前達を巻き込む訳には……!」

「忘れたかぁ?」


 チッチッチ、と俺は指を振ってみせる。

 茶目っ気たっぷりのウインクも忘れずにな。


「俺達は家族を探すついでに魔王討伐の旅をしてるんだぜ? 家族を救いたい奴を見捨てられる訳ねえだろうよ」

「──!」


 たとえついさっき知り合った他人だろうと答えは変わらない。


 だって俺は──立ち寄った町のサブクエストを全部こなさないと気が済まない性質だからなぁ!


 困っている人の問題を解決しなきゃ前には進めねえのさ!


「そういう訳だ。諦めろ」

「……く、くくっ、はっはっはっは! まったく……聞いたことのない言い分だぞ」

「前人未踏を開拓してこその勇者、だろ?」

「かも、しれんな」


 呵々大笑するベルゴは、一頻り笑った後に大きな掌をこちらに差し出してきた。

 浅黒い褐色肌も相まって、まるで岩のような手だ。

 それを俺は促されるまでもなく握ってみせる。手袋越しでも伝わってくるゴツゴツとした感触は、一朝一夕でできる剣だこではなかった。


 長年剣を振り続けてきた──振って、振って、それでも振って。

 愚直なまでに勤勉だった男にしか為せぬ力強さが、そこにはあった。


「……改めて言わせてくれ、ライアーよ。オレに力を貸してくれ」

「ああ」


 よろしく頼む、と。

 俺達はギュッと握手を交わした。


「わ、私も忘れないで!」

「無論、アータンもな。よろしく頼むぞ」

「はい!」


 もう片方の手でアータンも握手する。

 だが、アータンの小さな手では握手しようにも中々上手くいかず、ほとんど彼女が両手で包み込むような形になってしまっていたが……まあいい。見ててカワイイし。


「それじゃあ、ネビロスをぶっ倒して連れ去らわれた人達を救う! んでもってドゥウスを解放する! 魔王軍に目にもの見せてやろうぜ!」

「「おぉ!」」


 白んでいく空に俺達の声が木霊する。




 陽は確かに昇りつつあった。




 ***




「ネビロス様」


 薄暗い部屋の中、平坦な声が響く。

 そこはひどく黴臭く、とても長居しようとは思えない場所だった。


 しかしながら、部屋を訪れた悪魔はそれをおくびにも出さず、部屋の主に声を掛ける。


 不意に薄暗がりの中、人影が身じろいだ。


「……何だぁ?」

「“大罪”の捕獲に向かったグラシャラボラスとイポスですが、両者共に魔力の反応が消えました」

「……死んだか? なんでだぁ……“大罪”にやられたかぁ……?」

「おそらくはそうかと。それと万一の補助にと出向いていたガミジン。そしてレイエルの反応も消失しました」

「……レイエルもぉ?」


 ゆらり、とは振り返る。

 人骨に皮を張り付けただけのような、異常なまでに細いシルエットだった。脂ぎった漆黒の長髪は暗闇の中をゆらゆらと、彼女の羽織る襤褸切れ同然のローブと一緒に揺れている。

 総じて枯れ枝を彷彿とさせる、儚げな肉体だった。

 けれども、奇怪な入れ墨と青色の口紅、数多もの装身具を身に着けた顔面は、見る者に強烈な印象を──根源的な恐怖、“死”を呼び起こさせるだろう。


 生きてはならぬ存在が生きている。

 そう錯覚させるこの悪魔こそ、旧聖都ドゥウス──現魔都ドゥウスを支配する〈六魔柱〉の一柱だった。


「あいつがやられるだとぉ……? ……どいつもこいつもぉ……どぉして命令一つこなせないぃ……?」

「いかがいたしますか? レイエルの死体だけでも回収いたしましょうか?」

「必要だと思うかぁ……?」


 そう言ってネビロスは壁際に立つ人影を見やった。


 光を失った紅眼に、銀髪を靡かせる美青年。

 にディア教国聖堂騎士団の鎧を身に纏い、不動のまま直立する肉人形は、まるで既製品のように無数に並んでいた。


 それを見たネビロスはほくそ笑む。




「レイエルなら……?」




 邪悪な笑みは、闇の中で深みを増した。




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