#23 暗殺事件の捜査進捗
手を引かれるまま、リーシャはラインハルトに並んで歩いた。
ラガタ橋は祭りのせいか、人でごった返している。人混みの間を縫うように、リーシャとラインハルトはゆっくりと進んだ。
「次からは護衛を連れてきてください。ライネさんの暴力は見境がなくて怖いです」
「姫を怖がらせたのは申し訳なかったけど……護衛がいても俺のことは止められないよ」
開き直ったような発言にリーシャは額を押さえた。確かにラインハルトのあの剣幕に割って入れる人間は限られるだろう。
「頑張って育ててください。一人で出歩かれちゃ困ります。私じゃライネさんを守りきれません」
「一人で出歩いて危ないのは俺より姫だよ?」
侍女も連れずに一人で出てきたことを暗に咎められて、リーシャはそっぽを向いた。
「俺もデートのときは護衛を連れて行きたくないから、姫のことは言えないんだけどさ。でも実際、危ない目に遭ったろ?」
「成人男性が襲ってきたら侍女がいてもどうにもなりませんよ」
「一人でいるよりは抑止力があるよ。……姫が言いづらいなら俺から公爵に手紙を書こうか?」
絶対にやめてほしい。リーシャが激しく首を振ったので、ラインハルトは困ったように眉根を寄せた。
「姫……ひょっとして、普段から一人で出歩いてるの? 父親に知られたくない場所を?」
図星を突かれてリーシャは目をそらした。ラインハルトは妙に勘がいいので困る。
うろんな目で見られてリーシャは弁明した。
「別に……いかがわしい場所ではないですよ」
「姫は賢いから甘言に騙されるようなことはないとは思うけど……どこに行ってたの?」
問い詰められてリーシャは白状した。
「
ラインハルトは拍子抜けしたようだった。
「信仰心が高いのは良いことじゃないか? ひょっとして家族と宗派が違うから気にしてる?」
帝国や周辺国で広く信仰されているサリマ教は、いくつもの宗派に分かれている。開祖に子供がおらず、誰を後継者を見なすかという分裂から、それぞれの王朝が自分たちに都合よく正当性を主張するための政治的な分断、地域の文化に合わせた教義の解釈への差異など、理由は多岐にわたる。
帝国は信仰の自由を認めており、三叉教が主流のバルカニア半島の奴隷にも改宗を迫ることはない。
それでも少数派が差別や弾圧を受けることは珍しくなかった。
「礼拝に行ってたんじゃないんです」
「うん? ……運営の手伝いとか?」
「貧民街や外国人の多い地域の礼拝所を回りました。……ライネさんを襲った刺客に接触できないかと思って」
「――!?」
ラインハルトは口を開けて固まった。
ペルシアの短剣使いもまた、サリマ教の分派からなる者たちだった。彼らは暗殺の前に、仕事の成功を祈って礼拝に行く。そこから居所を突き止められないか、リーシャは連日彼らが行きそうな礼拝所をあちこち訪ねて回ったのだ。
「あいにく成果はありませんでしたが」
「姫……俺を暗殺しようとした危険な連中を一人で探ってたの?」
呆然とラインハルトは確認した。
「ライネさんのことは話してませんよ。ペルシアのアラムートから来た旅商人にもらった薬がよく効いたので、どうしてももう一度ほしいと言って回ったんです」
「…………」
深刻な様子でラインハルトは顔を覆い、黙り込んだ。
「彼らは私とライネさんの関係を知りません。暗殺に失敗して金子不足でしょうから、大金で薬を買うという話に釣られないかと思ったんですが、上手くいきませんでした。利用していた礼拝所は突き止めたものの、その後は拠点を移したようです」
「……それってつまり、刺客の拠点だった場所に行ってみたってこと?」
「残念ながら手がかりは何も残っていませんでした。外国人が多く住む地域の安アパートで、すでに新しい入居者が入っていましたから。大家さんに話を聞いたところ、ライネさんの襲撃失敗後に慌てて出ていったようです。家賃の一部は踏み倒されたとひどく怒っていました」
ラインハルトは天を仰いだ。そのまま動かなくなったので、何か見えるのかとリーシャも空を見上げた。気持ちのいい春の青空をカモメが渡っていった。
「カモメ、お好きなんですか?」
「カモメはどうでもいいかな……」
唸ってラインハルトはリーシャを橋の欄干に座らせた。欄干は腰より少し低いほどの高さの石製で座るのにちょうどよく、歩行者が何人も座って休憩していた。
リーシャは小首をかしげてラインハルトを見返した。
「姫の聡明さを甘く見てたのは俺が悪い。俺が悪いんだけど……そういう危ないことは、せめてやる前に相談してほしかったよ」
「捜査の邪魔になるかもしれないので、私も本意ではなかったんですが……手紙を出そうにも内通者の問題がありますよね?」
「そうなんだけどさぁ! 手紙で言いにくいなら呼んで。すぐ姫の家に行くから」
「皇子様を呼びつけるのはちょっと」
「姫のためならいつでも行くから!」
わめくラインハルトを見つめ、リーシャは尋ねた。
「捜査の進展を聞いてもいいですか?」
「姫……今は一人で危ないことしちゃいけないって話をしてるから、もう少し興味持って。姫の安全に関わる話だから」
「すみません。興味ないです」
「あああ! 姫を説得できない自分の頭の悪さが憎い!」
「ライネさんのせいじゃないですよ。私に説得される気がないだけです」
顔を覆ってラインハルトはうなだれた。
リーシャは自分の命なんかどうでもいいが、万一死ぬようなことがあってはラインハルトは自分を責めるだろう。それは気の毒だった。
「……あんまり自分が生きているという実感がないんです。短い夢を見ているだけで、すぐに終わってしまうような気がして。もし死ぬようなことがあっても、私のそういう無頓着さのせいなので、ライネさんが責任を感じることはないですよ」
