第3話 挑戦

(少なくとも週に一回は来ているけど、やっぱり大きい家だなぁ)


 ゆきの家に着くと、晶は辺りを見渡してほうっとため息をつく。


 庭がきれいに整えられた広い敷地の中に、二軒の家があるのだ。

 北側の奥にある日本家屋風の建物が、彼の祖父母が住んでいる家。

 一方の西側を玄関にしている和洋折衷わようせっちゅうのデザインがされている家が、ゆきの両親と姉弟きょうだいが住んでいるところだ。どちらも総二階建てで大きい。


 話を聞くに、どうやら彼の祖父が画家であるという。

 そのため日本家屋側にはアトリエになっている離れがあるのだが、油絵の具のにおいが普段からするらしい。慣れれば気にしなくなるようだが、ゆきの母がそのにおいが苦手ということもあり、家を別に建てたとゆきは言っていた。


 ここまで大きな家を建てられるということは、資産のある家なのだろう。

 だが、普段のゆきを見る限り、「いいところの子ども」という雰囲気はまるでない。シュッとした面長おもながのため見目はそれなりにいいが、一度口を開くと世間からちょっとずれていて、考え方も変わっていることに気づく。そのため彼に近づく人はそういない。


 晶も、きっかけがなければゆきと友人関係になることはなかっただろうが、今はそんな変わった考え方をするゆきの傍が心地よいとさえ感じるようになっていた。


 晶はいつもと変わらず日本家屋の家をちらりと見たあとに、ゆきが生活するほうの家へ、彼の後ろについて入って行く。


「ただいまー」


「お邪魔します」


 家に入るなり、ゆきはリュックを布製のカバーで覆われたグレーのソファの側に置き、さらに紺色のブレザーを脱いで肘掛けにかけると、腕まくりをする。その流れるような動きのまま、ダイニングキッチンへ入っていき流し台で手を洗った。


「一応、食べ物を触るから洗っとかないとね。晶も手を洗うときはここを使っていいからな」


「ありがとう」


 晶が大きな流し台で手を洗っている間に、ゆきがテーブルの上を布巾ふきんく。テーブルはつるりとした表面をしているため、卵を立たせるにはちょうどいい。

 そして準備が整うと、ゆきは背の高いオフホワイトの冷蔵庫から生卵を一個取り出した。


「よし、やるぞ」


「うん」


 テーブルと卵の接地面を見るため、ゆきかがむ。そしてとがっているほうを上に向けて、生卵をそっとテーブルの上に置いた。

 一瞬にして緊張感がただよう。


(本当に立つのかな……)


 ゆきの短く切られたつめを見てそう思っていると、信じられないことに、彼が卵からゆっくりと手を離していた。


「……立った」


 ゆきがぽつりという。テーブルの上には、ものの十数秒ほどしか経っていないのに、何のトリックもなくすっくと立った卵がある。


「……うん、立ったね」


 晶もその卵を見つめたあと、ゆきを見る。彼も晶のほうを見ており、二人は不思議そうな顔を見合わせた。


「こんなにあっさり立つもの?」


 晶の質問にゆきは、数秒の沈黙を経て「いや、もしかすると卵の個体差かもしれない」と言い出した。彼は卵が倒れないようにゆっくりと立ち上がると、冷蔵庫に入っていた別の卵を二個出してくる。


「晶も立たせてみてくれ」


「分かった」


 ゆきに言われ、晶も卵を立たせてみる。

 一番難しいのは、重心をとることだった。指先に神経を集中させ、揺れ動く卵の中身を感じながら落ち着く場所を探る。

 だが、中々立たない。


(こんなの本当に立つのか?)


 ゆきが難なく立たせたのが嘘のようである。

 晶の手の中にある卵は、手を離してしまうとどうしても右側に倒れようとするのだ。重心を微妙に左寄りにしようとするが、その加減が難しい。


(ゆきはどうなった?)


 向かい側で二個目の卵に挑戦をしているゆきをちらっと見てみる。彼も中々二個目が立たないでいたが、その集中力はすさまじく、一心に卵を立たせようとしているのがうかがえた。


(頑張ろう……!)


 ゆきの姿に触発され、晶もブレザーを脱ぎ、ワイシャツのそでをまくると、卵が立つであろう場所を根気強く探り続ける。


 途中、冷蔵庫から出し時間のたった卵は結露けつろを起こしていたため、水滴をタオルでそっとかなければならなかった。


 それをもう一度テーブルに置き、再び立つ場所を探る。

 水滴を拭いてから数分は経ったであろうと思ったとき、ようやく落ち着くところを見つけた卵が、支えの手を離すと見事に一人で立ち上がったのである。

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