十八話
ヴィオラは、はっと
そもそもヴィルヘルムが自身で千年を渡ろうとしたのは、賢者としての役割を子孫に負わせないためだ。
たとえ転生体がヴィルヘルム自身であり、直接的にその役目を子孫に負わせることはないとしても、彼が転生できるように子孫たちがその血を
ヴィオラが
その切なげな表情に、急な理解が胸を
――
浮かんできた考えを遠ざけるように、ヴィオラはぎゅっと拳を握り込んだ。
「他に手だてはありませんの? ヴィルヘルム様のご親戚とか――」
絞り出された言葉に、困ったように微笑んだ男は首を横に振った。
「僕に兄弟姉妹はいないし、親戚には魔力を持った者がほとんどいないんだ。だから僕の素質を継いだ人間を
子どもたちに迷惑はかけたくなかったけど仕方ないね、と、やはり遠くを見つめてそう呟く賢者を前にして、女は先ほど浮かんだ考えが確信に変わった気がして、どうしようもなく苦しくなった。
――この人は、どうしていつも自分を後回しにするのだろう。どうしていつも自分を犠牲にするようなやり方を選ぼうとするのだろう。どうしていつも自分の気持ちを
そんな思いが次から次へと
(――嘘つき)
とうとう
「アリス様のことを愛しているくせに、貴方、誰と結婚するっていうの」
その瞬間、ヴィルヘルムは虚を衝かれたように
(どうして何もおっしゃらないの)
言い知れぬ激しい感情に胸がひりつくような心地がして、ヴィオラの目から涙がこぼれる。
「――想う人がいるのに、お役目のために違う人と結ばれるなんて、どうして貴方だけがそんな目に
一度思いを口にしてしまえば、それは止めどなく溢れだしてきた。彼女は、わっ、と泣き出すと、叫ぶように言った。
「貴方ばかりを犠牲にする世界なら、いっそ滅びてしまえばいいんだわ」
ヴィルヘルムは思わずヴィオラに駆け寄って、泣きじゃくり震えるその身体を抱き締めた。
「君は――なんてこと言うんだ」
すると女は男の胸を叩きながら抗議する。
「貴方こそ、アリス様のことしか好きになれないくせに、子孫を残すって何よ」
「――僕は、賢者だから。それは仕方のないことで」
聞き分けのない子どものように泣きわめくヴィオラをおろおろと
しかしてその言い訳めいた発言が余計に心を掻き乱したので、彼女は怒りまかせに叫んだ。
「賢者、賢者って! 賢者である前に、貴方は一人の人間です。喜びも悲しみも、人並みに感じている、そういう人間でしょう」
放たれたヴィオラの言葉に、込み上げてきた思いを消化しきれず、男はまた口を閉ざしてしまった。
――ずっと、アリスだけを想ってきた。彼女と結ばれる未来を夢見てきた。けれど今生、それは叶わない。ならばせめて、彼女が負ってしまった役目を分かち合うため、この身を捧げようと決心していた。そのためには、あれだけ否定的だった子孫を残すという方法にも、こうするしかないとなった以上、着手すると決めていたのだ。
たとえそうして彼女以外の人と結ばれる結果になるとしても、賢者として、そういう苦しみには目を
だから今回も、自らの心を偽ってでもそれを受け入れるつもりでいた。
けれど彼にはわかっていた。ヴィオラはこの世界や勇者や賢者ではなく、ヴィルヘルム自身を案じている。ヴィオラはずっとそうだ。彼女がヴィルヘルムの命を救ったときから、ずっと彼のことだけを案じてきたのだ。
そんな彼女に真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、揺らがずにいられるわけはなかった。
再び
「貴方はいつも他人のことばかりで、ご自身のことに
男が目線を合わせると、泣き
(ああ、まただ)
彼女の
(僕の命は、僕一人のものではない)
この命は、誰かに生かされてきた命だ。アリスの願いが、ヴィオラの思いが、自分をこの世界に繋ぎ止めている。
アリス以外の人と結ばれることは、自分の本心を欺く行為かもしれない。
それでも、千年続く未来のために、千年のその先の世界のために、守りたい人々のために、この命を
だとしたら、この選択は決して自分を犠牲にする行いにはならない。
アリスを愛しているからこそ、自分は子孫を残し、転生していく。
――千年先の未来で、再び彼女と生きるために。
ヴィルヘルムはそっと、ヴィオラの額に自らの額を寄せて静かに言葉を
「僕は大丈夫。これは自己犠牲なんかじゃない。僕の人生を思ってくれたアリスや、僕の心を守ってくれた君がいるという事実が、きっとこれからの僕を、千年支えてくれるはずだから」
向かい合う
その表情に、もう迷いはなかった。
「だから僕は、やっぱりこの方法を選ぶよ」
アリスへの手紙 まめ童子 @mameponeartwork
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