ラインハルトはひどく驚いた様子で、痛ましそうにリーシャを見つめた。手袋をはめた彼の手が、そっとリーシャの頬に触れる。
「……聡明すぎるのも問題だね。あらゆる物事が姫には簡単すぎるんだろう」
「そうでもないですけど。……出来ないことは、諦めました」
56回の人生を持ってしても呪いは解けなかった。もうどうすればいいかわからない。
きっとこの先も解放されることはないだろう。そう受け入れることしかリーシャには出来なかった。
「その若さで人生に絶望するのは早すぎるよ、姫。これから楽しいことがたくさんある。俺が遊びに連れていく。だからそんなに悲観しないで」
いたわるようにリーシャの頬を親指で撫でて、ラインハルトはリーシャの額にキスした。
作り笑いでリーシャは頷くことしか出来なかった。善人を困らせると、とても悪いことをした気分になる。
この呪いは誰にも理解されない。一人で抱えていくしかなかった。
「……捜査の話が聞きたいんだっけ? いつものように行き詰まってるよ。内通者をあぶり出そうにも、公爵家に行くことは直前に決めてほとんど誰にも話してなかったんだ。襲われた時は皇室の馬車じゃなく、軍の馬車に乗ってたから、俺が乗ってたこともわからなかっただろうし」
「軍の馬車はライネさんだけが使うんですか?」
「いや、俺も含めて複数の幹部が使う」
「予定が重複した場合は?」
「事前に申請して調整するよ。空いてたら俺は勝手に使っちゃうけど」
「つまり申請外で馬車が使われたら、ライネさんが乗ってるということですね?」
ラインハルトは目を瞬いた。
「襲撃の現場に行ってみたんです。いくつかの道は石畳が割れて、通行止めになっていました。ライネさんに限らず、貴族の住宅街に行く馬車は最終的に襲撃地点を通るように誘導されたんです」
「……続きが聞きたいけど、その前に。刺客がまだ潜んでるかもしれない場所に、興味本位で行っちゃダメだよ姫!」
叱られて、リーシャは誤魔化すことにした。
「訂正します。散歩に行ったんです」
「言い方を変えればいいんじゃないんだよ。しかも俺、襲撃場所は言ってないよね!?」
「基地から我が家までの道程の中から、襲撃しやすそうなところを順番に確認するつもりでした。そうしたら最初の散歩で憲兵さんが立っていたので、ここだろうな、と」
「なんで襲撃のしやすそうなところがわかるの、姫……」
「暗殺者になったつもりで考えてみました。……結論として、ライネさんを襲うのは骨が折れます。基地にいられたら手が出せませんし、警戒心が強くて予定を知らせるのは側近数名だけ。護衛をまく悪癖はありますが、護衛さえ欺くほどの変装をされたら顔をよく知らない刺客では見つけ出せません」
ラインハルトは小言を言うのを諦めたらしい。橋の欄干に座るリーシャの隣に腰を下ろすと、「続けて」と話の先をうながした。
「狙い目はやはり、少数で出かける私用の外出でしょう。中でも将軍が部下や知人の結婚式によく行くという話は有名です。騒ぎにならないように少数で訪問し、負担にならないよう短く挨拶だけして帰ると評判でした」
「姫に褒められると照れるね」
リーシャの感想ではなく社交界の評価だったが、否定する理由もないのでリーシャは話を続けた。
「貴族の結婚式や婚約式の日取りは新聞の社会欄に掲載されます。その中からライネさんが出席しそうなものと、幹部が馬車を使う予定がない日を照らし合わせて張り込むんです。来るはずのない軍の馬車が来たら、高確率で将軍が乗っています」
ラインハルトは口元を押さえた。
「俺を狙ってあの日にしたわけじゃないのか……」
「決行日を固めるのは悪手だと思います。ライネさんは気分で予定を変えますよね?」
「姫……なんでそんなに俺に詳しいの」
「そうじゃないかなと思って義兄に聞いたらそうだと言っていたので」
おかげで周りは振り回されて大変だとセディクはぼやいていた。ラインハルトが振り回したかったのは暗殺者のほうだろう。だが今回はそれが裏目に出た。
「この計画の良いところは無理に将軍の予定を探る必要がないことです。空振りが続けば士気は落ちますが、ごろつきと違って手練れの暗殺者なら投げ出しません」
「暗殺者を訓練したことでもあるの、姫? ……まさか姫が黒幕じゃないよね」
「私が黒幕ならライネさんは助かってません」
「姫が敵じゃなくてよかった。生き残れる気がしない」
深くため息をついて、ラインハルトは整えた頭髪を乱暴にかいた。
「俺じゃなく、幹部の予定を知り得た人間なら数はぐっと増える。その中から内通者を見つけ出すのは難しいな。……姫ならこの後、どうする?」
「猛毒で助からないはずだった将軍がピンピンしていたら、暗殺者としてはプライドが傷つきますね。標的を殺せない役立たずと烙印を押されたら次の仕事もありません。今度こそ確実に仕留めたいところです」
「嫌だな。もう一回あの毒でやられて、生き残れる気はしない」
「……こういうのはどうですか?」
ラインハルトの耳元に、リーシャは計画を囁いた。
耳を傾けてリーシャの提案を一通り聞いたラインハルトは、眉をひそめて難色を示した。
「姫、それはちょっと……」
「一番安全だと思いますよ」
「姫に言われると本当にそんな気がしてくるけど……とりあえず、その件は保留で。今日はデートを楽しもう?」
別案を立てるのは難しいと判断したのか、話題を変えて、ラインハルトは本日の予定に戻した。
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